太極拳 5
111114 楊式デビュー!
私事ですが、太極拳教室を替わりました。
それまで習っていたのが陳式
(ちんしき)という“流派”で、今度始めたのは楊式
(ようしき)という“流派”です。
陳式にせよ楊式にせよ、どちらも結局は太極拳――といえば確かに2つは同じ武術で、根本的な動きの理屈は同じです。
けれど派が違う――という視点で見れば、具体的な動き方や表面的なしぐさは明らかにずいぶん違っています。
私の身体にとっては、楊式の方がはるかに理解しやすい動きです。
陳式は、その特徴的な動き――「手足をなめらかにねじる」動きの動き方が、私にはできなかったので、ずいぶん苦労しました。
楊式には、いまのところ
(といってもまだ2回行っただけですが)そういった種類の苦労はなさそうです。きっと、先に陳式で泣かされまくったことが役に立っているのだと思います。
環境の点で変わったのは、教室までの移動距離と教室の空間状態です。
これまでの教室は自転車で片道20分弱。それが今度の教室は自転車で片道1時間弱になりました。
1時間走って、2時間太極拳して、また1時間かけて走って帰る……。電車で行くには乗換えが面倒なので、天気で元気なときには自転車でふらふら走ります。
急激な運動量の増加に慣れないいまはまだ帰り道の途中でぐったりばてていますが、それも、数回通う間に慣れるでしょう。
早速、道中のおいしそうなラーメン屋さんも見つけてあるので、もうちょっと体力が付けば寄り道します。
空間の方は、ずいぶんありがたくなりました。
これまで地下教室だったのが、地上2階、高めの天井、やたら窓のある教室に替わりました。練習中はカーテンを閉めていますが、それでも窓の存在感には幸せを感じます。
どしどし足を踏み鳴らす陳式の教室では、階下に部屋があるのは殺生なように思いますが、静かなしずかな楊式の場合、階数
(と建築様式)は問いません。
お陰で、建物に入った瞬間のストレスはまったくなくなりました。
なお、教室は替わりましたが店の休みに変更は生じませんでした。一部のお客さんにはお騒がせしてすいませんでした。
120224 新教室のおもしろさ
11月から行き始めた太極拳教室が、じわじわ、本格的におもしろくなってきました。
――が、残念ながら、どこがどうおもしろいのかを言葉で説明することはできません。それが実にくやしくもあり、同時に、きっとこの説明のできなさこそが、今回の教室の魅力の本質なのだなあとも思います。
説明できない理由は単純で、先生の教え方がほとんど言葉を介さない仕方だからです。お手本を示すときは、先生ご自身が動きながら「こうして……後ろに乗って、もう一度前に出て、……こう」と言われる。生徒が間違った動きをしていると、まさに手取り足取りで直される。
こちらが「手をこうしろということですか?」と訊くともちろんお答えはいただけますが、やっぱり、言葉の説明より具体的な動作の直しの方が主です。
身体が全体で動く以上、部分だけで話ができないのは当然です。下に向けていた右掌を上に向ければ、その影響は全身に及ぶわけで、逆に言うと、全身の作用がはたらくからこそ、右掌は下から上に反されるわけです。
整体でこのことに直面している私は、これを仕事では理解しています。
けれど実際の生活のなかでそれを明確に意識することはほとんどありません。簡単に「右掌は上向き/下向き」で済ませています。
実用に即したこの仕方を、別にダメとは思いません。が、簡単な仕方であることは確かです。
教室で、ひたすら言葉を介さずに太極拳を習っていると、言葉の説明を超えた、混沌とした身体のしくみそのものにどっぷり浸る感じがあるのです。簡単でない、身体本来の複雑なつながりをじっくり思い出す感じです。これが、いまの私にはものすごくおもしろいのです。
そういえば、子どものときに習っていた習字教室の先生も、説明はせずに手を取って直された方でした。相手が子どもだから説明が通じにくいという事情もあるのでしょうが、良い先生に習っていたなあ、と今更に思います。当時にその良さが気づけなかったのが、もったいないです。
120403 武道の授業がそろそろ開始と聞いて思い出したこと
1ヶ月ほど前、体育教員のお客さんから武道の必修化に関連して、「あなたなら何を選択しますか?」と訊かれました。
選択って剣道、柔道、相撲からでしたっけ、と確認した上で私が「相撲」と答えると、お客さんは意外な顔。でもそのときの私には相撲しかないな、という感じでした。
だって、相撲には「四股
(しこ)」があるからです。
ひとりで足を上げ下げするだけの四股なら、おそらくケガは起こりません。そして
(あまりかっこよくはないけれど)鍛錬法としての効果は抜群です。
もともと私は、「重心の安定を狙うなら、タントウ功
(中国武術定番!)か四股でしょう!」と信じる種類の人間です。というかそれ以外の仕方では、重心の安定はうまくは鍛えられないのではないかしらとまで思っています。
ですから、「授業は毎回、1時間みっちり四股を踏むだけ。生徒から苦情が出ても実践的な練習は一切させず、「基本が大事」とか懇々と説いて、ひたすら、延々、四股だけ踏ませます」。
(※そんな授業ができるかどうか、私は知りません。あくまで個人的な野望です。)
鼻息荒くそう答えると、お客さんは納得してくれました。
そして、一言、「もっと早くにそれを聞いていれば良かったです」。
それを聞いて私は、「それなら早くに訊いてもらわなきゃダメでした。自分ひとりでは“私なら何を選ぶか?”なんて考えもしませんでしたから」。
――数日前に新聞で「この春から武道の授業開始」の告知を目にして、ふと、以前したそんな会話を思い出しました。
どうぞ、どなたもケガなさいませんように……。
120521 太極拳? まだしてます。
あまりにも太極拳の話題から遠ざかっていたせいで、先日お客さんから「太極拳はもうやめたのですか?」と訊かれてしまいました。……え? いえいえ、まだ続けてます。一応。
返事の歯切れが悪いのは、相変わらず、変化の説明しにくい状態が続いているからです。
太極拳も施術も、変化の具合はおもしろい。が、説明はしにくい。そんな状態です。
とりあえず、今年の2月、3月から注意され続けているのは「全体的に動きが速すぎる」点です
(ただしこれはいまに始まったことでなく、太極拳を始めた当初からの私の悪癖です)。
たとえば手の動きであれば、太極拳では、「胴体⇒肩⇒肘⇒手首⇒指先」と、順々に力を伝えなければなりません
(ちなみに足なら、「胴体⇒股⇒膝⇒足首⇒指先」の順)。
ところが私の場合、胴体がうまく動かせません
(おそらく、原因は子どもの頃のムチウチです)。しかたがないので、「胴体⇒」を飛ばして「肩⇒」から始めます。肩甲骨を、背骨を土台に動かすのでなく、肋骨を土台に動かすイメージです。
ところがこの仕方では、動きのなかで胴体と手足がつながりません。いわゆる「勁
(けい)が切れた」状態です。
そしてこれでは、“太極拳”になりません。全身の力
(=体重)が攻撃に使えないからです。
先生からは、「動きが速い」と指摘され、「手の前にまず身体!」と注意されます。が、実際問題にされているのは速さよりつながりの悪さです。
(余談ですが、1人目の先生はこの状態について、「足の前にまず身体!」と注意されていました。ほぼ同じことを指摘して、「手」と「足」の違いが出るところがおもしろい……)。
問題は、動きの速さでなく、胴体の動かなさ。
それを意識した上で、「当たり前にすると早くなる動きを、
(意図的にゆっくりするのではなく)当たり前にしていてもゆっくり動くようするにはどうするか」を考えます。
先生からは「身体(胴体)が動いていない」とはっきり言われているので、まずするべきは胴体の施術です。
が、これがなかなか難しい
(!)。あっちに施術をしたらこっちに症状が出て、こっちの具合を良くすればそっちがおかしくなって、と症状と施術がずるずるつながって一段落しないのです。
そうこうするうち経過はどんどん複雑になり、自分でも何がどうなってこうなったのか、細かい流れを忘れました。
それで、変化はしているけれどそれをブログに書くことはできませんでした。
120918 太極拳と対外活動
私事ですが、7月一杯で太極拳教室を退会しました。現在、8年ぶり? 9年ぶり? に、太極拳ナシの生活を送っています
(といってもまだ2ヶ月ほどですが)。
さすがに8年も続けたのだから、辞めたら未練が残るかしら、禁断症状が出るかしら、と楽しみにしているのですが、いまのところはきれいさっぱり。太極拳のタの字も気持ちは向きません。ちょっと拍子抜け、でもまあ、それなりに潮時だったのかな、と勝手に納得しています。
で、太極拳に向かっていたエネルギーがこれからどこへ行くかというと、いま現在は、やたらに対外活動がしたくなっています。
8月の発達障害学会を皮切りに、結局取止めにしましたが9月の特殊教育学会、12月の感覚統合学会、と、まずは「子どもの発達」の分野に目が向いています。
おそらく私的に、整体の技術と理論がそれなりのところに落ち着いてきた実感があるのでしょう。そろそろ外の世界へ出て、理論について、いろいろな人の意見を聞いてみたくなっている感じが強くなっています。
そして「子どもの発達」以外にも、「整体で改善できそうだなあ」と予測している分野がいくつかありますので、そのうち、別の学会・講習会にも勉強に行くことになるはずです。
個人的な習い事としては、習字がしたいなあとじわじわ思い始めています。もう少し意志が固まったら、よしッと決断がついたなら、子どものときに通っていた、近所の先生を訪ねよう! と思いつつ、いまいち肚が極まりきりません。我ながらもどかしいです。
140129 太極拳、やめました。写経、始めました。
少し前のことになりますが、去年の11月限定で、太極拳の練習を再開しました。お世話になったのは以前通っていた陳式の教室です。短期集中で習い込んで、忘れている套路
(とうろ。一連の動きの型です)を思い出そう! そしてそれを朝の公園で練習しよう! というのが目的でした。
陳式をやめてからの1年間は楊式の教室に通っていましたので、以前は憶えていたはずの陳式の套路は、すっかりおぼろになっています。所々、陳式と楊式がごちゃごちゃになっているところもあります
(楊式は憶えていないのに!)。それをすっきり思い出して、1人で練習できるところまで持っていくぞ、というのが今回の野望でした。
で、私なりに、かなり必死にがんばりました。が、ダメでした。
親切な先生・先輩方に助けていただいて前半はなんとか動けるようになりましたが、途中からがどうにも混乱していけません。で、諦めました。
で、諦めて、写経を始めました。
とりあえず、高名な武術家には能書家が多い、らしい――ということは、武術と書道は身体の使い方が同じなんだろう、と単純に考えた結果です。
小中学生の頃に習っていた先生を訪ねると、教室は閉められたそうです。他の先生に習うつもりはないので、仕方なく、本が先生代わりです。独学で続くかどうか、こちらもさっぱり分かりませんので、手近なお店で手頃な筆と紙を買って、古い道具を引っ張り出して、墨もすらずに墨汁を水で薄めて早速書き始めました。ちなみに、墨汁だけで書くのは、教室では許されなかった横着です
(先生ごめんなさい)。
小学生の頃はまだしも、中学生になると途端に私は足のしびれが切れやすくなりました。習字教室でも、しびれたしびれたと言ってはサボってばかりいて、先生に叱られたものです。年をとったいまも、やっぱり足は同じ調子でしびれて、1行書いては痛い痛い、1行書いてはもうアカン、もう無理やわ、と休んでばかりいます。
で、気付きました。――そうだ、痩せれば良いんだわ、ではなく。――足がしびれにくくなるように、施術すれば良いんだわ。
1行書いて、足が充分しびれたら、そこですかさず検査を開始! ちゃちゃっと施術してしびれが取れたら、再び写経。また1行書いてしびれたら、ちゃちゃっと施術、それから写経。
おもしろいのは、施術がうまくいくとたちまちしびれがなくなりますが、しくじると、却ってしびれがひどくなることです。ほほぉ、うまくできとるなあ、と感心しつつ、再び写経。
ともあれ、そんなことを繰り返していると、そのうち、座り方が良い具合にだらしなくなってきました。形は一応正坐なのですが、こころもち膝が開いています。で、姿勢はそれなりにまっすぐなんだけど、体重が左に乗っているのが分かります。と、すかさずここで太極拳の理屈を持ち出して、習字には拗歩
(アオブー。右手と右足ではなく、右手と左足を対で動かす仕方。)が向いているのかもしれんなあ、なんて。しばらくこれで遊んでみようと思います。