整体・身体観 13
110627 日光と目玉、そしてまぶた。
このところ、サングラスについてちょっと思うところがあって、日光と目玉の関係をあれこれ考えています。
以前
(100515)も書いたことですが、直射日光を浴びて偏頭痛が起きる場合、私個人の実験では、原因はまぶしさにありました。
黒いサングラスや黒い日傘ならほぼ偏頭痛にならず、白い日傘や透明サングラス、帽子で偏頭痛が起きたのはその証拠だと思われます。
では、なぜまぶしさが偏頭痛を引き起こすのか……?
まぶしいとき、瞳孔は小さくなります。反対に暗いところでは、瞳孔は大きくなります。
小さくするときには「瞳孔括約筋
(どうこうかつやくきん)」がぎゅっと縮み、大きくするときには「瞳孔散大筋
(どうこうさんだいきん)」がぎゅっと縮む。瞳孔は、2つの筋肉の役割分担で大きさを変えます。
ところで、まぶしいところにいると、瞳孔は小さくなりっぱなしです。
これは瞳孔括約筋が縮みっぱなしということで、この状態が続けば瞳孔括約筋には疲労――こりが生じます。
もしかすると、偏頭痛は、瞳孔括約筋のこりによる症状なのかもしれません。
瞳孔括約筋のこりを取るには、瞳孔散大筋を縮ませるのが効果的です。そのためには、適度なタイミングで目玉を暗い環境に置く必要があります。
――え? 暗い環境? そんなこと意識したことないけどなあ……。
自分で書いておいて「あれっ?」と思い、考えて、ひらめきました。まばたきです。
まばたきは、確かに一瞬で暗闇を作ります。なんせ光を入れないわけですから目玉にとっては真の闇です。
まばたきした瞬間、感覚が闇を察知するのか、それともある程度はまぶたの筋肉と連係して瞳孔も動くものなのか、それは私は知りません。
が、まばたきした瞬間、暗さに対する反射が起きて瞳孔が大きくなる――瞳孔散大筋が縮んで、代わりに瞳孔括約筋が休憩する――これは、なんだかありそうです。
そしてもしこれが正しい予測だとすると、まばたきの回数およびまぶたの厚さは大いに重要と考えられます。
適度な間隔のまばたきと、適切な分厚さのまぶたで闇が作れなければ、瞳孔の反射も起こらないあるいは起こっても不完全と予想できるからです。
ちなみに私の場合はまぶたの薄さが原因で偏頭痛が起こるようでした。
もともと二重なので薄くもあったのでしょうが
(機能的には一重まぶたの方が優秀)、頬骨の加減でよりいっそうまぶたが薄くなっていました。
ごそごそ施術しているうちに頬骨の状態が改善し、それに伴いまぶたがふっくらしました。そしてそれ以来――かどうかは覚えていませんが、少なくともこのところ、明らかにまぶしさへの苦痛がマシになっています。真夏はともかく今くらいの日光なら、偏頭痛への心配も感じません。
まぶたが作る闇が偏頭痛を防ぐ――なんて、ちょっとカッコいいイメージです。
そう、偉大なるまばたきは目玉の乾燥を防ぐだけではないのです
(! ……ってホンマかいな)。
110706 虫刺されと整体、ついでに太極拳。
整体でこりや痛みがらくになるのだから、虫刺されだって良くなるはず。だって、どちらも原因は血行不良なのだから――。
というわけで、今回は蚊の刺され跡を起点に施術を始めてみました。
きっかけにしたのは、右足かかとの内側、集中的に食われた3ヶ所のハレです。
いくら私が実験好きといっても、放っておいて引くハレならば、こんな面倒な手間はかけません。素直に放っておきます。
けれど、このハレだけはダメでした。ハレっぱなしで一向に引かないうえに、ともかく猛烈に痒いのです。
ああ、この痒みだけでもなんとかしたいッ! いったいここはどれだけ血行が悪いのかッ!
で、我慢できずに施術しました。
結果は、良好。
足の裏から足首にかけて、かかとの骨をめぐる広範囲から癒着が見つかりました。
癒着の原因はよく分かりません。
手応えの感じでは小学生かそれくらいの頃のケガのようですが、どうもはっきりしません。
状況も、かかとの骨がすね部分にめり込んでいるような感触からすると、飛び降りたときの着地ミスが原因? と予測はできます。が、はっきり記憶に残るようなケガには心当たりがありません。
ま、なんでもいいや。
原因の追究はあきらめて施術を続けると、ひととおり済んだところでたちまち、我慢できない眠気に襲われました。
これは、施術を受けるとときどき見られる現象で、良い徴候のひとつです。施術がうまくいって、筋肉のバランスが急激に変化すると、この眠気が起こります。
30分ほどガクッと眠ればスキッと目覚める特徴的な眠りです。
で。
この施術が一段落すると、私にとってひとつの奇跡が起こっていました。太極拳の動きで、重心の移動が、少しだけゆっくり大きくできるようになっていたのです
(!)。
自分で言うのもなんですが、私の太極拳はとてもちまちましています。
現時点の体質が、「上半身の安定が悪く、低い位置で重心を落ち着かせきれない」状態にあるため、“大きく”とか“ゆったり”とかいった動きがうまくいかないのです。
大きく動くとふらふらする。ゆったり動くと間がもたない。結果、なるべく動きはこぢんまり、さくさく動くことになります。
私の予想では、重心が収まりきらない直接の原因は、右の股関節の不具合にありました。
股関節の収まりが悪いからどしっと重心が落とせず、落とせない重心がふらふら上にあがる、だものだから上半身の安定が悪くなる、そんな感じです。
しかしそこまで想像していても、具体的にどこをどう施術すれば私の股関節の収まりが良くなるのかは分かっていませんでした。
どこが悪いんだろうなあ……。考え続けて、早や8年
(くらい)。
それをあっさり、1匹の蚊に指摘されました。――指摘、というか、見切られたというか。
人も先生、蚊も先生。人生が、いつでもどこでも誰からでも学べということなのか。はたまた私の根性が、転んでもタダでは起きないようにできているだけなのか。
まそれはこの際どっちでもいいですが、とりあえず、夏はまだ始まったばかりです。
もう2、3回ばかしぷすぷすっと刺されれば、もっともっと施術が進展して私は元気になって、ついでに太極拳も上達しちゃうかもしれません。
しばらく、蚊任せな展開を見守ろうかと思います。
110712 身体の癖、膝の痛み。
しばらくぶりで、あるお客さん――Qさん
(仮)が来られました。数ヶ月ぶりのご来店です。
状況をお聞きすると、いきなり左膝が痛くなって立ち歩きがきつくなった、とのこと。
最初に痛みに気付いたのは数日前。ちりちりっとした軽いものだったのが徐々にひどくなり、来店当日には階段を上るのもやっとのこと、平地を歩くのも痛い状態になっていた――。
「こんな症状は初めてです」。心当たりのない突然の痛みに、Qさんはやれやれといった感じです。
それをふむふむと聞きながら私は、“Qさんの古いケガ記録”を見直します。と、「ああ、なるほど。これが原因か」。あっけないほど簡単に、因果関係が判明しました。
Qさんの右膝には、子どもの頃のケガの痕――古傷があったのです。
右膝の古傷(癒着)が左膝に痛みを出した――これは、私には極めて分かりやすい構図です。
そこで、気になるのは「なぜ今になってこんな痛みが出てくるのか?」です。
飛び飛びではありますが、Qさんとは数年来のお付き合いになります。当初から膝には、慢性的な疲れやすさ・だるさがあるとお聞きしていました。けれどここまで急激な痛みは出ていませんでした。
それなのに、なぜ今になって症状が出たのだろう? そしてなぜ今まで症状は出なかったのだろう――古傷は、数十年前からあったというのに。私にはこれは、ちょっと興味深い疑問です。
が、話し始めるとすぐ謎は解けました。Qさんは、数ヶ月前に始めた太極拳を、いまも続けているというのです。
ざっくり言って、スポーツ全般・あらゆる運動には、量と質の側面があります。量は、時間です。そして質は、どのように動くか――フォームです。
太極拳は、きちんとすれば、フォームへの要求がかなり大きい運動です。そしてフォームへの要求に応えようとすると、
自分の身体の癖に逆らった動きもいろいろすることになります。
たとえば、身体の癖は外股なのに、足は平行で立たなきゃならないとか、腕を伸ばすと肩が上がる癖があるのに、肩は下げとかなきゃならないとか。
先生の言い付けどおり、足を平行にしたり肩を下げたりしていると、身体には無理がかかります。無理、といって聞こえが悪ければ努力といってもいいですが、要は、いままでと違う身体の使い方をすることになります。おそらくそれが、今回の膝痛のきっかけになったのでしょう。
「痛いのは左膝なのに原因は右膝ですか……」「そうそう。そうなんです」。
珍しく
(?)確信に満ち満ちた余裕の態度で施術していると、ふと思い出したようにQさんが、「そういえばこの間の発表会、来られてました?」。――え? 「ざっと会場を探しましたが会いませんでしたね」。
発表会は、複数の太極拳教室が集まって開きます。
「――ああ、今年は私、参加しませんでしたから」。うつろな声で返事しながら、そのとき初めて、大事なことに気付きました。
……そうか。Qさんが太極拳を始めたということは、悪くすると、私の太極拳
(もどき)がQさんに見られるかもしれんということか……。
あまりにも遅い気付きに、一瞬で、意気消沈。
――ああ、ちょっと真面目に練習しなくては。とりあえず、あんまりみっともない失敗だけは、しないようにしなくては……。
なんだか急に、全然別の意味で余裕が消え去ってしまいました。
もちろん仕事はきちんと収めましたし、後日いただいたメールでも結果はちゃんと出ていたようです
(良かった)。
が、こんな大事なこと、施術中に気付かせるのは反則です。不意を衝かれて、思いっきり素で動揺してしまいました……。
110725 自転車でずっこけて前歯を折る
しばらく前のことになりますが、先日、自転車で派手にずっこけました。
夜のことで状況はよく見えないながら、どしゃっとこけた瞬間から、大変なことが起こった衝撃というか恐怖だけはありました。
こ、骨折? と思いあちこちチェック。
――無事のようです。
じゃあ、何――? と思っていたら前歯が1本、半分ほど折れてなくなっていました。
歯ァか……。
愕然としながら帰宅して、翌朝いちばんで歯医者さんの予約を取ってもらうよう母に頼みます。行き先は、母方の伯母が名医と太鼓判を押すJ歯科です。
歯がなくなった衝撃と興奮と実質的な痛みとで、ごはんが食べられないことは分かっていました。
熟睡もきっとできませんが、起きていても仕方がないのでとりあえず寝ることにします。
私の施術の友・キリが、枕元にちゃんとあるのを確認して、消灯。
ケガの直後には、あちこちに炎症や筋肉の異常緊張が起きます。それらは腫れの元になって治りを悪くし、場合によっては“後遺症”的な問題を引き起こします。
ですから、これを手早く、うまく、ひととおり片付けておけるかどうかはケガの予後に大きく影響します。
しかも今回は明朝に、歯の治療を受けることが決まっています。
がちっと手を加えられる前の歯やその周囲に、あらかじめできるだけの施術をしておきたい――せめて炎症や緊張くらいは改善しておきたい。そんな切実な思いが私にはありました。
そこで。
少しうとうとするとすーっと目が覚めるので、すかさず施術。
またうとうとしてはぼんやり起きるので、ちょこちょこ施術。――と、そんなこんなで朝を迎えました。
折れた直後から歯医者さんでの治療の直前まで、ほぼずうっとマスクはしていました。
笑うと恥ずかしいから、とかそういう可愛い理由ではなくて、もっと実用的な理由――空気に触れるととにかく痛いのです。鼻から入った空気が口に流れ込んで起こる“乾燥の気配”にまでビクビクする始末なので、まるでかじりつく勢いでマスクにしがみついていました。
ひたすら頭にあるのは、「この痛みはきっと神経が出ているはず。とすると細菌感染が何より危険なはず」という恐怖です。
感染の恐れを避けるため、乾燥させない・むやみに触らないを心がけつつ、ずっと下唇の裏側を無意識に噛んで断面を圧迫? 保護? していました
(寝ているときも。さすが!)。
で、ようやく診察の順番です。
私にとっては歯医者に限らず医者全般がそうですが、久方ぶりの病院体験です。とにかくやたらに何もかもが怖い。
これでガリガリするのかしらとかこの器具は何に使うのかしらとか、好奇心で恐怖を紛らせようときょろきょろしてみますが、見れば見るほど余計に怖い。
結局、先生は噂どおりすごいお医者さんで、「あー、こことここに神経が出てるねえ」とレントゲンを見せてくれて、神経にちょちょいと消毒して保護剤塗って乾かして、パテみたいなので歯の先っちょを作って貼りつけて、「痛みが出たらやり直しだけどうまく行ったらこれで保つから様子を見ましょう」と1度の通院で見事に収めてくださいました。――大恩人です。
ところで、個人的におもしろかったのは、保護剤を塗られた直後の私の反応でした。
それまでガチガチに緊張していた肩のこわばりがすっとほどけ、と同時におなかがぐうっと鳴ったのです。
夕べから何も食べていないので、空腹は当然です。
けれど保護されたのは神経だけで、歯はまだ半分近く欠けたままです。
――え? 歯は欠けていても良いの? 神経さえ覆われればもう「空腹!」とか言っちゃって良いの?
あまりに精確で繊細な反射的反応――けれど“全身の主”である私としては欠けた歯に対してどことなく薄情な感じもして、我ながら身体の、徹底した合理精神に感心して笑いそうでした。
作りつけてもらった歯は、その後も、ありがたいことに快調です。
「ニセモノの歯にもいつの日か、神経が通ればおもしろいのだけどなあ」と、またもや妙なことを思いつき、ひそかに、神経の再生・延長を念じる毎日です。
110728 「耳の穴の施術」と「音への過敏さ」
先日、耳の穴に施術する機会がありました。キリを使うようになってからでは初めてのことです。
しかも奇遇なことに、お客さんにしたその数日後に、自分の耳の穴にも施術する機会がありました。
先にしたお客さん――Pさん
(仮名)には、耳の穴の施術が必要な理由が明らかにありました。この方は幼い頃に耳の穴に傷を負っているのです。
ところが私には思い当たる耳のケガがありません。(うーむ、なぜ施術が必要なのだろう? やっぱり頭を打っているから
?)とちょっと悩みながらの施術になりました。
Pさんの場合、現時点でのいちばんの症状は肩こりです。
一時的に消失しても、数日から数週間で復活し始める首肩のこり、腕のだるさ。こりの芯が、なかなか取りきれない。取れても、軽さが維持できない。そんな状態です。
一方、私の場合、とくに目立った症状はありません。
すっかり健康か? と聞かれるとそうではないのでしょうが、「これ!」と言えるような突出した自覚症状はいまのところありません。
それが奇しくも、そろって、同じ「耳の穴」というちょっと特殊な部位に施術することになりました。
自分・他人に関わらず、耳の穴の施術は恐ろしいものです。
内側の形は見えないまま手探りでしなければならないし、しかも突き当たりにあるのは鼓膜です。間違っても行き過ぎることはできません。
近頃になく緊張しながら念入りに耳の解剖学を復習して、ひたすら集中して施術に臨みました。
――で、施術が済んでの手応えは、両者とも良い感じでした。
Pさんの状況については、「具合が良いようなら次回は1ヵ月後に」とお願いしたので、現時点では詳細が分かりません。ただし具合が悪ければ来てくださる方なので、きっと調子が良いのでしょう。
私の方には、おもしろい変化がありました。
これまであった、「音に対する過敏な感じ」がずいぶん軽くなったのです。
この過敏な感じというのは、険のある音に対する一種の緊張のようなものです。
だいたい高音が多いのですが、ある音域
(?)の音あるいは大音量の音が耳に入ると、独特の反響が耳か頭かその辺りで起こり
(キーンとかギューとかいう感じ)、反射的に、肩首が緊張して奥歯を軽く噛み締めているのです。
自分では勝手に「鼓膜が緊張に耐えられないから起こる反応なのだろうか」と考えていたのですが、耳の穴の施術で過敏さが変化するのなら、この理屈はスジが通りません。
緊張していたのは鼓膜ではなく、鼓膜の周囲にある耳の穴の壁――皮膚と考える方が正しそうです。
耳の穴の緊張が弛んでみると、驚くほど世界は静かで穏やかでした。
もちろんセミが鳴いたり車が走ったり話し声がしたり、相変わらず町は物音で満ちているのですが、そしてその音は確かに私の耳にも聞こえているのですが、それが、単なる音という感じなのです。
キーン(+恐怖感・嫌悪感)とかギュー(+圧迫感)とかいったおまけのない、単なる背景としての、音。
その背景の音音を聞き流しつつ、耳ブタを持たない耳が脱力できている無防備な状態とは、ずいぶん楽なものなのだなあ――と、物心ついてから初めて知りました。
軽い緊張はまだ残っているようなので、まだ少し、追加の施術は必要なようです。
が、耳の穴。――これは、良い施術でした。
110902 腕と腰痛
先日、「腰が痛い」とお客さんが来られました。
散歩の後、リクライニングできる椅子で昼寝して、起きたら腰痛になっていた。2日後の今日はずいぶんマシになっているけれど、その日とその次の日はかなりひどかった、とおっしゃいます。
「昼寝までは痛くなかったのですね?」「はい」「痛くなった日かその前日にふだんと違うことをされましたか?」「いいえ」。……どういうことだろう?
ちょっと考えてみたところで分かるものではないので、とりあえず、検査を始めることにしました。
予想通り、腰からは問題が見つかりません。代わりに、左腕から問題が見つかりました。
そこで質問を変えて、「痛くなった日かその前日、あるいはその前々日くらいに、腕をたくさん使いました? 重い物を持ったとか、細かい作業を長時間したとか」。
するとお客さんはちょっと考えた後で、「あ。前日にゴルフの素振りをしました」。
――納得です。
ゴルフの動きで目立つのは
(って私はしたことないですが)、ひねりの動作です。
両足は踏ん張って立っておいて、体重を前方に移しながら、腰をひねって肩をひねって腕をひねって手首を返す――。
ところがこの方は小学生の頃に、左手の小指をケガしていらっしゃいます。そしてその結果、左小指から左肘にかけての皮膚・筋肉に、広い範囲に癒着ができています。
この状態では、肘から先へのひねりは、きれいに連係しません。
おそらく、この方は、動きのどこかにギクシャクした感じを覚えて、ちょっと根を詰めて練習されたのでしょう。そしてその負担が腰に集中して、腰痛になったのだろう、と見当をつけました。
施術が済んで、ちょっと動いてもらうと、どうやら快調のようです。
予定では明後日からゴルフ場に出かけるそうなので、もしもまだ具合が悪いようなら明日の午後ではなく午前中に、もう1度来てほしいとお願いして、終了しました。
それ以来、ご本人とはお会いしていません。が、後日、ご家族とお会いすることができました。
様子をお聞きすると、「そういえば何も言っていなかったですねえ」。
整体屋にとって、これはまずまず良い“結果報告”といえます。よしッとひと安心しつつ施術の状況を思い出して、腕と腰、そしてゴルフとリクライニング――見事に鮮やかな関連だなあ、とちょっとうっとり感心しました。
110912 耳の穴の施術、その後。
初めてPさんの耳の穴に施術
(110728)してから1ヶ月あまりが経ちました。
その間、教わること・思うことがいろいろあったので、簡単にまとめておきます。
まずひとつ分かったのは、
直接ケガをしていなくても耳の穴は、施術が必要な場合が多いということです。
頭を打った、頭に傷ができた、ムチウチ状態のケガをした、……。ちょっと大きい衝撃とかケガを頭に受けたことがある場合、かなりの確率で耳の穴の皮膚から問題が見つかります。
実際、いまみせてもらっている方で「直接耳の皮膚に傷がある(あった)」という方はPさんだけです。そしてそのPさんも、傷のある側だけでなく傷のない側の耳にも施術が必要でした。
もうひとつ、これは私の印象ですが、
根深い首肩のこりには、耳の穴が関係していることが多そうだ、しかも猫背にも関係がありそうだということです。
首肩のこりについては、「他の症状はあれこれ改善したけれど、どうしても肩こりに芯が残る!」というお客さん数人において、明らかな改善がみられました。
猫背については、結果はまだはっきり出ていません。けれど施術したときの手応えと、筋肉その他の位置関係から組上げた考えを足し合わせると、まんざら出鱈目な思いつきでもなさそうに思えます。今後の経過が楽しみです。
他にも、全身との関連について思うことがいくつかありました。
が、残念ながらいまの私の文章力では、それをうまく表現することができません。頭の中ではできている「専門知識」と「観察結果」と「妄想」の区別が、文章にするとごちゃごちゃになって、さっぱり整理がつけられないのです。
もうちょっと文章力が上がるか、すぱっと状況が理解できたときに、改めて報告することにします。
ともあれ、耳の穴はおもしろい施術でした。
Pさん、ありがとうございました!
111013 姿勢と身体
「整体を受けても、姿勢が悪ければ、身体の状態はまた悪くなりますか?」
――これまでにもときどき訊かれた質問です。
「あ、いえいえ、悪くなるのは姿勢→身体の順番ではなく、身体→姿勢の順番です。
悪い姿勢が悪い身体をつくるのではなく、
悪い身体が悪い姿勢をつくるのです」と説明すると、たいていの方がすぐに納得してくれます。
私にすれば、誤解が解ければそれでめでたし! ですし、ついでに、「悪い姿勢を無理に良くしておこうとがんばらないでください。それより整体で姿勢がどう変わっていくかを観察しておいてください」とお願いする機会もできるわけなので、質問されること自体は大歓迎です。
ですが、「姿勢の悪さは自分のせい、自分がちゃんと気をつけていないせい」と思っている人が多いことには、正直ちょっとびっくりします。
姿勢は、意識してつくれるものではありません。
自然にそうなってしまうものです。
筋肉のバランスが良ければ、放っておいても姿勢はしゃんとなります。
バランスに偏りがあれば、いくらがんばって注意していても、ふと気付くと悪い姿勢になっています。――そういうものです。
もちろん、「この時間だけ良い姿勢でいよう」とか「この人に会っているときは緊張して姿勢が良くなる」とか、短期集中でしゃきっとしておくことはできます。
けれどそれも本来的な意味での良い姿勢ではありませんし、筋肉によけいな無理をかけるため、長続きしません。
姿勢が悪いことを自覚されているなら
(と偉そうに言っている私もその一員ですが)、「姿勢が悪いからダメなのだ、良い姿勢でいるよう努力しなければ!」と思うより、「姿勢が悪い――ということは身体のどこかがしんどいのだな」と納得して、身体を大事にしてほしいです。
その方がよっぽど、長い目でみたときに健康的だと私は思います。
またまた直前告知でごめんなさいですが、10月15日、16日はお休みします。
勉強会に、参加してきます。
111028 おフランスと私
少し前のことになりますが、ほぼ同時期に2人のお客さんから「施術が変わりましたね」と指摘されました。
「え。どのへんが変わりました?」。私が訊くと、おひとりは「左手の感じが違う」。おひとりは「キリ使い
(!)が違う」。
褒められて素直に喜んでいると、そのお客さんお2人から反対に、「なぜ変わったのか?」と訊かれました。
通常、私の施術が変化するのは、それ以前に私の身体を変化させているからです。
自分で自分に施術をして、筋肉や皮膚の状態を改善して、“私の身体=施術道具”の使い勝手を良くすれば、それに伴って腕前が上がる――これがいつものパターンです。
ところが今回は、少々事情が違っていました。
身体ではなく頭、というか考え方を改善できたことが、施術を変化させたようなのです。
整体の仕事を始めて1年半ほど経ったあるときから、私の考え方――「身体」とか「病気」とか「症状・不調」についての考え方は、それ以前とはすっかり変わったものになりました
(これは、当時の太極拳の先生と、東洋医学の考え方、そして極めて特徴的な数人のお客さんのお陰です)。
新しい「身体観・病気観」の内容は、私にとって大きな感動で、「ああ、ヒトというのは、生き物というのはこういうふうに理解するものなのだなあ」と私はすっかり悟りきった気分でいました。
そして、ぜひとも同じ考え方の人に出会いたい――! そう願うようになりました。早速、近い見解を持っていそうな人の本をあれこれ調べ始めます。
が、なかなか似た考えの人が見つかりません。
どの本を読めばいいのだろうか……。途方にくれかけた頃、ようやく出会えたのが、ピエール・ジャネ。1900年頃のフランスの心理学者でした。
もうめちゃくちゃに感激しながら邦訳されたジャネの本を読み、それを手掛かりに範囲を広げていくと、アンリ・ワロン
(教育)、アルフレッド・ビネ
(教育)、メーヌ・ド・ビラン
(哲学)、ラヴェッソン
(哲学)、アラン
(哲学)、……、ざらざらつながっていきます。
どうやら、当時のフランスには、おもしろい人が目白押しだったようです。とどめ
(?)が、偉大なる哲学者、アンリ・ベルクソンでした。
この人たちに共通する――と私が感じるのは、「身体と心の全体をまとめて、人間のことを考えている」こと、「具体的な話を具体的なまま話すことができる」ことなどです。
もちろん技術的には、私のしている整体と、100年前のフランスの哲学・心理学・教育学との間に、直接のつながりはありません。
けれど突き詰めて考えれば「人間観」のようなものは、根っこのところで共通しています。
冒頭の話に戻ると、今回、私の施術を変えたのは、フランスの哲学・心理学・教育学の本でした。
それがフランスだったのは自分でも意外でしたが
(なんとなく東洋から見つかるかなと思っていたので。でも今の私には、古い古い中国とちょっと古いフランスはよく似ている! と思えます)、お陰さまで、「こんなこと考えてるの、私だけか……?」という不安から解放されました。
結果、スキッと気持ちが軽くなったことが、施術の変化の原因、です。
今回も、手に取ったのは古い本が多かったです。絶版本はもとより、限られた図書館にしかない本もたくさんありました。
原著者はもちろんのこと、翻訳してくれた方、出版してくれた方、そしてそれを保管していてくれた方みんなに、心から、ありがとうございます!
111104 新しい動作習慣
偶然、よく似た時期に、2人の方の歩き方・走り方が変化しました。
ひとり目のPさんは、10数年前に右すねの骨を骨折されています。すねにある太い骨を縦方向に割く種類の、かなり怖い骨折です。
骨折部に埋めるため、無傷な左の骨盤から骨を取ってきて右すね骨折部を補填、ボルトで固定。その後、頃合を見計らって右すねのボルトを除去――都合2回の手術を受けられています。
現在は、手術をした骨盤、足ともに痛みなどはありません。が、右足首の動きは骨折前より小さくなっています。
そんなPさんが先日、かなりの坂道を上って下ることになりました。
ぼちぼち上って用事を済ませ、またぼちぼち歩いて下りてこようとしたときに、ふと、そういえば右足首にずいぶん力強さが戻っている、と気付いたそうです。
もうひとりのQさんは、全然別の機会に片足ずつ、両足の小趾
(ゆび)にひびを入れられています。どちらも数年以上前のことで、ひびの部分には、目立った痛みや症状はありません。
数ヶ月前から、Qさんは、趣味のジョギング
(ランニング?)を始められました。そして徐々に時間を延長し、2時間ほど走れるようになったところで、変化は起こりました。
最初の徴候は、足ゆびの爪の赤みです。
実際に見せてもらいましたが私にもよく分からず、「なんでしょうねえ」とちょっと様子を見てもらうことにしました。
ところが2週間ほどして来られたときには、「内出血?」とはっきり疑えるくらい、爪の下の黒味が増していました。両足の、同じ趾にです。
おそらくは走ってできた内出血だろうと予測はつくものの、なぜ走り始めて数ヶ月も経ったいまになって起こるのか……2人で首をひねりました。
考えられるのはひとつ。走り方が変わったから、ということです。
PさんにもQさんにも、歩き方・走り方を変えようという意図的な工夫は少しもありませんでした。
ただ、坂道とか長時間とかいう条件の下で、自動的に身体が「身体にとって最適な動き」をとっただけのことです。
身体の状態が良くなると、それに合わせて動きの自由度も良くなります。
この変化は、身体がずいぶんしんどいときであれば、施術を受けるだけで実感できます。けれどしんどさがある程度改善してくると、少し変わった動きを取り入れなければ変化が見えにくくなってきます。
Pさんの場合、坂道のつくる傾斜がその変わった動きであり、Qさんの場合は、それがより長時間の運動だったわけです。
一度自由を実感した身体は、それからはその自由な動きを保ちます。坂道でなくても、長時間でなくても、足首の動きをきちっと活かした効率的な歩き方・走り方をするようになります。
この時点でもう、新しい動作習慣はできあがっています。そして今後も、おそらくまだまだ変化していきます。