のぞみ整体院
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090919 植物の体調

 はあぁ、怖れていたことがとうとう起こってしまいました。
 店にある鉢植えのひとつが、半分、枯れました。

 鉢は、シマクワズイモです。
 7年ほど前、いただいた当初は、やや大きめの鉢から伸びる、茶色い幹(? 枝?)が8本。その先に緑色の茎と葉が青々と生えていました。

 それがひと月ほど前、8本ある幹の一番太いのが突然ぽっきり折れました(思えばこれが、前兆だったのかも!)
 朝、店に来てみると、店内が、なにやら寂しい。「なんだろう?」と見回すと、無残にも幹が、ぼたっと鉢の外に落ちていました(!)。しばし呆然。が、折れてしまったものは仕方がない、そっとゴミ箱に片付けました。

 「イモに何があったのだろう?」と気にしていたのはわずか数日、それきりなんとなく忘れてしまいました。
 そして、先日です。
 鉢の周りを掃除していて、残り7本のうち3本が、これまたひっそり、根から腐っていたことが判明しました(……)

 「人間」の体調の良し悪しは、職業柄、それなりの訓練を積んでいますし、一応、見分けられそうな気がします。が、「植物」の体調の良し悪しは――、ほんッとによく分かりません。
 緑の葉っぱの下で根が腐っていたなんて、しかも、それに気付かず水をやりつづけていたなんて。かなり申し訳ない話です(しかも、「あー、こりゃ腐ってるな」と引っこ抜いた幹のひとつが、実はまだ生きていた(!)ことまで判明。もう。ますます分からない……)

 やっぱり、7年近く生えていて、一度も植え替えをしていないのが悪かったのかなあ……と、いかにも横着な後悔に心を傷めつつ、「また 近いうちに必ず植え替えしよう!」と、とりあえず決心だけは固めました(なんせ後4本しかないし)


091231 2009年を振り返る

 改めて振り返ると、いろいろあった1年だなあ、と思います。

 まず、年の前半では拙著『身体のトラウマ』が完成しました。これについては、ご同業の方もそうでない方も、生きてる方も亡くなった方も含め、本当にたくさんの方にお世話になりました。
 なんせ、あれだけの分量の文章を書くなんて、たぶん、私の一生に一度のこと。ふらふらになってよろよろになって、やっと仕上がった、というのが正直なところです。
 そして、完成直後にいみじくも友人が喝破したように、そのふらふら状態から立ち直るのに、優に半年は掛かりました(予言された「1年」よりは、ちょっと短縮)

 本の出来については予想通り、今となっては恥ずかしくッて全文いちから書き直したいくらいです。が、意外な方から評価をいただけたときには、「ほほお、私の日本語でもちゃんと通じる(場合がある)のだな」などと、ちょっと感動したりして。
 本を読んで、中身を分かってくれる方が1人でもいてくれた(実際はもうちょっとだけ多かったけど)――ということは「私の身体観」が一応は形にできていた、ということなので、当初の狙いは最低限、達せられたかと思います。

 関係各位の皆々様、どうもありがとうございました。




 そして後半には、ありがたくも整体の技術が大幅に(!)向上致しました。
 こちらは他でもない、ひとえに太極拳の先生のお蔭です。

 当たりがソフトになればなるほど“整体された感”は低下するという、新たなジレンマが出てはきたものの、いまの腕でなければ施術できなかったお客さんとも出会え、喜ばしい限りです。
 なにより、私が楽しいですし。
 “整体された感”の充実(というよりうまい説明の開発)は、来年の持越しとします。




 そして最後に。
 2009年に限らず、仕事を始めてから今までの間、通ってくださったすべてのお客さんの皆様、どうもありがとうございます。いつもいつも意味不明な説明をしては、却ってコンランさせてしまってごめんなさい。もうちょっとマシな説明ができるように、お正月の間、少しお勉強したいと思います。
 ――え、日本語を? いえいえ、“炎症”のしくみを。
 「よけい分からなくなるかも……」という不安もないではないですが、ものは、試し。正月の暇つぶしがてら、床でも拭きながらブツブツ考えることに致します。




 ――ともあれ、迎春。
 日が長く穏やかになる初春を、ひとまず迎えられる喜びに浸りつつ。
 新年が、皆様にも穏やかな、温かいものとなりますよう、心から祈念申し上げます。
 本年も、ありがとうございました。
 2010年も、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。


100801 アテロームとプラーク

 先日、あるお客さんから、「あ、そこにはプラークができています」と言われました。

 プラーク。聞きなれない言葉だな、と思い、「プラークって何ですか?」と私。
 「プラークというのは、血管の中にできる固まりのことらしいです」とお客さん。
 血管の中にできる固まり、と聞いて想像するのは、動脈硬化のときにできる粥腫(じゅくしゅ。アテローム)です。粥腫は、血管の内壁に傷がつき、それを修理する過程で固まりというか“せりだし”が起こるものです。

 プラークもそれかしら、と推測し、「お医者さんから説明を受けたとき、アテロームとかおっしゃってませんでした?」とお聞きすると、「いえ、プラークとだけ聞きましたけど」「あ、そう……。すいません。プラークは調べておきます、ここに血管の固まりがあることは承知しました」。
 言いながら、プラークの場合、血管の中ではいったい何が固まっているんだろう……?と考えていました。




 私が初めてアテロームなる言葉を耳にしたのは、専門学校時代の授業でのことでした。動脈硬化の説明に合わせてかなり丁寧に教えていただいたつもりでしたが、そのときの記憶をたどってもノートを見返してみても、プラークの文字は出てきません。

 お医者さんの間でも、あまり使わない言い回しなんだろうか……。

 気になりついでにふと思いついて、手持ちの『医学英和大辞典』(南山堂 2005)を見ると、「plaque」で出てくるのは「@プラ[ー]ク[医学]、プラック、歯垢[医学]、斑[点]。A血小板。」。
 辛うじて、血小板がそれらしい雰囲気をかもしてはいますが、これだけの記述で「ははあ、プラーク=粥腫だな」と確信することはできません。
 その後、「atheromatous」の項を見て初めて、「atheromatous plaque」、粥状硬化斑の記述が見つかりました(この日本語訳から見るとプラークの意味は、A血小板ではなく、@斑?)

 ここまで確認した後で、さらにプラークを調べてみました。いつもなら図書館に駆け込むところですが、今回は時間の都合上、ウィキペディアのお世話になります。
 それによると、プラーク≒アテロームで、状況的理解としては、外れていなかった模様です。

 もしかするとプラークの方が、アテロームよりも“固まり”そのものを指す意味合いが強いのかもしれません。

 何にせよ、プラーク≒アテローム。学生時代のノートに補足でメモしておきました。


101231 2010年を振り返る

 ブログに書かなきゃと意気込んで振り返ってみましたが、手元の年間出来事メモを見る限り、私の整体屋的2010年は比較的、静かな1年だったようです。
 道具を改良したり技術が上がったりといった職人に当たり前の生活が淡々と続き、そのそれぞれに一喜一憂はするものの、全体としてあっと驚くような大変化はない――。まあ、これはこれで結構なことです、目立った話の種にはならないけれど。

 実際のところ、本を書くなどと大それた、一生に一度の出来事があった2009年に比べるとどんな年だって地味になります。というかあの手の忙しさは本来の職域外なので、毎年続けるような集中力は持ち合わせていません。

 ただ、静かな1年とは言いながら、ひとつのキーワードのようなものはありました。それは「時間」です。

 2010年は例年以上に、時間を意識した年でした。重症のお客さんに出会って「もっと早くから整体させてほしかった」「もう少し長く整体させてほしかった」と思ったり、難しいお客さんを前にして「早く施術を一段落させなければ」「早く段取りを読み取らなければ」と焦ったり。
 その追い込みの程度が、仕事を始めてからこれまででいちばん深かったように思います。

 考えてみれば、それ以前の悩みは「早く!」ではなく「どう施術すれば良い? 身体を、症状をどう理解すれば良い?」でした。とすると「早く!」と悩めるようになったことは進歩の結果ともいえます。ある程度、理論にも技術にも納得がいっているからこそ、「もっと早く結果を出したい」とかそういったことで悩めるのでしょう。
 おそらく、来年もしばらくは同じ路線で悩むはずです。これも、これはこれで結構なことです。

 まとめると、ようやく私自身の整体のスタイルが固まってきたのが2010年だったのかもしれません。今後は、この方向をどんどん研ぎ澄まし、深め、より直観が鋭くはたらくよう腕を磨くことが課題です。




 2010年も、お客さんの皆様、太極拳の先生および教室の先輩の皆様には本当に本当にお世話になりました。心からの感謝を込めて、ありがとうございます。また、拙いブログを読んでくださる皆様にも、この場を借りて、どうもありがとうございます。
 来る2011年が、皆々様にとって素敵で穏やかな年になりますように。精一杯祈念しつつ、新年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


110315 気持ちのこわばり

 震災から4日が経ちました。

 11日は堺(大阪)にある店の中で揺れを感じ、嫌な揺れ方だと思ったもののまだ状況は知らず、帰宅して初めてテレビを見て唖然としました。

 事態は、あまりにも異常です。「大変なことになった――」と思った瞬間、気持ちのどこかがぎゅっとこわばるのが分かりました。と同時に、「ここは被災地じゃない。当事者じゃない私がへこたれてはいけない。こんなときこそ冷静にならなければ」という反射が起こるのも分かりました。

 それからは、頭のどこかはちゃんと冷静です。テレビ報道に文句を言い、原発の状況に憂い、被災地の生活を気にしながら、自分の生活はいつも通り続ける。何をしていても気持ちがこわばったままなのは知っていましたが、あの状況をみれば当然です。気にしませんでした。

 が、それが今朝、突然崩れました。朝起きてご飯を食べて1人でちょっと休憩しているときに、いきなり泣けてきました。それも、ぽろぽろとかめそめそでなく、ひーん、ひーんみたいな号泣です。
 泣いていることに自分で驚き、けれどお陰で心底から、「ああ、私はめちゃくちゃ怖かったのだなあ」と身にしみて、全体で納得することができました。

 しばらくして泣き止んで、事態がなにか変わったかというと何も変わりません。相変わらず悲惨な事態を見聞きしては気持ちをこわばらせています。
 けれど一度緊張を緩めた分こわばり方は少しましで、何より、怖がっていることへの自覚があります。




 衝撃を受けてから恐怖を実感するまでに4日。これが早いのか遅いのかは分かりません。ですがその間ずっと、こわばった気持ちはそのままでした。4日というのは、私がその緊張に持ちこたえられなくなるまでの時間です。

 自分がこうなってみると、「現場の人たちにも、緊張を緩める時間はあるのだろうか」が気になってきました。
 新たな問題は立て続けに起こり、厳しい事態はそのまま変わらない。だからこそ、気持ちの緊張をいったん緩め、休める時間があってほしい。緊張しっぱなしで気力を続かせるのは、想像するだけでも大変なことです。

 ともかく、一刻も早く事態が好転してほしい、そればかり願っています。


110629 憧れのサングラス眼鏡

 ああ暑い、お日様がまぶしい……。
 眼鏡族な私は、例年、この時期になるとサングラス眼鏡がほしくなります。ただのサングラスではなくサングラス眼鏡――正式名称は知りませんが(度入りサングラス?)、度の入った黒眼鏡です。

 毎年毎年「あれば便利だろうな」と思いつつ結局一度も作ったことがないのは、使用頻度とか私の眼鏡扱いの粗雑さ、そして何より「あれば便利」と言いながら、なくても致命的には困らないことが原因です。
 だいたい「いまほしい!」というときには手遅れで、「今後のために」といって作るほどの必要はなく、で、ぐずぐずしている間に夏が終わる。この繰り返しで、なかなか、よし買おうと踏み切れないのです。

 今年の夏も、予定では、「そういえば去年と同じこと言ってるなあ、私」と言いながらサングラス眼鏡は買わないはずでした。が。
 今年はふと、しようもない思いつきが浮かんでしまいました。――ふつうの眼鏡に、車用の日除けフィルムを貼ってみてはどうだろう?

 フィルムは、貼るだけで、透明な窓ガラスを曇りガラスに変えられます。
 では、うまく貼れば、ただの眼鏡だってサングラス眼鏡に変えられるんではなかろうか……?

 この思いつきを友達に話すと、「さあ、どうだろうねえ」。軽く笑いながら呆れられました。
 と、呆れられた瞬間、私の負けず嫌いがひそかに発火。軽い思いつきだったつもりが、急遽、「絶対、試そう」。決心を固めていました。
 で、試しました。
 結果は、なかなか良い塩梅です。

 掛けてみると、ぱっと見、みうらじゅんさんみたいになってますが、これは単純に顔とサングラスの都合です。
 それより、がんばって貼った甲斐あって遠目にはどう見ても普通のサングラスだし、視界はばっちり暗く、しかももともとが度入りの眼鏡なので辺りはくっきりよく見えます。そして何より、顔と目玉の緊張が減る分、屋外で掛けていると体感温度がものすごく下がります。――ふふふ、良いんじゃないかい、手製サングラス眼鏡。
 早速、友達に報告しようと思います。


120106 2011年を振り返る

 2011年中に2011年を振り返る――つもりが遅くなりました。
 みなさま、新年あけましておめでとうございます。

 先に、振り返りそびれた言い訳をすると、12月上旬から、私とパソコンがそろって調子を崩したことが原因です。
 私のほうはちょっとした施術の失敗をきっかけに、「ぜんそくめいた咳」と「ぎっくり腰未満の腰痛」が始まり、パソコンのほうは何が何だか分からないままに動かなくなりました(いつだってそう……)

 パソコンか私、片方だけならもうちょっとがんばったのですが、私もダメ、パソコンもダメとなった時点で、「ああもういいや。更新はお正月明けで」。すっかり投げ出しました。

 年が明けて正月1日、おかげさまでパソコンはお客様センターの方の助けを借りて動き出し、私の咳と腰は右足首への施術で回復に向かっています。収まってみれば、なんだかばたばたした年末年始でした。




 2011年は、私にとって出会いの多い年でした。
 生きている人も死んでいる人も含めて、私に勢いをくれた人、悟り(というか納得というか開眼というか)のヒントをくれた人、励ましてくれた人、実は同じようなことを考えていたよと教えてくれた人、そんなすごい人たちに集中してお会いできたありがたい年でした。

 このとき目覚めたフランス心理学への興味は、今年も引き続きつないでいこうと思っています。


 11月には、太極拳教室を移りました。
 これまで習っていた陳式は、手足を螺旋にねじったり緩急の差が大きかったりと、動きの複雑な派手な流派です。一方、新しく始めた楊式は、陳式に比べればねじりの少ない、淡々とあっさり単純、地味な動きをします。

 複雑・派手から単純・地味に変わることでどんな変化が出てくるのか。まだうまく言葉にできませんが、早くもおもしろい感触は出てきています。
 先の先生から教えていただいたこともたくさん(!)でありがたかったのですが、今度の先生は、いろいろな意味で職人的・達人的な先生です。太極拳以外の部分でも勉強させてもらうことが多そうで、そちらもひそかに期待しています。


 整体の、技術的な変化についてはまあまあ予想範囲内かな、といったところで度肝を抜かれるような感激・革新はなかったように思います。
 耳の穴の施術がうまくなったこととか、身体の状況を読むのが以前に比べて格段にうまくなった(これは或る先生とフランス心理学のおかげ!)こととかはとっても嬉しい「上達」ですが、技術・理論を底から引っくり返す「革新」とまではいきませんでした。

 良いとか悪いとかいうのではなく、このところ技術・理論ともそこそこ安定してきたのかな、という実感があります。思いがけない変化に出合っても、びっくりするより納得して、それで済んでしまうような感じです。
 とはいえ、技術的に停滞しているときのイヤな行き詰まり感はないので、「まあきっとこんな時期なのだろう」と楽観しています。


 2012年、大きな変化を求めたくなるか、変化より深化を目指すことになるのかは分かりません。
 ですが整体において、ぼちぼち、必死を維持していることだけは変わらないでしょう。


 昨年は、日本的にも世界的にも大変な年でした。
 本年はもう少し、日本的にも世界的にも落ち着いた、しずかで穏やかで地道に動く年になることを願ってやみません。
 2012年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。


121231 2012年を振り返る

 2012年で目立った動きは3つでした。@太極拳から8年ぶり? 9年ぶり? に遠ざかったこと、A出張施術が数回続いたこと、そしてBB先生とお近づきになれたこと、です。


 @の太極拳は、丸5ヶ月のブランクを置いて、そろそろ再開しようかなあ、という気になってきました。というかあっさり言うと、運動不足で身体が重くなってきたのです。けれど教室に通いたい気はあまりなく、一人で好き勝手に練習しようと考えています。
 というわけで、既にすっかり忘れた動き方を思い出すまでの間、N先輩の練習に参加させてもらえるかどうかをお正月明けに相談し、お許しが出れば、しばらくはN先輩のところで、ぼつぼつ太極拳を再開していこうと思っています。


 Aの出張施術は、年末に一時中断しましたが、だいたい2カ月に1度のペースで準備していただいていました。おそらく、年明けから再開する予定のはず――だと思います。

 試験的に始めたことが順調に続くのは、嬉しいことです。すべては主催者の差配のおかげで、お客さんの段取りから何から、手数の掛かる調整すべてを仕切ってくださっています。
 良い環境をこしらえてもらって、出張でしかお会いできないお客さんに施術させてもらって、ご飯とお昼寝までさせてもらって、まさに至れり尽せり。
 来てくださるお客さん幾人かとは、ぽつぽつ、中・長期的な関係もできてきて、施術が深まってきています。これも嬉しい、ありがたいことです。


 BのB先生は「念願の直接質問(121108)」でも報告した非整体師の先生のことです。おそらく今後もご登場願うはずなので、“B先生”に固有名詞化することにしました(過去の記事も、遡ってP→Bに変更済み)

 B先生とのご縁は、9月中旬に送った質問状がきっかけで始まりました。ご著書を読んで、面識もないのに手紙を出すと、B先生から折り返しお電話を頂戴して、ついでのときに施術を受けに寄られて――と、この間の連絡わずか数回。お互いせっかちな性分が吉と出て、あれよあれよの間に“面識”ができてしまいました。

 B先生に教わりたいことは(いまはまだ具体的でないですが)、これからきっと、じわじわ増えます。私の施術の幅が広がれば、おそらく一気に増えます。自分から飛びついたことといえ、ありがたい時期にありがたい先達にお会いできました。B先生に手紙を出すよう勧めてくれた、小学校時代からの恩師に感謝! です。




 2012年も、1年を通して、さまざまなお客さんにお会いできました。すんなり良い結果が出て喜んだり、方針は合っているのに結果が実感できず焦ったり、施術の手順が読みきれず困惑したり。そんな揺れに揺らされながらも、やっぱり、今年も楽しく仕事させてもらえたなあ、と、そこだけは良い気分で終われそうです。

 2012年、お世話になったお客様、関係各位の皆様、どうもありがとうございました。お陰さまで無事、私も穏やかに年を越せそうです。
 そして新しい2013年、本年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

 皆様にとって新年が、穏やかで落ち着いた、未来につながる1年となりますように。心より祈念申し上げます。


131230 2013年を振り返る

 もたもたしている間に、早くも仕事納めを迎えてしまいました。今年のお正月休みは、12月31日〜1月3日の4日間です。
 そしてさらに、1月7日は新年早々、臨時休業いたします。相変わらずの突然告知で申し訳ありません。



 さて、2013年ですが、特筆すべき出来事は4点でした。
 @B先生とのご縁が深まり、続いていること。
 A生駒出張が引き続き、続けられていること。
 B施術道具が、一般的な竹串からエビ串に変わったこと。
 Cジャネ先生の原書が(曲がりなりにも)読めるようになったこと。


 @とAは、私1人の力では到底できないことですので、関係各位の皆様と、ありがたい巡り合わせに、ただただ感謝するばかりです。

 Bは、「今度こそこれが私の定番道具になるのかもしれない!」という勢いで、昨年下旬に買いだめしました。せめてその山のようなエビ串が、そこそこ使い切れるくらいまでは定番道具であってほしいなぁ、と地味〜に願っています。別に高いものではないのですが、ただ無駄にするのは勿体ない!

 Cは、2年かけてようやくここまでたどり着きました。お気に入りのコンパクトな辞書も見つかり(『ペア仏和和仏辞典』 錬金社)、ジャネを読んでいるのか辞書を読んでいるのか分からないくらいのちまちまぶりで辞書を引きまくりながら、やっとこさ、読んでいます。
 ちなみに、ジャネというのはフランスの精神科医で、私はこの人の本が読みたいばっかりに、フランス語の勉強を始めたのでした。読めてみての感想は、「頑張って勉強してよかった!」。やっぱり、とてもとても素敵な人なのです。



 それでは、2014年が皆様にとって良い年になりますように! 心からお祈り致します。
 そして2013年にお会いできた方々には、2014年も、どうぞよろしくお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。2013年も、どうもありがとうございました。


141223 2014年を振りかえる

 少し早いですが2014年の総まとめをしちゃいます。

 今年はまあ、なんというか……、いろいろあった年だなあ……、という感じが例年になくつよい年でした。
 2冊目の本が出たのは今年なのに、記録を見てあらためて、「ああ、そっか、今年だったか」と納得する。それくらい、なんだかいろいろありました(というか現在も継続中です)

 2013年から異業種交流と(勝手に)称してB先生のところにおじゃまさせていただくようになって、2014年からはC先生のところにもおじゃまさせていただいて、そのおかげで、仕事および経験および対話および知識の幅が大きく大きく広がって、整体と直接関係のないところにまで広がって、それがどんどんどんどん膨らんで、手に負えないところにまで膨らみかけたとたんに、ひゅっと、自分のふところで収束した、そんな感じの1年でした。気分としては、長い長い宙返りを2年越しで回りつづけて、突然ぽとっと着地したら、飛ぶ前とまったくおなじ場所だった。独特の爽快感です。

 なにかを本気で学んだとき、2年でひとつ、大きな成果を得る、というのは私に合ったペースのようで、今回も、お2人の先生の下で自分なりの納得を得るには、2年の時間がかかりました。私が得た納得をブログで公開というか公表できるといいのですが、内容が内容なのでできません。何人かのお客さんには、じかに考えを聞いていただいて感想をお聞きしていますが、わりと、おもしろがってくださります。まあそれなりの成果だったのかな、と思います。

 じつはこの記事を書く数日前までは「次の2年で学びたいこと」がぴしっと明確に見えていて、「よしっ、来年もガンバロウ!」という感じだったのに、先日、ある経験をしたのをきっかけに、その意欲が揺らぎました。ううむ……いまの私には、もっとべつな課題のほうが適当なんじゃないかしら。課題探しからゆっくり、し直したほうがいいんじゃないかしら。そんな揺らぎです。

 このあと、12月の28日には、もうひとつ大きな行事が待っています。その経験によっては、また考えが変わるかもしれません。
 これまでの10年が、揺らがないからこそ突き進んでこれた10年なのだとすると、ここからの10年は、揺れまくりながら進むのかもしれないな……。そんな予感を抱きつつの、年の瀬です。

 本年もみなさま、どうもありがとうございました。来年もどうぞ、よろしくおつきあいください。
 そしてどうか、2015年がみなさまにとって、穏やかなよい年となりますように。心から祈念申し上げます。


150501 施術料変更のおしらせ

 2015年5月1日から、施術料を以下のように変更いたします。
 私の技術が向上し、1回にできる作業が増えたこと、そしてその結果通っていただく頻度・回数を少なくできるようになったことが変更の理由です。

 値上げというと「えっ!」な感じですが、これまで3回かかっていた作業が2回でできるようになったこと、しかも作業の幅が広がったというか奥行きが深まったことを考慮いただくと、悪い話ではない、と思います。

 数年前にした変更のときもそうでしたが、明らかに腕が上がったのに御代がともなわない状態は、どうも私の精神衛生上、よくないのです。ですので、ご理解ください。

 新料金はつぎのとおりです。

   整体施術料……5,000円
   回数券(5回分)……25,000円

 回数券での割引がなくなって、一律1回5,000円になります。じゃあ回数券はなんのためにあるのだ……? という感じですが、まあ使いたい方がおられるかもしれませんのでしばらく残してみます。
 なお、こちらも私の精神衛生の都合ですが、回数券の買いだめはご遠慮願っております。気持ちよく必死の仕事をさせていただくために、どうぞよろしくご了解ください。

2015年3月10日記す



150331 営業時間変更します

 施術料金の変更に合わせて、というよりそれに先駆けて、営業時間も変更することにいたします。

 先日、必要があって朝の9時から仕事をしました。朝がわりと苦手なので、集中力がちゃんとはたらくだろうか、と少々心配していたのですが、意外なほどすがすがしい気分で仕事ができました。これなら9時始まりでもいいなあ、というのが変更の理由です。

 開始時間を早める分、終了時間も早くします。ただし変更自体が突然のことなので、ある程度は柔軟に対応しようとは思っています。

 とりあえず、変更後の営業時間は、午前が9時〜12時、午後が15時〜19時受付となります。

 問題は、朝の9時から整体を受けたい人なんているのだろうか? ですが、これについてはわかりません。少し様子をみたいと思います。


150501 施術料変更、の変更のおしらせ。

 本日2015年5月1日から施術料を変更するのですが、昨夕(4月30日!)来られたお客さんから、名案を教えていただきました。
 結果、新料金はつぎのとおりになります。

整体施術料……5,000円
回数券(4回分)……20,000円

 回数券での割引をなくすことははじめから決めていましたが、そのときから、25,000円という数字の落ちつきの悪さが気になっていました。それをその方から、「5回券を4回券にすればいいやん」とさらっと言われて納得。
 教えてもらってみれば、「なんでいままで気づかなかったんだろう!」な話ですが、おかげですっきりいたしました。ありがたいことです。




 回数券割引のよいところは、施術してみて、ちょっと改善するのが難しそうなお客さんだったときに、「一段落するまで間隔を詰めて来てください」と言いやすいところです。
 悪いところは、というか扱いの微妙なところは、あと4、5回くらいで改善できるかも……? というタイミングで、勧めるか勧めないかがきわどくなるところです。

 1、2回で改善できる、あるいは私の施術には合わないな、とわかる場合は回数券は要りませんし、反対に、まだ10回20回はよゆうで掛かる、ちょっとやそっとじゃ改善は無理だゾ、という場合は買っていただくようお願いします。このときの判断は簡単です。

 難しいのは、4回かな、もうちょっと掛かるかな、いやいや、いま買ってもらうと無駄になるかな、というところの見極めです。これは私のほうでも賭けになります。結果は私にもわかりませんので、「あと4回掛かるか5回掛かるかわかりませんけど回数券、買われますか?」と私の見通しを説明したうえでお客さんに決めてもらっていました。
 見通しは、まあまあ、当たったり当たらなかったり。その都度、いっしょに喜んだり、こちらが謝ったり。

 そうするなかで、「1回の施術でどの程度のことができるか」「この人をこれくらい改善するには何回くらい掛かりそうか」とかそういったことを予測する訓練ができました。これはとてもいいことです。
 けれどやっぱり私には、人のお金で博打を打つような作業はしんどいものでしたので、今後、料金的な縛りがなくなることは精神的にとても楽です。これからは、金銭的な損得なしに、想像の部分でだけ、予測の訓練を続けていきます。


150708 メガネを替える

8月の休みを変更しました。8月1日〜3日だったのを、1日〜2日にして、3日(月)は営業します。


 少々気合いの入るイベントを数日後に控えて、このところ“予習”がてら集中的に、せっせと本を読んでいました。連日やや睡眠不足だし、そのせいか、頭か首か、そのあたりがどうも冴えないように感じていました。

 本を読みまくっているのも睡眠不足ぎみなのも承知のうえですから、まあ、イベントが済むまでは仕方ないな、と納得しつつ、せめてもの気休めにと思って眉間やら頬骨やらあごやらに、ごそごそ施術をしていました。
 するとその結果――かどうかはわかりませんが、数日前からどうもメガネの具合まで悪いように思えてきました。

 お辞儀をすると落ちそうになる、仕事をしているとなんだか邪魔に思えてくる。顔幅が減ったのか……? とも想像しますが、ともかくこれでは落ち着きません。とうとう諦めてメガネを買い替えることにしました。




 私が行くのは、知る人ぞ知る、安いので有名なメガネ屋さんです。ただ、安いのはもちろんありがたいですが、店長(社長?)兼検眼(というのかしら?)担当のおじいさんの職人ぶりかつ(古き良き)商売人ぶりがなんともすてきで好きなのです。

 で、そのおじいさんから「あそこの字を上から順に読んで」と言われるまま読み上げると、なんと、1.2まで読めました。
 「こりゃ見えすぎやで」とおじいさん。「ほんまですねえ」と私。「これはアナタ、疲れるわ。近いもの見ることが多いんでしょ?」といわれて初めて、ここ数日の頭重感はメガネが合っていなかったせいもあったのかも、と思い当たりました。

 なんせ、もともとの矯正視力は0.7です。それが1.2ですから、ずいぶん目が良くなったことになります。
 とっさに「老眼ですか?」と訊くと、「まあ〜……乱暴にいうと老眼だけれど老眼は近視の反対やから」と、素人にはピンと来にくいことを返されて、(じゃ老眼じゃないってこと?)と思いながらも、うまい訊き返しを思いつけずにまごまごしていると、「これくらいゆるい方が楽ですやろ、度数を下げとこ」とカシャカシャ矯正しなおした検査用メガネを渡されて、「あ、この方がいいです」「やろ」とかいっているうちに「ありがとうございました」「ありがとうございました」となって席を立ってしまいました。

 すっかりペースに呑まれたまま、新しい、度数のゆるい楽なメガネをもらってゴキゲンで店を出ました。結局、「これは老眼なの? 視力が良くなったということなの?」という肝心な質問は訊けませんでした。微妙に気にはなりますが、今回は結果オーライということで。


151121 営業時間変更のお知らせ

 日月火、木金の閉店時間を早めることにしました。これまでの19時最終受付から18時最終受付に変更いたします。土曜日は17時最終受付のままです。

 しばらくは、電話だけは19時までつながるようにしておきますが、ころあいを見計らって、それも18時最終にする予定でいます。
 もともと完全予約制ですのでこのあたりの変更はかんたんですが、19時が好都合だった方にはご迷惑をおかけします。どうぞよろしくご了解ください。


151230 2015年を振りかえる

 ぼやぼやしている間に仕事納めを迎えてしまいました……。みなさま、本年もどうもありがとうございました。おかげさまで今年も、なんとか無事に越せそうな気配です。

 2015年もまた、いろいろあった一年でした。
 技術面では皮膚の施術ができるようになったこと(2月)、へその施術ができるようになったこと(10月)が大きな出来事で、5月には、技術の向上(=皮膚の施術)を受けて料金を変更いたしました。
 「皮膚では値上げして、へそでは値上げしないの?」と訊いてくださった豪儀な(?)お客さんがおられましたが、なぜかこちらは据え置きです。べつに、「へそは値上げできるほどの技術じゃない!」とかいうわけではないのですが、現状で満足、なのでしょう。お客さんの、わざわざ訊いてくださる思いやり? 好奇心? にうれしくなった一件でした。

 異業種交流のほうは引きつづき、ありがたくもおもしろい状況が展開しています。ですが、こちらはちょっと、他人様あっての話ですので、ブログでは振りかえりにくい……。
 やむなく省略しますけど、微妙なのは、“異業種交流”のなかでお会いするお客さん、先生、お師匠な方々から教わることで、私の技術なり理論なりが変化している側面がとてもとても大きいことです。ほんとはいちいちお名前を挙げて「謝辞」を述べたいけれど、ブログではそれもままならず……。まあ、ここには見えないけれど影の恩人がいっぱいいるのだな、と思っていただけると、少し私が救われます。――とかいって、これを言い始めると異業種の方に限らず、職人にはすべてのお客さんが影の恩人でもあるわけですが。

 ともかく、そんなこんなの2015年でした。2016年も、必死かつぼちぼちの気分で技術を磨いていく所存です。来年もどうぞ、よろしくおつきあいくださいませ。
 新年が、みなさまにおかれましても、穏やかで優しい年になりますように。心より祈念申し上げます。


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