のぞみ整体院
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日常 1

160318 幸福の木に花がつきました

 店に置いてある幸福の木(ドラセナ マッサンゲアナ)に、初めて花がつきました。ある朝気づくと、木のてっぺんに、いつもの葉っぱとはちがう固まりがにょきにょき伸びてきていて、先のほうにいくつか、カリフラワーみたいな小さなつぼみの集合ができていました。

 おお、これは初めてだ、とびっくりして、ちょうど来られた楽天家のお客さんに報告すると、そのかたも驚かれて、「幸福の木に花が咲くなんていいことがあるんですよ!」。喜んでくださいました。
 で、こちらまで気分が良くなってべつのお客さんに報告すると、「こういう木の花が咲くのは環境が悪くなったから、とか言いません? 根詰まりとか日当たりとか、木が弱っているんじゃないですか?」と心配されました。「あららら、さっきのかたには吉兆といわれたんですけどねー」といっしょに笑いながら、ナルホド、それもありそうだ、と納得しました。

 あとで調べると、縁起よさそうという意見と、根詰まりしてるかもという現実的な予測とがあるようです。なので私としては、縁起がよい! と満足した上で、5月には植替えすることにしました。


 ちなみに花は、小さいのがいくつか咲いたか咲かないかのうちに、もう、なかなかねっとりした、重い香りを漂わせはじめましたので、さっさと切ってしまいました。
 ちょっと惜しかった気もしますが、満開の芳香にはとても耐えられそうにないなあ……、と、摘みとりは即決でした。


160501 はじめまして

 ロリポブログ/JUGEMでははじめまして、です。大阪府堺市の白柳直子といいます。J:COMから引越して、FC2に仮住まいして、それからこちらに落ちつきました。

 私は整体師なのですが、している整体は、ちょっと独特の技法を使います。ケガの傷痕にできる瘢痕組織(はんこんそしき。私は“癒着(ゆちゃく)”とよんでいます)に注目するのです。このブログでは、その技法や、そこから理解できた身体のはたらきなどを書きのこしていきたいと思っています。


 じつはこの技法を使うようになって10年が過ぎます。私なりに新発見の感激はこれまでにたくさん味わってきましたが、この数年は、技法・身体観の内容がずいぶん安定しています。小さな発見、小さな感激は日々体験するものながら、大きな想定の枠からはみ出るような、「ああっ、これはなんとしてもブログに書いとかなきゃ!」というような大感激は少なくなってきました。

 ところが2013年、私には奇跡のようなご縁があって、異業種のB先生、そしてそのB先生のご紹介でC先生にもお会いできることになりました。

 整体の仕事を「からだ屋さん」の仕事とすると、お二人のお仕事は「こころ屋さん」のお仕事です。
 ふしぎなのは、「こころ屋さん」と交流すると、なぜか整体の腕前が上がります。身体観の発見はなくとも、技の向上と視野を広げる喜びが得られるのです。
 それがおもしろくて、許されるまま、いまも“お仕事見学”に通っています。そしてそのための臨時休業がほぼ毎月発生しますので、その告知も、このブログでしていきたいと思います。

 あとは「本の感想」を書いたり、ちょこちょこしたことを書きとめたりと、そんなブログになっていく予定です。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
 なお、J:COM時代のブログと、技法の大まかな説明はのぞみ整体院のホームページにまとめています。FC2時代のものはこのブログにまとめてしまいました。この日付以前の記事がそれです。ご興味のかたは、そちらもごらんいただけると嬉しいです。


160607 昨日の午後休み

 昨日は急な休みで失礼いたしました。
 「『異業種のかたで、おそらく今後、私がお世話になることになるだろう先生』のところへ行く用事がある」というかたに偶然お会いし、急遽、私も連れていただけることになったのでした。

 結局、そのかたはそのかたで用事をされ、私は私で用事をしたため、私が直接、先生に挨拶する機会はありませんでした。ですが、いきなりひとりでは行きにくいところでしたので、同行させてくださって、とてもありがたかったです。

 目的地までの道中はひたすらしゃべりっぱなし(!)で、おかげで心配事のいくらかが解消したり、思いがけず昔のことを思い出してしみじみしたりと、べつの意味でも実り多い“お出かけ”でした。楽しかったです。


160610 フランス語でジャネを読む

 ぽつりぽつりと読みつづけてきたジャネ先生の原書『L'evolution psychologique de la personnalite』(アクサンは省略、以下同様。Pierre JANET 1929 邦訳は『人格の心理的発達』 関計夫訳 慶応通信 1955)がもうすぐ読み終わります。やっとだなーっ、という気分と、とうとう読み終わっちゃうのか……な気分が四分六です。


 読み始めから読み終わりまで、結局3年かかりました。フランス語は大学の第2外国語で選択していましたが、eの上の小さな“ノ”を見て、「あぁ、あぁ、そんな記号あったなぁ」と思いだすレベルの忘れっぷりで、2012年に独学開始。
 その夏には東京神田のフランス語古書店に飛び込んで、いきなり店主に「ジャネが読みたいの!」と訴えて、「フランス語できるの?」「いいえ、全然。こないだから独学ではじめました」「え……」とあきれられながらその場で原書の読み方を習って(!)、「ありがとうございます、がんばります!」と宣言。
 それから1年弱は短い原書の小論文(ラヴェッソンの『習慣論』(Felix RAVAISSON 『De l'habitude』))を3回か4回読んで、ついでに『星の王子様』(Antoine de Saint Exupery 『Le Petit Prince』)も読んで、自分でざっと訳もしてみて、で、それからいよいよジャネ先生にとりかかりました。
 長かったなぁ……。

 あのとき、神田の店主さんにお会いして、読み方を教えていただいていなかったらいまでも私には読めていなかったはずで、どれだけ感謝しても足りません。

 ちなみに、そのとき店主さんにいただいた教えというのは、「そんなにジャネが読みたいなら、いますぐジャネを読みはじめなさい。絵本で練習、とかはあなたの役には立たないよ」「ひたすら音読しなさい。おなじ段落を10回ゆっくり、10回速く、あわせて20回音読しなさい」というものでした。

 私はこれを、途中まではかなり忠実に守りました。もちろんそれと同時にひたすら辞書を引きまくって意味をメモして、「こんなこと言ってるのかなあ?」と考えて。訳書で確かめたらまったくの読みまちがいで、がっかり落ち込んで何週間も遠ざかったり、また再開したり。
 それが中盤からは音読の回数が減らせるようになって、読みまちがいがいくらか少なくなって、終盤には、辞書は引くけどメモをとるのはやめて、と、それでずいぶん速く読めるようになりました(といっても1日1段落⇒1日2ページ、の進歩ですが)


 肝心の、読み終えた本のほうはただただ素敵で、「これだけ時間がかかっても、読めてよかった!」のひとことです。
 これまでに読んできたいろいろな本の内容とか、現実の、私とだれかの関係とか、だれかとだれかの関係とかがぐるぐる頭のなかを駆けめぐって、なるほどなぁ……とかええこと言うなあ……とか、うっとりしながらも読書は読書で集中していて、それがとても心地よかったです。

 もたもた読んでいたせいで全体が見えてないことだろうし、もういちど最初から読みなおすかな? と思いはしましたが、すぐの再読でまた3年、は、途中で嫌になる可能性が高いな、と判断して、べつの本にします。
 で、つぎは私の大本命、ジャネ先生の心理学関係デビュー作『L'automatisme psychologique』(1889 邦訳は『心理学的自動症』 松本雅彦訳 みすず書房 2013)を読みはじめることにします。とりあえずの目標は2年以内に読了!


160705 倒れた企画と新たな企画

 数ヶ月前、どうしても実現したい企画を思いつきました。数人のかたに協力をお願いし、こころよく了解を得て、動き出しかけたところで企画は、挫折。――残念でした。
 ですが、しょんぼりしていたのも束の間のことで、直後に新たな企画が立ち上げられました。

 で、いまはその企画に向けて、こまごました準備をしています。
 初めてする企画の準備は、しおりのない遠足のようなもので、なにをどう準備すれば万全なのかがわかりません。あれもいる? これもいる? これはここまでしておけば大丈夫? と、手探りで用意をすすめますが、なんとも頼りない。

 先日は、試しにつくりはじめた資料を、その分野に詳しいお客さんに読んでいただきました。
 「これですが……」と差し出すと、ささっと読んで、ぱぱっと不足点を指摘くださり、はあ〜、ナルホド……、となって、書き直し。

 書き直しはじめると、これが見事に私の理解不足が突かれていたことが納得できて、あらためてまた、はあぁぁ、なるほど。すごいなあ……。
 企画本体が楽しみなのはもちろんですが、準備の時点でも十分、勉強できてしまうところがおもしろいです。

 もうちょっと練って、練りこみきってからいったん忘れて、まるでいま思いついたみたいな新鮮な気持ちで当日に臨めたら、それがいちばんだな、と都合のいい計画(?)を立てながら、準備する日々です。


160819 久しぶりの連絡

 ちょっとした調べものの不明点を確認したくて、先日、学生時代の友だちに久しぶりに連絡しました。
 ひととおりの、いいかげんな挨拶の途中で、思いがけない人の思いがけない消息が聞けて、びっくりしました。とりあえずいったん我に返って、忘れないうちに訊きたかったことを訊いて、それからもういちど脱線に戻って、その人の近況を教えてもらってから、びっくりのままに電話を終えました。

 消息を聞かなかったうちは、その人のことはほとんど気にしていなかったのに、聞いてしまうとやたらに気になって仕方がない……。顔だけでも出したほうがいいかな、とか、いやいや、いまさら会ってもきっと話も合わないだろうな、とか。

 自分自身の実感としては、ここ数年でずいぶん人間が変わったように思っていましたが、友だちから「シロちゃんはぜんぜん変わらんなあ」と安心されたことも、なんというか、ああ、そんなものか、な気分でした。

 調べものは、いま進めている企画にからんでのことです。整体の技術的なことの確認だったのですが、むかし(10数年前)のことで、しかもいまは使っていない知識のこととはいえ、記憶ちがいがちらほらあることには落ちこみます。
 ふだんは答え合わせさえしないから、記憶ちがいがあっても気づきませんし、のほほんとしていられますが、抜き打ちで小テストでもされた日には、きっと立ち直れないだろうなあ、としょんぼりしました。やれやれ。これからはちゃんと、わかる範囲で、わかることだけ言おう、と反省しました。


160915 軽い熱中症にかかる

 夏の終わりに、軽い熱中症をしてしまいました。
 熱中症になるのはこれが2度目です。最初のときはもう10年以上前のことで、炎天下で活動していての発症でしたので、すぐに気づけました。それが今回は、入浴後に、湯あたり気味のまま寝入ってしまったことが原因でしたので、翌朝になって感じただるさと、やたらめったらのおなかのゆるさの理由に思い当たりませんでした。

 なんだかおなかもよくないし、いつになくだるいなあ、と思いながらヨッコラショ、と家を出て、風にあたると、あるいは冷房の下にいると気持ちがいいなあと思うけれど、でもどうも、しんどい。むしょうに冷たいものが飲みたいけれど、飲むとてきめんトイレにこもることになりますので、ちょっとなあ……、と思いながら仕事をして、お昼過ぎになってようやく、これはもしや、とひらめきました。

 いちどひらめくと、たしかになにもかもがそのとおりの症状です。昨日のお風呂が原因か、と納得したのもこのときでした。

 今回経験してわかったのは、こもった熱を飛ばすためには「涼しい」程度の環境ではダメで、きっちりアイシングをしなければいけないということでした。私の場合は額やのど首やおなかに保冷剤を当てましたが、カチコチだった保冷剤があっというまに温みました。
 それとともに、身体はどんどん楽になりました。これは冷凍庫のない環境では、さぞかし治しにくい症状だったろうなぁ、と、しみじみ。だるさが完全にとれるまでには、そのあと、2日かかりました。


161016 おいしいご飯

 先日、お客さんと「おいしいご飯」の話になりました。ご飯――白米です。
 私が、「電気の炊飯器ではなく、土鍋というかお釜というかを使っています」と話すと、そのかたは興味を持たれました。

 私が使っているのは、三重県の萬古焼、「三陶」という会社のものです(たぶん「土釜」と呼ばれているもの)。
 使い比べたことはありませんので、ほかの製品は知りませんが、ふつうに使いやすいです。重いふたをひとつして(ふたが二重のものもある)、コンロにかけて、10分ほどで沸騰したら火を止める。それから15分ほど蒸らしたらできあがり。そのままお櫃(ひつ)に移します。

 私の感じでは、電気炊飯器で炊いていたときよりお米がつやつや・つぶつぶしています。アツアツがおいしいのはもちろんですが、冷やご飯でも焼き飯でも、このつやつや・つぶつぶが崩れにくいように思います。

 炊きはじめてから食べられるまでに30分くらいかかるので、ちょっと早起きが必要です。難点といえばそれが難点でしょうか。でも、「だから炊飯器に戻りたい」とは、ちっとも思わない。米好きですので、お米がおいしいと、それだけでとりあえずうれしいです。


170108 「よしよし」「いい子いい子」という教育

 出版予定の原稿を、私の大学時代のお師匠さんに読んでいただいていました。読んで、不足点を教えていただくのですが、これが、ものすごく勉強になる上に、とてもありがたかったです。

 原稿の不足点を指摘してくださっているだけなのに、同時に、私が抱えている心配とか今後の成長にまで配慮してくださっているのがよくわかる。わかるけれども、あからさまに「配慮していますよ」と踏み込んでくる圧力はない。この絶妙の距離感と心配りがとてもうれしく、心地いいのです。

 べつのお師匠さんは、ご自身の受けられた教育のことを「よしよし」「いい子いい子」された、と表現されていましたが、私も、いま、まさにその状態です(もちろん、対談の場もそうでした)

 学校教育、社員教育、弟子教育……。教育にもいろいろあるのでしょうが、自分が受けていての感じでは、「よしよし」「いい子いい子」教育に優る方式はないのじゃないかと思います。

 いただく助言の中身は、私にはこなせないくらい高度だと思えるのに、底を流れる「よしよし」「いい子いい子」のおかげで、「よし、やるぞ、やってみるぞ」となれる。そして結果を見せて、「それでいいよ」と認められたら、まるで何でもない、簡単な課題だったかのように、さらりと次に移れる。手元には、小さな自信と安心が残っている。
 子どもの力を引き出すって、こういうことをいうのだろうな、と、しみじみ思います。


170115 井村雅代コーチの講演を聴いてきました

 昨日は、シンクロナイズドスイミングの井村雅代コーチの講演を聴きに行ってました。期待どおりにカッコいい、ピシッとした人でした。

 テーマは「あきらめない心を育てる」で、日本での長年にわたるコーチ経験と、中国、イギリスでの比較的短期のコーチ経験をもとに、だだだだっと話された2時間でした。終盤には、リオでの団体競技のビデオを流してくださいました。講演を聴きながら、「帰ったら、どうにかしてビデオを見なきゃいかんなあ」と思っていましたので、会場で見せてくれたのはありがたいことでした。近くの席からも「やった!」と小さな悲鳴が聞こえていましたので、ほかの人にも嬉しい配慮だったようです。

 全体的な話の流れは、勝利の達成感と敗北のくやしさを強烈に感じる機会をもつこと、とか、明確な目標(大目標と小目標)を立てること、目標達成までの時間設定をつくること、期待を背負って立つこと・立たせること、といったことでしたが、話の内容とか説得力もさることながら、井村コーチご自身のあきらめなさ、必死さが、まわりを支えて引っぱるのだろうなあ、としみじみ思いました。

 話のなかでは、相当スパルタなことを言われたりもしますが(そして実際、されてもいるのでしょうが)、「相手の現状のちょっとだけ上、でも実力範囲内」という、ぎりぎりの線を見極める観察力がものすごくあるからこそ、できる指導なのだろうなあ、と感じました。かんたんに真似できない、井村コーチの本領の部分は、きっとそこなのだろうな、と。

 最後は、質疑応答の時間まで設けてくださって、これも嬉しいことでした。私もなにか訊きたかったけれど、本気で質問に臨む方の挙手の仕方に気合い負けして、じいっとしてました。講演も、質問も、それへのお答えも、どれもが全部、具体的で、切実で、誠実で。講演の場にいるだけで肚が据わってくるような、とても充実した時間でした。


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