のぞみ整体院
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整体・身体観 22

170627 おなかの皮の施術

 しばらく前から、自分のおなかの皮――といっても、皮膚+脂肪+筋肉の分厚い層の全体ですが、そこに施術をしています。
 自分自身でとくに姿勢が変化した自覚はありませんが、施術の翌日には動作のたびに腰が痛くなる(=こっていた筋肉がゆるんで筋肉痛が起こっている)ことと、反り腰状態で固まっていた腰が丸くなれるようになってきた(=三角座りがしやすくなった)ことから、「まあ、なにかしら改善はしているのだろう」と思っていました。

 それが先日、ふだんから人の姿勢を、それほど細かくチェックするタイプでない人から「首の位置が変わったみたい。伸びている」と言われましたので、とうとう姿勢に現れたか、とニヤリ、ほくそえみました。



 ところで私の、専門学校に行きはじめた頃からの疑問のひとつは、「猫背になるのは腹筋が弱いせい? 背筋が弱いせい?」でした。
 学生時代、猫背です、おなかが出ていますという相談に、「腹筋を鍛えなさい」と返す先生・先輩が多いのを見ていました。ですが、ときどき「背筋を鍛えなさい」と助言する方もおられました。

 胴体は、背骨と腹筋と背筋が支えている、とすると、猫背になっておなかが出るというのは腹と背の筋肉バランスが崩れている、ということでしょう。
 そしてそれに対して「腹筋を鍛えろ」という人は、おなかが引っ込めば背中は伸びる、という考えで、「背筋を鍛えろ」という人は、背中がまっすぐになればおなかも引っ込む、という考えなのでしょう。

 でもこれは真反対な考え方ですから、当時の私としては、どちらか一方だけが正しいのか、どちらでも得られる結果は同じなのか、人によって違うからそれを見極めなきゃならないのか。その答えが知りたいと思っていました。

 で、ずーっとハテナマークをつけたまま、いままで仕事をしてきましたが、複数のお客さんの観察結果・施術結果から私は、背中が原因の人もいれば、おなかが原因の人もいるのだな、と結論していました。
 (※ただし私が扱うのは癒着ですので、一般的にいう「鍛える」とか「筋肉が弱くなっている」とはとらえ方が異なります。癒着ができて、「鍛えても鍛えられなくなっている」ことを問題とする立場です。)

 それで、もちろんその頃から(というかそのずっと以前から)、私の猫背もまっすぐしたいなあとは思っていたのですが、検査をしてみても反応が出ませんので、これまでは施術ができませんでした。
 ですから今回できた施術で、ようやくちょっと改善方向に向かえたことになります。やれやれ、です。


170713 身体の洗い方の癖

 私が自分の身体に施術をして「お、身体の状態が変わったな」と実感する材料のひとつは、「入浴時に、身体の洗い方が変わること」です。

 身体の洗い方には人それぞれ、お決まりのパターンがあると思います。そしてそれを観察していると、ここはいつでも洗い方がおざなりだなとかここはやけに何回も洗うなとか、そういう癖がわかってくるでしょう。
 少なくとも私は、自分の洗い方はなんとなく把握しています。

 この癖はたいてい変化しませんが、施術をして、身体の状態が変化すると、癖にも変化が起こります。皮膚・筋肉の存在感が増すことで、「ここもちゃんと洗って!」という自己主張が強くなるのだろうな、と勝手に納得しています。


 それで、先日は、頭の洗い方が変化したことに気づきました。耳から上に上がったところの、上壁(頭頂部)と横壁(側頭部)の境目あたりを、ごしごしごしごし……。無意識にせっせと洗っていました。
 で、洗いながら突然はっと我に返って、「こんなところをこんなふうに洗ったこと、いままでなかった!」。

 洗い方が変わってからは、それ以前に、その部分をどう洗っていたのかあるいは洗っていなかったのか、さっぱり思い出せません。
 癖が変わるたびに、毎回、「前はどうしていたかなあ?」と考えてみますが、みごとに、思い出せたためしがないのです。身体は、いまの状態しか把握できないのだなあ、と、ここでも勝手に納得しています。


170822 僧帽筋への施術

 僧帽筋(そうぼうきん)、というのは頭・背骨(頭蓋骨・頚椎・胸椎)と、肩まわり(鎖骨と肩甲骨)とをつなぐ大きな筋肉です。肩まわりの姿勢をつくる筋肉として、かなり重要なはたらきをします。
 この筋肉への施術が、私はどうにも下手だったのだなあ、と、このところ大いに反省しています。

 下手さを思い知らせてくれたのは、例によってお客さんです。うまく改善できない症状を、なんとかしようと必死になっているうちに、僧帽筋へのうまい施術ができるようになりました。
 この「できない→できる」の変化は大抵いつも唐突で、なぜこれまではできなかったのか、なぜいまはできるようになったのか、そのあたりの事情はよくわかりません。

 ただ、こんなときいつも思うのは、「なにか適切な工夫をしていたら、もっと早くにできるようになっていたのだろうか……?」です。
 で、とりあえず次なる上達を目指して、それらしい工夫を考えてみました。

 それは、うつ伏せの姿勢に変化をつけること、です。具体的に言うと、バストマットなる商品(バスマットにあらず)を買ってきて、胸の下に敷いてもらいます。これで、首の前屈が大きくできます。

 手元のカタログを見ると、バストマットはそれほど高価なものではないようですが、やたらにたくさん種類があります。しかもその違いがどうにも微妙で、結局どれがよさそうなのか、よくわかりません。

 それでも、ふだんなら、ダメもとでどれかを選んで注文するところなのですが、実は近々、医療系器具のショールームを見学に行こうと思っています。もともとはベッドの下見に行く予定だったのですが、そこでついでにバストマットも見てきます。――ちゃんと忘れずにベッドも見てこなきゃ。


170925 太極拳教室2回目

 先日の太極拳教室では、目と手の動きが合っていないことを指摘されました。
 太極拳では、手を動かすときや身体の向きを変えるときに、手の動く速さ・方向と目の動く速さ・方向を一致させることが求められます。これを「目で手を導く」と言ったりするのですが、私の場合、目がさっさと動きすぎて、手を導けていない、手が置いてけぼりになっている、と指摘されました。
 そう言われて、あらためて意識してみると、確かにちょいちょい、視界から手が消えます。しかも、とくに左手が。
 うーむ、目、かあ。納得して、その日の教室は終えました。

 で、一人練習をしました。最初は、目の動きが速いのだと思っていました。だから、もう少しゆっくり動かすように、動作イメージを改めればいいのだろう、と。
 ですが、ちょっと動いてみると、どうも感触がちがうな、という気がしてきました。新しいイメージで動こうとしても、動きがシャンとしないというか、ぴたっとくる感じがありません。どうやら、目が速いのではなく、手が遅い。そしてその原因は、筋肉かどこかに癒着があるからじゃなかろうか?

 そこで、その癒着はどこにあるのかなあ、と意識することにしました。意識だけして放置していると、やがて、左顔の、鼻と頬の境目あたりが気になってきました。検査すると、確かにがっつり固まった癒着の感触があります。
 そしてそれをごりごり剥がしていくと、おもしろいことに、背骨がゆるみはじめました。


 じつは私の背中はとても動きが悪いです。座った姿勢で前屈しても、座椅子みたいに固まったまま動きません。
 私の理解では、これは、背骨を支える筋肉によっぽど余裕がなくて、一つ一つの背骨の動きが小さいせい、です。ですからストレッチや柔軟体操でやわらかくするのではなく、どこかの癒着を剥がすことが根本的解決だ、と思っていました。
 でもその癒着はどこにあるのか。これまでの私はそれが見つけられませんでした。

 ところが左頬(とその関連部分)に施術をすると、背中がゆるみはじめたのです。なるほどなあ、顔の癒着だったかあ……。施術で背骨がゆるんだ手応えが感じられると、引き続いて、ゆるんだ背骨を動かしたい欲求が湧いてきました。
 よしきた!と、我流の腹筋的運動を数回試すと、バキボキ音を立てて背骨が動きました。私の身体的には使い慣れない筋肉ですので、2、3回動かすとすぐ筋肉痛が出ます。イタタタとよろよろ起き上がって動かしてみると、する前よりいっそう背中がやわらかくなっていました。軽い五十肩みたいになっていた左肩も、スムーズに動きます。

 よし、と思って、いつものごとく調子に乗って、気が向いたら左頬に施術して、また腹筋して、施術して。
 そんなことを繰り返しながら太極拳の練習をしてみると、狙いどおり、目と手の動きは一致しやすくなっています。どうやら施術は、この方向でよかったようです。


170928 太極拳教室3回目

 再開して3回目の太極拳教室に行ってきました。やはり、大いに刺激的でした。
 この日は、かなり重要!と思える指摘をちょうだいしたにも係わらず、どこをどう動かせば、というか、どこをどう動かそうと意識すればそこをそう動かせるのか。そこからしてもう、わからない状態でした。

 具体的にいうと、手の力を胸から出せ、胸を下げることで手に張りを持たせろ――と言われた(のだと思う)のですが、胸を下げる、がよくわからない。こうですか?と背中を後ろに引いてみると、すかさず「それは違う」と先生。
 お手本をしてくださると、確かに背中は動かさずに胸だけ下げておられるようです。ですが、いったいどこの筋肉の作用でそんなことができるのか……。はたらいている筋肉と、実際の動きと、「こう動け」という指示のありようとが、私にはちっともイメージできません。

 このわからなさ・イメージのできなさは、まさしく癒着がある証拠(=自分の身体の身体図式に欠落部分がある) ! ですので、自分整体が展開する絶好のチャンスなのですが、肝心の、どこに施術するといいのかが、やっぱりよくわかりません。どうやら、1週間かけてじっくり探すのが一人練習、ということになりそうです(もちろんちょっとは練習もしますが)


 と、そんなわけで、こんなに愉しい教室を1ヶ月で辞めてしまうなんてあまりにもったいない! と、継続して入会させてもらうことにいたしました。
 堺から自転車を1時間こいで来るのと言うと、周りにいた生徒さん(=先輩方)はびっくり顔。先生はさらっと、「真夏は来るの、無理かもね〜」。確かに。

 でも自転車で1時間。大変といえば大変だけど、「そうまでしても習いたいお師匠さん」を探し出すことの方が、はるかにはるかに大変です。だから、たとえ真夏は行けなくっても、行けるかぎり、行くのです。


171007 頭・胸・腹という区分

 先日の太極拳教室では、前回に引きつづき、おなじ内容の注意を受けました。肩が上がっている、胸が下げられていない、という指摘です。
 それを改善するための施術がまだ作業途中ですので、動きが修正できていないことは折込済みです。ただ、先生の指摘を受けていて、私の理解の方向は間違えていないようでしたので、そこは安心しました。

 じつは前回「胸を下げなさい」と言われてからあれこれ考えていまして、「そういえば私は胸に注目することが少なかったなあ」と気づきました。
 仕事柄、肩と腰には注目します。肩に問題があると腰に症状が出るとか、その逆とか。ですがそうやって連鎖関係を考えていても、胸の存在にはあまり注意が向いていない。なぜだか、すっ飛ばしています。

 これは考えてみると浅はかなことで、たとえば中国医学の経絡(けいらく)は、「頭と手」「頭と足」の連絡を扱います。
 それを私は「頭と、手の指先」「頭と、足のゆび先」をつなぐ流れと捉えていました。ですが、胴体に限って注目すると、「頭と胸」「頭と腹」の連絡と解釈することもできるのです。

 そしてそう考えると、「腹の力が弱いから、胸が頭側に引かれる、引かれたまま下げられない」という解釈も出てきます。イメージは、体幹部分が頭・胸・腹で分かれた“昆虫の身体”です。

 うーん、そうか。そんなふうには考えなかったな。で、「腹が胸を引き下ろすように」意識しながら、おなかへの施術を始めてみました。
 そうしてわかったことは、おなかの施術はムチャクチャに複雑だということです。

 自分のおなかへの施術は、これまでにも何度か試したことがあります。でも、あんな思いつきでするような散発的な作業ではとても改善できないことを、今回、思い知りました。
 きっちり「腹に胸を引かせる」ことを意図して、我流の筋肉トレーニングのような動作確認と組み合わせながら施術を進めていって、それでようやく変化が出せる種類の作業のようです。なんというか……だいぶ面倒くさい。


 それでもまあ、なんとか気が向いたときにちょこちょこ施術を重ねた結果、スカァッと肩の力が抜ける経験は、ときどき味わえるようになりました。
 これは、なんとも気持ちがいいです。言ってみれば、四六時中ずうっとぎゅうっと頬擦りしあうように密着していた腕の骨と肩甲骨のあいだに、ぽかっと隙間ができたような、そんなくつろぎ感です。まだ持続はしませんが、太極拳を練習していると、ふっとそんなゆるみ方をすることがあります。
 「胸を下げる」感覚のほうは、まだよくわかりません。もうちょっと手間がかかるのだろう、と覚悟を決めて、おなか施術を続けます。


171013 へその緒に係わる癒着

 10月7日の続きです。

 あれからもまだ、おなかの施術は続けています。おかげでようやく作業の本質というか筋道らしきものが了解できました。それが「へその緒」に係わる癒着、です。

 記憶にはないですが、私はへその緒を首に巻いて生まれています。ですから、「息が止まるくらいの力でへその緒を首に巻きつける」→「強烈な引っぱり力が、へそにはたらいている」⇒ということは、へそ周囲に断裂系の癒着があるのではないか? と、そこまでの想像はしていました。
 それでこれまでにもへその周囲に検査をしたりしていましたが、予想するほど深刻な癒着は見つかりませんでした。おかしいなあ、なぜ見つからないかなあ。うまく探せないことが不満でした。

 それが今回の結果で言うと、癒着ができていたのは、へそではなくみぞおちでした。
 筋肉ムキムキの人のおなかを「割れている」と言ったりしますが、あの割れている部分、凹んでいる部分は“筋肉のないところ”です。そのうちの、へそを通って縦に走る凹みが「白線」(はくせん)と呼ばれます。みぞおちと下腹をつないでいます。
 私の場合、この白線のみぞおち部分に、巨大な癒着ができていました。

 以前から、自分のみぞおちが硬いのは知っていました。ですがその後ろには横隔膜があることだし、腱の集中するところでもあることだから、まあ、こんなものなのだろう、特別ここは手触りが頑丈なのだろう、と思っていました。それが今回ごりごり剥がしてみたら、見事にやわらかくなりました(^_^;)。

 そして喜ばしいことに、仰向けに寝転んだときにいくらか左右差のあった肋骨の高さが、かなり揃いました。
 この肋骨の高さの違いは、側彎(そくわん。背骨の左右方向のゆがみ)があるかも?のサインのひとつです。私の場合はきっとあってもごく軽いものだったと思われますが、白線の施術で側彎が改善できるかもしれないなんて、考えもしませんでした。もう10年早く、この可能性に気付けていたらよかったのになあと、以前来られていたお客さんを思い出して、悔やまれます。


 ところでみぞおちの施術では、もうひとつ嬉しいことがありました。太極拳の課題だった「胸を下げる」感じがつかめました(!)。癒着剥がしがうまくいって身体図式が回復すると、感じをつかむのは簡単です。傘をすぼめるイメージで腹を締めると、肋骨は自然に下がりました。
 なるほど〜。先生はこれをおっしゃっていたのだな。
 やれやれ。これで次回は、もう少しマシに太極拳が動けそうです。


171021 腹と足の感覚がつながらない

 今週は、雨の加減で太極拳は教室がお休み。2週続けての休みになりました。

 おなかの施術がうまくいっている私としては、「えー? 休みなのー?」と不満顔。でしたが、「じゃあちょっと動いてみるか」と一人で練習してみて、愕然としました。
 腕と胸、おなかの感覚はつながっているのに、おなかと足の間が切れているのです……。


 前回の教室で指摘された内容を私なりに解釈すると、「腕にかかった力を腹に落とすべきなのに、あなたは落とせていない」ということでした。

 太極拳では(といっても太極拳に限りませんが)、筋肉の動きを連鎖させることが求められます。力の連鎖、あるいは気を流す、といってもいいかもしれません。
 パンチする、といっても手だけに力を込めるのではなく、足で地面をふんばって、その力を手に伝えることでパンチを重くする。そんな仕方です。
 そしてこれを踏まえると、先生の指摘には続きがあるはずで、「腕にかかった力を腹に落とす→腹の力を足に落とす→足で地面をふんばって、反発力を得る→その力を腹に伝える→腕にその力を伝えて発揮する」となるはずです。要は、「腕→腹→足→地面→足→腹→腕」の連鎖です。


 それなのに私が動いてみると、腕から腹へはそれなりに連鎖している感じがあるものの、腹に下りた力が足へと伝っていきません。結果、腹からの流れを途切らせたまま、お約束だから、へにゃっと体重を前に移す格好になっています。これはなんともカッコ悪い。

 整体としては、おなかの施術が進むにつれて、両下肢とくに膝・すね周囲の癒着が剥がせはじめています。これを一区切りさせないことには、足の頼りなさは続くのかもしれません。
 とすると、結論としては、今週も休みでよかったです……。


171117 膝と爪先のずれ

 太極拳教室の準備運動の中には、太極拳の基本の立ち方(弓歩)を使ってするものがあります。その運動の最中に、先生から注意を受けました。「(右)膝と(右)足のゆびの方向が、ゆび1本分、ずれている」。

 おお、こまかいなあ、とちょっとびっくりしながら言われた通りに足先をずらすと、私の身体的にはしっくり来ません。“ずれている位置”に戻すと、このほうがしっくり来ます。
 角度でいえば2度くらいでしょうか? かかとを軸にしてジリッと足先をずらすだけなのに、先生の言われる“正しい位置”に置くとはっきり違和感が生じます。
 おもしろいので、あっちこっち動かしてみながら、「こっちはいい」「こっちはいや」「でもこっちが正しい位置なのだよなあ」と、くりかえし感触を確認していました。


 で、練習が終わりました。帰ってきて、しばらく休憩してから座ろうとして、なにげなく左足を立て膝にしかけると、左股関節がつりそうになりました。やばいッと思って角度を変えて動かしても、やっぱりつりそうです。しかたがないので調べてみると、右膝の少し上のところから癒着が見つかりました。ぎゅぎゅぎゅと剥がしてから座りなおすと、左股関節のつり感はなくなっていました。
 そこで思いついて試してみると、弓歩の正しい位置での違和感もなくなっていました。違和感がないどころか、正しい位置だとすっきり収まるけれど、ずれている位置だと気持ちが悪い。不自然な感じがあります。

 どうやら、右太ももの筋肉に癒着があったために右足先にねじれが生じていた、ということのようです。
 なるほど。癒着をとらないまま右足を局部的に酷使したから、その負担を引き受けていた左足がつりそうになったのだな。

 改善できてしまえば、後から理屈はわかります。ですが太極拳の先生は、理屈なんかすっ飛ばして、動きの不自然さの要点を拾われます。――これがすばらしいのですよねぇ。
 私も、なんとかしてこのセンスを身につけたい!と常々ねらっていますが、さっぱりわかりません。どうやって身につけるのか、そこから思案する日々です……。




 その翌日、ふだんより速足で1時間ほど歩く機会がありました。まったく無造作に歩いているのに、以前より、足のふりだしがまっすぐスムーズになっている、そして歩いていて疲れにくいのを感じました。施術がうまくいくと、こういうのが愉しいんですよね〜。ありがたいことです。


171127 つき指の後のバネ指

 「中指と薬指を同時に傷めた後から、曲げ伸ばしをすると中指がパキパキ鳴るようになった」というお客さんが先日、来られました。傷めたときの状況は強めの“つき指”で、パキパキ鳴る、というのはおそらく軽いバネ指になっているのでしょう。

 パキパキ鳴るのは中指ですが、薬指は爪の端が欠けています。どちらの指も突いたけれど、薬指のほうが表面的な衝撃は強かった、ということかなあ、と想像しながら施術を始めました。

 まずはパキパキ鳴るようになった中指に施術。ひととおり作業が済んでから曲げ伸ばししてもらうと、やっぱりまだパキパキ。「鳴りますねぇ」「はい」。
 今度は薬指に施術。目立つ傷は爪にありますが、施術が必要だったのは指先の関節部分でした。ぎゅっと狭くなった感触の関節を広げ伸ばす気分でちくちくちくちく施術。それから曲げ伸ばしをしてもらうと、中指はまだパキパキは鳴りますが、音が軽くなっています。「ちょっとマシですか?」「はい、引っかかる感じも軽いです」。

 それからざっと全身の調子を整えて、その日は終わりにしました。


 これまでにもバネ指・バネ膝のあるお客さんに施術させてもらったことはあります。けれどこの方は、「ケガの直後からバネ指が始まった」と因果関係がひじょうに明確で、しかもそれが最近の出来事でした。ですからばね指については状態がとてもシンプルです。そのおかげで、私は大事なことを教わりました。
 つまり、外傷を受けた指がそのままバネ指になるわけではない、かもしれない、ことです。中指のつき指が中指をバネ指にしたのではなく、薬指のつき指が、中指のバネ指を引き起こしていたのかもしれない。

 もしこれが正しいなら、ほかの部分にもいろいろ連想が広がります。
 ――では右手の親指にバネ指があるお客さんは、どこに原因があるのか。右手の小指か、左手の親指か。
 ――あるいは右膝がバネ膝なお客さんなら? 右足首か、左膝か、……。
 因果関係の立て方に、もうひとひねり、工夫を凝らす余地が出てきます。そうなると、確実に腕は上がります。ありがたい、愉しいことです。


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