のぞみ整体院
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整体・身体観 1

090127 身体の不調と整体のイメージ

 身体について考えるとき、私は、身体を「ドーナツ型の流れるプール」に例えてみたりします。ドーナツ型のプールが表すのは全身で、そこを流れる水は血液(あるいは東洋医学的に言えば「気」)です。
 プールの形がきれいなドーナツ型であれば、水は、スムーズに流れることができます。けれどプールの壁が崩れたりひずんだりしていると、たちまち流れが変わって、場所によってはよどみができたり水が漏れたり流れが速くなったりします。
 私のイメージのなかでは、この「水の流れの変わった状態」が、身体の不調の予備段階――病気以前の不健康状態を表しています。

 そしてこう考えると、不調を改善するために必要なのは水の流れを「元のようにスムーズにする」ことであり、そのために整体でできることは「プールの形を戻す」こと、と理解できます。
 プールの形を元に戻し、そのなかの水がゆったりよどみなく流れるようにする――それが、整体の本領だと私は信じています。

 全身をプール、流れる水を血液(気)と考えると、手は手、足は足、と身体を区分する意識は少なくなります。というか、全体を同じ血液(気)が流れるひとつのまとまりと理解すると、身体に区切りはつけられなくなります。

 私の感じでは、この考え方は、整体の方法論と相性が良いようです。それまで分かりにくかった身体のしくみが、いろいろ理解できるようになってきました。
 我ながら、「身体のことを考えるにはなかなか良いイメージなんじゃないのッ」と気に入っています(私が以前読んだ鍼灸関係の本では、鍼灸治療のことを“どぶさらい”(!)にたとえていました。まあそれよりはちょっとばかりキレイで、マシなたとえかなあ、と思ったりもして)。


090201 整体に失敗する

 前回の太極拳教室の課題は、手足の関節で円を描く、言い換えると、手足の関節をまるく動かすでした。
 動かしたのは両手首、両肘、両肩、両膝、両股関節の合わせて10関節。このうち私が動かせなかったのが、右肩、左肘、両手首、右股関節の5関節。10の5、ちょうど半分が動かせなかったことになります。

 ふつう、これだけ「動かせない関節」が多いと、(整体的に考えて)いったい本当の原因はどこにあるのか見当をつけることも難しくなります。けれど幸い(?)私の場合は、極端なまでに右股関節が動きませんでした。

 そこで帰宅後、右股関節に集中的に施術してみました。と、どんどん施術がはかどります。――それにすっかり気を良くして、いい加減なところで施術をやめてしまったのが、失敗でした。
 その日の晩、急にのどの調子が悪くなりました。風邪の引き始めのような感じです。

 整体を中途半端なところで切り上げてしまうと、こんなふうに突然、身体の調子を崩すことがあります。完全な、し損ないです。
 「きっとそれだな」と自覚があったので、放っておくとどんな経緯をたどるのか、全身の様子をうかがうことにしました。すると、今日になって右の鼠径部(そけいぶ。股関節の前側です)にそれらしき反応が出てきました。

 ゴソゴソ施術をし、ピタッと手応えがあった後、咽喉のイガイガがフッと軽くなりました。これで今晩早く寝れば、風邪もきっと良くなるでしょう。
 やれやれ、ひどい目に遭いました(……といっても自分のせいですが)


090207 某野球チームの練習を見学してきました。

 野球チームの練習見学の目的は、整体屋に大切な「動きを見る」訓練のため――のはずでしたが、しっかり楽しんでしまいました。選手たちは淡々と練習しているだけなのに(そして私はそれをじーっと見ているだけなのに)、気付くと、時間を忘れています。

 練習場に到着した直後は、(テレビと違ってアングルが一定しないので)どなたが上手やら下手やら、動きの特徴を見分けることができませんでした。野球経験のない私には、「正しいフォーム」のイメージもありませんし。
 ところがボケ―っと見ているうちに、なんとなく、バッティング動作のリズムがつかめてきます。
 さらに見ていると、個性というか癖というかが少しずつ見えるようになって、おもしろくなりました。

 なかに一人、とても伸びやかなスイングをするお兄さんがいて、私は「キレイに動くなあ!」と見ていました。が、監督(コーチ?)には上体の崩れが気になるらしく、特訓に呼ばれてしまいました。
 その様子を遠くから見ていて、私は、「(どうせ言うなら上体の崩れより)左足の位置が問題なのではないですか?」。聞いてみたいなあと思いつつ、私は部外者。そのままボケ―っと見るだけでした。

 練習見学はとても勉強になります。そして楽しいです。
 けれど次々に浮かぶ疑問の答えを「答え合わせ」できないのが、贅沢だけど、ちょっと悲しいところです。


090211 眠れない人、眠い人。

★ispotコラム「快眠のススメ」に投稿した文章の再録です。★

 眠りについての悩みには、「眠れない!」というものと「すぐ眠くなる!」というものとがあります。
 「眠れない!」は、布団に入っているのになかなか眠ることができない悩みです。
 「すぐ眠くなる!」は、寝る時間ではないとき(たとえば仕事中、買い物中など)に眠りたくなって困る、というものです。

 整体的に考えると、「眠れない!」場合は全身のゆがみを、「すぐ眠くなる!」の場合には首のゆがみを想像します。
 全身がゆがんでいると、仰向けに寝ても横向きに寝ても身体がねじれているようで、落ち着くことができません。身体がゆったりリラックスする姿勢を探してゴロゴロゴロゴロ寝返りを打っているうちに、時間が過ぎてしまいます。
 一方、首にゆがみがあると、脳に血液を送る血管がせまくなることがあります。そうすると、脳にいく血液、つまり酸素が不足します。仕事や買い物、料理などで目と脳をフルに使って、ちょっと頭が酸欠気味になったときに眠たくなるのはそれでです。

 一般的に言われる「快眠の心がけ」には、 などがあります。
 身体を冷やすのはダメですが、逆に布団に入ってからは、身体を温めすぎないほうが良いようです(睡眠中は自然に体温が下がるため。確かにコタツで寝ると、寝入りばなは適温なのに、寝入ってからは暑すぎて寝苦しいことがありますね)。

 それでも眠れない!という人の場合、身体のゆがみが大きくなっている可能性があります。
 その場合は、自分にあったヨガや呼吸法を探して身体をゆるめるコツを見つけてみたり、「暗いなかでぼんやりするだけでいいか」と開き直って眠りを待ったりするのも良いかもしれません。
 それでもやっぱり眠れない!という人は、一度整体に相談してみてください。整体がうまくいって眠りの質が変わった、という方は少なくありません。


090222 弾発指(ばね指)

 「1週間前から右手の親指がばね指になりました」と、Mさんが来られました。

 弾発指(だんぱつし。いわゆるばね指)は、緊張した筋(腱)が関節に引っかかって起こる(と言われる)症状です(諸説あります)
 動かすとポキポキいうだけの軽いものから、曲げ伸ばしが怖くなるほど痛みの深刻なものまで、程度はさまざまです。
 Mさんの場合は、それほど痛みは強くないけれど包丁を持つときにカクッとなるのが使いにくい、とのことでした。

 ところで、Mさんの左足首には古傷があります。施術前に事情を聞き脈診をした結果から、私は、その左足首周辺の疲労を考えました。
 結果的に施術は、左足首⇒左肩⇒右肩⇒右腕の順におこないました。左足首では骨、筋肉、皮膚を総合的に立て直し、右肩・右腕はカチカチに緊張した筋肉をゆるめる程度。左肩はその中間程度の施術、といった感じです。

 施術が済むと、ひとまず、ばね指はなくなっていました。そこで、とりあえず1週間様子を見てもらうようお願いして、その日は施術を終えました。




 整体の仕事をしていると、動かすとポキポキいう「弾発〇〇」シリーズ(例:弾発指、弾発膝)と足ゆびの変形である「外反母趾(がいはんぼし)」は、同じような原因で生じるように思えてきます。
 Mさんの例でみたように、「右手の指の症状に、左足の問題が影響する」場合が比較的多いことから、 それぞれ症状として現れるのではないかと推測しています(弾発膝の場合は反対側の肘の問題を疑う)。

 ちなみに、外反母趾は、足の親趾(ゆび。手の指に対して足のゆびを「趾」と書きます)が「く」の字に曲がったまま戻らない状態をいいます(爪側が人差し趾のほうに寄り、根元が反対側に離れている状態)
 まったく痛みのない時期もあれば、やたらに痛む時期もあります。

 また、外反母趾ほど有名ではありませんが、とてもよく似た状態に内反小趾があります。身体の外に向かって反る母趾(親趾)とは反対に、小趾が身体の内に向かって反ります(小趾の爪側が薬趾のほうに寄り、根元が反対側に離れる状態)

 一般的に、なぜ外反母趾・内反小趾になるのかは、あまりよく分かっていないようです。やや専門的な本を見ても、「遺伝」とか、「(外反母趾で悩む人の多くが女性なので)ハイヒールやサイズの合わない靴を履くから」とか、複数の理由が挙げられています(ただし、最新の本で調べた記述ではありませんが)
 複数の原因により足の裏の筋が弱くなり、その結果、外反・内反が起こる、とまとめられていた記憶があります。


090225 お掃除ダイエット??

 子どもの頃から私は、自分のことを「掃除嫌い」なのだと思っていました。が、正しくは「掃除嫌い」ではなく「掃除機嫌い」だったようです。
 先日突然、今更ながらほうきの魅力に目覚めてしまいました。

 まず、室内用ほうきを1本用意します。そしてその1本で、じゅうたんもクッションフロア(ビニール素材のフローリング風シート(?))もお構いなしに、どこでも一緒くたに掃きます。
 「出がらしの茶ガラや湿らせた新聞のちぎったものを床にまき、それといっしょに掃き掃除をすればキレイに取れる」。そんな先人の知恵もありますが、横着な私はそれもしません。いきなり掃きます。
 確かにほこりは立ちます。でも「これはもともと床にあったものだ!」と開き直ると許せます。ひたすらせっせと掃きます。

 やってみると、じゅうたんの掃き掃除はけっこうな運動になります。すごく体温も上がります。驚くほど意識が集中します。
 そしてさらに、掃除機より小回りが利いて音が静かでのんきにできて、意外なほど楽しい気分になれます。
 なりきり一休さんの気分で鼻歌を歌ったりちょっとしたほこりにムキになったりしながら、「小学校のときもっと掃除に熱中しとけば良かった」ともったいない気持ちさえ湧いてきます。

 表題では『お掃除ダイエット??』と言ったものの、きっとダイエット効果はそんなにありません。でも効果テキメンなストレス解消にはなるはずです。だって、掃除嫌いの私がしてさえ、こんなに気分が良くなるんですから!


090226 花粉症奮闘記@(旧題・花粉症なんか怖くない?!その1)

 スギ花粉の季節がやってきました。お客さんのなかには早くも薬を飲まれている方がいらっしゃいます。
 私も花粉症ですが、私の場合は、(たぶん)ブタクサ(←未確認)で、毎年5月から6月にかけてがシーズンになります。

 整体屋を始めて、思い立ってからここ5、6年というもの、毎年のように「花粉症対策の施術」を課題に“一人実験”(←自分を被験者にした生体実験)をくりかえしています。
 東洋医学の文献を読み漁って、「あそこかしら? ここかしら?」とあれこれ試しています。が、これまでのところ、結果は無残なまでの完敗でした。
 多少軽くなることはあっても、毎年必ずくしゃみ・鼻水・目のかゆみが現れています。

 しかし今年は、――今年こそは、明るい兆しが見えているんじゃないか? と一人ひそかに期待しています。というのも、私のもう一つのアレルギー「掃除アレルギー」が、どうやらなくなったらしいからです(!)。
 私の掃除アレルギー(←勝手に命名)では、舞い上がらせた大量のほこりとかダニに反応して、立て続けにくしゃみ・鼻水が出ます。掃除で舞い上がらせなければ、ほこりもダニもそこそこ平気、という辺りがハウスダスト・アレルギーとの違いです。

 「舞い上がったほこりには反応、でも舞い上がってさえいなければ、かなり大量のほこりでも平気」――この特徴を言い訳にして、我が家にはずいぶん長いあいだ掃除をサボっていた、危険なほこり地帯があります。
 何もなければ、今後もできるだけ長く“見なかったフリ”を続けるつもりでしたが、先日からのほうきブーム(090225)の影響で、そのほこり地帯の掃除に手をつけることになりました。

 これまでの経験上、掃除を始めて30分もすればくしゃみが出始めることは分かっています。そのつもりでティッシュ持参で掃除を始めました。が、いつまで経ってもくしゃみは出ません。
 だんだん「もう来るか、もう来るか」と待ち構える気にさえなってきましたが、とうとう出ないまま、半日掛かりの掃除が終わりました。




 例年の「花粉症対策の施術」には含まれず、ここ最近にうまくいった施術部位といえば、首の1番目、2番目の骨(090223)が思いつきます。
 このまま私に花粉症が現れなければ、そして施術してみたお客さんにも花粉症が現れなければ、晴れて、首を「花粉症の関連部位」に位置づけることができます。

 そこでこの件についてはしばらく観察を続けてから、改めて報告したいと思います。


090312 西洋の秩序、東洋の混沌。

 秩序と混沌、なんて何事かというタイトルですが、医学の教科書の話です。
 仕事柄、西洋医学の教科書も東洋医学の教科書も、読むことがあります。両方の教科書を、それぞれ初めから終わりまで読み通していて気付くのは、洋の東西で内容の構成がまったく違っていることです。

 西洋医学の教科書は、とっても秩序立っています。解剖学なら骨、筋、内臓、神経、……、生理学なら消化、循環、免疫、感覚、……。どの本も、身体の構造や機能を細かく分類し、きちんと整理したうえで説明されています。
 ですから、「目の構造ってどんなのだっけ?」とか、「免疫細胞のはたらくしくみってどうだっけ?」とか、単発で思いついた疑問を調べるには至って便利です。
 けれどその反面、それぞれの関連というか身体全体のまとまり――たとえば「心臓のはたらきが低下すると筋肉にはどんな影響が出るのだろう?」というような項目横断的な疑問は、調べにくい印象があります。

 それに対して東洋医学の教科書は、極めて混沌としています(とりわけ、私の好きな古い教科書は激しいです)。解剖学的な内容も生理学的な内容もごちゃまぜになっていて、しかも「気」とか「経絡」とかいった基本概念さえも最初に説明があるわけでなく、当然のように、「春になったらこういう気が盛んになるからこの経絡に影響が現れます。こういうことに注意しましょう」と始まります。
 これでは、“後で調べ直す不便利”とか言う前に、はっきり言って初めのうちは、読んでいても何のことやらよく分かりません。その分からなさを抱え込んだまま、曖昧なまま、ともかくひたすら読み進んでいくと、突然視界が開けます。そして、「ああ、この本はこういう風に身体を考えていたのか」と、全体の内容が立体的に理解できる瞬間が訪れます。
 一度そこにたどり着くと、そこから先は比較的簡単です。初め「混沌」と感じられていた教科書が、実は極めて「合理的な実用書」であったことに気付き、感動します。そしてその1冊が読みこなせたなら、他の教科書も同じ仕方で吸収できるようになります。




 東西の教科書の記述方法を比べると、 ように、私には思えます。
 東洋医学式教科書のおもしろ(くて難し)いところは、内容全体の理解は追々で良いから、ともかく一度全文を読みきって“根本のしくみ”みたいな部分だけは確実に理解する必要がある――そんなところにあると思います。それができていないと、この手の本は、実用の役にはさっぱり立ちません。




 ところで現在、「私の考える整体方法」を本にまとめているところです。自称整体職人なので、目指すは、東洋医学式の実技教科書!――だったのですが、この形式の本は、読み切るにもひと工夫いるけれど、書くのはもっと難しいことがよく分かりました。
 文章力も構成力もまったく及ばず、開き直るだけの度胸も足らず、知識伝承的な形式に仕上がる気配が濃厚です。

 書物から学ぶところの多かった私のこれまでを振り返ると、つくづく、「腕だけでなく筆も立つお医者さんがいてくれて良かったなあ…」とありがたい気持ちでいっぱいになります。


090330 ケガと筋トレについての素朴なギモン

 WBC、プロ野球、高校野球、相撲、スケート、マラソン、サッカー、……。春の訪れとともに、新聞のスポーツ欄がにぎやかになってきました。それにつれて気になるのが、「ケガの選手が多いなあ」ということです。

 仕事が仕事な上にまた、私のしている整体はとくに「ケガの後遺症」を重視します。子どものときの古傷(たとえば骨折)が、大人になってさまざまな症状(たとえば肩こり)を引き起こす――そういう様子をふだんから目の当たりにしているので、私は、骨折はもちろん、ちょっとした(?!)ムチウチや筋断裂・肉離れ、かんたんな(といわれる)手術に対しても、人よりずっと神経質に反応してしまいます。
 だからよけいに気になるのかもしれませんが、毎日のように現れるケガや手術の記事を見ると、とっても心配になります。




 選手にとっては「大事な練習」、けれど私から見ると「不安な練習」。その最たるものが実は、筋トレ筋力トレーニングだったりします。
 なかでも特に不安なのが、専用器具を使ったマシントレーニングです。

 マシントレーニングのいちばんの目的は、弱い筋をピンポイント(直接的・限定的)に鍛えて強くすること、と私は理解しています。
 でも本当にその効果は確かなんでしょうか。疑問点を具体的に言えば、 ――と、いった具合です。




 私は以前、あるスポーツ選手から、「筋トレをすると、重量が増えて当たり(ボディ・コンタクト)には強くなりました。でも、自分のもともとの持ち味だったスピードは鈍ったように感じます。そしてそのせいか、ケガしやすくなったようにも思います」と伺ったことがあります。

 もしも人の身体に、それぞれ“得意分野”(スピード、力強さ、忍耐力、などなど)があるのなら、そしてその“得意分野”がその人のその身体なりの個性であるのなら、その傾向は変えないまま全体を強く鍛えるほうが、ケガは減るのではないだろうか?――と、私は思います。


090404 まず、少し開き直ること。

ispot(整体を含む「癒し」の紹介サイト)で実施しているコラムの、「健康なカラダで新生活」というお題に投稿しました。再録しておきます。




『まず、少し開き直ること』

 東洋医学の古典には、春夏秋冬、各季節ごとの過ごし方の注意がまとめられています(『黄帝内経素問』という本です)
 それによると、春は生長の季節、芽吹きのときです。起こした意欲・やる気を自由に生長させるため、全身をゆったり、自由にのびのび過ごすことが大切で、生まれた勢いを抑えつけてはならない――ということになっています(睡眠については、「早寝遅起き(すいません! 間違えていました! 2009.05.23訂正)遅寝早起きで良し!」とあります)。
 暖かくなって心と身体のはたらきが自然に活発になってしまう時期だからこそ、せかせかしてはしんどいよ、ということなのでしょう。

 はるか昔から「春はゆったり!」が推奨されているのです。にもかかわらず4月は、入学、クラス替え、就職、異動・・・・・・と緊張する場面が多く、「ゆったり・のびのび」どころではないのがニッポンの春です。これでは疲れてしまうのが当たり前です。

 そこで、まず、少し開き直ることをおススメします。

暖かさについ身体も心も浮かれてしまう春は、ふつうにいってもしんどいもの。
ましてや新生活を始めるとなると・・・・・・しんどくないハズないか。

と、あらかじめ「春はしんどいもの」と覚悟を決めてしまうのです。そしてそのうえで、 といったことを心がければ、気持ち良く新しい環境に馴染んでいけるのではないかな、と思います。
 しんどくなることを「不自然!」と拒否するのではなく、「自然。」と理解してマイペースに過ごし、穏やかに夏を迎えられたら嬉しいですね。


090405 花粉症奮闘記A

 いよいよ花粉症の時期が近付いてきました。

 私は非スギ・非ヒノキ花粉の花粉症なので、5月がシーズンになります。私の“かかりつけ医”のお見立てでは、「まあたぶんブタクサ」とのこと(調べてはいません)
 花粉症発症者にとって、花粉期間は言うまでもなくとても憂鬱な時期です。「花粉症、治らないかなあ」「一度なったらムリなのかなあ」といった声もこの時期、毎年のように聞きます。
 3月4月はけろっとしている私も、5月中旬からのつらさを知っているだけに他人事ではありません。

 そんなわけで私は毎年、こりもせず、「整体で花粉症はなくなるか?」を“ひとり実験”しています。1年間せっせと自分の身体を整え、5月になって花粉症が現れるか様子をみる――いわば年に一度の定期テスト(実力テスト?)の状態です。
 恥をしのんで結果を言うと、いまのところ6戦全敗です。年々軽くなっている気はするものの、完全になくなるところまでいきません(薬の服用量でいうと、開始当初:朝晩必須。近年:ほぼ不要、でも症状は消えない。もちろん年によって花粉量・曝露量とも変わるので、厳密な結果は分かりません)




 花粉症と闘うためにはまず、花粉症のことを知らなければなりません。というわけで毎年、「花粉症とはいったい何か」を自分なりに考えます。
 教科書とか研究書にあるような説明ではすぐに顕微鏡レベルの細かい話になって、私の(整体的)理解から遠ざかってしまうので、もっと大雑把な、身体全体のレベルで考えてみます。

 今年の(←間違えていたら来年すぐ訂正する予定ですので、あくまで“今年の”)私のイメージでは、「大量の花粉が目・鼻・血管に入り、そこに溜まることで炎症が起こる」というのが花粉症です。――「ふつうやん」と言われてしまいそうですが、大事なのは「入って溜まる」の部分です。

 少量の花粉なら花粉症にならず、大量の花粉なら発症する。もしこれが正しいなら、それは、直接には量の問題と理解できます。
 ではもしそうだとして続きを考えると、「入っても溜まらなければ花粉症にはならないのか?」というギモンが湧いてきます。炎症が起こるのが「花粉が大量に体液に流れ込んだとき」なのであれば、「流れ込んでも少量で抑える」、つまりどんどんどんどん新しい体液を循環させて流れ込んだ花粉を流しきって薄めることができるなら、花粉症は起こさずに済むのでは?――と考えられそうです。この辺りの可能性を、私は知りたいのです。

 この実験をおこなうには、主に目・鼻の血行を良くしなければなりません。目・鼻、ということは(心臓と目・鼻をつなぐ通り道なので)首の血行が関係します。首の血行ということは……と考えて、今年はとくに、首の1番目・2番目の骨に注目していました。
 大筋は間違っていないと思っていましたが、あるとき急に、指の状態が気になり始めました。なんとなく私の指が、そわそわしているように感じるのです。

 「指?! そうか、確かに指と首は筋肉でつながっている!」――と思ってせっせと指に施術をしていると、今度は右肩(正確には上腕骨、鎖骨)あたりがそわそわしてきました。「おおっ! いかにも首に近い!」と興奮しながら施術。そうすると、いよいよトドメに首の筋(胸鎖乳突筋)がそわそわし始め、首にも施術することができました。




 「目・鼻の血行不良」仮説が正しければ、今年こそは花粉症から脱出できそうです。――なんて、そう簡単にうまくいけば苦労はないのですが。


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