のぞみ整体院
(完全予約制)072-250-5570

整体・身体観 3

090726 解剖学の教科書を読み直す

 本を読むのが極端に遅いこともあって、一度読んだ本を二度読むことはほとんどありません。
 小説でも専門書でもそれは同じで、仕事上必要な医学関係の本であっても通読するのはたいてい一度きりです。

 もちろん、一度読んだくらいでは、内容の細かな点は覚えられません。けれどその代わり、一度読んでおけば「書かれた内容」と「著者の考え方」くらいはなんとなく把握できます。
 その把握した印象だけを覚えておいて、いずれ必要になったときにはまた読み返そうというのが、横着な私の読書法(?)です。

 そんなズボラな私ですが、先日ふと思いついて、久しぶりに解剖学の教科書を初めから読み直すことにしました。
 『分冊解剖学アトラスT』(文光堂)という、コンパクトで読みやすい本です。なにより分冊なのが、(「持ち運びの便利」と「読了の達成感」の面から)助かります。
 構成は全三冊で、Tは運動器(筋とか骨とか)、Uは内臓、Vは神経系と感覚器を取り上げています。

 学生のときにTを買い、その頃からU、Vも欲しかったのですが、「買おう、買おう」と思っているうちに新版が出て、「1冊だけ表紙が違うのはイヤだなあ」と思っている間に熱が薄れて、ずるずる買わず仕舞いになりました。
 そんなわけで、今も私の手元にあるのはTだけです(中途半端!)

 このTを読み直していて、予想以上におもしろいことに、いま感動しています。
 カイロプラクティックの学生だった当時は、はっきり言って骨と筋にしか興味がありませんでした。それが最近になって、皮膚にも靭帯にも施術するようになると、当時読み飛ばしていた(あるいは理解し切れなかった)構造のいろいろにまで、興味が向くようになっています。
 我ながら、それがとっても嬉しい。2度目ながら新鮮で、しかも明らかに“専門家”っぽくなっている。なんだか、「1粒で2度おいしい」的なお得感があります。




 嬉しいついでに報告すると、半分ほど読み進めた時点でのいちばんの掘り出し物は、筋間中隔(きんかんちゅうかく)でした。
 筋間中隔は、上腕骨(じょうわんこつ。肩から肘にかけての骨)についている、(上腕骨の)前後を分ける“仕切り”です。
 単なる膜状の仕切りですが、筋・骨と非常に関係があります。
 そして、筋・皮膚と同様、ゆがむ(しわになる)ことがある、というのが私には重要な情報でした。

 以前から私は、自分の右肘の動きのぎこちないことが気になっていました。これまでにも、肘関節付近の骨、筋、皮膚、靭帯には何度も施術を試みてきました。が、どうもうまくいきませんでした。

 これが、結果的にはどうやら筋間中隔のゆがみが原因のひとつだったようです。
 骨でも筋でも皮膚でも靭帯でもない、微妙な位置・深さの引っ掛かりに施術をし、ゆがみがきれいに伸ばせた瞬間、肩から肘にかけての「詰まった感じ」がすこーんと落ちて、腕がゆったり伸びる――という、なかなかおもしろい感覚を経験しました。

 ――やっぱり勉強は大切です。情熱が冷めなければ(そして表紙の違いに妥協できれば)、今度こそ『分冊解剖学アトラス』のU、Vを買いに行こうと思います。


090728 筋の問題、靭帯の問題。

 靭帯に施術するようになってから(090717)、おもしろいことに気付きました。
 「おもしろいなあ、いつかきちんとブログにまとめよう」と思いながらつい億劫でそのままにしていたら、先日、とても鋭いお客さんから、そのままズバリのことを指摘されてしまいました。――いやはや。お客様の目はごまかせない、というのは本当です。
 というわけで(ちょっと慌てて)作文します。




 話の順序として先に、「これまでの私の方法論」を述べますと――。

 基本的に私がしている整体では、

「ケガを受けて変形した部位」と、
「症状を現す部位」は異なる

と考えます。

 単純な例を挙げれば、

右腕を骨折した
⇒数年後に左肩がこる

という感じです(あくまで単純で極端な例です)

 もう少し詳しくいうと、

右腕の骨や筋を傷めた場合は、
⇒左上半身の筋に負担がかかる(=筋緊張が高まる)ので、
⇒血行不良に由来する症状が、左上半身に現れる

ということになります。
 ここで想定しているケガ・変形は、筋、骨、皮膚にできたものでした。

 ところが今回、靭帯にできたケガ・変形の場合は、事情が変わることが分かりました(ここからが新しいところです)
 同じ例で続けると、

右腕の靭帯を傷めた場合は、
⇒靭帯周囲の筋緊張が強制的に高まるため、
⇒血行不良に由来する症状が、右腕に現れる

と、なるようなのです。

 そうするとどうなるか、というと、

「ケガを受けて変形した組織」が、筋、骨、皮膚である場合は、
⇒症状は身体の反対側(というのも大雑把な表現ですが)に現れる

「ケガを受けて変形した組織」が、靭帯である場合は、
⇒症状はその靭帯の周囲に現れる

と区別できそうなのです。




 冒頭の鋭いお客さんは、左顔面にケガを受け、右半身に症状が現われるのが通常でした。ところが先日は、珍しく左首に症状があったのです。

 ふだんから私が、「右半身の症状は左半身が原因」と言っているのを覚えていてくださったお客さんは、「今日こそは、(症状が左首にあるから)右半身に施術するのだろう」 と予想されていたそうです。

 それがまたまた左半身への施術で、しかもこれまでとは説明の内容が違っていたので、ご指摘(というかツッコミ)を頂戴した、というわけでした。

 「前と説明ちがうよ……?」と不信に思われるだけでなく、はっきり聞き返しをしてくださって、私は助かりました。
 分かりにくい理屈に沿って施術しているのだからこそ、説明の手間を省いてはならない――要反省です。
 今後もどうぞ、お気づきの際はご遠慮なく「異議申し立て」をしてください(されないように説明しろよ、という異議が聞こえてきそうですが……)


090802 花粉症奮闘記D

 最終報告が遅くなりました。
 結局あれから目立った変化はなく、「軽くはなっているが完全になくなってはいない」状態をうろうろして、6月頃に花粉の季節を終えてしまいました。
 また来年の奮闘に期待したいと思います。




 ところで、私の花粉症に直接関連した話ではないのですが、先日、おもしろい話を又聞きしました。友達の通う皮膚科のお医者さんがされたお話ですが、その先生がおっしゃるには、

 花粉症を始めとするアレルギー症状は、「アレルゲン(アレルギーを引き起こす原因物質。花粉症であれば花粉)が何か」はあまり問題ではない。
 「スギかヒノキか」よりも、「スギ花粉の飛ぶ頃、ヒノキ花粉が飛ぶ頃に、身体が弱くなったり敏感になったりする」、そのことが大事なのだ。

とのこと。

 この、「季節が体調を変化させる」という考え方は、とても東洋医学好みの考え方に思えます。それを西洋医学のお医者さんがおっしゃられたことにおもしろさを感じました。

 そしてまたまた悪い癖、すぐにも疑問の雲が湧いてきて、

じゃあなぜパッチテストは成り立つのか?
スギ花粉の季節に、ブタクサ花粉を大量に浴びたらどうなるのか?

といったことをお聞きしたくなりました(決して意地悪な興味とかではなく)

 いろいろな本を読んでいると、「お医者さん」の考え方にも豊かな個性があることが分かります。
 この“王道”のない個性の多様さは、こっそり、「マニュアル通りの処置なんて、本当はどこにもないんだよ」と内々の事情を教えてくれているようで、私は(勝手に)嬉しくなります。




 ま、それはともかく。
 とりあえず私は気合を入れなおして、来年こそ「脱・花粉症」を目指すことにします。


090809 技術と道具

 うれしい、うれしい、うれしい。
 またまた、整体の腕前が上がってしまいました。




 整体をしていて、自分の技術が上達したときはすぐに分かります。何より、指先の感覚が鋭くなって、筋や皮膚の「線維の手触り」が明らかに変化します。
 具体的に言うと、それまで「隙間のない平面」のようだった筋・皮膚が、「隙間のある糸束」のようにはっきり感覚されるのです。そしてそれに伴って、「もうちょっと、ここをこう、動かしたいんだけどなあ……」という要求が、飛躍的に細かくなります。

 そうなると、出てくるのは使っている道具への不満です。
 私のしている整体では、「鉄の指圧棒」のような道具を使います。技術が上達すると、その「指圧棒」の当たり(=接触感)も、いきなり鈍くなったように感じます。

 それはもう、この上なくはっきりした違いで、握っていた削りたての「鉛筆」が突然、先の丸まった「クレヨン」に変わっていたくらいの変化です。
 そして、「アカンアカーンっ、もっととがった道具やないと、細かい施術なんてでけへんわッ!」と、歯がゆさに我慢できなくなります。




 昨夜。遅い時間に、そんな状態になりました。もうお店は閉まっている時間です。そこで今日の昼休みに、早速、新しい道具を探しに近所のホームセンターに行きました。

 私たちの業界には、さまざまな「専門道具」があります。特殊なベッド、特殊なテープ、特殊な器具……。こういったものはたいてい、専門の問屋さんに注文して手に入れます。
 ところが、私が使っている「鉄の指圧棒」は、もともと業界の道具ではありません。大工道具です。ですからお求めの際は、問屋ではなくホームセンターに行かなければなりません。




 数年前、「傷めた筋や皮膚、骨を整えるためにはどうすれば良いか」を私は考え始めました。その頃、使っていたのは「自分の手」です。
 その後、技術が上達するにつれ、「手では鈍い! もっととがった道具じゃないと!」と突如、道具の鋭さに目覚め、「木の指圧棒」を使うようになりました。

 ところがその数ヶ月後にはさらに技術が上達し、「木では鈍い! もっととがった道具じゃないと!」と言うようになり、急遽、「木の指圧棒」と似た形の鉄材を探し回ることになりました。
 そして、あれこれ買っては試した結果、行き着いたのが、大工さんの「くぎ締め」だったのです。

 昨日まで使っていた「鉄の指圧棒」は、「くぎ締め」の先端を近所のおじさんにお願いしてグラインダーで削ってもらい、さらにそれを自分で布やすりで整えた“特別製”でした。

 これからは、新兵器(?)、「精密くぎ締め」を布やすりで整えたものが、私の大事な施術道具になります。




 ところで、今回購入した「精密くぎ締め」は3種類。先端部分の直径が、太いものでも2.5ミリ、細いものは1.0ミリ(!!)です。
 正直、これ以上細くすることはきっともうできません。
 次の技術革新が起きた時、私の新・新兵器はいったいどんなものになっているのか。楽しみのような、ちょっと怖いような……。でも前のときにも私は、「もうこれ以上、細くはできない!」と言っていたような気が……。
 人間、変われば昔は忘れるものです。


090817 手足、ムチウチ、ピンポンチ。

 「ピンポンチ」。先日から使い始めた新兵器(!)、「精密くぎ締め」の商品名です。




 ピンポンチを使い始めて数日が経ちました。早くもすっかり手に馴染み、まるで物心ついたときから使い慣れた道具のようになっています。

 そしてそれに伴っていくつか、施術にも変化が出てきました。
 具体的には、@手足の小さな靭帯・筋への施術が楽になった。Aムチウチへの施術が楽になった。この2点です。
 この2つは、単純に言うとどちらも、「身体の細かな部分の修正が簡単になった」と言い換えることができます。が、ここでは一応、区別して報告します。




@手足の小さな靭帯・筋の修正が楽になった。
 ここでいう手足は、それぞれ「手首から先」、「足首から先」の範囲を指しています。
 この範囲に含まれる筋や腱、靭帯は、大きく言って2種類。

A.腕やスネからゆび先までをつなぐ、長い筋(の一部)
B.手・足の範囲だけで完結する、短い筋とか(特殊な)腱とか靭帯

 このうちAについては、腕やスネへの施術が不可欠です。というのも、手や足の範囲にあるのは、あくまで「長い筋の一部」だからです。
 反対に、Bについては、手足の範囲のなかで施術を完成させなければ、確実な効果は得られません。

 筋・腱・靭帯への施術は、どこであれ緻密な作業が必要です。ですがBへの施術は、その中でも群を抜いています。

 これまで使っていた大ポンチは、か細いピンポンチに比べると当然、強い圧力が発揮できました。この利点は腕や脚、胴体の大きな骨や筋に対しては、効果的と言えます。
 けれど、手首の小さな骨や指の骨、足首の複雑な形の骨に対しては、強さよりも鋭さ、緻密さの方が遥かに大事です。そしてピンポンチであれば見事に、その要求に応えることができるのです(!)

 手足の問題、といってすぐ思いつくのは、ばね指と外反母趾です。どちらも幸い、私の身体に完備(?)されているので、現在、それを使って実験をしています。
 途中経過を報告すると、ばね指の方は明らかに軽快しました。子どものときからパチパチいっていた両薬指ですが、相当意識的に引っ掛けないと、ばねにならなくなりました。
 外反母趾の方は、以前おこなった施術で既に「動き」はあらかた改善していました。ピンポンチ施術で、ゆびの「変形」が改善するかどうかを観察していますが、いまのところ目立った変化はありません。
 引き続き、実験・観察は続けます。




Aムチウチへの施術が楽になった。
 追突事故あるいは転落・打撲などに伴うムチウチの大きな特徴のひとつは、明らかな打撲点がないことです。

 どういうことかと言うと、たとえば「タンスの角に頭をぶつけた」場合です。このとき「頭(の、タンスの角が当たったところ)」には、はっきり打撲点が残ります。
 これは、実際に施術をするとよく分かります。ほとんどの場合、「打撲点の鋭いへこみ」と、「そこを中心にした周囲の筋・皮膚の問題」が、非常に明らかなかたちで見つかります。
 その手触りは、「隕石落下地点」と「その周囲の地割れ」くらいに明確です。

 ところがムチウチの場合は、「何かにぶつかってできる」種類のケガではないため、はっきりした打撲点が存在しません。
 「タンスの角」と「ぶつけた頭」の傷痕は照合できても、そのとき同時に生じている首のムチウチは、どことも照合できないのです。実際、ムチウチでできた傷痕は散発的で、あたかも「床にばら撒いたゴマ」のように、ぽつん、ぽつん、とあちこちから見つかります。これらは主に、筋や靭帯にできた傷です。

 ムチウチへの施術は、ばら撒かれたゴマを、一粒ずつ拾いなおす作業に似ています。
 衝撃を受けたであろう広い範囲をまんべんなく検査し、問題が見つかるその都度、細かい施術をしていきます。施術自体は極めて地味な作業ですが、一粒拾い上げるごとに、一粒分変化するような、小さな成果が実感できる作業です。

 この作業にも、ピンポンチは最適です。
 なんせ、作業効率が桁外れに良くなります。こまかい肋骨の間の筋や、背骨の隙間の靭帯がさくさく動かせて、私は感激しました。




 と、この長い文章をポチポチ書き足すうちに、またまた、ピンポンチが改良されました。
 施術には長すぎてちょっとおぼつかなかった先端部分を、またまた登場の近所のおじさんにグラインダーで切り詰めてもらいました。
 お陰様で、接触部分と手元がぐっと接近し、微妙な不安感が解消されました。

 腕が上がれば道具も変わるし、技術も変わる。
 それは職人として当たり前のことですが、今回のように、「対・ムチウチ施術」のような具体的な上達があったときには、ふと、数年前の一時期、店に来られていたお客さんを思い出してしまいます。
 あの方のムチウチも、いまならもっと早く上手に立て直せたかもなあ……そんな申し訳なさはやはり消えません。

 きっと、こういう後悔をしたくないからこそ必死になって腕を磨いて、腕が上がったからこそ、後悔の種が増えていく……、その繰り返しなんだろうな、と、この頃ちょっと分かってきました。


090826 「浅く刺す」技術

 ピンポンチと同時期に購入した精密マイクロポンチ(直径1ミリ)
 買ったときは半分以上、話の種のつもりでしたが(「こんな細いポンチもあるんだって、すごいねぇ!」)、早くも、今ではすっかり基本道具の1本になってしまいました。
 そしてまたまたそれに伴って、ちょっとした技術の変化が現われてきました。




 なにがどう変化したかを書く前に、少し横道に逸れます。
 私が東洋医学を勉強し始めたとき、教科書に使わせていただいたのは、『鍼灸経絡治療』、『鍼灸治療の真髄―経絡治療五十年』という2冊の本でした(ともに績文堂)
 どちらも著者は、岡部素道先生とおっしゃる鍼灸界の重鎮で、いまは鬼籍に入られた方です。

 書名には「鍼灸」とありますが、私は鍼は使いません(正しくは、資格を持っていないので使えません)
 ですから具体的な「鍼の使い方」ではなく、「東洋医学では人体をどう考えるか」といった「東洋医学的身体観」が知りたくて読んでいました。2冊の本に教わったことはとても多く、実質的には、東洋医学の基礎のすべてを岡部先生から教えていただいた格好です。
 平易な文章に、本質的な内容を盛り込んだ、極めて贅沢で親切な教科書でした。

 さて、その本の中に、「鍼は浅く刺しても効く」といった内容の言葉が、何度か出てきます。

 この言葉は、鍼を使わない私にも、意外なほど印象に残りました。「浅く」とは、どの程度の浅さなんだろう?――それが不思議だったのです。

 人体は、外側から順に、皮膚⇒脂肪⇒筋⇒骨と重なりがあります。そしてその中でもさらに筋は、ほとんどの部分で、数種類が層状に重なって存在しています。
 たとえば、ふくらはぎであれば、皮膚⇒脂肪⇒腓腹筋⇒ヒラメ筋⇒骨といった具合です。

 私が不思議だったのは、腓腹筋に響かせたいのに皮膚の浅さで留めろというのか。それとも、腓腹筋の表面に触れる程度で留めろというのか。あるいはそんな感覚とはまったくちがう、もっと別の「浅さ」で鍼を留めるべきなのか。
 そしてついでに言えば、その位置に届いた鍼は、身体に対していったいどんな働きかけをおこなうのか。
 ――鍼を使えないからこそ余計に、「浅く刺す」という言葉に私は興味津々でした。




 1ミリポンチを使う以前は、1番外側にある皮膚に触れながらも、「いま施術しているのは筋だな」とか、「いまは骨の形を整えているな」とか、それなりの見当がついていました。

 ところが1ミリポンチを使うようになってからは、「なにを動かしているのか分からない」くらい浅い接触で施術する場合が出てきたのです(!)

 具体的には、「何かに強くぶつけて形のゆがんだ頭(転倒、たんこぶ……)」、「幼少時の骨折で変形が残る腕」、「幼少時の捻挫脱臼で安定が悪くなったような肘関節」などに施術したときです。

 理屈から考えると、頭はともかく腕や肘関節については、「そこそこ深いところにある組織」(筋や靭帯、腱膜)に施術していたはずです。
 にも関わらず1ミリポンチがはたらく範囲は、皮膚表面の、とても浅い接触だけでした。そして、そんな浅い接触にも関わらず、頭や腕、肘関節の変形は、期待以上に改善したのです(!)

 この結果を得て、大胆な(あるいは身のほど知らずな)私は、「もしかして、鍼は浅く刺しても効くって、この感じ?」と嬉しくなりました。
 そして、もしも岡部先生がご存命なら直接お聞きしたかった(!)、と口惜しく思いました(一面識もない私が会えるかどうかは別として)




 思い返せば、「どれだけ知識を深めても、私に鍼は使えないんだけどなあ……」と寂しく思いながら東洋医学を勉強してきて、気がついたら「鍼の技法」とよく似た視点に立つ自分がいた――この感じは、なかなか悪くありません。というかかなり嬉しいことです。

 冷静に考えて、整体に夢中の私がこれから鍼を勉強することはほぼ確実にありません。
 けれど、手塚治虫の名作『ブラックジャック』を読んで芽生えた、「鍼(を使いこなすこと)への強い憧れ」だけは、実は、まだまだ健在です。
 私もいつか、ぷすっと鍼を刺して様子を伺って、ニヤリと笑いながら「手応えあり」とか言ってみたかった! この感じだけは、1ミリポンチでも味わえそうにありません。


090828 超高速展開施術の感動(旧「肩の痛み」と「背骨の筋」)

 「肩が痛い」と来られたお客さんに施術していて、またまた、おもしろい経験ができました。

 整体の現場にいて痛感するのは、「肩の痛み」とひとくちにいっても、その原因は本当にさまざま、ということです。頭から来る肩の痛み、顔から、首から、腕、指、……、足の問題が原因で肩が痛くなることも珍しくありません。
 先日ようやく「一山越えた」様子のお客さんは、珍しく(?)、「背骨の筋」が原因で肩が痛かったようでした。

 その方のお名前を、仮にQさんとしておきます。
 Qさんは半年ほど前、転倒して右腕の付け根をぶつけてから、右肩が痛くなりました。痛みが出るのは決まって、右肩甲骨の下側です(自分の身体を抱きしめる格好で、手の当たるところ)
 当初は、ワイシャツの脱ぎ着で、袖に腕を通す動作が苦痛でした。そしてある時期からは、寝返りを打つだけで目が覚めるほど、痛みがきつくなりました。

 私の整体では、古いケガの傷痕に施術します。
 Qさんの場合、目立ったケガは、

・ 子どもの頃に、左右どちらかの腕を骨折。
・ 小学校の体育の時間に、そこそこの高さから転落し、脳震盪を起こしている。
・ 一昨年、捻挫して右足を骨折。

そして最後が、半年前にした、右腕の付け根(鎖骨の下辺り)の打撲です。

 肩が痛くなる以前から来られていたので、私は、急に施術方針を変えることはしませんでした。しかし、毎回毎回の施術に手応えは感じるものの、Qさんの痛みは期待するほど改善しません。こうなると、私もQさんもじりじりしてきます。
 Qさんは、じりじりした気分のまま、奥様の強い勧めに促される格好で、施術を受けに来てくださいました。

 そうしてやっと、劇的な展開が訪れたのが、前回の施術だったのです(!)




 整体をしているときの私を「飼い主」、使っている検査法を「散歩される犬」にたとえると、ふだんの作業は、

私「どうするポチ、この道、右に曲がる? 左に曲がる?」
ポチ「右!」
私「じゃあ右に行くね」

という感じです(私が主導、犬が判断)

 それが前回の施術では、

ポチ「黙ってオレに付いて来い!(と、猛烈な勢いで走り出す)」
私「……(ものも言えずに引きずられて走る)」

という感じでした(犬が主導、私は付いて行くだけ)

 おそらくは、転落のときにできた傷痕(主に筋)なのだと思います。腕や足への施術が一段落した直後、 ひらめいたように、背骨周囲の筋への施術が始まりました。
 普段の私ならあまり選ばない、横向きの姿勢(側臥位)で施術を始め、作業が一段落したらすかさず下向き(伏臥位)になってもらい、ひたすら、背中への施術を続けます。どちらの姿勢でも、施術対象は「背骨の筋」。
 しかも、あまり施術する機会のない、深いところの筋です(たぶん胸半棘筋)

 言うまでもないことですが、もちろん、検査しているのも施術しているのも私です。けれどこのときの整体は、一連の流れが極めて「自動的・機械的・強制的」に展開し、あたかも誰かが私に乗り移って、私の意思とは無関係にざくざく仕事をしているかのようでした。
 普段のような、「ああだからこうなって、こうなるとしたら……ここかなあ?」とアタマでいちいち判断するような間(ま)は一切なく、まるで、とっても手馴れたブラインドタッチのような素早さです。

 これはとても楽しい、そしてとんがりすぎた集中力がどこかに突き抜けてしまったような空虚な時間でした。

 手と(手の)感覚ははたらいていても、アタマは置き去りになっているので、ほとんど仕事をしていません。 暇になったアタマで、「おもろいなあ、おもろいなあ、誰かに伝えたいなあ、この感じッ!」なんてことばっかり考えていました。
 が、ぐっすり眠るQさんを起こすわけにはいかず。
 まるで、誰にも通じない言語で上映された映画をひとりで観賞し、理解し、感動し、興奮が止まらなくなったような気分でした。


090905 「気」と発熱

 東洋医学には、「気」という考え方があります。
 大雑把に言うと、「生きる」はたらきそのもののことです。一部の具体例を挙げると、筋の伸縮、呼吸、消化・吸収、思考、発声、……、すべて、「気」のはたらきが基にあるからできること、と考えます。
 そして、「気」のはたらきが悪くなった状態を、「病気」と考えます。

 この考え方を初めてきちんと学んだとき、私は、とってもシンプルに「なるほど」と思いました。
 カイロプラクティックの学生の頃、授業で「骨(関節)が動くのは、筋が伸び縮みしているから」と教わり、一応納得はしたものの、「じゃあその筋は、なんで伸び縮みするんだろう?」と考えると、それには明確な答えが見つからなかった――という経験があります。
 このとき、伸び縮みする「しくみ」の説明はあっても、「なぜ」の説明はないのだあ、と悲しく思いました。

 私の印象では、西洋医学・科学の教科書には、分からない部分は書かない傾向があり、東洋医学・科学の教科書には、分からない部分は創造(想像? でっち上げ??)する傾向があるように思います。

 ですから、西洋系の教科書を読んでいると、驚くほど簡単に、「すべて理解した! もう何もかも分かった!」という気分になれます。反対に、東洋系の教科書を読んでいると、「書かれていることのどこまでを信用して良いんだろう……?」と不安になります。
 良い悪いではなく、どちらもそれなりにおもしろい、けれど見方によっては厄介な傾向です。が、それぞれ、「そんなもん」と思ってさえいれば、別にどうということもありません。
 ふたつを足して2で割りながら、経験で適当に判断していけば、大まかなところは(自分なりに)把握できます。

 そして私は、「気」の考え方について学んだとき、「なるほど。『なぜ』を考えた東洋医学は、それは『気』のはたらきがあるからだという答えを用意したのだな」と理解したのです。




 実際に自分で生きていると、ははあ、これが「気」のはたらきだな、と感じる場面は少なくありません。
 ただ、ともすると胡散臭いイメージに結び付いてしまいそうな気がするので、とくに整体の場面では、「あなたの『気』のはたらきが悪くなって……」と説明することは極力、避けています。
 その代わりにするのが、基の部分(「気」)をすっ飛ばして、その続き(「筋の問題」)から説明する仕方です。これはやってみると割合簡単で、たいていの場合は、これでうまくいきます。




 ところが、いまの段階(2009年9月現在)で1つ、どうしても、「気」から説明しなければ理解しにくいだろうな……と思ってしまう症状があります。
 それが、「発熱」です。

 ちょっと考えた感じでは、発熱の原因は3つに分けられそうです。

@ウイルス・細菌が身体に入った。
A体温調節が狂っている。
B??


 @はイメージしやすいかと思います。
 風邪、インフルエンザ、肺炎。体内に侵入したウイルスや細菌を殺すための、いわゆる炎症系の発熱です。

 Aは、発汗がうまくいかないとか脱水症状になっている、風に当たりっぱなしになっている、身体を冷やし続けている、といった状態にさらされ、体温調節がうまくいかなくなった場合です。
 具体例で言えば、熱射病(自分の熱が逃がせない)や、冬に川で溺れた(熱がどんどん奪われる⇒どんどん熱を作る⇒発熱)ようなときです。

 そしてB。ここには、「ケガに関連する発熱」と、「整体に失敗した直後の発熱」が入ります。私が「気」で説明したくなるのは、この2つです。

 「ケガに関連する発熱」は、子どもに多い印象があります。
 いまのところ1才児と5才児の2例を複数回、見ただけですので、全体的なことは言えません。けれどその2例に関しては、ケガの部分に施術して、きっちり1、2日後には熱が下がり、しばらく続いていた“発熱癖”もなくなりました。

 少ないとはいえ、大人にも“発熱癖”のある方はいらっしゃいます。その場合も、子どもほど劇的ではありませんが、整体をすることでゆるやかに“発熱癖”は改善するようです(ちょっと余談になりますが、私の勝手な印象では、余剰な「気」の少ない大人は、勢いの要る「発熱」よりも、「消耗⇒低体温」に進むのではないかと感じています)

 「整体に失敗した直後の発熱」は、私自身が以前、しょっちゅう出していました。自分で自分に施術をする都合上、どうしても、手が届きにくいところが出てきます。「やりにくいなあ……」とイライラしながら無理な姿勢で施術して、一段落着くか着かないかで疲れ果て、面倒になって途中で放り出す――と、たいてい夜中に突然、熱が出ます。
 私の理解では、中途半端な施術の結果、「ケガ」と同じ状態を作り出してしまったのだと思っています。
 この場合も、きちんと一段落するまで施術をしなおせば、驚くほどあっさり、熱は下がります。




 Bに挙げた2つは、施術していて共通の印象を受けます。
 どちらも、身体に隙間が空いているような頼りない感じがあり、そしてその隙間から「気」が漏れているような印象を受けるのです。
 具体的な表現ではないですが、施術しているときの気分も、「身体にできた隙間 (骨折した足、ハデにすりむいた膝、たんこぶでイビツになった頭の傷など)からしゅーしゅー漏れている「気」を止めなくっちゃ!」という感じになります。

 この感じは、ほかの施術をしているときに感じる「筋緊張のアンバランス」への対策――この筋の傷を立て直して、それからあそこの腱を動かせば、(がちがちに緊張して痛くなった)肩の筋がゆるむかなあ――といった気分とはちょっとちがいます。

 言ってみれば、ふつうの施術を、「ごちゃごちゃになったものを正しく並べなおす」作業とすると、発熱の場合は、「穴の開いた水道管をふさぐ」作業の感じになります。

 そしてこの感じを私は、「気」の存在抜きにしては、表現できないように思っています。
 「全身の熱が下がらない」状態に対して、なぜ、整体が関与できるのか。これは、(筋とか骨とか腱とかいったいわゆる)運動器の話では、ちょっと収められないのではないかと思っています(皮膚は関係しそうな気がします)。もっと、根本的な理屈があるのではないか、と、ひそかに私は考えをめぐらせています。


090920 続・技術と道具

 現在の施術方法に落ち着いてからずっと、お客様用の道具と私用の道具(=私が私に施術するときの道具)は別々のものを使っていました。衛生的な配慮、からではなく純粋に施術の必要からです。
 自分で自分に施術する場合、手の自由が利かない、体重を利用できないといった諸事情が伴います。必然的に、施術に掛けられる力が小さくなり、できることが制限されます。
 そこで小さな力でも効果を出すために、あえて私用の道具は常にお客様用よりも少し鋭いものを用意していました。

 お客様用が「手の指」のときは、「鉄の棒」が私用。お客様用が「木の棒」になれば、私用は「鉄の棒を少しとがらせて」。お客様用が「鉄の棒」になれば、私用は「針のようにとがらせた鉄の棒」で。――そんな感じです。

 ところがここ1ヶ月ほどは、お客様用も私用も、同じ1ミリポンチになっていました。
 こんな事態はこれまでなかったことなので、「同じ道具に行き着く」=「1ミリポンチが極限の道具?」と思っていました。が、ここに至っていよいよ、キリ(錐)が登場してしまいました(!)

 1ミリポンチを使い始めたとき、お客さんと「これより細くなることはあるの?」という話をしていて、「いやぁ、ないでしょう。これより細いといえば目打ちかキリになります。それはやっぱり危険過ぎますよ、わっはっは」と言い切ったのがわずか1ヶ月前。
 いまはまだ“私用”限定とはいえ、よもやこんなに早く、“危険過ぎる”道具に手を出すことになるとは想像もしていませんでした(…)

 形を見てもなんの道具やら、ちょっと得体の知れないポンチ系と違って、キリは一目瞭然(!)です。はっきり言って、キリ以外のナニモノにも見えません。
 その強烈な外見の印象から、使う側の私も、やけに扱いが恐ろしい。先端をヤスリで丸めた“安全設計”にも関わらず、手が滑った瞬間、「ひいい、突き刺さるッ!」と反射的に飛びすさってしまうような、すさまじい威圧感に満ち満ちています。

 正直、「こんなんで大丈夫かなあ」とはらはらするのですが、施術してみるとこれがまた、まことに使いやすい。
 なんせ、キリ。軸が木だから滑りにくいし、鉄の部分もずいぶんしっかりしています。木の軸を短く切り詰めて、鉄部分の角々をごっそり丸めれば(これが少し面倒かも?)、もっと扱いは楽に、当たりは軟らかくなるはずです。そうなれば、お客さんにも十分使えそう、と早速、期待大です。




 それにしてもこの仕事。
 「これが限界かな?」「技術に関しては、もうこれよりは伸びないのかな?」と何度も予感させながら、気持ち良く・軽々とその不安を裏切り、めまぐるしく変化を続けてくれます(これについてはひとえに太極拳のお師匠のお陰です)
 つくづく、飽き性の私にピッタリというか、イラチ(関西風せっかち)の私にピッタリというか。奥深い、楽しい世界です。


090924 「整体」一般について聞かれること

 ときどき、お客さんから、

@「どうして整体は店によって施術方法が違うのか?」
A「整体とカイロプラクティックはどこが違うのか?」
B「内臓にも施術することはあるのか?」

と、聞かれることがあります。

 そういった場合、私は、あくまで独断で次のように答えています。
※系統立てて調べたことではないので、まったく違う意見をお持ちの方もいると思います。
 「だいたいそんなものらしい」「そう理解している整体屋もいる」くらいの“ゆるさ”でお読みください。





 まず、いちばん答えやすいA「整体とカイロプラクティックはどこが違うのか?」から始めます。

 厳密に言えば別の技術のはずですが、看板的にはほとんど同じです。
 資格なしでは名乗れない業種(=西洋医、鍼灸師、柔道整復師、あんま・マッサージ師など)以外の医療系――いわゆる民間療法・代替医療に関わる人たちが看板を上げる場合、“使える名前”の選択肢に含まれているのが、整体やカイロプラクティックなのです。

 私のことで言えば、卒業したのはカイロプラクティックの学校ですし、受けたセミナーもカイロ系のものばかりです。東洋医学は本を読んで理論を飲み込んだだけで、お師匠に就いたことはありません。けれど、気が付けば施術方針は完全に東洋寄りで、しかも、施術方法は東西どちらのものでもなくなっていました。
 「なんて名乗ろう……?」。考えた結果、名前が短く、電話で言いやすく、業界外の人にも何の仕事か分かりやすい――と、極めて卑俗な理由から整体屋を名乗ることに決めました(いい加減でスイマセン)

 もちろん、もっとしっかりした意図でもって名前を決める人が大半だとは思います。
 ですが、お客さんに与える印象ほどは、看板が整体かカイロプラクティックかはそれほど大事な問題ではないように思います。というのも現実には、@の事情の方がよほど大きい差を生むからです。




 @「どうして整体は店によって施術方法が違うのか?」

 基本的に整体は(カイロプラクティックも)、身体にできた問題部位に施術することで症状の改善を狙います。
 ということは具体的な施術方法は、施術者が「どこを身体の問題部位と考えるか」によって変わります。ぱっと思いつくものを挙げるだけでも、問題部位には、

骨盤(の歪み)
骨盤の関節(の動きが悪い)
背骨(が歪んでいるから神経のはたらきが悪い)
首の一番上の骨(の位置・動きが悪い)
頭蓋骨(の動きが少ない)
全身のバランス(これは、筋、骨格、神経作用など、バランスの崩れる部位によってさらに区別できる)
筋膜(に癒着が見られる⇒リンパの流れが悪くなる)
ケガの傷痕(←ワタクシはこれ)

など、さまざまです。
 分類の専門家でない私が思いつく程度でもこれだけあり、しかも、ここには書けない驚きの施術もあることを考えると、マジメに全部挙げていけば軽くこの数倍〜10数倍くらいにはなるのではないかと思います。

 さらにこの問題部位に対して、「どうすれば改善できるか」という解決策=施術方法がそれぞれ枝分かれしていきます。

骨盤の歪みが見つかった!
⇒ポキッと動かす
 さする
 温める
 運動してもらう
 栄養を取ってもらう

などなど。

 こうして施術理念・方法はどんどん増え、各店がどの技術を選択するかによって内容が違ってくるのです(よくよく考えると、ちょっとスゴイ業界です)




 最後に、B「内臓にも施術することはあるのか?」です。

 これは、されるところもされないところもあると思います。
 以前バイトしかけたクイック・マッサージ店では、「これからは腸のマッサージが大切よ!」と、モロに内臓に焦点を当てていました(ちょっと方法は習いましたが、私には何が気持ち良いのかさっぱり理解できませんでした)。時代を考えると、デトックスの走りだったかもしれません。残念ながら私の研修期間中にお店がなくなったので、その効果のほどは確認できていませんが。

 私個人でいうと、現時点では、内臓整体はしていません。
 そしてその必要も感じていません。けれどいずれ必要を感じたら、そのときにはするかもしれません。

 東洋医学には、「内臓のことも、内臓単体として扱わず、全身との関連から考えるべし」という考え方があります。私はこの理論に、いま現在も強い説得力を感じています。そしてまた、先ほどもちょっと触れましたが、私はケガの傷痕を、身体の問題部位と考えています。
 ですから私は、ケガの傷痕と全身との関連を主眼において、その視野のなかから内臓のことも考える――この方法が、いまのところ最上と考えています。
 ですが、これもひとつの考え方。内臓への施術を、大事に考えられる施術者はいらっしゃると思います。




 以上、ときどき聞かれる3つの疑問、でした。


ページ先頭へ