のぞみ整体院
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整体・身体観 32

220401 歩いていて突然歩けなくなったお客さん

 遠方から久しぶりのお客さん(=Pさん)が来られました。よちよちとギクシャクを足して二で割ったような歩き方で入ってこられて、「股関節の調子が良くないのです」と言われます。
 状況を細かく聞いていくと、1年ほど前にでこぼこ道を歩いていて、石を踏んだ拍子に突然歩けなくなった、すぐに近所の整形外科に行くと「膝に水が溜まっている」と注射で抜かれ、ヒアルロン酸を注射され「また来週おいで」と言われた。水を抜くといっても大した量ではないようだし、数か月通ったけれど一向に良くならない、「痛い」と言うと手術を薦められるようになったので、怖くなって通うのをやめた。しかし依然として痛いので困っている、という話でした。

 「石を踏んだ拍子に悪くなったのなら足の裏を傷めたんでしょうねぇ?」私がとりあえずの感想を言うと、整形外科では足の裏に注目されることはなかったようで、え、そうですか?な反応。これには私のほうが戸惑って、え? あれ? 違います? ――エート、ともかく施術しましょっか。

 いつもの通り検査から始めると、案の定、問題は足の裏から見つかりました。が、施術するには10分もかからないほど問題は単純で、要は、ヘンな具合に筋肉をストレッチしたことが原因で起こった〈反射で筋肉が縮んだ状態〉――大まかにいうとぎっくり腰とかこむら返りの足の裏版みたいな状態の、その名残りのような感じでした。
 筋・腱・靭帯の断裂のような実質的な〈傷〉はできていない様子なので、〈最初の患部=足の裏〉の施術はあっさり終了。残りの時間は〈その後の患部=注射された膝〉や以前からの手術の傷痕など全身の調整をあちこちして、作業を終えました。

 見た感じ、筋肉の凝りは広範囲にゆるみ、寝返りやベッドからの上り下りの動作にも自由度は増したようで、無造作に・だらしなく動けている(←これは大事!)様子ですが、いざ歩こうとすると、股関節の不具合は来院時と変わらず、辛そうでした。ですがこの時間中にできることはし尽くしたし、施術による変化に全身が馴染んで改善が実感できるようになるまでには時間が掛かるのかもしれません。もちろん、今回の施術だけでは不十分な可能性もありますから、時間を待っても改善しきらないかもしれませんが、それがどちらになるかは今すぐにはわかりません。
 なので、Pさんには現在の状態を説明し、納得してもらった上で、1週間〜1か月、様子を見てもらうことにしました。その間に症状がなくなったなら再来院は不要。ということで、私も1か月、微妙にヤキモキして過ごします。


220424 おなかの癒着と丹田

 太極拳を習いに行ったその日から、おなか〜足にかけての癒着がざらざら見つかりだしました。これは、これまで無かった癒着が新たに見つかった・出てきたのではなく、在ることはわかっていたけれど具体的にどう剥がせばよいかが見えなかった癒着の、剥がし方が見えてきた・剥がせるようになった、ということです。なので、3日くらいかけてひたすらごりごりごりごり癒着剥がし。それから練習を始めてみると、お師匠さんに指摘された動きの悪さがめでたくマシになっていて、〈動かせる〉感覚が出てきました。よしよし。
 いまの私は、その動かせるようになった動きを、型の中にどう織り込んでいくか・呼吸のタイミングとどう折り合わせるか、に関心が向いています。おなかの施術も続けつつ、そこをみっちり練習するのが今回の宿題かな、と思います。

 私に動かせなかった部分というのは、いわゆる丹田(たんでん。へその下あたり)です。太極拳に限らず様々な武術・気功で、はたらきが要求されるとても重要な部分。
 おなかが動かせない=丹田がわからない、という状態をず――っと続けてきた私は、太極拳的に見ればかなりダメな人で、やれやれ、いつかわかるときが来るのかな…、と、諦め半分待っていましたが、とうとうそのときが来たようです。

 丹田・おなかに限らず、癒着の具体的な剥がし方を見つけるためには、〈その部分を動かそうとしてみる〉ことが必要です。例えば先生から正しい動き方を習って、理解して、動いてみる。自分では理解したとおりに動いているつもりでも、先生から見ると動けていない。その場合、そこに癒着が隠れていると想像できるわけです。
 太極拳の場合、丹田がはたらいていなくても、太極拳っぽい動きはできます。見る人が見ればできていないことはすぐわかるけれど、ぱっと見、それらしく動き続けることはできる。私がこれまでしてきたのはそれで、要は、できない身体なりに一生懸命それらしく動いてきた。そこへお師匠さんは、〈正しい見本〉と〈私の実際の動き〉を緻密に・具体的に対比して示してくださるのです。そして私がその〈できてなさ〉を整体で改善したい人間だということもお師匠はご存知なので、その場で〈努力〉させようとはなさらない。飽くまで、示して納得させるだけ。それが実にありがたい。

 今回、丹田が動かせるようになったことでさらに、整体屋的な収穫として、以前に中国医学で勉強していてピンと来なかった部分が「なるほど、そういうことだったのかも」腑に落ちました。そしてその連想から心理系のことで引っ掛かっていたことについても、ちょっとしたことを思い付きました。今後は、その思い付きが現場で活かせそうか、整体しながら探っていくことになります。
 あれやこれやを勉強してきて、あちこちに放置・保留にしたままの引っ掛かりが、ふとした拍子に伏線みたくザザザッと回収される瞬間は、めちゃくちゃ得した気分になります。


220509 肺呼吸とへそ呼吸

 前回の記事の続きです。
 〈丹田に意識を集中する=へそ呼吸してたときの身体の使い方を思い出す〉とイメージすると、動きが具体的(?)になるように思えたのです。へそ呼吸、つまり胎児期の身体の使い方を思い出せ、という感じです。
 生まれてオギャーと泣いたときから肺呼吸が始まる、やがてハイハイを始めて二足歩行に入ると背骨の働きがしっかりしてくる――ということは、それぞれその〈前〉があるわけで、肺呼吸以前は、お母さんの胎盤からへそ(の緒)を通して酸素・栄養をもらっていた。背骨以前に〈力の中心〉だったところは?というと想像になりますが、羊水中に浮かぶ身体をつなぎとめていたのはへその緒ですし、酸素・栄養・老廃物はそこから出入りする。そして胎児の身体は丸まっている――と考えると、力の中心はへそ、と想定しても良さそうに思えます。

 前回太極拳を習いに行ってから私は自分のへそに施術ができるようになって、へその状態が良くなってくると、キュッと腹を引っ込める感じがかなり自在にできるようになりました。で、もしかしたらこれが丹田を使うということなんじゃないかしらと思った途端、ずいぶん以前に読んだ中国医学の本に、〈へそは生命の出入りするところ〉みたいな説明があったことを思い出しました(すいません、何の本かは忘れました)。で、「それってこのことを言っていたのかも!」一人合点した瞬間、ざーっと連想がはたらいて、いろいろな引っ掛かりが自分なりに腑に落ちたのでした(逆腹式呼吸のつかみどころの無さも、へそ呼吸と考えればピンとくるぞ、とか)

 私は生まれたときにへその緒を首に巻いていた人で、お医者さんにべしべし叩かれてようやく泣き声を上げたそうです。整体屋になってからは「そんなことがあったなら、巻かれていた首はさぞや傷めているだろう」と、折を見て首周り・頭周りに施術していました。
 ですが首を巻いていた(というか実質ぎゅうぎゅう絞めていた)へその緒のほうも散々引き伸ばされて無傷だったはずはなく、とくにその土台に当たるへそ及びその周囲のおなかにも傷はできていたと考えるほうが自然ですから、現在進行形のへその施術はそういうことなのだと理解しています(そしてそうなるともちろん、へその緒の反対側の端っこ、母側のおなかも心配なわけですが、胎盤は剥がれ落ちますから問題になるのは、たぶん子宮内膜。母と弟に迷惑かけたかもしれません……)

 幼少期より「おなかが痛くなるからおへそはいじったらアカンよ」と言われながら、中年になったいま現在、竹串突っ込んでごりごり施術しておりますが、いまのところ、おなかも痛くなってませんし、へその状態が改善すると、明らかに身体の安定感が上がります。さすがにまあ、コドモがテキトーにいじってるわけではないので、良いんでしょうね……。


220529 薬指の施術

 前回の続きです。右薬指の施術は好調です。

 薬指は、縦列駐車的に連なる3つの骨からできています。その奥、というか手前の根元部分、手のひらのところに長めの骨が1つあって、さらにその根元、手首の部分にはごちゃごちゃっと小さい骨が8つまとまっていて、それから腕の骨へとつながります。手首から肘にかけては2本の骨がちょうど〈逆向きに並べて縛った釘〉みたく納まっていて、そのうち薬指と関係が深いのは〈釘の頭が肘側にある骨(尺骨。しゃっこつ)〉です。
 私の場合、バネ指になっているのは指の2つ目と3つ目の骨のところで、癒着があるのは手首のごちゃごちゃした骨と尺骨の辺りです。

 太極拳から帰ってからは、気が向くとその辺りに施術をしているのですが、そうするうちに、じわじわ薬指の存在感が増してきました。自転車に乗っていても、薬指だけやたらに、ハンドルやらブレーキやらにぎゅうぎゅうこすりつけたり、にぎにぎ握ったりしたくなる。いままで無かった存在感をここぞとばかりに取り返しにかかっているようで、我が薬指ながら微笑ましい。なんだかいきなり薬指だけがオリンピック強化選手になったみたいなガムシャラな筋トレぶりです。
 バネ指はまだ残っていますがコキコキした感じはずいぶんマシになっていて、指先までの伸びが柔らかくなってきました。

 この経緯を観察するに、どうやらこれまでは、癒着のせいで薬指だけ土台が縮んでいたようです(癒着の原因は心当たりがありません)
 指先をすっと伸ばそうとすると、縮んだ土台で指部分だけは精一杯ピッと伸ばしているから、薬指の主観としては「もう十分伸ばしている」。けれど他の指にしてみたら、そもそも土台は縮んでいませんから「まだ十分に指先は伸びていない」。そしてその両方を感覚する私自身の主観でいうと「これ以上指先を伸ばそうとするのは不自然な気がする」。しかしこの状態を傍から見ると、指全体は明らかに伸びていませんから、「もっとちゃんと伸ばして!」と言われる。そういうことだったのだと思います。
 そしてもうひとつ明確になったのは、薬指の筋力バランスの悪さです。関節を曲げる側の筋力が異様に弱い。土台の縮みとは別経路で、この筋力のアンバランスが、バネ指として現れるのだなと、身をもって納得しました。

 尺骨は肩甲骨とも係わりの深い骨ですから、いずれはそちらにも動きの変化は及ぶはずです。とすると全身の姿勢にも影響しますから、小さいようでいて、これはなかなか趣深い施術になります。


220608 わんわん泣くこと

 数日前、少し年配のかた(=Pさん)から予約の電話をいただきました。腰が痛い、とのことでした。
 当日、来院されてお会いしてみると、なんだかあんまり〈私のお客さん〉な感じがしません。人がしんどくなる〈なりよう〉にはいろいろありますから、私は自分の整体で改善できそうな人を〈私のお客さん〉としてお引き受けするわけですが、実際にお会いしたPさんは、私の整体が必要な感じがあまりしません。うーむ、電話では施術できそうに思ったのだけどなあ……?

 微妙に判断がつかないまま、ともかくすでに来店くださっていますから、お話を聞くことにしました。それによると、腰が激しく痛むというより、歩き始めの動作が重くなった・姿勢が悪くなったのが気になる、とのことでした。
 「いつからですか?」訊くと、「気になり始めたのはわりに最近です」。「きっかけになった出来事に心当たりはありますか?」私が訊くと、しばらく考えた後で、「久しぶりに遠出をしたからかもしれません。長時間電車に乗りましたので」。……う――ん……それでこんな症状になるかなあ……ピンと来ないままさらに状況を聞いていくと、そのときの遠出は、大事な人のご不幸のためだったとのことでした。

 それをお聞きして、連想が働きました。これはきっと、悲しみに圧倒されておなかがぎゅっと緊張したまま固まって、動かなくなってしまったのじゃないかしら。実は同じような経験が私にもあります。東日本大震災の津波の映像を見たときに、恐怖に圧倒されて同じ状態になりました。
 そこで、「お葬式が済んでから、ちゃんと悲しんで泣けましたか?」訊くと、「日常に取り紛れて泣いていません」とPさん。やっぱり。意を強くして、「たぶんそのせいだと思いますよ。私が同じ状態になったときは、ごはんは食べれたけど味がしないし、ピタッと便秘になりました」と話すと、Pさんは「……そういえば、私も同じです」。

 軽いものではあるでしょうが、一種の解離(かいり。感情の切り離し作業)みたいなはたらきで感情を棚上げすると、私の経験ではおなかが固まります。これをほどくには――というか私の場合はたまたまほどけたのですが、わんわん泣けた後でした。震災の四日後、深夜に突然わんわん泣けてきて、気付くとおなかが弛んでいて、それでようやく、自分が津波の恐怖に固まっていたことを知りました。
 私自身は津波の実際の被災者でなく、Pさんの大事なかたは大往生をされています。解離の状況が深刻・複雑な場合は特別な対処が必要かもしれませんが、Pさんは、試してみる価値があるように思えました。なので、整体屋としては、緊張でこちこちになった頭の凝りをゆるめ、〈おなかこちこち〉の経験者としては、「帰宅したらわんわん泣ける機会を見つけて、しっかり送ってあげてください」とお願いして作業を終えました。

 ずいぶん昔に読んだ本で、児童心理学者のアンリ・ワロンという人が、「人の感情を強く揺さぶるものには笑いと泣きがあるが、泣きはおなかを動かすけれど笑いは動かすまでには至らない」みたいなことを言っておられるのを知って、感激したのを憶えています(書名は忘れました)
 今回みたいなことがあると、泣く、しかもしくしくではなく、おなかの底からわんわん泣くことの大事さを改めて思います。ともあれPさんには、がっつり整体する気で臨まなくて正解でした……。


220620 ケガの影響と身体の状態

 数年前に数回施術させてもらったお客さん(=Pさん)が、久しぶりに来院されました。側弯症のあるかたです。

 Pさんとご家族のかたの話によると、……前回の施術からの数年間、側弯が進むことはなく安定していた、ところがこの数か月で急に悪化して、「このまま進行すれば手術の可能性が出てくる」と主治医に言われた、でも手術は避けたい、とのことでした。
 「なんで急に悪化したのでしょう? その頃に何か変わったことはありましたか?」私が訊くと、「その1〜2か月前に自転車でこけました」とPさん。「あ、じゃあそれですね」。

 実は偶然、その前日に来られたお客さん(=Qさん)も、自転車で転倒したとのことでした。調子良く過ごしていたある日に自転車で転倒し、横ざまにこけて壁で頭を打った、それから両腕とかあちこちに筋肉痛のような痛みが出てきた、と。

 自転車での転倒に限りませんが、ケガをして身体を傷めると、筋肉のバランスが変わります。〈ケガで欠席〉している筋肉の代わりを〈元気に出席〉している筋肉が担うことになりますから、〈欠席〉筋は脱力気味、〈出席〉筋は緊張継続の状態になります。
 もともとの〈出席〉筋がたくさんあれば、〈欠席〉筋の影響は小さくて済みます。Qさんのように、あちこちに筋肉痛が出て、しばらく我慢して過ごしていたらやがて忘れる、というのがよくあるパターン。忘れたところで〈欠席〉筋が〈出席〉できるようになったわけではありませんから、自覚はできなくても動きの質は低下しているはずですし、やがて何かしらの自覚症状が出てくる可能性はあります。が、でもまあ、とりあえずは、しのげる。
 ところがもともとの〈出席〉筋がすでに少ない状態だと、新たな〈欠席〉筋の出現は大問題です。今回のPさんがその状態で、少ない〈出席〉筋ががんばってきゅうきゅう骨を引っ張って支えますから、〈ゆったり、バランス良くまっすぐ〉みたいな姿勢は維持できない。結果、現象としては〈側弯の進行〉みたいになります。

 Pさんの場合、じっくり時間をかけるメリットは全然ないですから、近い間隔で来院願って、集中的に施術させてもらうことにしました。とにかく筋肉のバランスを、少なくとも以前レベルにまで戻して、安定してもらわなきゃなりません。もちろん本音はもっと欲張りで、以前以上に良いバランスにまで改善させて側弯度を減らしたいので、えいえい、気合を入れて施術しました。
 Pさんの病院での診察は数日後。手応え的には大丈夫だと思っていますけど、うまくいってますように。


220712 太ももの大きな癒着

 Pさんは2年近く来院くださっているお客さんです。一見お元気そうな、テキパキ・ハキハキしたかたですが整体屋的に見るとかなりしんどい状態にあるのが初来院時からわかりましたので、ちゃんと改善するのに手間取りそうだなあ……の印象を持ちました。
 一般的に、身体の状態が悪くて・見た目もしんどそうな人は改善しやすい、その一方で、状態と見た目の印象が不一致な場合は難しい、と言われます。なぜそうなのか、ちゃんとした理由は知りませんが、施術していての実感も大体そんな感じなので、初回から、Pさんには、「ちょっとじっくり付き合ってください」とお願いしました。

 1回目の施術から数回目までは、施術すればするだけどんどん良くなる感じがあって、「最初に予想したより簡単だったのかな……?」と、思いたい気がするけれどでも、頑として動かない(動かせていない)癒着の大きな固まりが、(震源地がどこかはまだわからないけれど)どーんと目の前にあるのはわかっていますから、「いやいや、コレを小さくせんことには整体したとは言えんでしょ……」内心、途方に暮れていました。

 最大らしき癒着の固まりは、Pさんからお聞きしている〈これまでにしたケガ〉のどれとも一致していません。Pさんご本人も憶えていないか・大したことないと思って言っておられないか、ともかく私には未知のケガです。足からおしりにかけてのどこかに癒着の本体がありそうなのですが、なんせ広範囲な上に、その範囲のほとんどを強固な凝りががっちり固めていますので、ちょっと気安く施術ができない……。
 攻めあぐねてうろうろするような施術であっても、整体をしていると日常生活が楽にはなるそうで、根気よく通ってくださることがさしあたりの私の救い。倦まずに来てくださっているうちに何とか癒着本体を小さくしたいのだけれど!――と思っていたら、ようやく光が見えました!

 太もも後ろ側の中ほどと、その同じ太ももの前側の上のほう、ちょうど、段違い平行棒的な何かでぎゅっと太ももを前後から挟んだような感じに、筋肉を傷めているのがわかりました。「これですわっ!」大興奮で癒着の状況をPさんに説明すると、「あまりはっきりした記憶じゃないのですが……」と教えてくださったのが、小さい頃に電車と駅のホームの間に落ちかけたことがあるような気がする、とのことでした。「でもドラマとか漫画で見たことで、私自身の記憶じゃないかもしれません」とも。
 施術をしていての感触では、後面の傷のほうが下方にあって鋭く、前面のほうがより上方で、傷つき方も曖昧です。電車とホームの段差を考えると、電車から下りるときでなく乗り込もうとしたときに隙間にはまったと想像できますから尋ねると、「そんな気がします」とPさん。

 Pさんが心配されるように、もしかすると電車とホームの間にはまったのはご自身の経験でないかもしれません。ですがその以前のいつかに、非常によく似た状況でそれらしいケガをしているのは確かなはずで(だから経験の記憶と視覚の記憶が混乱する)、それは癒着の状態と一致します。
 Pさんには、電車に限らずそんな出来事があったかどうか、あったならそれはいくつくらいのことだったかを、ご家族に訊いてみてもらうようお願いしました。
 ――とりあえず、よかった! 癒着のありようが具体的になったからには、これでようやく、ちゃんと改善できます!


220826 ふくらはぎの肉離れと軽い腰痛

 Pさんは遠方からお越しのお客さんです。昨年末の来院当初からそれほどきつい症状がおありだったわけではないですが、ケガは、そこそこたくさんされています。
 遠方ということもあって毎回2時間ずつ施術させてもらい、数回来院された時点でずいぶん症状は軽くなられました。現在まで残っているのは、朝起きたときの軽い腰痛で、それも日中動き始めると気にならない程度とのこと。
 いくつかあったケガの傷痕は大抵どれも良くなっていますから、朝の腰痛だけが変わらぬ調子で続いているのはしっくりきません。とすると……初期の頃にいったんきっちり施術したつもりの傷痕のどこかに、さらなる施術が必要ということかな……そんな見当を付けながら検査をすると、ふくらはぎの肉離れの痕から癒着が見つかりました。

 関節を曲げる動きを筋肉の視点で考えると、曲げる側の筋肉が縮む瞬間、同時に、伸ばす側の筋肉が弛んで伸びることが必要です。この弛む動きの息が合わず、しかも、ぐっと力んで動こうとしていたときに起こりうるのが、筋断裂・腱断裂・剥離骨折です。〈肉離れ(=筋挫傷)〉は、筋断裂・腱断裂を含んだ大きい名前ですが、Pさんの場合は、位置的に腱の少ない場所ですから、たぶん小さな筋断裂だったのだろうと思います。

 Pさんのふくらはぎには、初期に一度施術しています。その時点でPさんの腰痛はいくらか軽快し、他の症状が目立つようになり、他の部分の癒着に施術しているうちにやがてまた、ふくらはぎの癒着の取り残しが目立つようになってきた、ということなのだと思います。というわけで、あらためて施術。
 立体的な〈固まり〉でできる癒着を、私の整体では〈点〉でほどいていきますから、必ず取り残し・ほどき残しは生じます。実際的な話としては、その固まりを全部完璧にほどききることを目指すより、その人の日常生活に障らない程度に必要十分にほどいておくことが大事です。その意味で、いまになってPさんのふくらはぎが「もうちょっとほどいてくれよ」と要求してきた、というのが現状です。

 施術が済むと、感覚の速いPさんは立ち上がるなり「すごい! すっきりした!」と大満足のご様子で、私も一段落ついた実感がありましたから、これで継続的な来院の必要はひとまず不要としました。いわゆる、〈いったん卒業〉です。


 経験的に、筋断裂・腱断裂・剥離骨折と診断されている場合に比べると、肉離れと診断されている場合は作業が簡単に済むことが多くて、ちょっと軽く考えてしまう傾向が私にはあります。まあこれは、「肉離れ」という名前が含むケガの範囲が大きいことも関係してはいるのですが、今回のPさんの施術で、大いに反省しました。
 ふくらはぎの癒着をほどくと、足の凝りがゆるんだのはもちろんのこと、背中の根深い凝り(Pさんからの訴えはなかったですが、がちがちに凝っていました)がゆるみ、背中全体の形が平らになりました。こうなれば、いずれ、呼吸と睡眠が楽になるはずです。〈たかが肉離れ、されど肉離れ〉。慎重な取り残しチェックを肝に銘じました……。


220916 車で段差から落ちること

 「半年ほど前に車で縁石に乗り上げ、そこからドスンと落ちました」というお客さん(Pさん)が来られました。自覚症状は腰痛です。

 私が施術する〈車での事故〉のほとんどは、追突事故の被害に遭った、いわゆるムチウチになったというものです。この場合、自覚症状は、背中〜首〜頭にかけて現れます。
 一方、同じ追突事故であっても、後方車つまり加害側のかたの身体からは施術が必要な癒着が見つかることはほとんどありません。自覚症状もあまり聞きません。ですから追突事故において、ぶつかるか/ぶつけられるかは大きく明暗を分けます。
 そしてこの区わけでいくと、〈ぶつける〉タイプの自損事故は、影響が小さく済む可能性が高いと想像できます。電柱に軽くぶつけた程度なら、車の被害はともかく、身体への被害は無視できる程度かもしれない(?)。では、縁石に乗り上げてドスンと落ちた場合は……? どんな癒着ができているのか。というか、そもそも癒着はできているのか……?

 検査・施術を始めてみると、見事に、〈尻もちをついたことがある人〉に見られるのと同様の状態になっていました。坐骨方向から衝撃が上に抜けて、背骨がぎゅっと圧縮されるような感じです。骨がもっと弱ければ、圧迫骨折も起こりえそうです。うつ伏せに寝転んでもらうと、本来凹んでいるはずの腰のあたりが、背中側に盛り上がっていて痛々しい。
 幸いなのは、事故をしてからまだ日が浅かったことで、影響がムチャクチャに広範囲に広がるような事態にはなっていません。しかし少々不幸だったのは、事故から施術までの間に腸のポリープを取っておられますので、いくらか事態が複雑になったかもしれません。でもそうはいっても幸いなのは、内視鏡での摘出なので、そんなに深刻な影響はなく済んでいるかもしれません。

 経験的に、尻もちへの施術はそこそこ難しい場合が多い印象を持っていますが、Pさんの場合、現在のところ、印象よりは順調に改善できているように感じます。
 立った姿勢から、あるいは座りかけた中腰の姿勢から地面に打ちつける尻もちとは異なり、車でドスンの場合は受傷に至るまでの姿勢が安定しています。体重を椅子に預けている分、下半身の筋肉に強い収縮は生じず、傷め方が素直(?)です。そしてまた、生身の身体vsカチカチの地面の直接対決とは異なり、地面との間にはクッション性のある車の座席があります。打ち身の衝撃はあるにせよ、座席があることで影響が弱められていることもありそうです。まあ、もちろん今後、どんどん難しくなっていく可能性も捨てることはできませんから、あまり楽観してもいけませんが、当初、私がした予想よりはすんなり良くなるかもしれません。


220930 ぎっくり腰と手指のケガ

 たまたま続けて、ぎっくり腰のお客さんお二人に施術する機会がありました。

 Pさんはずいぶん以前に1回か数回、来院くださっていたかたです。来院回数すら不明なのは、来院くださったのが前過ぎて、記録が残っていないからです。ですが当時、ご身内のかたも来院されていましたから、たぶん、Pさんについてもひと通りの施術は一段落していたのだろうと想像します。
 ともかく、記録がないことを伝えて今回改めて状況をお聞きすると、非常にケガ歴・手術歴の少ないかたで、身体の不調ももともと少ないのじゃないかしらと想像しました。なので、なんでそんなかたがぎっくり腰になったかな……不思議に思いながら話を聞いていると、ひと月ほど前に手首にやけどをしたことがあった、とのことで、――なるほど。納得しました。

 一方のQさんは初来院が今年の初めで、当初4〜5回は続けて、その後は毎月1回程度、来院くださっています。まだ〈卒業〉!と言えるところまで整体作業は進んでいないけれど、日常生活での自覚症状はずいぶん軽くなっていて、そうそう体調も崩れないでしょうから、しんどくなったら来てください、とお願いしているのが、結果的に月に1回程度の来院になっている、という状態です。今回も、本当は先月に来たかったけれど仕事の都合で来られず、ひと月あいて、2か月目の途中でぎっくり腰になったとのことでした。
 その間の出来事として、前回の施術直後に扉で指を挟んだことを教えてくれました。

 PさんもQさんも、手指にケガをして、そのしばらく後にぎっくり腰をされている。これは興味深い共通点です。
 一般的なぎっくり腰は腰の筋肉の誤作動で起こります。腰のこむら返りみたいなもので、誤作動を起こすのは腰の筋肉ですが、引き金になっているのは手指のケガとか頭のケガである場合が多い。もちろんそうじゃない場合もありますが、〈腰に問題があってぎっくり腰になる〉ことはほとんどありません。
 なので、話を聞いて、それらしいケガが確認できたら、ぎっくり腰の施術は終わったようなものです。「痛いのは腰なのですが……」と戸惑うお客さんに説明はしつつも腰周辺はそっちのけのほったらかしで、いかに原因箇所の施術をうまくするか、だけが勝負です。

 というわけで、お二人とも手指ばっかりに施術して、済んだら無事、すたすた帰って行かれました。
 施術者には簡単で、お客さんには結果がすぐにわかるから、両者「よしっ!」の感じがあって、ぎっくり腰の施術は好きです。たいてい1回、手こずっても2回の施術で完結できるコンパクトさも小気味よい。作業が単純ですから、ず――っとぎっくり腰のお客さんばっかりだと飽きそうだけども、ときどきすると、急に施術の腕が上がった気分になれるしお客さんにもわかりやすく喜んでもらえるし、ちょっと手軽に陽気になれます。


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