のぞみ整体院
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整体・身体観 30

210331 『教えて 発達障害〜』の整体屋的補足

 先日、Pちゃん(仮。子どものお客さん)とP親さん(仮。Pちゃんの親御さん)が来店くださいました。実は「杉山先生の提唱される〈発達凸凹〉という考え方を知ってほしい!」と私が思ったお客さん(の代表格)が、P親さんです。ということはつまり、P親さんが『教えて 発達障害・発達凸凹のこと』(以下『教えて』と略)を作る直接のきっかけになってくれたお客さん、です。

 初めて来院されたとき、P親さんはPちゃんに発達障害があるのでないか?と考えておられました。でも私はその日、実際に施術しての感触から「とても身体のしんどい子だ」ということがわかっていました。なので、「Pちゃんに発達凸凹があるか・ないかはわかりませんけど(でも杉山先生の区分でいう発達障害はないと思いますけど)、とりあえず、それより何より身体がめちゃくちゃしんどい人ですよ!」と、訴えました。
 発達障害・発達凸凹・身体のしんどさを巡っての来院初回の話し合いはいくらかギクシャクしたものになり、でも、PちゃんとP親さんは整体を続けてくださって、身体の状態がどんどん良くなるにつれてPちゃんの言葉や振舞いはのびのび自由になってきて、なんというか、生き物としての余裕のようなものが大きくなってきました。

 「身体が楽になって、Pの成長がこのところ伸びているのがわかります」とP親さんはおっしゃって、Pちゃんの施術中の待ち時間に読んでもらっていた『教えて』の本を指しながら、「Pの変化とこの本と、白柳さんのいう癒着はどう関係するのですか?」と訊かれました。
 『教えて』は杉山先生の考えをお聞きしたかった本なので、私の考えとか施術方法には触れていません。なので、ここでちょっと補足しておきます。



 『教えて』で注目するポイントのひとつは、脳にダメージがあるか・ないか、です。
 脳のはたらきを私の仕方で説明すると、脳というのは入力があって初めてはたらくものです。何かを見た・何かに触れた、周囲の温度が暑くなった・寒くなった、そういう感覚などの情報が脳に届いて初めて脳は、「何かって何だろう?」と判断を始めたり、服の脱ぎ着を指示したりする。入力情報を整理・判断して、その上で指示を出すのが脳の仕事であって、いきなり・ひとりでに何かを思いついたり生み出したりすることは、基本的に、ない。脳がはたらき始めるのは、感覚情報などの入力が先にあってから、と私は考えています。

 この理解を杉山先生の区分に当てはめると、――
 脳にダメージがあると、感覚情報が入ってきてもうまく処理するのが難しくなります。これが発達障害の状態です。
 一方、脳にダメージがなくても脳内のはたらきの足並みがそろっていないと、いくらか処理がちぐはぐになります。これが発達凸凹の状態です。
 ところで、脳にダメージがなくても、ふだんから山のような情報が脳に送られていたなら、脳のするべき仕事がいっぱいいっぱいになって、処理が追いつかない状態が起こりえます。これが私の考える〈身体がしんどい状態〉です。

 全身の皮膚・筋肉が健康であれば、血流は良くて身体は動かしやすいから、脳に送られてくる〈身体からの苦情〉はほとんどありません。だから脳が処理する仕事は少なく済みます。
 でも皮膚・筋肉に傷があって癒着ができていると「ここが痛い」「その動きはつらい」「だるい」「足だけ冷える」……血行不良や動きの微細な不自由にまつわるいろいろな苦情が脳に送られてきて、脳の仕事は激増します。こうなると、それ以外の情報が入ってきても、処理するだけの余裕が残っていません。

 この状態は、大人で考えればわかりやすいことで、「いまは頭が痛いから仕事をする気になれないわ」みたいな話です。実によくある話。
 ところがこれが子どもだと、幼ければ幼いほど、毎日がいわゆる〈発達〉のための吸収期間に当たりますから、「いまは吸収する余裕がない」が続くことになります。そうするとそれは、〈発達のつまずき〉みたいな見かけになるのでないか。そして『心と身体といのちのこと』の74ページ以降で紹介した子どもさんや、今回のPちゃんは、この状態だったのだろうと私は理解しています。

 結局のところ、大人も子どもも何かを〈学習〉しようとするときには脳に余裕がなくちゃダメで、その余裕を奪うのは、脳自体の場合もあるし、脳の手前=身体の場合もあるし、身体の手前=環境の場合もあるよ、ということなのだろうと思います(〈手前〉というのは情報の出所、伝わる順番でいうところの手前。環境→身体→脳の順で情報は伝わって、それを脳が処理して、脳→身体→環境の順ではたらきかける)
 そして、『心と身体〜』の子どもさんやPちゃんは、幸い、整体屋に来てくださって、整体屋に対応できる問題が改善した結果、脳の余裕が増えたのだと理解しています。


210407 おなかの施術、上達しました。

 このところ順調に、おなかの施術がうまくできるようになってきました。
 「おなかの施術は大事!」「多少時間が掛かってもじっくり構えて取り組むこと!」と自分に言い聞かせながら地道に作業を重ねていると、いくらかは慣れのおかげで自然に・勝手にうまくなっていきます。
 しかしそれ以上に普段のときに、自分のおなかに施術をして状態を改善しておくと、めきめきっと腕前が上達するのがわかります。この〈自分整体〉が、私の技法にはとても大事なのです。

 これはいまの仕方で整体するようになってから気付いたことですが、自分の身体に癒着があると、自分の身体だけでなくお客さんの身体に対しても、その部分の状態を、うまくイメージ・把握することができません。
 たとえば自分の膝に癒着があると、癒着=瘢痕組織(はんこんそしき)に神経は通っていませんから、膝周辺の身体感覚は落ちます。そのためか、自分の膝を基準にして〈当たり前の膝ってもの〉をイメージすることができなくて、膝に癒着のあるお客さんが来られても、〈この膝は、どんなふうに施術すればどんなふうに改善できるか〉のイメージがうまく掴めないということが起こる――と、私は経験的に理解しています。なんせこの状態に陥ると、解剖学の教科書をとっくり眺めて膝関節の構造をきっちり頭に叩き込んでも全然ダメで、施術の役にはあまり立たず、ところが自分の膝に施術をして状態が改善すると、お客さんへの施術もうまくなるのです。こんな経験を何度もしています。

 ですので今回も、おなかの施術がよくわからない=自分のおなかにも癒着がある、と考えて、自覚症状は特にないけれど、せっせと施術。
 すると反り腰の程度がゆるんで身体が前に丸まりやすくなって、自転車をこぐのは速くなり、歩き方は気持ち良い具合に落ち着き、正座がしやすくなりました。重心が安定したということでしょう。これは嬉しい。

 お客さんの施術でも、「あと一山が越えられないのだよな……」と最後の詰め手を探しあぐねていたかたたちのその一山が、越えられつつさらに私の視界は開けて、「なるほど、こことおなかはこんなふうに関連しているのか」日々学ばせてもらっております。
 一例を挙げると、おなかの施術がうまくいくと、必ずその改善は背中に反映されます。ある人は腰に。別の人は背中の上部に。腰に反映される人は、腰部の筋肉を下方に引き下げるような作業が必要になりますし、背中上部の人は、菱形筋(りょうけいきん。肩甲骨と背骨をつなぐ筋肉)を外方に向けて引き伸ばしつつ筋力を回復させる作業が良いようです。おなかの施術に合わせてこれをしておくと、一層、おなかの緊張がゆるんで全身の動きがしなやかになります。
 大人の身体は〈ほっと一息付けました〉みたいな風情になるのが嬉しい手応えで、子どもの身体はネコ科の生き物みたいななめらかな動きを回復します。のびのび・くねくね、足元は安定させながら上半身は自在に動いているのを見ると、ヨシ。嬉しくなります。


210503 身体性の不安(心と身体 その1)

 「もうずいぶん前のことになりますが」と、お客さん(=Pさん)が、あるクリニックを受診したときのことを教えてくださいました。Pさんは若い頃から生理不順があって、それで婦人科を受診したところ、「不安が強いからホルモンに影響しているのでしょう」と言われたそうです。
 その話を聞いて私が「Pさんは、その当時は強い不安を抱えていたのですか?」と訊くと「いえ、とくに……」とPさん。「じゃあ子どもの頃に遭われた事故の影響が関係していたのかもしれませんね、心理的な不安とかでなく身体的な不安」。私が言うと、お客さんは「そんなこともあるのですか……」と、ちょっと意外なふうでした。

 身体が頼りない状態、というのは不安なものです。ふだんは強気な人でも熱が出ると弱気になったり、ケガをすると心細くなったりします。私が施術する〈癒着〉は〈治った(つもりの)ケガ〉の治りきっていないところ、広い意味での後遺症というか後遺状態ですから、癒着の部分に自覚症状があることはほとんどありません。ですが癒着ができると、身体は慢性的な頼りなさ・不安要素を抱えることになります。
 Pさんの場合、事故に遭われたのが比較的幼い頃なので、なおのこと、〈ガタッと身体が頼りなくなった自覚〉〈何となく不安を覚えるようになった自覚〉は感じにくいはずです。〈むかしから私はこんな感じ〉で、そのまま大きくなった、が実感のはずです。でもそれは、違うのです……。

 もうすでに何度か整体に来てくださっているPさんは、最初にお会いした頃に比べてずいぶん印象がしっかりしています。声に力が出て、良い意味で押し出しが良くなって堂々としてきた感じです。これは〈元気になってきた〉〈丈夫になってきた〉という話では本当はなく、〈落ちていた元気が戻ってきた〉〈本来の丈夫さに近づいてきた〉ということです。〈むかしから私はこんな感じ〉の、その前の状態は、そんなだったはずなのです。
 ちなみに、Pさんご本人に「力強さが変わった自覚はありますか?」とお訊きすると「わかりません」とのお答えでした。ほとんどの人が、変化の直後には実感できないようです。数か月遅れて、そういえば、という感じで気づかれることが多いです。

 それはともかく、話を戻すと、生活状況的にストレスはない・心配事はない状況で、それでもストレスを感じやすい・不安になりやすい場合は、精神的な原因でなく身体的な原因があるのかも?と思ってみるのは大事です。そしてガムシャラに〈気の持ちよう〉みたいな方向を追求するのではなく、じっくり養生する・活動量を減らしてみることを意識するのが効果的かもしれません。
 本当は身体がしんどいのに〈気の持ちよう〉で身体にムチ打つと、ろくなことにはなりません。整体屋はそこを心配します。


210504 人間関係性のイライラ(心と身体 その2)

 子どものお客さん(=Pちゃん)が、先日初めて来られました。親御さん(=P親さん)に連れられての来院です。
 身体症状はそれほど多くなく、本人的にも身体的な困り事はないそうで、「何で来られたのですか?」あらためて訊くと「イライラすることが多いようなのです」とP親さん。私がホームページなどに〈身体の問題でイライラする場合がある〉的なことを書いているのを読んでくださって、Pちゃんも身体がしんどいのではないか、と心配されたようです。

 ふんふん、と聞きながらちらっとPちゃんを見ると、正直、それほど身体がしんどいようには見えません。というか〈整体屋的に対処が必要!〉という印象がこちらにあまり湧いてきません。えーと、私、この人に何ができるのかな、な感じ、とでも言いますか。
 それで、もうちょっとP親さんのお話を丁寧に聞いてみると問題の状況が見えてきて、P親さんが何を心配されているのかが理解できました。でもせっかく整体屋に来られたことだし私の仕事は何を措いても整体だし、身体の問題がまったく無いわけでもなさそうだから、Pちゃんの話は、とりあえず施術台に上がってもらって作業をしながら聞かせてもらうことにしました。

 Pちゃんはわりと無口な人のようなので、イエス/ノーで答えられる形式の質問を二つ三つ投げてみて、だいたいの様子はわかった気がしたので後は黙々施術。
 施術が終わったら私がしたことの説明をして、それからP親さんに「Pちゃんがイライラしているのは、ひとつにはP親さんとの行き違いがあるように思います。このときは許せるけど別のときは許せない、みたいにPちゃんの許せる・許せないにはパターンがあるようですから、その線を踏み越えられたときにPちゃんがイライラして見えるのだとすると、それは〈イライラしている〉のでなくて〈怒っている〉のだと思います。どうやらPちゃんの〈あれは良いけどこれはダメ〉の線引きはココにあるようですから、ココを強要しなければ怒らせずに済むのかもしれません」と私が言うと、思い当たるフシがあったのか、ああ、ああ、と頷くP親さん。

 まあ多分これで一件落着だろう、と、「問題がなければ続けて来ていただく必要はないですよ」と、その日の作業を終わりにすると、帰り際、それまで無口だったPちゃんが無口なまま、ぱぱぱっと手を振って挨拶してくれました。「代わりによう言うてくれた」の挨拶、と勝手に解釈して、私もぱぱぱっ。ついでに私は「バイバイ」の声付きで。
 それ以来連絡はありませんから、たぶん、めでたしなのでしょう。
 心の問題でなく身体の問題か?と思わせておいて、実は心の問題というか関係の行き違いの問題、という話でした。話のスジが整体のようでいて整体でないから、微妙にカテゴリーの分別(〈整体・身体観〉と〈日常〉)が難しい。ま、どっちでもいいけど。


210519 右股関節痛と首左側の癒着

 ずいぶん前から、自転車で遠出をした後には右股関節まわりの筋肉の緊張がきつくなって、歩く・立ち上がる・身体をひねる、とにかく姿勢を変えるたびに、瞬間的にかなり鋭いピキッとした痛みが走って、それをこらえるためには1、2日は身体をまっすぐには起こさないでいるしかない、という、整体屋的にはわりと情けない事態に私は陥っていました。で、そのループを抜け出すためにあれこれ試行錯誤をしていたわけですが、ようやく決着できたようなので記録しておきます。
 結局、問題だったのは、頭の付け根の癒着だったようです。

 私は生まれるときにへその緒を首にしっかり巻いていたクチで、いまの仕方で整体をするようになってからは、「絶対、首まわりには癒着があるはずだ!」と確信し、何度も検査したり施術したりしてきました。ですが、どうも満足のいく手応えを得られていませんでした。
 それが先日、自転車での遠出の後、右股関節ピキピキのままで寝ていた夜明け方に、ふと、首の左側が気になって目が覚め、うつらうつらしながらも施術をすると、これがうまくいったのでした。

 頭と骨盤は長く連なる背骨群の両端に位置していてお互いよくかばい合いますので、一方の癒着が他方の症状として現れる場合は多いです。追突事故でのおしりの打ち身(=座席を通して後方車の衝撃がおしりに伝わる)→頭・首まわりの多彩な症状とか、頭のケガ→根の深い腰痛とか、尻もちをついてから首がおかしいとか。
 その流れでいくと、首の左側に癒着があって→右股関節の不具合が起こる、というのは至って自然で、探し出して施術するのなんて至って簡単そうに思うのですが、ずいぶん長らく手こずってしまいました……。これはたぶん、首を絞めていたのがへその緒だったところに一因があるのだろうと想像します。これまで、お腹の施術が下手だった私にはへその緒の土台であるお腹を立て直すことがなかなかうまくできなくて、それで首の施術にまで進めなかった。ところがお腹の施術がいくらか展開できるようになったために、首の施術にも取り掛かれた、という理解です。

 首の施術がうまくいくと、ありがたいことに活動意欲が高まってきました。本格的に暑くなる前に!と、気になりながら放置していた用事どもをあれこれ片付け始めました。


210529 身体の偏りと動きの偏り

 しばらく前から取り組んでいる、私自身の、頭から首にかけての施術は順調に展開しています。
 耳の下のくぼみを指先で探ると首の骨の小さな出っ張りが奥のほうに触(さわ)れるのですが、学生時代の私は右耳下では触れず、左耳下ではやたらに触れて、あからさまに背骨が横方向に歪んでいるのがわかる状態でした。それがいまは両方で同じ程度に触れていますから、まあまあまっすぐになってきたのだろうと思います。(※あんまり触ると気持ち悪くなるかもしれませんので探ってみられる場合はご注意を。)

 おもしろかったのはカッターナイフの使い方で、定規を縦に置いてそれに沿って紙を切るとき、これまでの私は定規の位置を身体の右側に偏らせて置いていました。
 ぶれずにカッターを使うためにはそうするほうが安定したし、右手でカッターを使うのだから、身体の右側に定規を寄せるのは自然なのだろう、と、深く考えることもなく納得していましたが、先日、久しぶりにカッターを使おうとすると、自然に、身体の真ん中で定規を支えていることに気付きました。
 あらッと思って以前していたように右で支えてみると、どうにも不自然で納まりません。整体が進んで身体の偏りが減った分、道具の使い方も、偏りが減ってきたようです。

 こういう、歪んだ身体の私にとって当たり前だったことが、歪みの減った私には当たり前でなくなっている、というのがおもしろい。といっても、変わってみて初めて、ああなるほど、こんなふうに歪んでいたのだなと納得できるのがほとんどで、大抵の場合、先行して〈歪んでいる〉自覚があることはありません。
 身体のバランスが良くなったことの影響は、もちろん、カッターの使い方にとどまりません。次の休みには自転車でちょっとがんばって遠出して、右股関節の具合が悪化しないかどうか実験したいと思います。よくなっていると良いですが……!


210603 自転車で遠出してきました

 昨日、自転車で遠出をしてきました。片道3時間ほど走って奈良の唐招提寺(とうしょうだいじ)がゴール、ゆっくり拝観して同じ道で帰宅、というコースでした。いまの私の体力ではこれ以上の距離を走ることはないでしょうから、施術の効果を確認するにはちょうど良い感じでした。
 帰り道も終盤にかかる頃にはさすがにおしりが痛くなりましたが、帰宅後も翌日の今日も例の右股関節痛はまったくなく、足や背中にごく軽い疲労感がある程度です。まあ上出来の〈運動実験〉だったと言えるでしょう。

 遠出の前の整体では、左側の頭〜首にかけてと首の右側、そして右膝の外側とふくらはぎの筋肉に深い施術ができました。
 〈自転車で遠出をすると右股関節が痛くなる〉の原因は、直接には右膝外側・ふくらはぎの癒着が影響していたのじゃないか、と、施術が済んでから振り返って納得します。交互にペダルを踏むときに、右膝はなめらかに伸ばしきれない。その伸びなさを股関節が補って無理が掛かり、それが帰宅後〜翌日の股関節痛になっていたのじゃないか、という想像です。
 右膝の癒着をほどかずに遠出をしていれば今回も股関節が痛くなっていたのじゃないか?というのも知りたいところでしたが、施術したバージョンとしていないバージョンを同時に比較はできませんから、答え合わせはできません。惜しいことです。

 ところでコロナ下の唐招提寺は、ずいぶんガラガラでした。まったくの無人ではなかったものの、千手観音vs私、弥勒仏vs私、1対1の面接状態で仏さんに向き合えて、とても贅沢な時間でした。なんとも皮肉な、やりきれないことです。
 唐招提寺や法隆寺、萬福寺、……、古い時代の質実剛健系の建築の存在感が私は好きで、堂々と優雅な、屋根の張り出しと建物との安定感抜群の絶妙のバランスにひたっていると、じんわり落ち着きます。なので唐招提寺でも金堂・講堂・鼓楼にうっとりなるのは想定内でしたが、意外にも、今回一番しびれたのは鑑真和上の御廟でした。実に静かに調和した雰囲気の良い空間。いわゆるパワースポットなのでしょうか、しかも私程度の人間にもわかるほどに超強力な。また季節が良くなったら、キコキコ自転車こいで訪ねようと思います。


210613 ケガの後のケガ

 数年のおつきあいになるお客さん(=Pさん)が来られました。ここしばらくは強烈な症状はほとんどなく、何かの拍子に調子を崩したらそれを立て直す、調子が崩れていないときには根の深い癒着をじりじり継続的に剥がしていく、そんな係わり方をしています。
 そのPさんが来店されるなり、「手が、自分のものではないみたいです」と言われるのでびっくりしました。もしかして神経関係のトラブル……? びくびくしながら様子を訊くと、4日前に指を火傷したのを手始めに、その翌日も同じところを火傷、次の日とその次の日は思いがけない形で物を落としてしまった、自分の手なのに信用できない、とのことです。あまり、うっかりするタイプでなさそうなPさんには、おそらく珍しいことなのでしょう。物を落としてしまったことに、いくらか落ち込んだご様子です。

 一方の私は、きっかけが火傷と聞いて安心しました。一つのケガあるいは手術をきっかけにして、その後にケガやうっかりミスが続くことは珍しくないからです。
 これはたぶん、自分の身体の使い勝手がケガ・手術の前と後とで、微妙に変わってしまうことによって起こる現象なのだろう、と私は理解しています。

 火傷(やその他のケガや手術)をすると、皮膚・筋肉に傷がつきます。身体はそれを修理します。修理した部分の皮膚・筋肉は性質が以前と異なって伸び縮みしにくくなりますから、自分では以前と同じように曲げ伸ばししているつもりでも、いくらか動きが変わります。その結果、〈つもり〉の動きと実際の動きとにずれができて、新たなケガをしたり、ちゃんと握っているつもりが握れていなくて落とすといったことが起こる。

 Pさんにはひとまず簡単な見通しだけ説明して、(上手な処置のおかげで早くもかなり治りかけている(!))火傷の痕に施術して、作業が一通り済んだところで指を動かしてもらうと、「あ、動きやすい」。
 よしよし。そこでさらにもう少し作業を追加して、これでたぶん大丈夫と思えたところで終わりにすると、Pさんはしきりに手をグーパーして「軽くなりました」と確認されました。

 ここで大事なのは、〈整体をして軽くなった〉ことより〈気付かずに重くなっていた〉ことのほうです。この、重くなっているのにそうとは気付けない状態が、新たなケガ・うっかりミスを呼ぶわけです。
 ただ、ケガ・手術の後であれ整体の後であれ、身体の使い勝手が変わっている(変えている)ことは同じですから、Pさんには1〜2日は慎重に手を使うようお願いして、その日の作業は終えました。


210730 対症療法と根治療法、そしてハイハイと首の筋肉。

 来店5回目のお客さん(=Pさん)が来られました。

 初めて来られた6月の頃、Pさんは明らかに体力・気力がずいぶん落ちておられるふうでした。
 大雑把に言うと体調不良を抱えた人には2つのパターンがあって、気力は落ちずに活動はそこそこ盛んで、でも(だから?)症状が悪化していくタイプと、気力が落ちて活動は縮小して、でも(だから?)症状は(超)低空飛行なまま維持されるタイプと。
 Pさんは見るからに後者の気力低下型で、わたし、元気になったらマイペースにおもしろいことしたいんだけど、いまはその気力がないの、といった印象でした。

 こういう、元気になったらおもしろいことしそうな人なのに……と思わせてくれるお客さんに私は弱くて、大きなお世話を承知しつつも、ついつい、「早く元気になって! それで早くおもしろいことを始めて!」とハッパをかけたくなります。もちろん、そのためにはまず私がうまい施術をして、身体を元気にさせねばならないわけですが。

 で、1回目の施術。初めてうつ伏せになってもらうと、Pさんの背中はちょっと愕然となるくらい、ガチガチでした。キリキリに引き絞りきったような筋肉の余裕のなさは、まるで綱引き用の綱みたいにカチカチに締まっていて、そりゃあこれでは気力も出せんわ……納得しました。
 ここまで筋肉を凝らせるには、悪い言い方になりますが〈中途半端にうまいプロの介入〉が大抵の場合必要で、本気の悲鳴を上げる筋肉を何とか無理くりなだめながら(←ここがプロの仕事。めちゃくちゃうまい対症療法。でも根治はさせないから疲労が限界まで貯まる。プロが介入しなければ限界までは貯められない)がんがん追い込んで酷使し続けなければ、こうはなりません。確認すると、Pさんもそうだったようです。

 幸い、3、4回目の時点で背中は大きくゆるんできて、Pさんの気力もぼちぼち上がってきた印象でした。
 そして5回目の来院時に、「大事なことを思い出しました」とPさん。自分は小さい頃にハイハイをしなかった子どもでした。おしりで移動する状態を長らく続けて、そこからいきなり立ち上がった、とのことでした。

 整体や発達に係わる分野では〈ハイハイは大事〉という考え方が一部にはあって、右手−左足、左手−右足の運動的・神経的な連携を将来に向けて下支えする活動がハイハイだと位置付けられていたりします。
 この見解が、Pさんにとってどの程度重要になるかはわかりませんでしたが、もしかすると今後、Pさんにその系列の体操をしてもらうようお願いすることになるかもしれません。なので、ハイハイが話題に出たついでに、一応さらりと告知。

 で、その日の施術を始めてみて、納得しました。Pさんの後頭部から首にかけての広い範囲から、皮膚・筋肉の癒着が見つかったのです。このことから想像すると、Pさんはおそらく、ハイハイを始めるより幼い頃に後頭部を打撲して、首にかけての筋肉を傷めた。それで、ハイハイの姿勢で頭を支えることが難しくなり、ハイハイは諦めた、そういうことじゃないかと思います。
 犬とか馬を見るとわかりますが、立派な首をしています。ハイハイの姿勢で、斜め前の位置で頭を支えるには、首の筋力が相当強くないと難しい。後頭部〜首(〜背)にかけて癒着の広がるPさんの首ではその負担が引き受けられなかったのでしょう。赤ちゃん時代のPさんがハイハイしなかった(できなかった)のは、運動的・神経的な連携の話ではなく、筋力不足の問題だった可能性が高そうです。そしてその場合、〈しない〉〈無理にさせようとしない〉を選んだことは賢明です。

 なるほどね――。納得しつつ施術を終えると、Pさんは「軽いです〜」と肩をぐるぐる回しておられました。
 ちなみにこの日、Pさんは「先日、ひとつ、大きな仕事を引き受けました。なんだかできそうな気がしたので」と教えてくださいました。お――、前向き前向き。嬉しい嬉しい。こういうのが私の整体屋冥利なのです。


210830 慣れない動作で身体の問題をあぶりだす

 数日前に1時間ほど、鎌を使って草刈りする機会がありました。あまりし慣れない動きなのでしばらくは試行錯誤的に慎重に鎌を使い、勝手がわかって慣れてくると、ざっ、ざっ、調子が出てきました。で、その翌日には、両足太ももの裏側に筋肉痛が出ました。
 鎌を使うのは右手ですが、鎌を引く瞬間に踏ん張るのは両足なので、太もも裏側に筋肉痛が出たということは、正しく全身で鎌を引けていたのだろうと想像できます。さらにその翌日には筋肉痛が消えましたから、血流も順調、そこそこの回復力といえそうです。

 整体の作業がある程度進んで筋肉のバランスが改善してくると、身体の使い方に変化が出てきます。しかしこの変化を、し慣れた日常動作だけの中で目立たせたり気付いたりすることはわりと難しい。そこで、ふだんしない動作を使って変化を浮かび上がらせるわけです。今回はそれが鎌での草刈り、でした。
 草刈り中も草刈り後も、とくに目立った身体の不都合は感じませんでしたが、寝る前になって左の足首に施術したい気分が湧いてきました。自覚することはできませんでしたが、踏ん張るときに左足首が頼りないことを、身体が実感したのでしょう。し慣れない動作をすることの意義はここにあります、〈慣れた日常動作では気付くことができない、隠された弱さを、慣れない動作であぶりだす〉、これです。

 というわけで早速、左足首の施術を始めました。
 私の足首外側は子どもの頃から薄黒くなっていて、むかしは「ちゃんと洗えていないのか?」、気になってごしごし洗ったこともありましたが一向に落ちませんのでじきに諦めました。いまの理解では、たぶん局部的に血流が悪くて沈着した色素を流せないままになっているのだろう、と思っています。
 その左足首に施術するわけですから、この沈着が今後どうなるかは見ものです。ちなみに、右足首にもいくらか沈着しているのですが圧倒的に左のほうが程度がひどい。そして左足にだけ子どもの頃から外反拇趾があります。これもどうなるか、ついでに愉しみです。足首の具合が変わってそれが足にも影響して足全体のねじれがマシになる、というのはうまくいけば起こりそうです。ずいぶん以前から足の親ゆびにも力だけは入るようになっていて、動きにおいて不都合を感じることはありませんが、変形が改善したらそれはそれでまた、整体屋として愉しい。しばらく施術を続けてみます。


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