のぞみ整体院
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整体・身体観 29

200621 86歳の大変化

 お子さんであるPさんが86歳のQさんを連れて来てくださいました。初来院の前回はちょうど1か月ほど前のことで、この日は2度目の来院です。
 予約時間になって、ぱっとQさんが入ってこられた瞬間、なんだか印象が違いました。私は人の顔(と名前)を覚えるのが苦手で、お客さんであっても数回続けてお会いするまでは「たぶん、こんな感じの人だったな」くらいにしか把握できません。ですが、Qさんは、その〈感じ〉がなんだか違っていたのです。

 (こんな人だったかな〜……?)といくらか困惑しながら入ってもらって、Pさんといっしょにこの1か月間のご様子をお聞きしているときに、違和感の理由がわかりました。ずいぶん調子が良さそうで、シャキッとしておられるのです(!)。話される内容も前回よりよほど具体的ではっきりしていて、既に曖昧になっておられる記憶力が完全になられたわけではないけれど、多彩な内容をテキパキ話され前回よりずっとシャキシャキ動かれます。
 「すごくないですか?」私が訊くと、「すごいです」とPさん。「整体での変化でしょうか?」「前回から1か月ですから、他の原因もあるのでしょうけど、それにしてもすごいですね!」「ね」。
 改善のすべてが整体だけで生じたとは思いませんが、姿勢や動作が変化したことに関しては一目瞭然です。一同、よかったよかった、の空気に包まれました。


 Qさんはお若いときに胸腺の手術をされていて、胸の真ん中に縦方向に手術痕があるとのことです(必要がないので私は拝見していません)。そしておそらくはその傷痕が身体を前に丸めさせ、いわゆる猫背・反り腰の状態にしていたのでしょう。そうなるともちろん、首・あご周りの筋肉にも無理が生じます。
 前回の施術では、その無理をゆるめるべく胸腺の手術痕に施術して、背中全体のこりをほどき始めました。Qさんの印象が変わっていたのは、その〈丸まった感じ〉がずいぶんなくなって、すらっと〈伸びた感じ〉になっておられたからです。

 整体の仕事がおもしろいのは、皮膚や筋肉に正しい〈手助け〉ができれば、それは必ず姿勢・動きの変化となって確認できることです。実にわかりやすい。
 私の経験では年齢はあまり関係がなくて、赤ちゃん・子ども・若い人であっても〈手助け〉が下手であれば変化・改善は生じないし、年齢が上がっても的確に〈手助け〉ができれば変化・改善は生じます。ただし体力・気力・筋力の大小と日常生活における活動量によって、変化・改善が生じるまでに時間がかかったり、生じてもその程度が少なかったり、また、見てわかりやすい変化に乏しかったりはします。その点、Qさんは恵まれていたのでしょう。

 Qさんは86歳。以前からお客さんだったPさんからQさんのことを相談されたときには、「もういよいよ寿命かもしれません」と、覚悟の調子で話される場面もありました。ですが明らかに生き生きしてこられたQさんを前にして「この調子じゃあ、まだしばらくはお元気でしょうね」「はい。きっと」。Pさんと私、2人でニンマリしました。


200706 追突事故のムチウチとデッドコンボ

 追突事故の後遺症、いわゆるムチウチでお困りのかた(Pさん)が遠方から来てくださいました。去年の事故から半年以上が経っても、痛くて首が回せないとのことです。
 「ムチウチは首・頭に症状が出るけれど、問題の根っこはおしりの打ち身です」と、私にとっては定番になった説明をしながら、実はつねづねひそかに感じている素朴な疑問――(でも座っている座面でそんなに激しい打ち身って起こるのかなあ……?)が例によって頭をよぎりました。

 筋力検査をするとおしりから癒着が見つかる、というのは確実で、実際おしりの癒着を剥がしていくと首・頭の症状は軽くなります。であるならやはり、〈追突事故ではおしりが傷つく〉と理解するのは適切だと思うのですが、密着状態の座面から果たしてそこまでひどい〈打ち身の衝撃〉は加えられるものなのかなあ? そこが、微妙に謎でした。

 その謎が突然解けたのは、先日放送された推理ドラマ『鍵のかかった部屋』の最終回をじっくり見ていたおかげでした(!)。Pさんに施術している最中に、ふと、大野智さん演じる探偵役の榎本さんが「デッドコンボをご存知ですか?」と問いかけてくる声が聞こえてきて、あああっ! 叫びそうになりました。

 番組をご覧になったかたとそもそもビリヤードをされているかたには説明も要らないでしょうが、デッドコンボはビリヤードの技のひとつです。ざっくり言うと、串団子状に並んだ団子1・団子2があるとして、団子2に団子3をぶつけると、衝撃が団子1に伝わって、団子2は動かないまま団子1だけが飛ばされる、というものです。NHKの『ピタゴラスイッチ』でも鉄球を6個くらい並べておいて6個目に7個目をぶつけると直接押されていない1個目だけが動く、という映像がありましたので、そちらをご覧になったかたもおられるでしょう。そう、あれです。

 追突事故で起こるおしりの打ち身も、あれと考えると腑に落ちます。
 座面で打ち身、という表現自体に変更は要りませんが、後ろの車⇒自分の車⇒座面⇒おしり、と衝撃が〈受け渡される〉イメージでなく、自分の車+座面+おしりが密着し一体化していることを前提に、後ろの車の衝撃がおしりに〈直接ぶつかる〉イメージのほうがピタッと来ますし、癒着の状態がおしりの下面(坐骨周囲)より後面(仙尾骨周囲)のほうに激しいことにも納得がいきます。

 整体屋の説明とした場合、お客さんに、その様子をこまごま説明する必要まではないかもしれませんが(みんながみんな知りたい情報とも思えませんし^_^;)、ムチウチ=デッドコンボと理解すると、私は大いにすっきりしました!
 そしてこの日、Pさんの施術はうまくいって、2時間続きの施術が終わる頃には首もよく動いて、晴れ晴れしたお顔になられました。ひどい問題が出てくるようならまた来ていただかなければなりませんが、おおむね良ければ再度の来院は不要です、と、嬉しく・気持ちよく説明し、お別れしました。二重にすっきり!しました。


200809 〈ケガをした自覚〉の有無

 9月出版の本に収録する座談会の場で、私は1人のお客さん(Aさん。本にもAさんとして登場します)を話題に上げています。ちょうど前日にそのかたのことで興味深い経験をしていましたので、披露したらおもしろいだろうと思ったのです。
 で、「ちょっとおもしろいことがあったんです――」と話しかけると、すかさず神田橋先生が「そのかたは暗示力の強い人でしょう」と、先生一流の洞察を投げてこられたので、出鼻をくじかれた私は「そうかもしれませんけど(でも言いたいのはそこじゃないんです!)」と、その投げかけにはあまり乗らずに、話したかった自分の話を続けました。で、エピソードを話し終えるとみなさん「へええ」となって私は満足、という一幕でした。

 座談会の場で話すことについてはAさんにあらかじめ許可を得ていましたので、出来上がった原稿に誤りがないか・不本意な記述がないか、確認をお願いしました。
 原稿を渡すとAさんは食い入るように読み進められて、「私、この本が出たら買います」と、ちょっと独特に緊張した雰囲気で言われました。

 で、その日の施術だったかその次の回の施術だったかに、整体的に大きな展開が起こりました。

 Aさんの施術に私は長らく手こずっていて、毎度毎度、それなりの改善は得られるものの、根本的にぐぐぐっと改善できた手応えがなかなか得られませんでした。その理由の一つとして私が疑っていたのが、重要な癒着のひとつ(かそれ以上)が見つけられていないからではないか?でした。
 私の整体は宝探しに似ていて、身体に残る古傷の痕をどんどん探しながら〈修理〉していくことで不調になった身体を根本から立て直していきます。古傷の痕は、お客さんご自身に心当たりがある場合もあれば・ない場合もあって、ない場合は、私が検査で見つけ出したり、お客さんが不意に思い出されたりすることで、なんとなく、徐々に見つかっていくのが大抵です。

 ところがAさんの場合、そのうちの大事なひとつ(かそれ以上)がいつまでも見つからないまま、のようなのです。
 それで私はこれまでにも、「理屈で考えると、この辺りに何かしらの癒着があるはずだと思うのですが……ケガの心当たりはないですか?」とときどき尋ねていて、そのたびに、「とくに思い当たるものはないですけど……」と言われていました。
 それが、「あれっ?」。いきなり、見つかったのです。

 施術しながら心当たりを訊いてみると、「そういえば――」すんなり思い出されました。
 それによると、子どもの頃に、自転車とぶつかってできたケガなのだそうです。うろたえた自転車運転手から「大丈夫っ!? 大丈夫っ!?」と訊かれ、とっさに「大丈夫」と答えたかうんうん頷くかした。「実際は、それほど大丈夫でもなかったんですけど」と、Aさん。

 この経緯を聞いて想像すると、切羽詰まった「大丈夫っ!?」に「うん」と応えた時点でAさんは、無意識のうちに自分に「大丈夫。これは大したことのないケガだ」という暗示をかけていたのでしょう。
 そしてそうであれば、これは自己暗示でもあるし一種の抑圧とも呼べるのかもしれません。
 問題は、整体屋としての私には、〈本人が強い意志の下に「なかったこと」にした種類のケガ〉は施術できない、あるいは筋力検査では探し出せない、かもしれないことです。筋力検査は本人の身体に有無を問う検査ですから、全力で「なかったこと」にされてしまった傷痕は、本人の身体にも〈見えない〉のかもしれません。

 おそらくはその膠着状態を洞察されて神田橋先生は〈暗示力の強い人〉と指摘されたのでしょう。そうすることでAさんの〈暗示体質〉みたいなものに揺さぶり・気づきを与え、それを一つの引き金にしてAさんの暗示は緩んだ、ということだろうと理解します。
 となると知りたいのは、先生はどこまで状況を把握された上で指摘・洞察をくださったのか?ですが、こんなオモシロイこと、電話やメールでお訊きするのはつまりません。直接お会いしてお訊きしたいものですが、いかんせんコロナが……はあ。歯がゆいことです。

 そしてもうひとつ、整体屋として決定的に大事なことは、ほかのお客さんが自己暗示・抑圧的に傷痕を「なかったこと」にしている場合、私はどうやって探していけば・ほどいていけばいいのだ?という問題が残ります。
 こちらはおそらく〈先生への質問⇒お答え〉といった簡単な教えで解決する話ではなくて、私の勉強・研鑽と反射神経に係ってきそうな気配が濃厚です。ああ、ハードルが高い……。


200825 熱中症対策にはクーラーを!に思う

 残暑厳しき今日この頃、とは言いながら朝晩はずいぶん涼しくなって秋めいてきましたから少し時季外れな話題になりそうですが、「熱中症対策にはクーラーを! とくに高齢者のかた!」の啓蒙は、もういいんじゃないかな……と、先日テレビを見ていて思いました。
 2020年の日本に暮らしていてクーラーなる家電製品を知らない人は、もはや少ないでしょう。家にあるけど使わない・そもそも家にないのどちらかはともかくとして、本人の好みか諸事情によって〈使わない〉を選択している・させられている、とみなすほうが現実的です。

 であれば、さらに強くクーラーの使用を勧めるよりも、サーキュレーター・扇風機、もっとがんばって団扇(うちわ)ででもできる熱中症対策を紹介してくれるほうが実際的で親切だと思います。
 かくいう私も1人のときはクーラーを使わない派で、「暑いっ!」とか言いながらだらだら汗をかいてがぶがぶ水を飲んで、サーキュレーターにかじりついているのが好みです。クーラーは涼しくて気持ちが良いけれど、換気が悪くなりがちなせいか、イヤに冷えて、なんとなくどんより疲れます。
 汗をかいて風に当たる、は、室温は全然下がりませんが、気化熱でともかく身体だけは冷えますから、条件さえ整えればわりにしのげます。注意すべきは、汗をかいても冷えにくくなっているときで、私の場合は、一度大量に汗をかいてそれが落ち着いた後、次にかく汗はほとんど冷えません。入浴か、重曹水での行水でさっぱり仕切り直しが必要です。

 法医解剖医の西尾元さんの『死体格差』で読んだと記憶しますが(記憶違いなら、上野正彦さんの本だったかも?)、人間は暑い・寒いを絶対的な温度で知るのではないそうです。自分の体温と比較して、それよりぐっと低ければ寒い、同じくらいあるいは高いようだと暑いと感じる。健康なヒトの場合、だいたい36度付近で体温は維持されていますから、通常、基準になるのは36度です。
 雪山の遭難事故で、いよいよ命の危機が迫ってきたときに「暑い!」といって服を脱ぎだす人がいる、その状態で亡くなっている場合がある。これは、自分の体温がどんどん低くなって外気温に近づき、内外の差がなくなってきたから〈暑い〉と感じるのだ。この説明は、私には衝撃的に納得でした。

 テレビでインタビューされていた〈クーラーを使わない派の人〉は、サーモグラフィーで撮影されると全身が真っ赤に映っていて、もうすでに熱中症なんじゃないかしら、な状態でした。それでもとくにしんどそうではなく、ふつうの様子で話しておられました。
 これはもしかすると雪山の逆で、自分の体温が高くなっているから外気の暑さに耐えやすくなっているのかもしれません。年を取ると暑さ・寒さを感じにくくなるとは聞きますが、その実態は、自身の体温が外気に影響されやすくなって、内外の差が小さくなるから起こることなのかもしれません。
 が、しかし、脳は、絶対温度でへばるといいます。感覚的にはわりあい平気、でもそれと放熱の必要は話が別、というのが危険なところなのでしょう。


200907 整体と過労と休息

 今年の春頃から来られているお客さん(Pさん)は、かなりな重労働をされながらも週1回以上のスポーツが趣味、というパワフルなかたです。事故・ケガ・手術の経験が多く、強烈な腰痛と膝痛を訴えて来院されました。が、正直、何をどうすれば良いんだ……途方に暮れるような状態でした。
 まず、全身の疲労がものすごい。そして症状である痛みがずいぶんきつい。相当大変なはずの日常生活を気力と根性だけで持たせているのだろうことは一目瞭然ですから、整体屋としては「ともかくしばらく安静にして! 連休取って休んでいて!」と言いたい。でもこのテの人は休みになったら掃除をしたり、したかった模様替えを始めたり、衣替えをしたり、急にボランティアを思いついたり、とにかく〈じいっと休む〉だけは、されない可能性が高い。休めない。

 じゃあ仕事を連休にするのでなく、趣味をしばらく休んでもらうか、というと、それをすると気力が削がれて全部がガタガタになりかねない。そして大事なのは、安静にしたしばらくは確かに症状が軽くなるけれど、根本的に改善してよくなっているわけではないですから、活動を再開すると必ず同じ程度に悪くなる。再開しなくても、〈趣味のない日常〉に慣れてくると、これまた症状は復活する。つまり、生活を変化させた直後の一定期間だけ、症状はいくらか軽くなる。でもその後はまた戻る。単なる〈慣れ〉の問題なのです。
 ですから、〈安静にしてもらっている間に確実に施術が進展する・改善できる〉見通しが立っていないうちは、そのままの生活を続けてもらっておく。そのほうが、身体的にも精神的にも無難です。そして、いよいよ施術が軌道に乗り始めたときにすかさず休んでもらうか、その頃にはそもそも休む必要がなくなっているか。そんな心づもりで施術計画を想定しておくと良い、というのが私の経験的方針です。

 ただもちろん、その場合、施術ははかどりません。来院されたら大急ぎで過労の状態をいくらか改善して、それからやっと本命の癒着剥がしに取り掛かる。どうしたって、本命に充てられる作業時間は少なくなります。
 ですからここで、〈説明と理解〉が大事になります。だいぶ手こずることになると思いますけど、おつきあい願えますか……?
 Pさんの場合は、「やっぱり私、そんなに悪いですか?」「ええ、めちゃくちゃ悪いと思います。少なくとも私にはパッと改善はできません」「……わかりました。仕方ないですね。仕事もですけど、とにかく趣味は続けたいですから」。――やっぱり、趣味重視のかたでした。

 Pさんは、こちらのお願い通りせっせと通ってくださって、私もできるだけせっせと施術して、そうするうちに肝腎な癒着が見つかって、よしっ! 見通しが立ってきたぞッ!と思った瞬間、コロナの加減で、Pさんの趣味の集まりがしばらくお休みになられました。私としては、図らずも〈休息〉が実施できたわけです。
 落ち込んでますか? 訊いてみると、何だか私もしばらく休みたい気がします、とPさん。
 これまでの、〈正常な疲れを気力と根性でねじ伏せていた状態〉から、正常な〈休みたい感〉が出せるようになったのであれば、これは元気になってきている証拠です。よしよし。喜んでいたら、やがて集まりは再開して、2週ほど続けて参加されたPさんは、動きが以前より良くなっている、痛みも前ほどはひどくなく、疲れからの回復も早くなっている気がする、と教えてくださいました。ああ、嬉しい。きっともうじき、一段落。せっせと通うのではなく、ぼちぼち来ていただく程度に、まずは変更できそうです。


201003 膝の痛みと足首のケガ

 遠方からお客さん(Pさん)が来られました。
 膝が痛い、6月末頃にジャンプして着地したときにひねったのかもしれない、病院でMRIまで検査したけれど異常はなく、でもいまも痛くて、しばらく休んでいると引きはするけれど動くとまたすぐに腫れてくる、とのことでした。
 私がPさんに施術させてもらうのは3回目です。前回の施術は4年前のことになりますが、その間はとくに問題がなかったそうですので、〈前回からの続き〉の作業はあまり考えなくて良さそうです。今回のケガ、〈膝を傷めて、膝が痛い〉に絞って注目していきます。

 〈右膝を傷めて以来、ずっと右膝が痛い〉という場合、いちばん最初に考えるのは、膝にできた傷が治っていないのかな?です。でも、その場合、腫れは引かずに腫れっぱなしになる可能性が高そうです。運動して血流が増えると腫れる、でも安静にしていると引く、というように状態が揺れるのは、患部が膝ではないからかもしれません。
 そうなると私が次に考えるのは、右膝でなく別の部位を傷めていて、その部位をかばって膝まわりの筋肉が緊張している(=こっている)のかも?です。この場合、可能性は一気に全身へと広がることになりますが、Pさんのお話では、ジャンプして着地して傷めておられるわけですから、右側の足裏、足首、股関節、腰、そして左側の膝、を患部の有力候補として考えたい。

 そんな目算を立てつつ検査を始めると、右足首から癒着が見つかりました。着地で傷めたのは、どうやら右足首だったようです。
 ひとまず、さささっと簡単に施術して、Pさんに立ち上がってもらうと、「あ、痛くない!」。よし。たぶん狙いどころは正解。
 改めてベッドに上がってもらって、右足首集中で施術にかかりました。作業が一段落するたびに、「ちょっと屈伸してみてください」「階段を下りて、また上ってきてください」。動作点検をどんどん挿(はさ)みながらできるだけのことをして、施術を終えました。

 3か月間続いた痛み・不快感の改善に、Pさんは大感激してくださって、私も大喜びでした。が、おそらくは、1日2日もすればいくらか症状は戻ってきます。これは、〈また悪化しての再発〉ではなく、〈癒着の剥がし残し〉があるからです。

 寝転ぶ、座る、立ち上がる、立つ、歩く、走る、跳ぶ、着地する……動作によって筋肉のはたらき方はさまざまで、患部への負担のかかり方もさまざまです。じいっとしていては見つからない癒着が、様々な動きをすることで目立ってきます。
 施術中は、見つけられるだけの癒着を見つけて剥がすわけですが、日常生活における動作の種類は膨大です。施術中には見つけられなかった癒着がどんどん表面化してきます。そしてその癒着を、身体は必ずかばいますから、その負担が症状となって現れます。

 剥がし残しを極力減らすための工夫が〈頻繁な動作点検〉で、これは、〈施術中の、じいっと安静〉と〈多様な動作を伴う日常生活〉の間をなるべく埋めたくておこないます。Pさんにも、せっせと協力願いました。
 あとは、施術がうまくはたらいて、症状が少ない(か、ない)まま落ち着くことを願うばかりです。


201204 頭の癒着と、手足の症状と、頭痛。

 私がしている整体では、頭に深刻な癒着があると手足先に症状が出る、という関係が確認できることが多いです。イメージとしては、テルテル坊主の頭部分を大きく作ると裾部分は小さくしか作れない関係に似ていて、頭に癒着があって皮膚のゆとりがなくなると、その分、手足先の皮膚のゆとりも奪われる、そんな感じです。
 でその結果どうなるかというと、手足先が冷える、乾燥する、割れる、ゆびの曲げ伸ばしがしにくくなる、といったことが起こります。手指の変形性関節症も、一部はこれに相当するんじゃないかしら、と私は疑っています。もちろん、〈証明〉はできてませんが。

 だいたい、癒着がある部分に症状が出ることは少ない、というのが私の経験的理解で、受傷直後のしばらくは患部が痛いけれど、やがて痛みはなくなって、忘れた頃に別の部位に症状が出てくる、という経過をたどります。
 そしてこのパターンでいくと、頭に癒着があって別の部分に症状の出ている人は、頭痛はほとんどない場合が多いです。根の深い肩こりが両肩にあって、首もやたらにしんどくて、こりがひどくなると吐き気がしたりするけれど、でも吐かない。頭痛にもならない。限界を超えるとパタッと寝込む。寝込むと少し持ち直す。そんな印象です。そしてこの状態でしのぎ続けると、ある時期から肩こりを感じなくなります。で、一見平穏な無症状の数年を過ぎて、やがて、あまりタチのよろしくない腰痛が出てくる。だいたいがこんな経過をたどるようです。


 しばらく前から施術させていただいているPちゃん(仮。子ども)は、頭痛がひどいとのことですが、ものすごい癒着が頭にあります。子どものことで、お聞きしているいちばん最初の頭の〈ケガ〉からでも、まだ10年ほどしか経っていません。この程度の年月では、まだまだ深刻な癒着は落ち着ききれないということでしょうか。実に頭痛はつらそうです。
 受傷してからずーっと〈ケガ〉の痕は落ち着かず、〈患部〉は〈患部〉のままだった、なんてことならずいぶんしんどかったでしょう。なんとか他の部分にまで影響が広がらないうちに(=症状が頭痛で留まっているうちに)、施術を一段落させたいものです。

 一方、長く施術させていただいているQさん(仮)は、なんだかもう、ほんとにあちこち施術させてもらっていて私もわけがわからなくなっていて申し訳ないお客さんですが、最近ようやく、頭の施術に腰を据えて取り掛かれるようになりました。そうなってみると、頭の施術と足の裏の症状(=腱が攣(つ)ったようになって痛い)の連鎖が実にきれいに現われてきて、整体屋的に感動しています。
 テルテル坊主の頭をキュッと整えたら、余った布を裾のほうにちょちょっと引っ張る、みたいな作業をまめまめしていて、想定通りに展開するとなんとも嬉しい。やっと、Qさんの整体作業も大詰めなのだろうと期待しています。


210121 追突事故にまつわるケガ

 長らくお世話になっているPさんは、40年ほど前にひどい追突事故に遭われています。10年ほど前、施術を引き受けた当初は「私の手に負えるかな……」おっかなびっくり作業を続ける状態でしたが、やがて施術が軌道に乗ると、体調はずいぶん改善されました。ただ、それでもときどき、数カ月に一度くらいのタイミングで「ちょっと腰がヤバそう……」違和感を覚えて施術に来られます。
 Pさんの腰が不安定になる理由というか背景は私もわかってはいて、背中の上のほうにあるガチガチの固まりが弛められないからです。

 追突事故被害への整体は、私の技術ではほぼ完成しています。おしりから太ももにかけての癒着を剥がす、これに尽きます。そしてPさんに対しては、この部分への施術はずいぶん以前に作業が一段落しています。いまは、その次の一山を越えあぐねて、ここでもない・そこでもない、本命の施術部位を探し求めて延々、試行錯誤を続けている状態です。

 新年が明けてすぐに、Pさんは、「ちょっと腰の具合が悪い」と来てくださって、その日は右肩甲骨周囲に手応えの良い施術ができました。「なんか、ここですね……」ごりごり剥がしながら私が言うと、Pさんも、「私もそんな気がします」。時間になって作業を終えて、「たぶん、右肩周りは作業が続きます」。予告して、別れました。
 日を置かずまた来てくださり、前回の続きで右肩周りの施術に取り掛かりました。「右肩はどういうケガですか?」作業をする私にPさんは尋ねられ、私は「たぶん、追突事故の瞬間にハンドルをしっかり持っていた、ということなのだと思います。それで右肩に衝撃が届いたのではないかと想像します」答えると、「そういえば、追突される瞬間、上半身を左にひねって右手でハンドルを支えて耐えていました」。初耳の話をされました。

 上半身をひねっていたことを忘れていて・思い出されたのか、たまたま話しておられなかっただけなのかは訊きませんでした。ですが、作業の内容とケガの状況が一致したとなれば、いましている施術は正解なのだと確信できます。
 その日の施術を終えると、ごりごりだった背中もいつになく弛んでいて、幸先は良さそうです。ひょっとしたらあと数回、作業の続きは出てくるかもしれませんが、高かった一山はたぶんもう、越えています。よくぞここまで気長に付き合ってくださったものですし、もうホント、結果が出てくれて私はとにかく良かったです……。


210201 おなかの施術がやっとわかってきました

 細かい経緯は省きますが年末年始頃からの私の目標は〈おなかの施術をうまくすること〉でした。
 おなかへの施術は長年の私の課題で、もともと〈運動器系=いわゆる筋骨格系への施術〉が本筋と思い込んでいる私には、運動器でもあるけれど内臓の袋でもある〈おなか〉への施術はちょっと得体の知れない感じがあって、うまく位置づけられませんでした。

 手足や背中、頭への施術は変化が速く、ぱっと作業がうまくいくと、筋肉・皮膚の状態がぱっと変化します。その変化が、施術をしながらわかるのです。局所的な動作の変化はそれに遅れて起こり、やがて、その変化が全身に馴染んで、全身の動作・状態の変化として本人に実感できるようになります。つまり本人が実感できるまでにはいくらか時間がかかるにしても、施術者には作業中に、変化の手応えがある程度予測できていることが多いのです。
 ところがおなかは、それがよくわからないのです……。施術していての手応えは、もちろんあります。でもそれがどこにどう反映するのか、ほんとにどこかに反映していくのか。施術の結果起こる全身への変化の予測がうまくできませんので、作業の意味に確信が持てません。要は、おなかに施術なんかしても、時間の無駄なんじゃないの……? その心配が晴らせない。

 これまでに何度か〈おなかへの施術〉に挑戦して、その時々、それなりに手応えは感じたものの私の定番技術に納まらなかったのは、作業の意味の分からなさ、時間の無駄への心配が大きな理由でした。



 Pさんは、幼い頃に交通事故に遭われたかたです。初めて来院されたとき、ご本人の自覚症状はそれほど深刻でなかったものの、私から見ての身体の大変さはとても深刻でした。けれどその当時の私の腕前で、ぱっと改善できる自信はなかった。でも放置していて良いとは思えない。それで、その思いを説明した上で「ときどきで良いから来続けていてください」お願いして、来ていただけることになりました(もちろんお代はちょうだいします)

 Pさんの身体の大変さは、一言で言うと、腰のガチガチ感と背中上部の頼りなさです。
 整体の仕事をしていると、この状態の人に出会うのはそう珍しくありません。ですが、Pさんレベルの状態の人には私は会ったことがありません。そしてまた、状態に引き比べて自覚症状の少なすぎることが私にはとても心配でした。それで「ときどきで良いから」のお願いをしたわけですが、Pさんはそれ以来、頃合を見計らって、1、2か月に1度くらいの頻度で来てくださっています。にもかかわらず、これまでの改善の歩みはごくゆっくりで、大きな悪化が生じていないことだけが救い、くらいの申し訳なさでした。

 Pさんの状態――腰のガチガチ感と背中上部の頼りなさを中国医学の用語で言い換えると、腰は〈実〉、背中上部は〈虚〉の状態です。ざっくり言うと、〈虚〉〈実〉は、エネルギーの充実度合いを表す言葉で、エネルギーは、身体においては血流のことです。〈虚〉は不足、〈実〉は過剰あるいは充実を意味します。
 私がする施術では〈虚〉の状態を立て直して血流を改善し、〈虚〉〈実〉のバランスを良くしようとしますから、Pさんの施術では〈背中上部の虚をどうやって立て直すか〉が大きな課題でした。深刻な交通事故は全身の打ち身を伴いますので、どこにどんな癒着があっても不思議ではありません。その迷いもあって決定的な手を打ち損ねていたわけですが、今回、無駄を覚悟で、おなかの施術にじっくり取り組んでみました。もちろん、時間の無駄への心配にかなりハラハラしながら、です。

 せっせせっせ施術して、もうこれ以上無駄(かもしれない時間)遣いはできない!というギリギリのところでうつ伏せになってもらって検査をすると――腰から反応がありました。これまで何度検査をしてもウンともスンとも反応せず、そのせいで施術ができなかったガッチガチの腰に、初めてちゃんと施術ができたのです。施術は効いて、腰の〈実〉はいくらか弛み、続いて、背中上部の〈虚〉もいくらかマシにできました。
 も――……、これは私には感動でした。結局、背中の上下にあった〈虚〉〈実〉は、おなか前後の〈虚〉〈実〉とも絡んでいて、そしておなかの施術は私が考えるよりずっと手間のかかる作業だったのかもしれません。焦った仕事ではおなかの〈虚〉を立て直しきれず、それが不十分だから腰の〈実〉も動かない。

 おなかの施術は、時間の無駄などでは断じて、ない!という信念を持って、じっくり取り掛からなければイカン、それが大事だとPさんから教わりました。
 実はこのPさん、他にも何度か、私の整体屋的危機、というと大袈裟かしれませんが、整体屋的ハードルの乗り越えを手伝ってくださっています。いよいよ、足を向けて眠れなくなりました。嬉しい、ありがたいことです。


210215 マスクの着用と顔の施術

 Pさんは新型コロナが始まった後から整体に来られるようになったお客さんで、来院当初から「顔にケガをしたことがあります」とお聞きしていました。
 私の整体はケガの痕に注目しますので、「顔のケガ、顔のケガ……」と意識してはいましたが、Pさんは頭にもケガをしておられます。検査をすると、頭から多数の癒着が見つかりますので、作業の重点はまずは頭に置きました。

 最初の数回は施術をすると順調に改善して、一歩一歩進んでいる感触がありました。ところが先日来院されたときには、明らかに感じが違いました。どうやら、前回の施術ではうまい改善が得られなかったようです。そこでいったん方向を変えて、意図的に視野を広げることを目指しつつ検査をすると……顔のケガから反応が拾えました。
 マスクの真下から、です。

 ほかのお客さんでもあったことですが、マスクの上から施術するのは実に、しにくいです。手足・胴体の皮膚・筋肉であれば、そこそこ分厚い服の上からでも平気で施術できるのに、マスクの生地に寄せられたプリーツと口周りという特殊な構造、そして顔の筋肉(=表情筋)という浅い筋肉のありようが、どうにも、狙いどころをぼやけさせます。
 仕方がないので、Pさんに「しばらく喋らないでくださいね」とお願いして、私もついでに黙り込んで、Pさんのマスクを外してもらっていそいそ施術しました。もちろん済んだら、また着用。
 ルール通りの堅苦しさ(でもいまは必要!)に伴う大仰さを、お互い、ちょっとした苦笑いで払いのけて、他の部分の施術作業を継続。そうするうちにPさんの症状は軽くなってきたようで、紙のように白かった顔色に艶気と血色が戻って、いつもの陽気さが現われてきました。

 お客さんにマスクを着けてもらうことの不都合は、整体屋的にはほとんどありません。が、顔の施術のときだけは、やっぱりはっきりマスクは邪魔でした。であればこそ、その邪魔を踏まえた上で、積極的な検査と施術を心掛けなきゃイカンのだな、と、深く反省した次第です。


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