のぞみ整体院
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日常 10

200117 中根雅弘さんの作品展、見てきました(^^)。

 一昨日、早速、中根雅弘さんの作品展を拝見してきました!

 午前中、店での用事を済ませてから、自転車でキコキコ、弥生文化博物館に向けて出発。初めて行く場所なので迷子にならないか心配でしたが、適当に曲がってみた道がたまたま正解だったようで、めでたくセーフ。無事、ノー迷子で到着できました。
 自転車を止めて中に入ると、入ったすぐがミニギャラリーでした。水曜の昼ということもあってか、来館者はごくごく少数、ゆっくり過ごせました。

 チラシをいただく前に中根さんから図録を見せてもらっていて、背景は生成の麻、と知っていたのに、チラシのインパクトが強すぎました。背景が真っ黒から生成になるだけで、全然印象が違いました。
 黒の背景だと重厚・峻厳みたいな朽ちたガスボンベに見えるのに、生成の背景だとどこかほんわか・おっとりした感じで、〈朽ちた〉という形容では私には少しピッタリしません。もっとのほほんと〈なったがまま〉な感じです。
 どちらが好みかは人によって分かれるでしょうが、部屋の中に飾っていて和むのは生成の背景でしょう。ぱっと見た瞬間の迫力・インパクトではチラシに負けるかもしれませんが、大きい絵でも威圧感はなく・静かな存在感はある、というのが素敵です。

 惜しむらくは、点数が少ない……。ご本人も言っておられましたが、少し大きな個展をされるには、もっと描きためていただかなきゃなりません。
 ちなみに、私が好きだったのは、ブルドーザーとかそんな感じの、〈はたらく車〉系の車の絵です。うーん、あれは何という名の車だったかな……。
 常設展もついでに(失礼!)見せてもらいましたが、がらんとした部屋に土器や写真パネルがあるだけの第2展示室の居心地がよかったです。展示されていた巨大井戸は、触ってみたくて仕方ありませんでした。もちろん、触るなとあったので我慢しましたが。


 大阪府立弥生文化博物館ミニギャラリー
 「帰納的標本」中根雅弘作品展
 令和2年1月15日(水)〜28日(火)
 休館日 毎週月曜日
 開館時間 午前9時30分〜午後5時(入館は4時30分まで)
 入館料 1月15日〜17日(常設展期間) 一般310円/65歳以上・高大生210円
      1月18日〜28日(企画展期間) 一般430円/65歳以上・高大生330円
 最寄り駅は、JR阪和線「信太山」駅です。改札を出て右に行き、2つめの踏切を渡って直進すると大きな道路に出ますので、それを渡ったところです。


200128 屠蘇散の効果

 先日、お客さんから屠蘇散、なるものをちょうだいしました。お正月だからお屠蘇です、と言われて、〈オトソ〉なる響きに聞き憶えはあったけれど、それが食べ物だったか飲み物だったかも、私にはピンと来ませんでした……。
 えーと、オトソって何ですか?と教えていただいたところでは、感染症予防と胃腸の養生のために煎じて飲む、広い意味の漢方、ということのようです。

 ふだんから薬的なものは飲まない上に、一般的なごはん以上に〈高級〉そうなものを口にすると大抵負けて具合がおかしくなるので、「屠蘇散……」と一瞬、躊躇しました。が、包みを手にすると、持っているだけでも漂ってくる香りが、なんとも素敵……。うーん……これはちょっと飲んでみたい。で、ありがたくちょうだいしました。

 説明書よりちょっと多い目に水を入れてぐらぐら沸かすこと15分。マグカップ1杯強くらいの量ができあがって、これを一時に飲むのか何回かに分けて飲むのかもよくわからない。ちょっと迷って、でも日にちを置いて劣化でもしたらもったいないわと思って、結局一時に飲みました。
 香りは極楽。味は、うまいッというのではないけれど、しみじみほんわり優しい飲み心地で、ごくごく飲める。なのにその後しばらく舌のビリビリ感がとれません。不思議なものでした。

 さすが漢方だな、と感じ入ったのは、翌日すさまじくおなかを下して、ぴたりと収まり、それからは今日で飲んで4日になりますが身体の芯がじんわりあったかい感じが続いていることです。
 ふだん図書館内で本を読むことのない私ですが、この数日、調べ物の必要があって複数の図書館に長時間座っていました。時節柄、あちこちで咳き込んだり明らかに熱のある呼吸をしている人がいたり(なのにマスクもしていない! 早く帰っておかゆ食べて寝ようよ!)、なのに窓を開けての換気はされないという、恐ろしいような空気状況でしたが、風邪をうつされるかも、という不安があまり湧きませんでした。
 気の持ちよう、かもしれないけれど、その気が持てるかどうかも大事な要素ですので、いまのこの時期にとてもありがたいいただき物でした。


200209 2回目の校正終了

 今夏出版予定の本の、2回目の校正が終わりました。
 私がこれまでにしてきた数少ない経験では、校正は3回というパターンが多かった。原稿を入稿したら校正刷りができてきて、それに修正を入れて、また校正刷り、修正、校正刷り、で、最後の修正を入れたらそれが完成稿で、そのままそれが印刷されるという流れでした。

 『神田橋條治の精神科診察室』はわりにそれに近い方式で校正しましたが、出版社のかたと相談の上、今回はガラッと方針を変えてみることにしました。最初の校正刷りは私だけが修正を入れて、それを反映した校正刷りも私のところだけに届けられる。それにまた私だけが修正を入れて、それからその次の校正刷りは、神田橋先生にだけ送られる。で、先生の修正を反映した校正刷りが私のところに届けられて、最終のチェックを私がしたらそれが完成稿、という流れです。
 同じ原稿に同時に二人がごちゃごちゃ言うより、一方が修正を済ませた後の原稿に一人ずつ交互にごちゃごちゃ言ったほうがすっきり処理できるんじゃないかしら、の試行錯誤です。まあ概ね、うるさくごちゃごちゃ言うのはほとんど私だけ(!)ですから、最初の地ならしと最後の点検は私にさせてね、と役割分担しました。

 初回の校正は本文部分の読み直しをメインにしましたが、2回目の校正は注釈の見直しにぐっと比重を置きました。引用・参照した文献に一から全部当たり直して、誤読・誤引用がないかをまめまめチェック。すると、がっくりくるくらい、ちょろちょろした間違いが見つかります。中にはびっくりするような大間違いもあったりして、冷汗をかきました。

 その後、改めて本文の作り(本文レイアウトというのでしょうか)をイメージし直して、引き渡しのときに出版社さんにあれこれ注文をつけました。ここはこんなふうにして、これはこういう具合で、……。
 細かなことを言いながらも、〈この変更は非常に面倒な作業なのじゃないかしら?〉が、やたら気になって仕方がない。パソコンでコピペするのは一瞬ですが、手書きで書き写すのは実に面倒な作業です。それと同じで、ワードですれば簡単な作業が、出版ソフトではめちゃくちゃ手間な作業かもしれません。私はその辺の様子がわからないからこんな注文つけてるけど、あんまり手間なら他の方法を考えるし、思いつきの中にはそれほど思い入れの強くないものもあるからその場合はやめればいいし、ともかく、面倒なら面倒って言ってくださいね、ね、と、ちまちま細かい注文をつけつつも編集作業の〈費用対効果〉にハラハラする私は、強気のような、弱気のような。
 で、「こんなふうにしてほしいのですが……」と全部言い終えると、出版社のかたは、「いま言われた変更は合理的だし、こちらの手間も減るからありがたいです。そのようにしておきます」と、カラッとあっさり言ってくれて、肩の力が抜けました。……はあ、よかった。


200226 『ジェネラリストのための内科外来マニュアル』で勉強開始しました

 精神科のお師匠さんに紹介されて、遠方のお客さんが来てくださいました。

 どういう経緯でこちらに?と伺うと、現われは内科系の症状なので、内科を受診して検査して問題がなくて、さらに関連する専門科を受診して検査して問題がなくて、それでも症状が治まらないというと、一度精神科・心療内科を受診してみては? 心因性ということもありますから、と助言されて、そのことを知人に相談したらお師匠さんへの受診を勧められた。で、行ってみたらこちらを勧められました、とのことでした。
 そのかたは、精神科の薬を相談するつもりで行ったのに、薬の話を切り出すより先に「身体のゆがみから来てるんじゃないかな」と言われ、薬を訊くどころでなかった、と笑われました。

 施術させてもらっての感じでは、確かに私も身体のゆがみが(少なくとも)原因のひとつにはなっていそうだと思いました。なのでお客さんと、いきなりお師匠さんのところを受診されてよかったですね〜と笑い合っていました。


 で、整体屋な私の目標としては、私も、この速さで判断できるようになればカッコいいと思うのです。
 先日は呼吸困難のお客さんに適切な案内ができずに泣きましたから、早速、大きな図書館と大きな本屋さんに行ってきました。で、素敵な本を見つけました! 『ジェネラリストのための内科外来マニュアル』(金城光代・金城紀与史・岸田直樹編集、医学書院、2013)。本屋さんで見つけたのは出たばかりの第2版でしたが、診断も投薬もできない整体屋はちょっとくらい情報が古くたって平気ですから、初版を古本で買うことにしました。

 本屋さんで棚を眺めて、わりとすんなり「これが好き」と決まりましたので、他の本の構成・内容はあまり確認していません。ですから類書と比較しての感想ではありませんが、この本は、すごい本だと思います。なんせ私でも書かれていることが良くわかるのです! いかに親切に書かれているか、ということでしょう。
 第2版に出合わせてくれた本屋さんではせめてものお詫びに別の本を買って、帰宅。しばらくは初版本を集中して読んで、内科的アンテナを磨こうと思います。


200301 〈風邪〉という名前

 新型コロナウイルスが大変になっていますが、この感染症の呼び名が〈新型コロナウイルス〉でなく〈新種の風邪〉であったなら、もうちょっと衝撃は穏やかに済んだのじゃないかしら、と、そんなことを思っています。

 専門学校時代、感染症についての授業を聞いていて、当時の私には聞いたこともないウイルス・細菌の名前がぱぱぱっと紹介されて怯(ひる)みました。RSウイルス、ロタウイルス、ライノウイルス、アデノウイルス、レジオネラ菌……。
 〈結核→結核菌〉からの連想で、そのときの私は、どれだけいっぱいの感染症を覚えなきゃならんのだ?!と動揺したわけですが、これらはすべて、いわゆる〈風邪〉の原因ウイルス・菌です。
 授業では、これはいわゆる〈夏風邪〉、これは〈鼻風邪〉、〈おなかの風邪〉……と一般的な〈呼び分けられ方〉まで教えてくださいましたが、ありふれた〈風邪〉の、隠された中身を見せられたみたいな気分になってイヤにリアルな感じがしたのを憶えています。具体的なウイルス・細菌の名前にあえて立ち入らないことで、ほっとする部分はあるのだなと納得しました。

 それが数年前、お客さんが「うちの子がロタウイルスに感染しまして」と言われるのを聞いて、びっくりしました。「ロタ?! それ、いまは〈風邪〉って呼ばないのですか?」「病院でそう言われましたよ、ロタウイルス、って」「……」。
 お医者さんは、ウイルスには抗ウイルス薬、菌には抗菌薬(抗生物質)、その他対処方法もいろいろ違ってくるでしょうから鑑別診断が必要でしょう。でも私たち一般人が、〈風邪〉でまとめられる程度のウイルス・菌の名前を個別に知る・呼ぶ必要があるのかなあ……。疑問に感じました。


 で、新型コロナです。
 武漢で発生して、クルーズ船でのえげつない対処があって見えてきたことは、感染力はそれなりに強いらしいけれど無症状・軽症の人も多いらしく、毒性はそれほど強くない、ということじゃないかと門外漢なりに理解します。なんせあの船内環境で感染せずに済んでいる人もおられるくらいですから、〈それなりに強い感染力〉といってもそれほどでない可能性も高そうです。亡くなったかたにはお気の毒ですが、体力が落ちていれば、一般的な風邪から肺炎へと移行して致命的になることは珍しくありません。
 新型コロナについての後の心配は後遺症で、数年〜数十年単位で身体に棲んで悪さをするヘルペスみたいなウイルスもいますから、流行が過ぎたらハイ終わり、とするのは危険かもしれません。

 と、そんなことを素人ながらに想像しつつも、でもそろそろ、〈新型コロナ〉改め〈今年の風邪〉〈新種の風邪〉と呼びたい気分に私はなっています。ナントカウイルスと呼んでしまうと、感染源の生々しさと微小なものへの不安が一気に煽られて過剰に怖い。もういい加減エエでしょう、と思うのです。


 先日、医師のお客さん(精神科医)が来てくださったので、「新型コロナは報道されているほど危険と思われますか?」と尋ねると、「まあ、風邪ですからねぇ」。いみじくも〈風邪〉という名前でさらりと答えてくださいました。
 その言葉に大いに力づけられましたので、私はもう今日からアレは、〈今年の風邪〉と呼ぶことにします。


200308 感染症を憂う

 とうとう私にも、ささやかながら、コロナ騒動に直面する機会が訪れました。愉しみにしていたカルチャーセンターの体験講座が延期され、公立図書館に行ったら入れませんでした。予約していた本がせっかく届いたのに。こんなことになるなら、普段なら読まない本をどっさり借りておけばよかったです……。

 世界のあちこちに確実に流行が広まり、多くの国が〈水際作戦〉に失敗してしまった以上、次に取りうる手立ては〈世界中のみんなで、しらっと受け入れる。そして自分がウイルスを運んでいる可能性を考えて、喋るときにはマスクをする。重症化した人には対症療法を徹底する。疫学的調査は、今後のために淡々と続ける。将来の再燃・再発に備えて治療薬は探し続ける〉しかないのじゃないかと思うのですが、報道で目にする〈封じ込め〉は、いまでも現実的に良策なのでしょうか……。
 すでにあちこちに散らばり・行き交いしているだろう今このときに、何をどこに封じ込めようというのでしょう、私にはわかりません。そしてこの疑問を誰に訊けば、私の考えの正解・不正解を納得のいく形で説明してもらえるのかもわかりません。

 医療系の仕事をされているお客さんに、思いついて、「結核の流行をモデルにしているのでしょうか?」と尋ねてみると、「先日受けたコロナ対策の講習でもそんな感じでしたし、テレビでもそう言っていましたよ」とのこと。
 結核ってワクチンで予防+抗菌剤が医学的治療の柱ではあるけれど、結局肝腎なのは養生と衛生じゃなかったでしたっけ? 手持ちの内科の教科書で確認すると、イメージしているほど〈不治の病〉でもなかったようで、症状が出ないまま菌を持っていたり、養生がうまくいって回復したりする場合が多いようです。ただし一度感染した菌が体内で〈根絶〉できるかはまた別で、体力が落ちたり飲んでいる薬の影響だったりで再燃する場合は少なくないとのことでした。
 で、結核になぞらえて想像すると、結局は栄養・睡眠・安心が肝腎になるわけで、「ああ、新型コロナ、新型コロナ……」とハラハラしながら安静に努めるよりも「あーあ、タチの悪い風邪引いちゃった」とサバサバ安静にしているほうが免疫・養生には間違いなく良さそうで、私も罹ったならそんな気分で養生したい。

 とそんなふうに考えると、やっぱり私の疑問は元に戻って、「他人にうつさない配慮をできる限りした上で、感染流行という事態をさっさと受け入れる、ではいけないの?」になります。

 そのお客さんとも話していましたが、いまアメリカではインフルエンザが大流行で、かなり亡くなっているかたもおられるらしい。感染症は、重症化すればなんだって怖い。けれど、少なくとも今度のコロナやインフルエンザは、ペストやコレラとは違って、罹ったが最後、バタバタ……というふうにはなっていない。
 だからこそ、「あらあなた、風邪なの、お大事に(でも私にはうつさないでね)」くらいの、〈気遣いと警戒が半々〉くらいの日常感覚で、通常業務・日常生活(もちろん趣味・気晴らしを含めて)が続けられる人は続ける。休むべき体調の人はしっかり休む。そうしなければ、本来続いているべき〈日常〉が、半年後とかにあちこちがたがた崩れていそうで、私はそちらが怖くて仕方がありません。
 危機意識の勢いに乗せられて愚かな人に強大な権限を許すことも、あまりにいまさらな時期に他国を警戒しすぎることも、得策とは思えない。こういう私個人では解消できないモヤモヤ・イライラこそが、確実に免疫力を下げているように思えて、これまた悩ましい。はあ。


200313 装幀の打合せ

 先日は表紙装幀の打合せに行ってきました。

 最初に出した自著2冊は、自分で勝手にデザインしましたので、表紙のデザイン・雰囲気とも素人丸出しでした。が、自分ですると〈どんなデザインにしてほしい〉と他人様に要望を伝える必要がありませんので、大体の方向性が決まったら、後は適当にいじりながら、ああでもないこうでもない、作っていくことができました。
 それが専門家にお願いするとなると、〈どんなデザインにしてほしいか〉をまず説明しなければなりません。これが私にはなかなか難しいのです……。

 神田橋先生からは〈好きにしていいよ〉とご許可いただいていますので、よし、こんな感じで作ってもらおう!の決意だけを固めていざ打合せに臨みました。
 今度の本の装幀は、前回の『神田橋條治の精神科診察室』と同じで、iDの泉屋宏樹さんというかたにお願いしていただけることになっています。編集さんを介してですが、一度いっしょに作業をしているのはとても心強いことで、その経験に乗っかって、ひたすらイメージを喋る喋る。
 それを一通り聞いてくださった後で、泉屋さんは「それを具体的な絵にすればいいのですか?」。え? 具体? 一瞬考えて、「いえ、抽象的な絵にしてください」「……」。
 同席された出版社社長の関谷さんも「それは難しい注文やなあ……」とあきれ笑い。なので、「いまお話しした情景をイメージしたときに湧き上がってくる雰囲気を、抽象的に描いてください」と、よけいに混乱させる注文を付けて押し切る私。「……まあ、なんとなく案を作ってみましょう」と泉屋さん。ええ、ぜひそうしてください! てゆうか、こんな注文の付け方でいいんだろうか……。

 その後は、帯の話をして、カバーの作りの話をして、しばらく雑談ふうに貴重な現場のお話をうかがって、私は、ちょっとした手土産代わりに持参した自作のマスクをお渡ししてお別れしました。

 手土産に手作りマスク、は、いまのご時世の唯一かもしれない利点で、本来なら、あの人は甘いものが好きそうかしら、あっさりしたものが良いかしらといろいろ悩まなければいけませんが、いまであれば、マスクをお渡しすれば確実に何かの足しにはなります。ご自分が使いにくければ横流ししていただいて構わないわけですし。
 帰りに手芸店を覗いてみると、マスク用のゴム紐は品切れのようでした。まあ、だいたい同じことを考えるよねと、代替品になる細めのゴムをいくらか買って、自転車でぷらぷら帰りました。


200320 〈軽症者は自宅待機〉

 先日、お客さんと感染症のことを話題にしていて、「そもそも〈風邪を治す薬はない〉って言いますからねー」と私が言うと、その言葉にお客さんが驚かれて、驚かれたことに私がびっくりして、二人で止まりました。え? これって常識じゃなかったの?

 一般にいわれる風邪薬は、〈〈風邪と戦う身体〉を応援するための薬〉であって、それに鼻水を抑えたり・熱を下げたりする成分が含まれている――と私は理解しています。要は、風邪の原因になっているウイルス・細菌を直接に殺す(=根治療法)のではなくて、ウイルス・細菌と戦う身体の免疫作用を励ましつつ、いわゆる風邪の諸症状をいくらか軽くして体力を援護する(=対症療法)薬。
 実質、戦うのは身体のはたらきですから、薬を飲んだからといってたちまち風邪が治癒するわけはなく、インフルエンザにせよヘルペスにせよ、薬を飲めば1日ほど、治るのが早くなる程度、だったと記憶します(この方面の専門家じゃなく以前に聞き覚えた知識ですので、断言まではようしませんが)

 で、そのように理解している私としては、報道その他で言われる「軽症者は自宅待機」という言い様がどうも嬉しくない……。この言い回しを聞くと、〈軽症者であれ重症者であれ、病院に来たらホントはすごい処置をしてあげられるんだけど、重症者を優先したいから、軽症者は家で我慢していてね〉と言われているような気がして、ほのかに漂う〈お預け・我慢〉のニュアンスに、損をさせられている気分になる……。
 いっそ、はっきり「病院に来てもらっても大したことは何もできませんから、自宅で安静にすることが最善手です」と言ってくれたなら、自分の損得を考えて、それだったら、この程度のしんどさだし、わざわざ病院には行かなくていいわ、と判断しやすいのに。

 軽症の患者が治るためには自宅で安静が最善手、という部分と、非同居人に移さないためには、たとえ動けるくらい元気でも自宅で待機していてね、という部分とをいっぺんに言おうとするから、患者にしても最善手なはずの〈自宅でじっと休む〉ことに我慢・損の色合いが生じるのでしょう。でも風邪をちゃんと治すためには、軽症のうちにゆっくり・じっくり休んで無理をしないことが何より大事・一番の基本で、脱水症状にだけは気をつけて自宅で安静に過ごすことが大切よ、と、そう言ってくれればいいのになあ。
 ひところほど熱心に見なくなりましたが、会見はもとより報道番組などを見ていると、雑な説明・情報開示をするせいで、却って不安・混乱を誘っているように感じることが時々あります。丁寧に説明するというのは、こういう微妙なところを端折らずに言う、ということなんじゃないかと、整体屋は思いますが。


 いまテレビで言っていましたが、この3連休、大阪・兵庫間の不要不急の往来自粛、ですって。あほか。


200331 神田橋先生の小講義、開催(は)決定!

 精神科医の神田橋條治先生に、コロナ騒動が落ち着いた頃を見計らって、半日程度の小講義をしていただけることになりました! 開催は決定、詳細はまだ未定、です。
 とりあえず、場所は大阪。予定では新大阪周辺。
 内容は、『神田橋條治の精神科診察室』の追加授業・補講です。前半は短時間の〈補足的インタビュー〉。後半は、読者のかたの、〈本書の技法・理論についての疑問〉や〈治療の現場での具体的な質問〉にお答えいただく場にしたいと考えています。その意味で、スーパーヴィジョンよりは治療理論・治療エッセンスに偏り、(東京の花クリニックやちばの集いでの)質問の会ほどは自由でなく、『診察室』の内容に沿った枠での対話を目指す――、要は、半分読書会・半分技術講義みたいな集まりを想像していただけると良いかと思います。

 またもや私が言い出しっぺですので、段取りも私が組みます。が、共同作業が苦手な私はこういうイベント事を手掛けたことがありません。ですので、何人くらいの会場を借りれば良いのか、どうやって告知してどうやって受付して何をどう案配すればいいのか、さっぱりわかりません。がともかく、試行錯誤・相談しまくりでがんばっていきます。気合だけは十分(!)です。よろしくお願いします!

 まずは手始めに、私の店のホームページに小講義用の情報ページを設けてみました。ブログだとすぐに記事が行方不明になりますので、経過はそちらにまとめます。何らかの進展があったときには、ブログでも記事にしていきたいと思います。
 一応は、現在作成中の本の出版に時期を合わせて、8月末とか9月頃の開催を予定しています。しかしそれまでに騒動が一段落しているかどうかはわかりませんので、延期の可能性は大、予定は未定、で進める所存です。

 小講義は、読者・参加者からの質問に重みを置いたものにしたいと思っています。
 本を読んでいて、「これってどう理解すればいいんだろう?」「ここの説明、このやり方がよくわからない…」そんな引っ掛かりに躓(つまづ)くことが私にはあって、でもきっと、その躓きは私一人のものではない。そう思っていますので、『診察室』についても、そんな〈あなた〉の躓きを〈あなた〉が代表して先生にぶつけてくだされば、他の人たちの引っ掛かりもいっしょにほどけて気持ちいいだろう。そう期待します。

 で、そのための一案として、〈あなた〉の質問を事前にお教えくださると嬉しく思います。おもしろい! 私もその答えが知りたい!と思える質問をくださったかたには、当日、〈質問者〉としてご参加いただきたいと思っております。
 なお、質問の募集方法については現在考え中です。考えが決まれば追って告知いたしますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。


200403 手作りマスクの作り方

 時節柄、手作りマスクの作り方を訊かれる機会が続きましたので、記事にしておきます。
 私がお手本にさせていただいたのは〈ままのて〉のamikemiさんのページのプリーツマスクです。説明が実に丁寧でわかりやすく、作り方もとっても簡単。おススメです。

 私はたまたま今回の騒動以前に全然別の理由から、仕事中はマスクをしようと思い立ち、amikemiさんのページに教わって自作していました。ミシンをお持ちで作り慣れたら1時間に10枚弱は作れます。布の裁断時間を含めるともう少し時間はかかりますが、いずれにせよ作り始めたら流れ作業でできます。

 布マスクは効果がないとWHOは言っている、ウイルスの大きさに対して布では目が粗すぎる、とそういう話は聞きますが、そもそも〈自分が罹らないため〉には専用の医療用マスク(N95、でしたか)レベルでないと効果は薄いそうですし、そこまで高機能なマスクは息がしにくく、苦しくて1時間と付けていられない、とも聞きます。
 今回の場合、問題となる飛沫感染の飛沫(=口から飛び出た唾)の大きさはウイルスより大きいですから、その〈まき散らし防止〉には一定の効果が見込めるはずです。極端に言えば、どんなマスクであれ、多かれ少なかれ、付けていれば必ず蒸れるわけですから、水気はいくらかは遮断できている。

 布マスクは、〈罹っているかもしれない自分が移さないため〉のマスクとしては、十分使えると私は理解しています。そして、〈実際に口は開かないから理論上はマスクを付ける必要はないけれども、場の空気として付けておかなきゃならないとき〉にも使えます。たとえば一人で乗っている電車の中、とか。じっと黙っているだけのこんなときまで貴重な使い捨てマスクを使うのはもったいない、でもナシだと視線が落ち着かない、みたいな状況でも、洗える布マスクは便利です。

 マスクを手作りする場合、布は簡単に調達できます。ガーゼは品薄かもしれませんが、綿生地でも構いません。むしろ私は、へたりの少ない綿生地のほうが好みです。布の粗さが気になるかたはキッチンペーパーを挟むと良い、とテレビで言っていました。私はしたことがないので付け心地はわかりませんが。

 それより問題は、ゴムです。いちばん理想なのはやわらかくて丸いマスク用ゴムですが、これはいま、ほとんど品切れだと思います。お店のかたに聞いた話では、ゴムにはソフトゴムと強力ゴムがあるとのことで、その区分で言うと、私の思う代替品の理想は、4コールのソフトゴム⇒6コールのソフトゴム⇒4コールの強力ゴム⇒6コールの強力ゴムかな、と思っています。ただしソフトゴムも、少し前に手芸店に行ったときには使えそうなサイズは品切れでした。
 丸ゴムは、私がほとんど使いませんのでよくわかりません。お店の人に「細すぎると痛いよ」と言われ、どれくらいだと細すぎないのかがピンと来なかったので平ゴムでしています。強力ゴムであれば少し長めに作って引っ張りの影響を小さくするか、使い捨てマスクに付いているゴムを継ぎ足して耳当たりをよくするかが次善の策かと思います。


 ところで、マスクとは関係のない私のプチ疑問ですが、軽症者の隔離施設に、災害時用の仮設住宅は使えないのかなあ、と気になっています。少し離れた空き地とかビルの屋上・いまは使えない体育館やドームの中などに建てて、騒動が一段落したら2〜3週間、換気を確保した状態で放置する。そうすれば自然の除菌処理ができるでしょうから、それからささっと片づければ楽なんじゃなかろうか、と思っているのですが、現実的でないのかなあ。誰かが提案しているのを見かけません。どの辺が現実的でないのだろう……?


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