のぞみ整体院
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スポーツ

090207 某野球チームの練習を見学してきました。

 野球チームの練習見学の目的は、整体屋に大切な「動きを見る」訓練のため――のはずでしたが、しっかり楽しんでしまいました。選手たちは淡々と練習しているだけなのに(そして私はそれをじーっと見ているだけなのに)、気付くと、時間を忘れています。

 練習場に到着した直後は、(テレビと違ってアングルが一定しないので)どなたが上手やら下手やら、動きの特徴を見分けることができませんでした。野球経験のない私には、「正しいフォーム」のイメージもありませんし。
 ところがボケ―っと見ているうちに、なんとなく、バッティング動作のリズムがつかめてきます。
 さらに見ていると、個性というか癖というかが少しずつ見えるようになって、おもしろくなりました。

 なかに一人、とても伸びやかなスイングをするお兄さんがいて、私は「キレイに動くなあ!」と見ていました。が、監督(コーチ?)には上体の崩れが気になるらしく、特訓に呼ばれてしまいました。
 その様子を遠くから見ていて、私は、「(どうせ言うなら上体の崩れより)左足の位置が問題なのではないですか?」。聞いてみたいなあと思いつつ、私は部外者。そのままボケ―っと見るだけでした。

 練習見学はとても勉強になります。そして楽しいです。
 けれど次々に浮かぶ疑問の答えを「答え合わせ」できないのが、贅沢だけど、ちょっと悲しいところです。


090313 投球フォームと制球に関する勝手な推測

 久しぶりに、野球の練習を見学してきました。ブログへの登場(090207)は2度目ですが、確認すると見学自体は4回目です。

 その日(というかその時間)の練習は、ピッチャーが投げた球をバッターが打つ、という打撃練習でした。ぼんやり見ていると、かわいそうなくらいピッチャーの制球が定まりません。新人サンなのか調子が悪いのか分かりませんが、気になるので注目することにしました。

 そのピッチャーは右投げです。左足を挙げて右手で投げます。
 何度もその動作を見るうち、投げ終わったときの右足の位置がばらばらなのに気付きました。極端に言うと、左足の後方に右足があるときと、左足の真右方向に右足があるときとがあるのです。
 不器用な私はピッチャーかキャッチャーのどちらかしか見れず、正確な対応関係は分かりませんが、どうやら、右足が左足の真横方向にあるときに制球は乱れるようです。

 右足の位置がばらばら、という場合、私は右足ではなく「左足か右手、どちらかの頼りなさ」を疑います。「どっちかなぁ……?」と思いながらなおも見ていると、左足を挙げたとき、その挙げた足首がずいぶん緊張しているのが目に留まりました。

 そこで私が出した(勝手な)結論は、 のどちらかではなかろうか?! というものです。
 もちろん、今回も答え合わせはできません。が、「観察して推理する」、良い勉強をさせてもらいました。


090929 「阪神・浅井選手肉離れ!」の報に思ったこと

 先日、阪神タイガースのゆるいファンである母が、「浅井選手が太股の裏側の筋肉を傷めたんだって」と教えてくれました。
 「なんで?」と聞くと、どうもよく分からないけれど、走っていて肉離れを起こしたらしい、とのこと。活躍してたのにもったいない、と阪神の戦力低下を嘆く母を尻目に、私は、肉離れなあ……と、別の物思いに沈みました。

 肉離れもそうですが、筋断裂、腱断裂、剥離骨折を起こす原因のひとつには、練習方法の問題があるのではないか? というのが、以前からの私の疑問でした。具体的に言うと、「適切でないトレーニング(特に局部を狙う筋トレ)」と「フォーム重視の練習」が、不必要でいびつな負担を身体にかけているように思うのです。

 もちろん現在の常識ではどちらも、基本的な練習方法とされています(関係者の中には「状況は変わってきています」と話される方もいましたが、変わらない練習を続けられる方もいました。現場でも、揺れているのかもしれません)

 けれど実は基本的とされる練習方法は、時代によって大きく変わります。その代表ともいえるのが「うさぎ跳び」です。私の母の世代では、当たり前の練習メニュー。ところが現在はあまり推奨されていません(腿の血管を傷めるから良くない、と聞いたことがあります)
 つまり、いま「基本的な練習方法」になっているからといって、それが必ずしも「正しい練習方法」だとは限らないわけです。




 さて。
 筋トレとフォーム重視を私が疑う理由は、

筋トレは、「筋の自然なはたらき方」を無視している。
フォーム重視は、「個々人の身体の条件」を無視している。

と、感じるからです。

 動かす“関節”はひとつであっても実際は、目に見えないところで全身の“筋”が作用しています。たとえば「肘を曲げる」とか「膝を曲げる」とか「小指1本動かす」とか、そんな単純な動作であっても、筋は、常に全身で協調してはたらきます。それが「筋の自然なはたらき方」です。

 「個々人の身体の条件」は、(皮膚・骨・筋などにできた傷が引き起こす)ひとりひとりの動きのクセを指しています。
 傷ができて筋バランスが変化すると、身体の動きにも偏りが生じます。それが、「足を組んだ方が楽」とか「つい頬杖をついてしまう」とか「カバンは必ず右手で持つ」とか「自転車で片手を離すなら、いつも左手」とかいった動きのクセです。これは良い悪いではなく、身体の必然から生じます。

 「全体」ではたらく筋肉の「一部分」に特別な負荷をかけ、「動きのクセ(ある動作への向き・不向き)」を無視して「固定化された理想の動き」を目標にする。それは、“個体”である身体に対して、本末転倒なのでは……? というのが、私の感じる疑問です。
 この疑問に、科学的根拠とかデータはありません。あくまで感覚的、経験的、そして私の身体観・整体観に基く素朴な違和感です。




 ところで、疑問が浮かんだら実験して確かめる――この手順が、私は大好きです。
 とはいえ「偏った筋トレで肉離れが起こせるか?」のような、成功しても結果が悪く出る実験はしたいと思いません。ですので、こちらは“思考実験”だけで我慢です。
 けれど、もうひとつの疑問――フォーム重視の練習については既に、ちょっと違った形で、5、6年前から実験中です。

 それが、「太極拳の型(フォーム)通りに動けるよう、整体で身体を変化させる」というものです。方法の詳しい内容は以前にもちょっと書いた気がするのでここでは触れませんが、この実験をしていると、身体のクセがいかにおもしろいものか、よく分かります。

 まず、自分の身体にできない動きは、どうがんばっても絶対にできません。それが他の人の身体にはどれほど自然な動きであっても、無理なものは無理。徹底しています。
 ところが姿勢が悪いなら悪いまま、妙なクセがあるならあるまま置いておいて、先に整体をします。そうして整体で身体のクセがうまく変えられれば、その瞬間、見事に動きが変わります。さっきまでその向きには曲がらなかった肘が当然のように曲がり、それまでの「曲げられなかった感覚」はもはや思い出せなくなります。

 クセが変われば自動的に動き(=フォーム)も変わる――それが自然であるなら、クセを変えずにフォームだけ変えることは、身体に無理を強いることなのではないか。私はそう確信します。

 では、整体をしない(あるいはできない)場合はどうするか?
 私なら、自分のクセに従ったまま、つまり理想のフォームからは外れた動きのまま、「自分の身体にとっての効率的な動き」を探すと思います。
 もちろんこれはそう簡単なことではないでしょうし、そうした場合、期待するような結果は出せないかもしれません。けれど、その工夫の中でできた動きは、自分の身体に適った動きのはずですし、少なくとも深刻なケガにはつながらないはず、と期待します。




 冒頭の浅井選手が、無理なトレーニングをされていたかどうか、不自然にフォームを改造されていたかどうか、そういったことは分かりません。ただ、スポーツ業界全体で、このところよく肉離れの話を聞く印象があり、連想がてら、個人的な疑問をまとめてみました。




追記:
 本文を書き終えてからふと、肉離れ情報で間違いがなかったか不安になり、ちょっとネットで調べてみました(順序が逆!)
 結果、肉離れは合っていましたが、5月にも右足首を傷められていたことを知りました。とすると、浅井選手の右太股裏の肉離れは右足首の傷の影響、と理解する方が正しそうです。

 浅井選手の場合はトレーニングやフォームの改造と無関係だったかもしれないのに、肉離れと聞き、ついつい勝手に連想してしまいました。もうちょっと調べてから書こう、と反省します。


091201 清水宏保選手(スピードスケート)のすごさ

 ボクシング、相撲、ゴルフ、バレーボール……。すごい活躍・結果が続く今日この頃。私が注目しているのはスピードスケートの清水宏保選手です。

 先日、母から「何かの競技会で2位だったって」と聞いたときは素直に喜びました。が、29日の毎日新聞で確認すると、2位だったのは真駒内選抜でのこと。
 ご丁寧に、「主力級不在」の競技会だったとか「完敗」とか、1位との間に「実力差は正直言って、ある」と本人が認めたとか「残り時間は少ない」とか。これでもかこれでもか、と不安材料が並べられていました。

 「そっかあ、あんまり喜べない2位だったのだな…」。ぼんやり考えながら、複雑な気持ちになりました。




 私が初めて清水選手のことを認識したのは、実は清水選手の絶頂期ではありません。最初の、曲がり角に立たれたときでした。

 「ロケットスタート」と注目され、すごいすごいと騒がれる。その騒がれ方・注目のされ方がけた違いに大きかった記憶はあります。けれどその頃、滑る姿を見た記憶は私にはありません。たぶん、入れ替わり立ち代り現れる“注目選手”の一人だろう、くらいに考えて、テレビも見なかったのだと思います。

 それが強烈に印象付けられたのは、何かの大会のときです。
 堪(こら)えきれない腰痛のため、神経ブロックの痛み止め注射を打って出場され、結果が出せなかった。そしてその競技後のコメントで、「身体の声が聞こえなかった」とおっしゃったのです(記憶なのでややあいまいですが、何しろそんなようなことです)

 身体の声が聞こえない。――ということは、ふだんは身体の声を聞いている、聞けている。あの速さ(って体感したことはないけれど)で滑りながら、身体の声を聞いている!
 この驚きは、強烈でした。
 というのも、そのときまで私は、「身体の声を聞く」という大切な感性をはたらかせたことがなかったからです。

 それまでの私はというと、走れと言われれば、がむしゃらにゴールを目指す。腹筋100回と言われれば、ひたすらに数を読む。何事もそんな具合で、ともかく開始したなら終了させる。作業の完遂だけが、運動の目的でした。

 でも、この人(清水選手)は違うのだ。運動の最中に、身体と対話するのだ!
 身体と、対話する。
 もっとスピードを出しても良い? とか、ここは抑えるべき? とか、身体に聞いているんだろうか。すると身体は、ええで、いけるで、とか、まだやめとき、ちょっと無理やわとか答えてくるんだろうか。あれこれ勝手に想像していると、わずか数分のレースが、どんどん豊かなものになっていきます。
 そしてふと、その声が聞こえなかったときの清水選手の頼りなさを思い、なんとも、悲しかったのです。




 競技に出る以上は、勝つ気だろうし勝ちにいくべきだし勝ってほしいと思う。それが勝負だと思うし、そのためにこそ厳しい練習にも耐え抜くのだと思う。
 その意味では、今回の結果は残念としか言えません。

 けれど私は勝負から少し離れて眺めていて、競技中の手応えを聞いてみたいです。いまは、身体の声が聞こえているのか、それを頼りに滑れているのか。

 もし聞こえているのなら、ええやん、結果よりずっとずっと、そっちの方が大事やん。と、私はずいぶん無責任に明るい気持ちになれるのですが。




 30日の朝刊を見ると29日の結果が載っていて、「10位に終わった」と書かれていました。結果よりも私は、「特に(レースで得られたことは)ない」という、清水選手の言葉のほうが堪(こた)えました。
 身体との対話は、あまり、うまくいってないんでしょうか……。


091208 スポーツと整体〜Tさんへの回答

(2010年12月27日、内容はなるべく変えずに本文を大幅改訂しました。)

 またまたTさんから、おもしろいことを尋ねられました。

 「泳いでいると、右肩が痛い。けれど、泳ぎたい。どう泳ぐのが良いのでしょう?」というのがTさんからのご質問。それに対して私は、「どう泳いでも良いのなら、自分流の楽な泳ぎ方を発明してみてはどうでしょう」。
 「それは、痛みを上手くかばう泳ぎ方を見つける、ということ?」再度訊かれるTさんに、「いえ、痛む筋を使わない泳ぎ方を見つける、ということです」と返答しました。

 Tさんのおっしゃる痛みを上手くかばう泳ぎ方は、「基本の型に変更を加える」仕方です。
 たとえばクロールならクロール、平泳ぎなら平泳ぎという基本の型が最初にある。けれど、基本の型通りに泳ぐと肩が痛い。だからちょっと変更して、腕の回し方を変えてみるとか、回す方向をずらしてみるとかして、痛くない方法を探し出す。――そういう感じです。

 一方、私の言った痛む筋を使わない泳ぎ方では、基本の型を想定しません。
 「とにかく向こう岸にたどり着く!」という目的だけを想定して、後は滅茶苦茶。じたばた前に進もうとしていると、なんとなく進みやすい形ができてくる。それを「Tさん流の泳ぎ方」と名付けましょう、というのが私の考えです。
 ただしこれは、「ある程度以上は泳げる人」で、「プールのような比較的安全な場所」でするのが絶対条件です。私のような泳げない人間は水にはまった瞬間パニックに陥り、そのまま溺れます。くれぐれも、川に突き落として実験するようなことは……って普通しませんね。




 骨・筋のしくみは、多少の個人差はあれ、だいたいヒトに共通です。ですから滅茶苦茶とはいっても、結果的にクロールっぽくなったり、平泳ぎっぽくなったりはするでしょう。
 けれどそこに予め理想のフォームを想定しないことで、より自分の身体に適した“自分流の泳ぎ方”ができるのではないか。規定された泳ぎ方からの外れぶりをこそ、“自分流”と解釈して楽しんでほしい――そう言いたかったのでした。




 私は、スポーツの取り組み方には2つの仕方があると理解しています。言うなれば「形重視」と「動き重視」の2つです。

 「形重視」では文字通り、形から入ります。頭の中に予め“理想のフォーム”のイメージを置き、自分のフォームをそのイメージに近付けるよう、動きを真似ていく。
 一方「動き重視」では、動きの目的を優先します。投げるなら、飛距離か速さかコントロールか。目的を定め、自分の身体でもっとも効率良く結果が出せる動きを模索し、動きを作っていきます。このとき、ひとまず万人に共通の“理想のフォーム”の追求は横に置きます。

 整体屋として見るならば、「形重視」よりも「動き重視」でする方が、その人なりの運動効率は良くなると考えます。
 もっとはっきり言えば、理想のフォームはあくまで理想。そもそも身体条件のまったく違う人に、そっくりそのまま真似られるわけがありません。

 「動き重視」で練習し、どんどんその動きを洗練させていけば、それがその人なりの理想の動きになる――私はそう考えます。そして現在理想とされるフォームも、先人がそうして作り上げた結果(あるいは過程)の動きだと理解しています。
 同じ目的を求めて動いても、各人でそれぞれフォームは異なり、そのそれぞれにその人なりの最適の段取り・結果が達成されている。それが身体のおもしろいところです。

 ですから、フォームは無茶苦茶だけれどそこそこの結果を出す人に対して、「もっと良いフォームで練習すればもっと良い結果が出せるに違いない」と期待するのは見当違い(ただし表面的なフォームの改造ではなく、動きの意味を変えていく種類の改造は、上手くすれば効果があるかも、とは思いますが)
 動きやすい動きには、たとえそれが他の人に比べて不恰好なフォームであっても、あるいはまた得られた結果が期待ほど良くなくっても、その人なりの“最適”が完成されている。その人にとって最大の力(=目的)と、最大の無駄のなさ(=形)が発揮されている、と私は考えます。




 Tさんに、「Tさん流の泳ぎ方」を探してほしいと言ったのにはこういう思いがありました。クロ−ルとか平泳ぎとかの枠を越えて、「いまの身体に最適の泳ぎ方」を見つけるのはきっと、Tさんには楽しい作業だと思ったのです。

 ――が、いま気付きましたが、私は整体屋でTさんはお客さんなのでした。
 整体で身体を立て直していけば、必然的に「身体の状態」は変わっていきます。そしてそうなれば慌てて泳ぎ方を編み出さなくても、勝手に泳ぎ方も変わるはずです。

 となれば、「動き重視」で泳ぎ方を編み出すか。身体を立て直して自動的にフォームが変わるのを観察するか。どちらを試すかはTさん次第です。

 ちなみに私は太極拳を後者の仕方で習っています。施術がうまく進んで、できない動きができるようになったときの満足感は格別です。
 けれどこの仕方に落ち着く以前は、どうがんばっても先生の指示通りに動けない自分に嫌気が差し、「我流の太極拳モドキで通すしかないなあ」とぼんやり考えていました。この道を貫いていたら今頃は、新しい流派がひとつ誕生していたかもしれません(!)


100208 筋力トレーニングとストレッチ

 整体の仕事をしていると、「ジムで鍛えた方が良いですか?」「ストレッチは身体に良いですか?」「ストレッチをしてから首が痛くなったのですが」と、そんな話題になることがあります。
 そこで、筋力トレーニング(略して筋トレ)とストレッチについて、私の思うところを一度まとめておきます。




 筋トレとストレッチ。
 伸び縮みする筋肉を、一方は縮ませて鍛え、一方は伸ばして弛める。一見反対のことをしているようですが、どちらも、筋肉の状態を変化させることが目的です。そして実は、どちらもそれなりに、危険な側面があります。

 筋トレをして筋肉が痛いのは、「筋肉痛」としておなじみです。これは、重すぎる負担を受け、筋肉の線維が切れることで起こります。
 以前、筋トレ好きの知り合いが話すのを聞いていて、「意図的に筋肉を切る」ことが筋トレの目的かもしれない、と思った記憶があります。あまり立ち入って聞かなかったので間違っているかもしれませんが、「たくさん切って、早くつなぐ(=回復させる)」が今時の筋トレなのか……と密かに感心しました。

 一方、ストレッチでも、少し伸ばしすぎると筋肉は切れます。もしくは、切れない代わりに、ストレッチをする前より余計に縮みます。「ストレッチをして以来、首が痛くなった」といった経験がおありの方は、それが、筋肉が余計に縮んだ状態です。
 ストレッチをするときに「ここをもっと伸ばしたい!」と狙う部分は、ふだん「縮んでいる」と感じている部分です。たいていの場合、「縮んでいる=こっている」なので、感覚的にはだるい部分やしんどい部分を伸ばそう、という意識の方が強いかもしれません。




 鍛えたいのは、弱い筋。ストレッチしたいのは、縮んだ筋。
 別々に書くとまるで無関係なようですが、多くの場合、この2つの筋はとても近い関係にあります。

 大まかに言って、ひとつの関節は、複数の筋肉に支えられています。
 たとえば、「1つの関節」を「4つの筋肉」が支えている、といった感じです。この関節で、4つの筋肉すべてが元気であれば、問題はありません。
 問題は、4つのうち1つ(以上)の筋肉が弱くなったときに起こります。

 筋肉4つで支えるべき関節を、筋肉3つで支えることになったとき、3つの筋肉はいつも以上に緊張しなければなりません。この状況が、「筋肉の縮みすぎ」の状態です。そして(正確にいうと少し違うのですが)最初に弱くなった1つが、「筋力が弱い」とみなされる筋肉になります。
 つまりひとつの関節でいうと、一方に弱い筋があるから、それに合わせて縮みすぎる筋ができることになるわけです。




 さて。話を戻すと、弱い筋を鍛えようとするのが筋トレ、縮みすぎた筋を伸ばそうとするのがストレッチです。
 縮みすぎ、というと何だか悪いようですが、弱い筋の分もはたらくからこそ弛む機会がないわけです。そしてこの、「必要があって縮んでいる筋を引き伸ばす」点に、ストレッチの危険が存在します。筋肉のはたらきが邪魔され関節の安定が危うくなった瞬間、反射的に筋肉がもっと強く縮むからです。ストレッチで筋を傷めるのは、このときです。

 そしてまた一方で、弱くなった筋肉をがむしゃらに鍛えることにも危険が潜みます。弱くなった筋肉は、「正常にはたらきながら筋力が弱い」のではなく、「正常にはたらけないから筋力が発揮されていない」状態です。言わば「病気欠席」の筋肉です。
 筋トレでは、関節の位置を固定して動きの方向を制限して、その筋肉がもっとも効率良くはたらく状況を作ります。が、そんな状況を作られても、“病欠筋”にはたらくことはできません。
 それでも課題をこなすとなると、身体は、“病欠筋”以外のはたらきでもって作業を遂行することになります。つまり、いくつかの筋肉が替わりにはたらき、さも“病欠筋”がしたかのように課題をこなすことになるのです。これは、非常にしんどく複雑な作業です。そして、それをこなしたところで、実質的に病欠筋が強くなるわけではありません。鍛えられるのは、「病欠筋をかばうための筋」です。


 「そもそもの最初に、なぜ筋が弱くなったか」は、ここでは触れません。が、筋トレとストレッチの危険さは以上の通りです。
 しんどい筋肉を追いつめることも、必要があって縮んでいる筋肉を伸ばすことも、身体には、無駄な負担を押し付けることにしかなりません。ですから、少なくとも、あまり熱心にしすぎることはお奨めしません。




 冒頭の疑問には、この文章でお答えできたかと思います。
 「ど――しても鍛えたいッ!」「筋トレが趣味なんですッ」とおっしゃる方を強いて引き止めるつもりはありません。たとえ身体に悪くても、したくなるのが趣味ですし。が、「身体に良いならしてみよう」と思われている方には、「身体に悪いし、する必要も全然ない」と私はお答えしています。

 そもそも、運動不足が気に入らなければ身体は勝手に動こうとします。せっかくの休みに出歩くとか、必要もないのに散歩に出るとか、これらはその現れです。いくら叱っても子供がじっとしないのも同じです。
 逆に、せっかくの休みを家でだらだら過ごすのも、近所に出るのすら億劫なのも、決心して始めたダイエットや運動が続かないのも、同じことの裏返しです。いまの身体には「動くこと」の負担は大き過ぎる、というサインです。
 計画を思い付くのはアタマ(大脳)ですが、実際に動くのは身体です。しんどすぎる計画は身体に拒絶されて、続けることができません。

 私はそう理解しますので、筋トレもストレッチも適当に――ムキになることなく、エエ加減に気が向いたときだけちょっとしてみれば良い、と考えます。がんばりすぎは、身体に毒。様子を見ながら無理をせず、くらいでちょうど良いと思います。




 実はこの話は、(すでに何度か登場いただいた)Tさんとの会話で出たものです。
 会話には続きがあり、「筋トレは身体に悪いかもしれない、でもそれでも成績を上げたい、そのためには何をすれば良い?――と選手に聞かれたら何と答えますか?」という意地悪で難儀な質問に続きます。
 こちらは、いろいろな意味でちょっと簡単にはお答えできない難問です。まだしばらく作文に手間取りそうなので、項を改めていずれお答えしたいと思います。


100212 身体の融通

 2月10日の毎日新聞に、オリックスの投手宮本大輔選手のことが載っていました。
 記事の趣旨は、ケガによる引退と、奥様でいらっしゃる海原やすよさんとの支え合いについて。整体屋である私の関心は、もっぱらケガの状況に向けられました。そこで記事の中からいくつか、要点を拾い出してみます。いわく、

宮本選手は、プロの中でもハイレベルの筋力があった。
右肘の手術をした。
踏み出す左足に力が入らなくなった。
「黄色靭帯骨化症(おうしょく じんたい こつかしょう)」と診断され、引退を決意。

 黄色靭帯は、背骨を支える靭帯のひとつです。それが骨のように硬くなって神経圧迫の危険性を生じる難病が、黄色靭帯骨化症。原因は、不明とのことです。




 たとえ新聞記事で見た有名人のことであっても、特定できる個人の身体のことをあれこれ言うのはあまり本意ではありません。ですがあまりにピッタリかつ具体的な内容なので、失礼を承知で取り上げさせていただきます。宮本選手、ごめんなさい。どうぞ気を悪くなされませんように。と、先にお詫び申し上げます(まあ心配せんでも、ご本人が読まれることもないでしょうが)

 記事の中で私の気に入らないのは、「原因不明」の部分です。ハイレベルの筋力、右肘の手術、そして投手という職業。これだけの条件が揃っていて、いったいどこが原因不明なのか。それが私には分かりません。




 筋力が強い、とくに手・腕の筋力が強いのであれば、それだけで背骨にかかる負担は相当なものになります。腕の付け根の肩関節は、大雑把に言えば、腕と背骨をつなぐ筋で支えられています。筋力がついて腕が重くなれば、その分、腕を吊り下げる背骨には大きな負担がかかります。

 また、右肘に手術をすれば必然的に、左右の腕の動きはアンバランスになります。
 多少筋力が強くても、「右腕が背骨を引く力」と「左腕が背骨を引く力」が釣り合っていれば、それでも背骨は真ん中に留まることができます。けれど手術をして右肘に大きな癒着ができ、その釣り合いが根本から崩れてしまえば、背骨が真ん中に留まることは難しくなります。

 そして投手は、腕を振りまわす仕事です。一般に言われるように、「右手ばっかり使っていると身体のバランスが崩れるよ」という考え方には、私は賛成しません。右手ばっかり使おうが、右足ばっかり使おうが、結局身体がしているのは全身の協調運動です。その程度の動きの偏りでバランスを崩すほど、ちゃちな作りにはできていません。
 ですからこれは考え方の順番を逆にして、「右手ばっかり使う⇒バランスが崩れる」ではなく、「バランスが崩れている⇒右手ばっかり使ってしまう」と解釈する方が自然と、私は理解します。

 ……ちょっと話が逸れました。私が投手の仕事を意識するのは、重い腕を振り回して背骨に負担をかける、その機会が多い仕事だからです。同じ試合に出ていても、どんどん球を投げる投手と、それほど投げない野手とでは、肩の運動量がずいぶん違います。投手は、腕を振りまわす機会が多い。問題にしたいのはこの点です。

 さて。以上3つの条件が重なれば、背骨はしょっちゅう、ぐらぐらします。靭帯程度の支えでは、骨を真ん中に固定できない。かといって背骨の位置が大きく外れれば、そのときは、脊髄を傷めます。それは、あまりに危険すぎる。それを避けるためにも、「もっともっともっと強い力で、このぐらつく背骨を固定せねば!」。その必要の結果が、黄色靭帯の骨化――ではないかと私は理解します。




 酸素が足りなければ心臓は肥大するし、摩擦が多ければ皮膚は厚くなる。そうやって、あちこちの辻褄を合わせながらしくみ全体の破綻を防ぐのが、身体のはたらきであり、生きているということだと思います。
 黄色靭帯の骨化にしても、身体にしてみれば、「緊急事態ではあるけれど病気ではない」、少なくとも「病気のせいでこうなった」とは“考えて”いないのではないかなあ、と、私なんかは思います。

 人の身体を見ていると、つくづく身体って、「全体の調和を志向する。そしてそのためなら各部分は、驚くほど融通を利かせ合う」、そんなものなのだなあと感心します。黄色靭帯骨化症も、そんな風に考えた方が理解しやすいように私は思います。


110607 私的な覚え書〜Sさんとの約束メモ

 とてもお世話になっているSさんと、ちょっとした賭けをしました。
 条件は以下のとおりです。

目標:Sさんの水泳のタイムを現在の29〜30秒から、25秒にまで縮めること。
勝敗:半年以内(2011年12月まで)に達成できれば私の勝ち。
    1年以内(2012年6月まで)に達成できればSさんの勝ち。
    1年以内に達成できなければSさんの大勝ち。


 お互いの課題は目標に向けて、Sさんはせっせと練習すること、私はせっせとSさんの身体を立て直すこと、です。

 決着がつくのは、Sさんのタイムが25秒になられた時点です。
 Sさんの大勝ち以外はどちらに転んでも“賭けの支払い”というより“お祝い”なので、その点は穏やかです。が、とりあえず私は自分のために、ひたすら半年以内の達成を目指すことにします。


111104 新しい動作習慣

 偶然、よく似た時期に、2人の方の歩き方・走り方が変化しました。

 ひとり目のPさんは、10数年前に右すねの骨を骨折されています。すねにある太い骨を縦方向に割く種類の、かなり怖い骨折です。
 骨折部に埋めるため、無傷な左の骨盤から骨を取ってきて右すね骨折部を補填、ボルトで固定。その後、頃合を見計らって右すねのボルトを除去――都合2回の手術を受けられています。
 現在は、手術をした骨盤、足ともに痛みなどはありません。が、右足首の動きは骨折前より小さくなっています。

 そんなPさんが先日、かなりの坂道を上って下ることになりました。
 ぼちぼち上って用事を済ませ、またぼちぼち歩いて下りてこようとしたときに、ふと、そういえば右足首にずいぶん力強さが戻っている、と気付いたそうです。




 もうひとりのQさんは、全然別の機会に片足ずつ、両足の小趾(ゆび)にひびを入れられています。どちらも数年以上前のことで、ひびの部分には、目立った痛みや症状はありません。

 数ヶ月前から、Qさんは、趣味のジョギング(ランニング?)を始められました。そして徐々に時間を延長し、2時間ほど走れるようになったところで、変化は起こりました。

 最初の徴候は、足ゆびの爪の赤みです。
 実際に見せてもらいましたが私にもよく分からず、「なんでしょうねえ」とちょっと様子を見てもらうことにしました。

 ところが2週間ほどして来られたときには、「内出血?」とはっきり疑えるくらい、爪の下の黒味が増していました。両足の、同じ趾にです。

 おそらくは走ってできた内出血だろうと予測はつくものの、なぜ走り始めて数ヶ月も経ったいまになって起こるのか……2人で首をひねりました。
 考えられるのはひとつ。走り方が変わったから、ということです。




 PさんにもQさんにも、歩き方・走り方を変えようという意図的な工夫は少しもありませんでした。
 ただ、坂道とか長時間とかいう条件の下で、自動的に身体が「身体にとって最適な動き」をとっただけのことです。

 身体の状態が良くなると、それに合わせて動きの自由度も良くなります。
 この変化は、身体がずいぶんしんどいときであれば、施術を受けるだけで実感できます。けれどしんどさがある程度改善してくると、少し変わった動きを取り入れなければ変化が見えにくくなってきます。

 Pさんの場合、坂道のつくる傾斜がその変わった動きであり、Qさんの場合は、それがより長時間の運動だったわけです。

 一度自由を実感した身体は、それからはその自由な動きを保ちます。坂道でなくても、長時間でなくても、足首の動きをきちっと活かした効率的な歩き方・走り方をするようになります。
 この時点でもう、新しい動作習慣はできあがっています。そして今後も、おそらくまだまだ変化していきます。


120403 武道の授業がそろそろ開始と聞いて思い出したこと

 1ヶ月ほど前、体育教員のお客さんから武道の必修化に関連して、「あなたなら何を選択しますか?」と訊かれました。
 選択って剣道、柔道、相撲からでしたっけ、と確認した上で私が「相撲」と答えると、お客さんは意外な顔。でもそのときの私には相撲しかないな、という感じでした。
 だって、相撲には「四股(しこ)」があるからです。

 ひとりで足を上げ下げするだけの四股なら、おそらくケガは起こりません。そして(あまりかっこよくはないけれど)鍛錬法としての効果は抜群です。

 もともと私は、「重心の安定を狙うなら、タントウ功(中国武術定番!)か四股でしょう!」と信じる種類の人間です。というかそれ以外の仕方では、重心の安定はうまくは鍛えられないのではないかしらとまで思っています。

 ですから、「授業は毎回、1時間みっちり四股を踏むだけ。生徒から苦情が出ても実践的な練習は一切させず、「基本が大事」とか懇々と説いて、ひたすら、延々、四股だけ踏ませます」。(※そんな授業ができるかどうか、私は知りません。あくまで個人的な野望です。)
 鼻息荒くそう答えると、お客さんは納得してくれました。

 そして、一言、「もっと早くにそれを聞いていれば良かったです」。
 それを聞いて私は、「それなら早くに訊いてもらわなきゃダメでした。自分ひとりでは“私なら何を選ぶか?”なんて考えもしませんでしたから」。


 ――数日前に新聞で「この春から武道の授業開始」の告知を目にして、ふと、以前したそんな会話を思い出しました。
 どうぞ、どなたもケガなさいませんように……。


141223 なわとびブーム

 ブーム、といっても一人で勝手にしているだけですが、このごろちょっと、なわとびに夢中です。
 最初はお試しのつもりで百円ショップのなわを買い、せっせと二重とびを練習していたら、なんと! 持ち手がぽきりと折れました(…)

 これはイカン、もう少し丈夫なのを買わなければとコーナンに行くと、セール品のコーナー(世間的にブームではない証拠ですね)で78円のなわと298円かそこらのなわを発見。興味本位に両方購入。で、まずは78円のなわを試してみると、これがとっても跳びやすい。78円が108円に勝った! と驚きつつ、298円のを試すと、これがさらに跳びやすい!

 108円→78円の時点で、どうやらミソはなわの重さだな、と納得したのですが、78円→298円に移ると、さらに、持ち手の長さも影響するらしいことがわかりました。

 現在、298円のなわでそこそこストレスなく二重とび連続が跳べており、問題はなにもないのですが、気になるのが、別のお店で売っていた「なわとび名人」と「二重とび名人」とかいう名人シリーズ。どちらも、なわの真ん中におもり(短いビニールチューブ)が通してあって、さらに二重とび名人のほうには持ち手に金属?のおもりが仕込んであって、より跳びやすさを追求している、というシロモノです。

 どれほど跳びやすいんだろう? という興味と、たかがなわとびにそこまでしゃかりきにならんでもいいか、という冷静さ(?)が半々になって、いまのところ買わずにいます。

 それにしても、むかしの名残りで、二重とびはそれなりに跳べるものの、すぐにへばって2分と続かない。太極拳をやめてから、以前に輪をかけて運動不足なのはわかっていましたが、それにしても2分って……。

 でも、この疲れたらすぐにやめられるところが、なわとびの魅力なのだと思います。ジョギングみたく、いったん出たらおなじだけ帰らなきゃならない、なんて制約がありませんから。
 じつはなわとび、なかなか中年向きの運動なのかもしれません。


160513 フラダンス始めました

 何の気なしに見ていた新聞広告にハッと気を引かれて、先日、フラダンス教室を見学に行きました。
 それまでフラダンスに興味があったわけでなく、まさに発作のような見学申し込みでした。で、行ってみると、なんだか楽しそう。そのまま入会しました。

 まだ習い始めて3回目かそこらですので、ごくごく浅い理解ながら、でもなぜ私がフラダンスをしたいと思ったか、その理由のようなものは、ちょっとわかってきました。


 太極拳のときもそうでしたが、私は習い事で学んだことを整体の仕事に直結させています。
 先生の指示通りに動いてみて、注意されると、そこで考える。
 A 指示の理解がまちがっていた⇒理解しなおして動く。
 B 指示の理解は合っているのに動けていない⇒うまく動かない筋肉がどれか、自分で探る⇒その筋肉が動くように自分で施術する。
 そんな習い方です。


 実際に習ってみると、フラダンスと太極拳には身体の動かし方に共通点の多いことがわかりました。足の向きとへその向きはそろえるとか、肩(腕)は水平方向180度まで開けないとか。

 一方、決定的にちがうのが、歩く方向と、上半身−下半身の使い方です。太極拳では“カニ歩き”的な横歩きはほとんどしません。ぱっと思い当たるのは簡化二十四式(楊式もそうでしたっけ? 忘れました)の“雲手”くらいで、たいていが前後方向への移動を伴います。それに対してフラダンスでは“カニ歩き”が基本、のようです。

 また体重移動の際に、太極拳では上半身と下半身を自然に連動させます。しかしフラダンスでは上半身を固定します。真横に移動しながら一歩ごとに重心を換え、けれど上半身は動かさない。結果、腰が振れて見える、ということのようです。

 横移動と上半身固定。太極拳ではなかった動きを要求されることで、自分への整体は早速展開しはじめました。
 なるほどな〜、これがしたかったのだな〜、と納得しながら、これまで気づけなかった右膝下のがんこな癒着をはがしました。おかげで、股関節の位置と、立ち方・歩き方・座り方が変わってきました。変化の一環として、すねの、ものすごい筋肉痛もしばらく続きましたが、おもしろい施術でした。


160618 早速のフラダンス効果

 先日のフラダンス教室で、偶然、ひとつの基本ステップだけを少々長めにくりかえす場面がありました。カオという、一種の“その場足ふみ”のステップです。

 カオでは立ち位置は移動しませんが体重の移動はきっちりします。ですから丁寧に動いていると、独特の粘りで股関節がまわるのがわかります。
 おもしろいもんだな〜とその感じに夢中になっていると、途端に、ぐぐぐッと右太ももの骨が伸びたがっているような、ちょっと不思議な抵抗感が生じました。そしてそれ以降、右股関節のまわる感じは失われ、右側には、ぎくしゃくとしか動けなくなりました。
 運動による負荷がきれいに股関節だけに集中して、疲労の限界がきたのだな、と理解しました。


 さて、翌日になると、左腕の筋肉に気になる感じが出てきました。どうやら施術ができそうな気配です。

 本来、股関節を動かし支える筋肉は、強力です。ちょっとやそっとでは疲れません。それがあの程度の練習で根を上げたということは、慢性的に、すでに右股関節に負担がかかっていたことを意味します。
 つまり私流の解釈では、右股関節はふだんからどこかをかばい続けていた、ということです。

 それがどこか? については、太極拳をしていた頃から必死で探していました。
 当時から、右股関節の動きの悪さは自覚していました。そして、かばっている“もと”の場所がわからなければ、私は施術ができません。だから必死だったわけですが、結局、太極拳の動きでは特定できませんでした。

 それが今回、ようやく、かばわれていたのは左腕だとわかったわけです。
 フラの、体重横移動という特質のおかげです(!)。いや〜、フラを始めてよかった。


 このブログを書いている時点では、左腕の施術はまだ途中です。ですが、早くも骨盤の位置が変わってきました。左寄りにあったのが、真ん中に落ちつきつつあります。背中全体と腕の動きも大きくなりました。腕と背中、背中と腰・骨盤の筋力バランスがよくなったのだと思います。


161202 パウスカート作りました

 フラ(ダンス)の教室には4月から通いはじめましたが、ようやく、そろそろスカートをはこうかな、はいてもいいかな、の気分になりました。
 習いはじめからびしっと形を整えると、それだけで満足してやめてしまいそうなので、太極拳のときも今回のフラも、なるべく備品は急いでそろえず、普段着のまま、極力、持ち物を増やさずにしていました。が、もうそろそろ大丈夫かな、続くかな、と。

 先輩に訊くと、「作るのはかんたん」とのことなので、インターネットで作り方を調べて、ありあわせの布で、さっそく作ってみました。
 扱う布が大きいのでそこそこ手間ではあるものの、印をつけてだだっと縫ってゴムを通せばしまいなので、たしかにかんたんでした。

 できあがって、ちょっと試しにはいてみると、それだけでもう、踊りがうまくなった気分になれます(じっさいに踊ればすぐに醒めます)
 セールのときにたくさん買いためていた布を使ったので、ちっともフラらしくない色・柄で、これならたとえ教室をやめても、ふだんにもはけそうです。


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