のぞみ整体院
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日常 13

200826 『心と身体といのちのこと』、そろそろ!

 お待たせいたしました! 神田橋條治先生との今度の新刊、『心と身体といのちのこと』の告知がようやくアマゾンで始まりました!
 はあ〜長かった〜〜というのが正直なところで、でも何度も何度も見直した分、少なくとも誤字・脱字の完成度についてはずいぶんイイセン行っているんじゃないの、と思います。もうホント、何度読み返したことか!

 内容は、一昨年出版の『いのちはモビール』の全面改稿版+杉山登志郎先生&高宜良先生にご参加いただいての座談会の抄録、です。座談会は、丸一日がかりののんびり仕様というか超贅沢仕様でお願いしましたので、もともと抄録にするつもりでした。参加者は当日だらだら喋って、仕上げはギュッとおいしいところは外さずに、が理想的な座談会だろうと企んでのことですが、ご参加いただいた先生方が先生方なのです、どう編集しようとつまらなくなったりはしませんでした!
 全面改稿版のほうは、私がごちゃごちゃ言っている部分をばっさりザックリ割愛して、当初の〈対談風〉から〈インタビュー寄りの対談〉みたいな体裁に仕上げました。大幅に分量は少なくなりましたが、論旨はすっきりしたかと思います。

 そして表紙が! 表紙装幀がまた今回も私好みのなんともボヤっとした図柄で、しかも帯ナシで扱いやすいのが個人的にとっても嬉しい(アマゾンではまだ見れませんでした)

 出版日は9月1日になっていますが、今回は少し遅れて、1日に搬出を始めるそうです。ですので書店でお求めくださるご予定のかたは1日ではまだ店頭に並んでいません。ご確認いただくかしばらく待ってからお出かけくださることをお勧めします。アマゾンその他の配達系も、数日は遅れると思います。
 お値段は2300円+税=2530円。『診察室』よりはページ数が増えて、でも内容は既刊の改稿で、でもそれに贅沢なおまけがついて……と考えた結果の値段設定とご理解ください。

 自分で出した単著は、出したっきり読み返したこともないのに、共著はやっぱり違います、先生の本、です。『心〜』は早く読んでみたい。イヤになるほど読みまくった後なのに、それでもやっぱり、どんな出来上がりか早く見たい。著者への見本刷りはちょっとだけ早く手元にいただけるはずですが、それがなんとも待ち遠しい。どうぞご期待ください!


200901 『心と身体といのちのこと』できました!

 本ができました!
 当初の予定では、日程の加減で、私の手元に届くのは3日以降になるだろうとのことでしたが、出版社さんが「やっぱり早く見たいでしょう」。暇を縫って堺まで運んできてくださいました! 嬉しい。

 これまでは1枚1枚バラバラにばらけたプリントの束で校正を重ねていましたから、製本された〈本〉の形は、新鮮で不慣れで、ちょっと緊張します。
 本文ページの最初にあるのが私のレジュメ。これが横書きの見開きです。縦書きの本に横書きを混ぜ込んで、できるだけ読みにくくせずに仕上げるにはどうすれば良いか。試行錯誤はずいぶん重ねましたが、ページを開くと、うーん……もうちょっと字を小さくすれば読みやすかったかな、いやでもそうするとこっちとの辻褄が……。文字を読む以前に、ついつい反省会に流れてしまってふつうの〈読書〉になりません。これはこれで、愉しいけれど。

 新しい本、というのはもちろん嬉しいものですが、実は同時進行で前著『神田橋條治の精神科診察室』のプチ改訂も進んでいまして、おかげさまで、そちらの刷り増しも無事完了いたしました。
 これまでお買い上げくださったみなさま、どうもありがとうございます。
 未読のみなさまは、どうぞ、今後流通する改訂版でお楽しみください!(って、そんなに変わってはいませんが(^^;))
 そして図書館で借りてお読みくださったみなさまも、ありがとうございます。ときどき借りられてこそ落ち着くのが図書館の本、と思っていますので、ちょこちょこ何度も借り直し・読み直ししてやってください。

 出版社さんから教えてもらった話では、10月5日に発売予定の雑誌「ソトコト」で『診察室』を取り上げてくださるそうで、どこがどんなふうに紹介されるのか、いまからワクワクしています。
 杉山登志郎先生の書評は、以前から私は大好きで、今度の『心と〜』も書いてほしい!と切望するのですが、ご自身が座談会に出てくださっている本には書けない(書かない)ものなのでしょうか……。ぜひ読みたいんだけどなあ……。


200924 歯科治療一段落

 おかげさまで昨日、歯科治療が一段落いたしました。
 私がお世話になっている歯医者さんは、〈歯医者さん〉というよりは〈歯科の鬼!〉的なガチガチに職人な先生で、患者として掛かりに行くだけでもめちゃくちゃ緊張します。とにかく、猛烈に仕事が速くて的確で、なんともすごいのです。

 今回は結局、すっぽ抜けた被せを新たに付け直してくださって、ついでの検査で発見できた前歯根部の炎症を治療してくださって、歯並びの悪さからガタつく部分をちょちょっと削って調整してくださって、で、一丁上がり。歯医者に通う恐怖からも、ちょっと遠方なので通院だけで半日潰れる時間的負担からも、早々に開放してくださいました。

 先生の相手は主に歯で、私の相手は主に皮膚・筋肉で、と、立て直す相手は異なりますが、先生の、手際の良さと判断の速さ、注意の細やかさは大いに見習いたいところです。まさに、神業。いまは実に快適です。


201027 お客様の声、書いていただきました。

 〈お客様の声〉を書いていただきました。7通目の今回くださったのは、兵庫県のかたです。
 一通りの施術が済んで、「しんどくなったらお電話ください」でお別れしましたが、ぼちぼちお元気にされているとのことで、嬉しいことです。


201110 発達凸凹の本、作成開始しました。

 自分が書きたいことはもうないし、書いてほしかった人に書いてほしかった本は書いていただいたし(『神田橋條治の精神科診察室』)、もう私は、本を作ることはないと思っていました。
 が、また作ることになりました(…)。いえ、なったのじゃなくて、また私が「作ってほしい」とお願いしたのですが(…)。

 今度の相手は、児童精神科医の杉山登志郎先生です。
 発達障害・発達凸凹についての基本的な本を作ってほしい、とお願いしました。

 しばらく前に、立て続けに「子どもに施術してほしい」とお電話いただいたことがありました。
 その親御さんが、みなさん揃って、「うちの子は発達障害なのですが」とおっしゃる。発達障害があろうとなかろうと肩こり・腰痛は起こりますから、お電話で感じをお聞きして、引き受けられそうと判断できたかたは引き受けて、来られた子どもさんにお会いしてみると、確かにつらそうな子はつらそうですが、実に屈託ない子もおられます。
 その屈託ない子に施術しながら、私は、(この状態なら私は発達凸凹と呼ぶけどな)と思い、親御さんに〈発達凸凹〉なる考え方を紹介しようとして、ふと気づきました。一般の人がすんなり読めそうな、手頃な本ってあったかな……?
 結局、その場では思いつけず、紹介することはしませんでした。

 のちほど、杉山先生に「発達凸凹を説明した一般向けの本を教えてください」とお訊きすると、先生は、私も読んだことのある新書を挙げてくださいました。が、……うーん……あれだってわりと難しかったけどなあ……。「もっと簡単なのはないですか?」「作っていないかもしれません」「じゃあ作ってください」「じゃ作りましょう」と、なりました。

 先日臨時休業した11月3日が、インタビューの日でした。その日の夜から、ぎゅっと大急ぎでテープ起こしと原稿の整理に取り掛かって、第一次原稿ができあがったのが昨日! たぶん、私史上、最速! 一段落仕事が済んで、おかげで今日は気楽です。

 本の出来上がりがいつになるかは、ちょっとまだわかりません。また見通しが立ちましたら、その都度、報告いたします。
 いまは、どんな構成にするかをあれこれ模索中です。たぶん、この作業がいちばん愉しい!


201127 本は構成次第!

 杉山先生へのインタビュー本ですが、やっと形の目処が立ってきました! ほっとしました。

 もともとは私が2つのことをお聞きしたくて企画し、でも当日お話しいただくとそれは2つでなく3つのことだったことが判明し、えええっ! そこからっ!?とその場で私がうろたえて構成はぐちゃぐちゃになりました。
 が、聞き手はへなちょこでも話し手はしっかりしておられますから、インタビューはさくさく進み、機械的作業に近いテープ起こしも一応さくさく完了し、でもこれ、どうやってまとめるの?というところで私は途方に暮れました。文章はそれなりに平易なんだけど、何だかどうにも読みにくい……。

 そこで急遽、いつも助言を仰いでいる友人に泣きつき、どうすれば良い? 相談すると、「2つのことを聞くのでなく、最初から3つのことを聞きたかった場にすれば?」。なんとも力技な改善方法を示してくれて、その方向で構成を作り直すと、あら不思議。実に読みやすい本に生まれ変わりました。スゴイっ!

 おもしろいもので、読みやすくなると一気に愛が湧いてきて、ああっ、いい本になるぞ! だだッと期待が加速しました。
 一時はほんと、どうなることかと思っただけに、一山越えたいまは、ものすごく穏やかな気分です。よかった……。


201129 感染症対策……

 GoToキャンペーンの見直しが取り沙汰されていますが、イートはともかく、トラベルの見直しをする必要はあるのかなあ? 私にはどうも納得できません。
 政策的な良し悪しはともかく、感染症的な理屈を考えると、外出すること・旅に出ること自体を見直す必要はないように思います。でもなんで医師会・分科会はダメだと言っているのでしょう? よくわかりません。

 新型コロナウイルスはほぼ飛沫感染でうつりますから、対策は、感染者の飛沫に含まれるウイルスを自分の体内に入れない、しかないはずです。そのための行動は〈目・鼻・口に触る前には手を洗う〉。どろんこ遊びはしても良いけど、泥だらけになった手で顔は触っちゃダメですよ、と同じ理屈です。
 そしてマスクなしだと飛沫はモロに飛んできますから、〈マスクせずにおしゃべりする人のそばには寄らない〉。特に対面には立たない。
 自分がマスクをするのは「私は飛沫を飛ばしませんから、私と話してくれて大丈夫ですよ」の振舞いであって、自分がうつらないためではない。自分がうつらないための行動としては、〈マスクせずにおしゃべりする人のそばには寄らない〉ことが大事です。

 で、それ以外の対策は本当は不要だと思うのです。
 目・鼻・口に触らないのであれば入店・退店時の消毒は不要だし、お互いマスクを着用しているならアクリル板・アクリルカーテンの類も不要。お金や物のやり取りも、直接手渡しで全然オッケー。人が移動することも、それ自体は全然問題なし。
 朝のテレビで、「ウイルスは歩きませんから、人の移動が感染を広げるのです」と言っているのを聞きましたが、実際は、ウイルスは歩かないからこそ、直接手で〈運び入れる〉・至近距離から飛沫を吹きかけられる、が、なされない限り、感染できません。滋賀じゃあちょっと遠いけど大阪まで来てくれたらうつれる、なんてものではないはずです。

 結局のところ、今回のGoToキャンペーン見直しなども含め、感染症対策全般がどうにもモヤモヤする原因は、「これはして大丈夫」「これは危険」の基準が理に適っていないことにあるように思います。
 移動は自粛して近所でマスクなしの宴会をするのと、じゃんじゃん旅行はするけれど人と話すときは必ずマスクをしているのとでは、感染症対策の効果としては雲泥の差です。でも、どちらも明らかに〈気を付けてはいる〉。その気を付ける努力を、不毛な苦労にさせないための、理に適った説明を聞く機会が絶対的に少ないと思います。

 冒頭にも書きましたが、GoToキャンペーンの政策的良し悪しは知りません。が、予約がもらえたり・一気にそれがキャンセルされたり、振り回されるほうは、たまったものじゃない。本当にしんどいと思います。
 それが、現実に移動が感染を広げているのならともかくも、理屈に合わない〈風評被害〉みたいな形で現場を疲れさせるのは実に問題だと思います。

 私のこの理解はそんなに滅茶苦茶ではないと思うのですが、なんで政府(? まあでも、この場合は政府が言うのかな)はそれを毎日記者会見したりして言ってくれないかなあ……。
 エイズウイルスのときみたく、「プールは大丈夫、握手も大丈夫、ディープキス以上の濃厚接触はハイリスクなので注意!」くらいわかりやすく、〈して良いこと・ヤバいこと〉の基準を連呼する、それだけで、妙な不安状態・情報の混乱は減らせると思うのですが……。


201208 ワクチン……

 ワクチン・治療薬への期待が高まっているようですが、〈ワクチン打った! じゃあマスクなしの生活へ!〉となるのが私にははっきり怖いです。
 GoToへの対応などを見ていても、〈若い人は軽症で済むけど高齢者は要注意〉という理屈が前面に出ていますが、これだってよく考えると不安なもので、一度感染したら数十年にわたって体内に棲むウイルスもいるわけですから(たとえばヘルペスウイルス)、軽症で済んだ若い人が〈若い人〉ではなくなった数十年後に、突然、サイトカインストーム系の重症状態で再発(再燃)する、という可能性だって全然ないとは言えないわけでしょう、なんせ新型なんですから。完治すればウイルスは体内で全滅しているのか、少数がどこかに潜んだまま何十年も過ごすのか。体内に入った新型コロナウイルスが数十年後にどうなっているのかは、誰にもわかりません。

 そう考えると、たとえ軽症の可能性が高そうでもやっぱりかからないに越したことはないし、副反応への不安もさることながら、そもそも感染を阻止するものではない上に、ウイルス相手では効果もわりと限定的なワクチン・治療薬にハカナイ望みをかけるより、かからない対策(私の意見は2つ前の記事に書きました)を徹底するほうが良策だろうと思います。
 そしてすでにかかった人については(――ということは、確認済みの陽性者だけでなく、自覚症状なしで済んだ感染者――ということは、最大に見積もれば人類みんな!)、体内のウイルスをつけあがらせないよう、不摂生に注意して日常を送るべきなのだろうな、と。

 今後10年〜30年くらいの間に、壮年〜高齢者の間で、原因不明の突然死が世界的に多発する……と考えるとだいぶホラーです。私自身もすでにいま気付かずにかかっていて、そのときにその一人に入っているかもしれない……と考えると、かなりリアルな怖さです。せいぜい、早寝早起きと腹八分目を心がけて、突然の・想定外の重症化は回避したいものです……。


201225 弱い近視メガネ

 近視用のメガネの、ごくごく弱い度数のものを近所のメガネ屋さんに作ってもらいました。
 もともと私はドのつく近眼で乱視があって、左右の視力差もかなりあって、普段は矯正視力で0.7くらいに見えるメガネを使っています。しかしこれでパソコンとか編み物みたいな手元作業を継続してすると、見えないわけではないけれど〈無駄に良い視力にし過ぎている〉感がありありで、いくらか目玉も疲れるし、「もっと弱い、〈ちょっとだけ良く見えるだけのメガネ〉があると良いのになあ」と、つねづね思っていたのでした。

 で、いま現在、その新しく作ったメガネを使っています。実に快適です。
 おもしろいのは、0.7メガネから両目均等に弱くしたのではダメで、片目は3段階、もう片方は4段階と、弱めかたに左右差があると良いのです。均等に下げると、左目の負担が少々大きく感じられて、しんどい。左右差をつけると近距離を見ているのが実に楽です。

 そもそも私の裸眼視力には左右差がかなりあって、それを矯正する0.7メガネには矯正用の左右差がつけてある。なのにそこから〈さらに近距離用のメガネ〉を作るためには、また別の左右差が必要になる。これは興味深いことです。
 どうして、0.7メガネをそのまま左右均等に弱くしたのではダメなのか? 店員さんに訊いてみると、「利き目といっても、どの距離でも同じほうの目が同じ程度に利き目、というわけではないようですよ、私の経験では」と、納得の説明をサラッとしてくれて、なるほど……。気が済みました。

 小学生時代に目が悪くなった私は高学年くらいからメガネ人間でしたが、当時は、〈ちょっとだけ視力を上げる〉発想がなかったように思います。なんか、一律で両目1.2にしときましょうみたいな流れがあったのか、私が気弱で「もっと弱いメガネが良い」と言い出せなかったのか・その発想を思いつけなかったのかわかりませんが、かなり強いメガネをかけていた記憶があります。
 度の強いメガネだとしんどいから視力を下げる⇒視力が下がるとメガネが合わないから度を強くする⇒またしんどいから視力を下げる⇒…の連鎖で視力がどんどん落ちた可能性はないのだろうか、というのは以前からの私の疑問です。
 そして今の疑問は、このたび作ってもらった弱いメガネは、はたして老眼鏡なのだろうか……?です。別に年が年ですから、老眼鏡なら老眼鏡で良いのですが、これが老眼鏡でないとするなら、老眼鏡と弱いメガネはどうやって使い分ければいいのでしょう。機会があったらメガネ屋さんに訊こうと思いつつも、今度のメガネは快適なので、あえて訊きに行く機会がありません。快適なのにゆるい謎は残って、微妙にもどかしい……。


210128 久々の 通常サイズマスク

 「あなたが使っている幅の狭いマスクに飛沫の心配はないの?」と友人に指摘されたので、幅の広い、というか通常サイズの布マスクを作ることにしました。
 よっぽど水ッぱなにでもなっていない限り、開いた口からしか飛沫は飛ばせませんし、もちろん、幅が狭いといっても口の幅は覆っています。細かい粒子のエアロゾルがいくらか漏れはするでしょうが、正面に飛んでいく勢いは殺せているでしょうし、飛沫の絶対量は減っています。なので、幅狭マスクで問題があったとは思いませんが、せっかく指摘してくれたことですのでありがたく従っておこう。通常サイズのマスクを夕べ、ミシンでちゃちゃっと作りました。

 久しぶりに通常サイズを使ってみると、こちらのほうがゴム紐が緩くてもずれにくいことに気づきました。耳的には楽かもしれません。
 今回は、使っていないハンカチというか小風呂敷というか、しっかりめの布を表地にしましたが、ちょっと切ないのは選んだ柄がお雛様なことでした……。春先まで集中的に着用して、夏前までにはお役御免、が理想です。冬の間は春待ち気分で許せるにしても、雛人形と桜柄のマスクで夏を過ごすのはさすがにちょっとキツイ……。


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