のぞみ整体院
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整体・身体観 16

120819 発達障害学会と東北・三陸鉄道

 1週間のお盆休みは、前半は発達障害学会、後半は東北の私鉄・三陸鉄道に乗りに行ってきました。

 発達障害学会は昨年に続き、2度目の出席です。出席といっても、発表とかはしていません。興味のあるポスター(=研究結果を“壁新聞”的に掲示したもの)をじっくり見て、研究者の方に疑問点を訊いて、言いたいことを言って帰るだけの、至って無責任な参加です。

 私の場合、あくまで整体屋の視点で参加するので、興味の焦点は絞られています。基本は「子どもと身体」、とりわけ「不調のサインの早期発見とその対処」に関心が集中しています。
 その意味で今後の展開が気になる研究が、今回はひとつありました。

 それとさらに、昨年知り合った先生からおまけ情報を頂戴しました。9月末に、筑波大学で同系統の、より大規模な学会が開催されるそうなのです。
 うーむ。来月。しかもまた関東。調べてみると確かにとっても大規模なので、店を閉めて参加するかどうか、ちょっと考えています。


 旅の後半――三陸鉄道に乗りたかったのは、原武史さんの『震災と鉄道』(朝日新書)を読んだからです。鉄道が届けるのは安心感だ、という信念のもと、社長自ら点検のために、被災後3日目から電車を動かしていた、とあるのを読んで、その根性にぐっときたのです。

 三陸鉄道には盛〜釜石を結ぶ南リアス線と、宮古〜久慈を結ぶ北リアス線があります。現時点で、南リアス線はまだ全線運休、北リアス線は島越駅が流されたためその間の交通はバスで移動です。

 被災した、とはいっても電車が走れている場所であるのと、1年以上経過した後であるのとで、車窓から見る景色はずいぶん落ち着いていました。

 山積みになった瓦礫が突然出現したり、線路の下の方に見える橋の鉄柵がおかしくちぎれて曲がっていたり、入り江の両岸がいびつに崩れているのを見たり、あるいは運転手さんの説明で、「防波堤・防潮林が流されたせいでいまは海が見えていますが、震災以前はここから海は見えませんでした」と聞きながら、ぽつんと残った数本の木とその向こうに広がる海を眺めていると、「すごいことがあったのだな……」と実感しますが、そうでない景色のところでは、単線の空間にぐっと張り出す木々が、力強く鮮やかな印象でした。

 東北を、電車でじっくり走ったのは今回が初めてです。緑の濃い、田んぼの多い、美しいところでした。
 三陸鉄道は2014年に全線運転再開の予定だそうです。またその頃に、今度はもうちょっと余裕のある日程で、全線乗りに行きたいと思います。


120825 局部の施術と全体への影響

 長くお付き合いいただいているQさんが、「昨晩は歯が浮いて、痛くて眠れませんでした」と来られました。どうにも堪らず痛み止めを飲んで無理やり寝た、と、我慢強いQさんがおっしゃるからには、相当な痛みだったのだと思われます。

 Qさんの症状は、このところ大抵、左半身に現われます。顔の左側から首、手の指先にかけてのこりやだるさやしびれとか、太ももからふくらはぎにかけてのだるさとかです。
 そして今回の歯の痛みも左側です。おそらく、同じ系列の症状なのでしょう。

 検査を始めると、左足の親趾から突きゆびのようなケガの痕が見つかりました。そして、どうやらこれが、歯痛を含む左半身症状の根本原因のようでした――。


 お盆前からのここしばらく、私はどうも、ピンポイントの施術が好調なようです。
 「左手の親指」に施術したら「右半身全体に安定感が出た」とか、「右おなかの傷痕」に施術したら「右耳周囲に関わるめまい感が軽快した」とか。
 一局集中の施術が、スカッと全体に影響する様子をみているのは、かなり爽快なものです。

 大まかな施術の段取りでいうと、手をみて足をみてお腹みて背中みて顔みて耳みてまた手をみて――と、1時間の間にやたらにあちこちに施術する場合もあれば、左手の親指だけにじっくり1時間施術、のような場合もあります。

 どちらが良いとか悪いとかは分かりませんし、そもそも私の気分で、今日はこの段取りでしようとか決められるものではありません。お客さんの身体の状態とか長い期間での施術の巡り合わせとか、そんなさまざまな事情でなんとなく、施術が“あちこち”になったり“じっくり”になったりします。

 ただ、“あちこち施術”と“じっくり施術”の大きな違いをひとつ言うなら、“あちこち施術”はお客さんへの説明がしにくい、施術内容の記録がしにくい。反対に、“じっくり施術”はそれらがしやすいといえます。
 それだけ? と言われればそれだけの違いですが、それだけで、施術側の作業はちょっぴり楽になります。


120827 子どもの発達について思うこと

 生後すぐの赤ちゃんは、感覚も運動も、それを統合する能力もまだまだ未熟です。ですから、自分の身体も心も、思うように操ることができません。
 それを、時間をかけて訓練し、段階を追って経験を積み(=見たいものに目の焦点を合わせる、声を出す、話す、聞く、手を伸ばして物をつかむ・持ち上げる・置く、ハイハイする、歩く、走る、……といった具体的な日常動作のくりかえし)、その操作性を上げていくことが成長であり発達であると私は理解します。

 「感覚」には、外部環境を知るための感覚(目や耳、皮膚全体など)と、内部環境つまり自分の身体状態を把握するための感覚(皮膚全体、あるいは筋肉や関節に備わる感覚など)とがあります。
 「運動」は、主に皮膚、筋肉、骨の担当です。「消化・吸収」は直接には内臓の筋肉が行いますが、“運動”の部分と無関係ではありません。
 そしてこれら感覚と運動の情報を統合し、経験を蓄積し、身体操作性に磨きをかけていくのが「脳」の役割です。

 経験は、「感覚」、「運動」、「消化・吸収」、「脳」、それぞれの情報が絶妙に連係したところに生まれます。そしてこの経験の記憶は、誕生の直後からずっと蓄積されていきます。
 このとき、基準になるのはすべて、自分の身体です。自分の感覚、自分の運動、自分の内臓活動に基づいて、世界との距離を計り、身体の安定を図り、そこで得た経験を脳に蓄積します。

 つまり、この脳への蓄積の前提には、基準となる自分の身体と、その身体を使ったさまざまな経験があるわけです。


 そこで私が思うのは、もしも発達のめまぐるしい時期に、基準である身体の状態が変わってしまったらどうなるだろうか、ということです。


 具体的には、@極々幼い頃に切り傷、火傷、骨折、脱臼、その他のケガをし、皮膚、筋肉・内臓あるいは骨の状態が変化したなら、「“ケガ以前の身体”を基に作り上げ蓄積した経験」は、混乱するのではないかしら。また、そうしてできた身体状態の変化は、今後の成長にも影響するのではないかしら。

 しかしその一方で、Aもしもこの変化した状態をなるべく早く、なるべく元通りに戻すことができたなら、経験の混乱は最小限で済むのではないかしら。ずれてしまった成長の軌道を、本来の軌道へと近づけ直すことができるのではないかしら。
 そんな疑問です。


 この2つの疑問は、個人的な印象では十分、「あるかもしれないな」と思えます。
 根拠になるのは、たとえば、「手術の傷痕に施術することで夜驚が治まった(初回施術時5才)」とか、「出生時に傷めた身体(この場合はへその緒の巻き付き)に施術することで風邪を引きにくくなり、かんしゃくが減り、生活態度に落ち着きが出た(同1才)」とか、「生後間もなくのケガの、傷痕に施術することで生活態度に少し落ち着きが出た(同9才)」とか、そういう子どもたちの変化を、実際に私が目の当たりにしていることです(お母さんや学校の先生から教えていただいた情報も含みます)


 身体にできたケガの痕が、経験の内容を混乱させ、成長の軌道を変化させる。そしてそのことが、子どもの身体と心を不安定にし、昼夜のリズムを狂わせ、ひいては順調な成長を邪魔する――。

 この仮説を、発達の専門家にぶつけてみたくて、そして意見を聞いてみたくて、昨年から発達障害学会に参加し始めました。
 まだいまのところ、どなたにどんな形でぶつければ良いのかはよく分かりません。が、もう少し続けて参加してみようと思っています。


 というわけで9月の28、29、30日は、“日本特殊教育学会”参加のため、店を休みにする可能性が強くなってきました。
 お盆休みが明けたところなのに、大胆なことですいません。


120831 注射の痕が痛い

 初めてのお客さん(Pさん)は、「病院で、採血のために注射されてから腕が痛くなった」という方です。
 Pさんによると、その注射の以前に腕が痛かったことはなく、痛みが始まったのは注射の後から。そしてその痛みがいまも続いているとのことでした。

 その注射はいつのことですか? と聞くと、1年以上前、とのご返事です。その間、担当医に状態は伝えているものの、病院の内外で特別な処置は受けられていません。つまり1年以上、同じところの痛みが続き、それに耐えておられたわけです。

 Pさんの痛みは、朝の起きぬけがいちばんきつく、活動を始めると徐々に軽くなります。ただし洗面器でお湯を汲むなど、片手で重いものを持つと、時間に関係なく痛みます。だからこの頃は特に、痛い方の手では持たないようにしているとのことでした。

 注射の刺し損ないでしょうか? 私が聞くと、Pさんは、「(採血の担当者は)1回でぴたっと決められましたよ」。あれ? じゃあ刺し損ないじゃないのかな。
 この問題は、これ以上2人で話し合ってもおそらく答えは出ないので、さっさと質問を切り上げます。

 「――とりあえずみせてもらいましょうか」。考えても分からないことは横に措いて、施術を始めることにしました。すると、注射の針痕らしい位置を含め、前腕の広い範囲から癒着が見つかりました。大抵は、浅い、筋肉の癒着のようです。

 まずは手始めに、目立つところから順番に癒着を剥がしていきます。それが一段落すると、Pさんに水の張ったバケツを持ち上げてもらいます。これは動作実験、筋肉の使い試しです。それからまた剥がし作業を続けます。そうして、その日の施術は終わりました。
 その時点で、乾燥気味で味気ない手触りだったPさんの腕の皮膚は、ちょっと潤いのある、すべすべした手触りになっていました。良い徴候です。


 翌朝、Pさんに状況をうかがうと(幸い、Pさんと私は事後報告が訊ける間柄なのでした)、昨晩はよく眠れ、朝の痛みはずいぶん、というかほとんどなかったとのことでした。施術1回目の結果としたら上出来といえます。

 ただし1年以上続いた痛みが、1回で完全になくなるとはちょっと思えません。差し当たり、あと1、2回は掛かるはずです。
 とはいえ、改善の見通しは立ちました。良かったです。


121012 子どものお客さんと仲良くなること

 子どもに施術するときに難しいのは、なんといっても「子どもと仲良くなること」です。
 私たち大人が人に好き嫌いを感じるのと同様、子どもにも好き嫌いはありますし、一方で、「整体の場」と分かって来られる大人と違い、子どもには場所の意味が分かりません。「ここどこッ? アンタだれッ?」と言いたげに固まる子どもの気持ちを思うと、知らない場所で知らないおばちゃんに愛想良くされて、あちこち触られまくるのは、さぞかし恐ろしいことだろうなあ、とかわいそうになります。


 初めて、お母さんに連れて来られたPちゃんは、2才です。ものすごく不安そうで緊張して警戒していて、触られるのもベッドに上るのも「嫌」と言って許してくれません。
 こちらとしては後々のことまで考えると無理強いはできないので、精一杯、説得というか誘い掛けをしてみますが、やっぱり答えは「嫌」。

 仕方がないのでその日はお母さんに施術をして、「すいません、長期戦を覚悟してください。まず場所と私に慣れてもらわないと、Pちゃんに施術はできないと思います」。お母さんに断わりを言い、了解の上で来ていただくことになりました。

 2ヵ月後、待望の2回目です。今回はなぜか、あっさりベッドに上り、あっさり施術も許可されました。終始緊張はしていたものの、前回の拒絶はなんだったの、と拍子抜けするほどの変わり様でした(きっと2カ月間、お母さんが説得していてくれたのでしょうね……。ありがたいことです)。

 で、先日――2回目の施術の翌週が、3回目の来院でした。2回目の施術(実質は1回目の施術)が身体に気持ち良かったのか、Pちゃんの緊張はかなり解けていました。施術時間の中盤から後半には笑顔も出て、ちょっと歌ったりお話したり、上機嫌といって良さそうです。




 それまで、施術そのものを拒否されたことがなく、また、施術を始めると落ち着いてくれる子どもさんにしか出会っていなかった私には、Pちゃんは良い勉強でした。

 1回目に焦って無理強いしていたら、2回目は店に来てくれなかったかもしれないし、かといって、2回目以降も拒否され続けたとしたら、お母さんが嫌になられたでしょう。もちろん、私だって精神的にかなり堪えます。

 お互い、2回目で仲良くなれて幸いでした。
 子どもながら肚をくくってくれたPちゃんと、保証もないまま「長期戦」の覚悟を決めてくれたお母さんに、心からありがとう!の拍手を贈りたい気分です。


121031 イスの好みが変わる

 9月の中頃、B先生(非整体師の方です)から、「左の仙腸関節の緊張が強いですね」とのご指摘を頂戴しました。
 ある部分の緊張が強い、ということは、別のところの緊張が弱い、ということです。念のため、「緊張が弱いのは右半身ですか?」とお訊きすると、「そうですね」と、B先生。

 ただそれだけの短い対話がきっかけとなって、その後、自分の身体への、右半身への施術がどんどん展開し始めました。目立つところだけ挙げても、右股関節、右肩、右首、右頭、右腕、右脇腹、右太もも、右脛、……。
 ものすごい勢いで施術が進みます。そうして、最終的に仙骨部分と右の仙腸関節にまで施術が及びました。これで、一応の一巡りと言えそうです。

 そして、この時点で、私のイスの好みが大きく変化しました。
 それまで使っていたのはいわゆる学習机用の椅子。キャスターと背もたれが付いたものです。一方、いま座っていて落ち着くのは、キャスターも背もたれもない、単純な丸い腰掛です。

 身体の安定が増してくると、概ね、あっさりした道具の方が楽になる、あるいは好きになるようです。おそらく、道具に支えてもらうより自分の筋肉で支えたくなるのでしょう。
 同じような好みの変化は、以前、靴でも経験しました。そのときは、作り込まれた、立体的な靴の中敷を邪魔に思うようになりました。

 そんなわけで、好みが“あっさり路線”に変わるのは、個人的に嬉しい変化なのです。


121120 店のヤモリ、逝く。

 夏の初め頃から店に住み着いていた小さなヤモリが、先日とうとう死んでしまいました。
 ちゃんとカゴに入れて飼っていたわけでなく、部屋で放し飼い、というか勝手に室内をちょろちょろしていたヤモリです。「外の方が生きやすいのでは?」とか「踏みそうだから出て行って」とか思って1、2度逃がしてみても、数日後にはまた室内で姿を見かけるので、なにかしら居心地が良かったのかもしれません。

 ところが死ぬ数日前、たまたま遭遇したときに観察すると、ずいぶんやせている感じがしました。エサ不足? と思って慌てて調べると、ヤモリのごはんは「生きた虫」。しかも生餌限定。
 ……い、生きた虫か……。虫が苦手で躊躇して、それでもやっぱり買ってくるべきかと半分決心しかけた翌日、植木鉢のところでぽつんと動かなくなったヤモリを見つけました。




 まぶたはないので目は開けたままです。おなかが呼吸で動かないので、指先でちょこっとしっぽを押してみると、かくっと抵抗なく動きます。
 反応しない筋肉の、その「抵抗のなさ」と、その抵抗のなさを感覚できる自分の「検査感覚」とにほとんど同時にびっくりしながら、ああ、死んでるわ。納得して、で、そのまま植木鉢の土に埋めました。


 ヤモリの、生きたしっぽと死んだしっぽとの筋力抵抗の違いが感覚できるということは、ヤモリにも、私の使っている検査(筋力検査)は使える、つまりその気になればヤモリにも整体はできるということです。

 ずいぶんむかし、私は犬に施術したことがあって、そのとき感じたのは、私が整体できる範囲は、「哺乳類はほぼ確実。脊椎動物もたぶんできそう。内骨格系の生き物全般……までは無理かしら?」という手応えでした。

 いまはもう、事故やケガが怖いので、ヒト以外に施術することはありません。が、今回のことで、ヤモリまでは施術できそうな自信ができました。道具は、おそらくヤモリにキリでは粗雑すぎて無理でしょうけれど。


121130 膝の痛みと尻餅

 Pさんは、膝の痛みが悩みで、先月から来られたお客さんです。痛みが割にきついことと、膝痛が既に仕事の邪魔になっていることとを踏まえ、少し頻繁に来てもらうようお願いしました。現時点で、4回目の施術が終わっています。

 痛むのは一部分であっても、整体では、全身の状態を考え改善していきます。
 症状はないけれど実際に傷ついている“部分”がどこかにあって、そこをかばうために膝ががんばっている、しかしそのがんばりの限界を超えたために痛みが膝に出ている、という理屈です。

 この仕方では、「実際に傷ついている“部分”はどこか?」を見つけ出すことが大事です。
 もちろん私は、1回目の施術からその“部分”を探しにかかります。けれどすんなり見つかるとは限りません。時間が掛かるときもあります。Pさんの場合は、最初の2、3回で枝葉が払え、4回目にして核心に迫れた手応えがありました。

 で、その核心というのが尻餅だったのでした。それも、15年ほど前の尻餅です。




 ところで私は、Pさんとちょうどよく似た状態の方をひとり、知っています。数年前、店に来られていたQさんです。
 Qさんは、Pさんと同じくらいの世代の方で、同じように膝が痛かったのでした。ところがPさんと違ってQさんは、定期的に、かなり長期にわたって膝に注射をされていました。コンドロイチンとかそういう類の注射です。

 整体に来られている期間中も、時期が来たら注射を受けられ、注射を打つと、身体の状態(筋肉のバランスその他)ががらりと変わる。この極端な変化に、当時の私は(って今もあまり自信はありませんが)対応できず、悔しい思いをしました。施術も、うまくいきませんでした。

 Pさんは、注射は打たれません。さしあたり状態の急激な変化は起こりません。これは大事なチャンスです。
 今度こそ、Pさんの膝痛をスカッと良くして、私なりの理解と手応えを結果につなげたいと思います。


121207 “最高齢お客さん”記録更新

 先日来られたお客さんは、御年86才。この方のおかげで、私の“最高齢お客さん”記録は更新されました。結果、施術したことのあるお客さんの年齢幅は1才〜86才になりました。
 年齢幅の拡大は、些細なことのようでいて、私にとっては大事な意味を持っています。というのも、1才と86才とでは、身体の作りも状態も、そして整体で目指すところも、まったく違うからです。

 1才であれば、これから長い成長の時期が待っています。骨、筋肉、皮膚、神経、血管、その他。身体を作るすべての素材が足並みを揃えて、その人なりの大きさ・丈夫さで適切に育っていく必要があります。
 ですからそれに応じて整体も、いまある症状に注目すると同時に、今後の成長の邪魔になる“足並みの揃わない部分”を、積極的に改善していくことになります。

 一方、86才であれば、成長は一段落しています。ですから日々を楽に、つつがなく過ごせる身体に改善することが第一目標になります。このとき大切なのが、施術の効果は狙いながら、施術が引き起こす変化は、極力最小限にとどめておくことです。
 一般的に、年齢が上がれば上がるほど、身体は、変化に適応することが苦手になります。これは悪い変化だけでなく、良い変化であっても同じです。変化が大きく急であれば、どちらにせよ身体には負担です。ですから、1度に起こす変化はなるべく小さく、軽くを狙います。


 私自身に、こういう、加減への方針というか覚悟が決まらない間は、お客さんの年齢幅が広がることが怖くてなりませんでした。1回1回の施術時間で、またもっと長い時間の中で、なにを施術終了・改善完了の目標にするべきか自信が持てなかったからです。
 それが、いまでは平気になりました。年齢に応じて目標はあって、それに応じて施術は変える、それが自然だ、と納得できたからです。


 ただし、今回の86才のお客さん(Pさん)は、肩こりや腰痛で来られたのではありません。転倒してぶつけてできた脹れがひどいことが、来院の理由でした。

 打ち身でできた脹れを引かすのは、私の得意分野のひとつです。
 「Pの脹れがひどいのですが、整体で脹れは引きますか?」。以前からのお客さん、Qさん(Pさんの子どもさん)から相談されたとき、「とりあえず1回来てください」とお願いしました。それが先日の施術です。

 施術が済むと予定通り、脹れはあらかた、引き始めたようでした。Qさんとの「とりあえず1回」という約束は、どうやら守れそうです。


 後日、Qさんからお電話をいただきました。Pさんの脹れはほとんど引き、痛みも治まり、比較的自由に歩けるようになっている、とのことです。
 脹れが引いたのはもちろんのこと、すぐに動けるようになったというのが大金星でした。年齢に関わらず、必要な筋力が衰えてしまうと、それを取り戻すのは一苦労です。Qさんには、嬉しい報告を頂戴しました。


121225 ムチウチのお客さん

 先日、とあるお客さん(Pさん)から、「ここへ来始めてから、いまでだいたい1年ですね」と言われました。
 「え? 1年ですか?」。とくになにも考えていなかった私は言われて初めてそれに気付き、記録を見直すと、確かにそれくらいです。「はあぁ、1年ですかぁ」。Pさんとの1年には、ちょっと特別な思いがあります。


 Pさんは、ムチウチを3回されたお客さんです。
 1度目は、30年ほど前に追突事故で。このときは大型トラックに当たられています。
 2度目、3度目は浴室のなかで転倒、頭を打たれています。
 その結果、頭から腰にかけての筋肉がガッチガチに固まり、症状は首と腰に集中、安易に手出しができないような状態でした。

 そんなPさんに初めてお会いしたのは2007年のことでした。5年前です。ご家族から紹介されて店に来られ、ひと目みるなり私は、私の手に負えるか負えないか、かなりぎりぎりな状態だなあと感じました。
 そこでその感じをそのままPさんに伝え、その他いろいろの事情とも相談した結果、施術はしないことにしました。

 その後、去年になって、再びお会いすることになりました。
 このときには、以前、壁になっていた事情のひとつは変化していました。
 また、その間に積んだ施術経験のおかげで、私自身、2007年に感じた“手に負えない感じ”は受けませんでした。ムチウチへの施術の必要上、そこそこ手数は要るだろうけれど、まあ、大丈夫だろうな、と、そんな感じに構えていられました。
 それで、施術関係を始めることになりました。

 記録によると、最初の半年はほぼ毎週、それ以降は、症状が軽くなったため、ペースがばらばらになります。2週続いたり、1〜2ヶ月開いたり、体調次第、気の向くまま、です。
 そしてその間ずっと、施術の方針はぶれずに、3つのムチウチを追い続けています。


 これはいまだから言えることですが、コツさえ分かれば、ムチウチへの施術はわりに簡単です。施術すべき場所と手順さえ間違わなければ、びっくりするような大混乱は起きません。かなり、予測に沿った展開を示します。
 けれど4年前、私はその同じPさんの状態に圧倒され、「下手に施術してはいけない」と判断して手を出しませんでした。

 以前はできなかった人にも施術できるようになること、そしてまた、以前「できない」とお断りした人がまた再び訪れてくれること、これはどちらも、すごいことです。
 腕を上げたなあ私、といつもの自画自賛は相変わらずですが、それよりなにより、もう一度私に賭けようと思ってくれたPさんとご家族の方に、ともかく頭が下がります。


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