のぞみ整体院
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日常 9

190610 作文修業

 ちょっとした訳ありで、2か月かけて、というか結果的に2か月かかって、まとまった量の文章をポチポチひとりで整理していました。
 自分で書いた文章を自分で読み直す・書き直すのは私にはけっこう苦痛なことで、作業の間中、溜め息ついたり、別に欲しくもないのに水飲んだり、さっきも確かめたのに植木の様子を見たり、トランプゲームしたり、爪を切り始めたり。そんなよそ見しまくり・休憩しまくりの状態で作業を続けてきましたが、ようやく、終わりました。

 整理した文章をどうするかはまだ微妙に未定で、報われるかどうかよくわからない苦行でした。ただ経験上、自分の書いた文章の読み直し・書き直し・整理し直しが、作文修業的にとても勉強になることだけは確かです。
 書き足した部分を早速、姉弟子というか恩師というかに読んでいただくと、「文章が以前より白柳さんらしくなっている」と(たぶん)褒められました。――よし。

 まあ、でも、なんにせよ、くたびれました。文章がいくらか小マシになったことよりも、始めた作業が無事終われたことのほうがよっぽど救いです。やれやれ……。


190618 〈教わる〉と〈学ぶ〉

 久しぶりに、精神科医のお師匠さんのところに勉強に行ってきました。数か月ぶりになるでしょうか。
 昨年末に『神田橋條治の精神科診察室』が気持ちよく仕上げられたことで、精神科の勉強は私なりに一段落した――一段落できたと思っていいのかなあ、と、どこかで思っていたのでしょう、〈勉強させていただきます!〉の気迫よりは〈私はどれくらい《わかったつもり》でその場に臨むのだろう〉というような、実力テストを受けに行くような、どこかしら自分で自分を試すような気分で病院に向かい、診察室の隅っこに座っていました。

 結果は、まあまあ、以前に比べて良くなったなあと思える部分と、そうそう簡単には良くならんものだなあと落ち込む部分とが半々くらいでした。
 良くなったところもダメなままのところも、お師匠さんから良いとか悪いとか言われたわけではありません。どちらも自己採点です。

 興味深いのは私が明らかにダメなことをしたときでも、お師匠さんは何もおっしゃらないことです。じっとそのまま放置していて、しばらく経って、私がアッと失敗に気づいて、失敗した相手にごめんなさいと謝っていても、お師匠さんは何も言わない。私が勝手に失敗して、勝手に失敗に気づいて、勝手に反省している。
 たぶんこのとき私が失敗に気づかなければ、お師匠さんが後であれこれ尻拭いをしてくださるはずで、でもその顛末を私に教えてくださるかどうかはわからない。いつの日か私が思い出して、「そういえばあのときは……」と尋ねると、「それは……」と教えてくださるか、その頃には事なきを得てお師匠さんも忘れておられるか、おそらくは、その程度。

 言いたがりの私は、アッと思うとパッと言ってしまうことが多いです。言わないと伝わらないでしょ、の思いと、イライラを我慢して大きな爆発を待つより、イラっとした瞬間に「もしもし……」と言ってしまったほうが、たとえ聞き入れてもらえなくてもコトが小さく済む。そう思って言うわけですが、思い返すと、私が心酔しているお師匠さんズ(複数形)は見事に〈言わない〉派揃いでした。
 あるお師匠なんて、非常に穏やかでおおらかな人に見えるので、うっかりした弟子は気づかずフランクに接してしまう。が、お師匠をよく知る兄弟子は「何も注意はされないけれど、全部見ておられる」と恐れていました(私もめちゃくちゃ怖かったです!)

 〈全部見ているけど何も言わない、ただ見て、人となり・能力はきっちり評価している〉師匠は、弟子からすると、実に怖い。実に怖いけれど、そうやって自由に動ける余地が与えられていないと、弟子は失敗から学ぶ機会がなくなるのかもしれません。
 今回たまたま自分のした失敗に気づき、相手にお詫び・訂正できた私としては、失敗せずに学ぶよりは、失敗して、でも大事には至らずに訂正できて、反省だけが残った経験が貴重です。
 勉強に行ったのは精神科でしたが、精神科の枠には収まらない、もっと大きな反省を得て、帰ってきました(とか言って、悲しいのは、この種の反省をするのが初めてではないことです。ダメな部分を根っこから改善するのは私には難しいことですわ……)


190816 座談会してきました

 先日、3人のお師匠さん方の末席を汚して、念願の座談会をしてきました。
 お集まりくださったのは精神科医の神田橋條治先生と杉山登志郎先生と高宜良先生。錚々たる名医の方々に混じってなんでアンタが居るのだ、とお叱りを受けそうですが、『神田橋條治の精神科診察室』を作ったとき同様、大本の言い出しっぺが私ですので、今回もまた〈言い出しっぺ特権〉です。

 丸一日、話し続け・聞き続けで頭はへとへとにくたびれて、こんなてんこ盛りな座談会をあなた、うまくまとめられるのと皆さんにハラハラ心配されて(当然だ……)、もちろん私自身も大いに心配しつつテープ起こし・原稿作りに取り組んだわけですが、今日、めでたく皆さま方から〈よくがんばりました〉のお返事をちょうだいすることができました‼
 細部の詰めにはもう少し作業が必要ですが、原稿の構成が変更不要となれば、峠は越えたも同然です。いや〜…、本当によかったです。肩の力が抜けました。

 この原稿が本になるのは来年の夏以降です。
 実際にお目にかけられるのは少し先になりますが、ゴールまでの作業を精一杯がんばりたいと思います。どうぞよろしく、ご期待ください!


190907 神経内科の陪席をさせていただきました

 精神科医のお師匠さんが取り計らってくださったおかげで、先日、神経内科の診察を陪席させていただくことができました。
 神経内科のお医者さん(P先生)については、お師匠さんから「P先生の問診は、それは見事だよぉ!」と以前からお聞きしていて、そのときから私は、すごいなあ、そんなに見事なんだったら一度見せてほしいなあ……と淡い望みを抱いていました。で、とうとうその望みを声に出して、お師匠さんとP先生に快諾いただいた、ということです。

 精神科の陪席はすでに数年間、させていただいていますから、〈陪席〉自体は初心者ではありません。てことは陪席初心者時代に味わった猛烈なドギマギはもうないだろうから、とにかく初回からじっくり見て、どんどん吸収して、学ばせてもらうんだ!の意気込みで向かいました。が、早々にコケました。
 患者さんも診察状況も診察手順も、精神科と神経内科ではこんなに勝手が違うんだ!にまずびっくり。そして私は、おのれの勉強不足に泣きます……。下手に予習をしたせいで、何を見ても「あー、はいはい、あれね」的な、有名処への観光旅行みたいな姿勢になるのは困りものですが、何を見てもさっぱりわからないってのもどうよ……。

 仕方がないので要所要所だけはちょこちょこメモを取らせていただいて、後はひたすらまじまじ見て覚える。空間全部を覚える。がんばる。
 自分的には一生懸命集中しているつもりですが、はたから見ると、ただぼやっと虚ろに座っているだけでしょうから、そんな私を気遣ってくださって、P先生が「何か質問はありますか? いまの診察のことでなくても良いですよ」と言ってくださるけれど、正直、質問を考える余裕がない。「えーと……」と固まるだけ。情けない。

 その後、私にも答えられそうな質問「なぜお師匠さんと出会ったの?」を投げてくださって、私がもたもた答えていると、ふんふんと聞いて、さっと要点を飲み込んでくださって、それに絡めて私の知らない病気について教えてくださって、とそうこうするうち、瞬く間に診察時間が終わりました。
 お礼を言って、ふらふらになりながら精神科医のお師匠さんのところに挨拶に行くと、「勉強になった?」みたいなことを訊かれて、「うーん……」とここでも答えに詰まる……。

 帰りの飛行機を待ちながら、ちらっとメモを見て、とにかく復習だな。復習というか、いきなり現場を見せていただいちゃったんだから、とにかく後付けの勉強だな、と、決意しました。
 で、早速図書館で神経内科関係の本を数冊借りてきましたが、果たしてこれ、私に読みこなせるんだろうか……。意気込んだのは良いけれど、分厚い1冊を前にして、わくわく半分・心配半分の心境になってきました。


190928 湿潤療法のありがたみ

 つい昨日、店の観葉植物をハサミで縮めていて、自分の左手人差し指の先までうっかり切りました。分厚い皮一枚をさっくり削いだような塩梅で、切った瞬間は、驚きのあまり痛みも感じませんでした。
 あわわわ、とうろたえつつもなぜか行動だけはてきぱきして、(怖いから)慰め程度に水道水で流して、ティッシュで拭いて、常備していたキズパワーパッドの標準サイズを貼ってから右手でぐっと握りこんで圧迫止血。止まったかな、と手を開けてみるとあふれた血で両手が血まみれになっていて、またあわわわ。
 気を取り直してもうちょっと大きそうなパッドに貼り直して、さっきはおなかの前で圧迫したから失敗したのかもと反省して、今度は心臓より高い位置に挙げてみよう、と、圧迫なしで挙上。不自然な格好のままじいっと左手だけ挙げていると、無事、止まりました。

 あふれかける出血(といっても客観的には大した傷ではありません。一応、あふれたのは嘘ではないですが)とジンジンするような驚きが収まると、さすがにキズパワーパッドは大したもので、その後はまったく痛むことなく、お客さんの施術も無事おこなえて、パソコンもふつうに打てています。

 傷は乾かして治すのでなく、漏れ出る体液ごと密封してじゅくじゅくの状態で治癒を待とう、というのが湿潤療法の基本ですが、これが実に治り良い。
 たまたま私は自分が傷をしたときに、ばんそうこうをそのまま巻いて傷に貼りつかれるのが嫌で、ガーゼ部分に油薬をこってり塗ってから巻くようにしていました。そうしたほうが、どうも治りも良いらしい。そう感じていましたので、10年かそこら以前に湿潤療法を知ったときには、すぐに納得して、気に入りました。

 湿潤療法系のパッドが、ばんそうこう+油薬よりも圧倒的に優れている点は、傷が痛くなくなることと、完全防水のため濡らしてもその都度貼りかえる必要がないことです。仕事柄よく指先を使って、ちょいちょい手を洗いますので、これがとてもありがたい。
 その篤い信頼に違わず、今回も大活躍でした。左手人差し指が使えなかったら、施術はずいぶん不自由です。大いに困ったことでしょう。


 ここ数日、〈増税前の買いだめ〉といわれても別に急いで必要なものはないなあと思っていましたが、キズパワーパッドは買い足しておこう、と思いつきました。
 この気づきを得ただけでも、いいタイミングの傷だったのかもしれません(って増税されたところでびっくりするほどの買い物ではありませんが)


191017 入稿しました

 来年夏出版予定の原稿が、とうとう入稿できました。
 本を作る、というと、ついつい長い長い文章を書く=本文を書き上げる作業に意識が向きがちで、たしかに書き手としては実際その作業が一番大変ではあるのですが、その後の細々した部分――目次を作ったり体裁を考えたりといった作業も私は愉しくて好きです。

 タイトルは、前回作った『神田橋條治の精神科診察室』よりはずっとあっさり決まりました。わりと柔らかい、硬派/軟派でいうと軟派系の文言なので、相談した方々も、「それで良いんじゃないの」。強い反対も強力な対案も出ずに、無難にオッケー、となりました。
 が、まだ一応〈仮題〉扱いですので、瀬戸際で別案を思いつく可能性はあります。

 『診察室』でとても良くしてくださった編集さんは退社され、今度の本は新たな編集さんと作ります。
 とはいえ体裁の土台は『診察室』に合わせてもらいますので、良い意味で地味な、読書の邪魔にならない作りに仕上げてもらえればそれが最善かなあ、と思っています。
 出来上がりはまだまだ先のことですが、早くも楽しみになってきました!


191130 「整体の技術習得セミナーのご案内」を公開しました

 私が使っている整体の技術セミナーを、いよいよ始めようかと思います。

 いま使っている整体の技術・理論を完成させたのは10数年前のことで、当時から、私の理解者であり友人・お師匠・知人・お客さんである人たちからは、セミナーのことを言われていました。にも係わらず私は、うーん、そうねぇ、そうよねぇ……とぐずぐず肚を極められなかったわけですが、ようやく、「そろそろ肚をくくろう」の気配が出てきました。
 で、やっとこさホームページに、〈募集要項〉を公開してみました。

 教科書的な本としては拙著『身体のトラウマ』『身体の話』のそれぞれ一部分が相当しますが、『トラウマ』は品切れ絶版で増刷するつもりはありませんし(お買い上げくださったみなさま、ありがとうございました)、『話』のほうは在庫はありますが、一般向けの理論紹介書のつもりで書いていて、そもそも技術書として作っていません。ですので、技術習得のための必読書、とは言えないかな、と思います(必読でなくてもお買い上げくださるのであれば嬉しくありがたいですが)

 整体の仕事をしていると、「あなたの技術はあなたにしかできない特殊技術でしょう」「そう簡単には習得できないでしょう」と言われたりしますが、私は簡単だと思っています。子どもの歯磨きとおんなじで、最初はいくらか手こずるにしても慣れたら〈習慣〉。そう思っていますから、〈技術伝達〉には不安はなくて、むしろ〈セミナー運営〉とか〈受付業務〉とか、そっちのほうが不安で仕方ない……。
 職人としてはめでたく10余年選手に突入できましたが、先輩職人になるのは実質、初めてです。今後待ち受けるはずの〈先輩として至らない点〉をどう埋め合わせていくか・向上させていくかが私のさらなる課題になるのでしょう。はあ……。私にはそっちのほうが、整体するよりよっぽど難しい……。


191210 書き直しと校正

 先日、臨床心理士をされているお客さんから『神田橋條治の精神科診察室』について、ちょっとわかりにくいところがあるのですが……、と言われました。
 出版するまでには20回かそこらは全文を通して読み返しますが、出た後はそんなに読み通すこともありません。なので、とっさに内容を訊かれてもさっぱり憶えていない……。「すみません、次回来られるまでには復習しておきます」。頭を下げてお別れして、それから慌てて読み返しました。
 すると、おっしゃる通り、たしかにお尋ねの部分は意味が通りにくい。なるほど〜、ここの書き方がまずいからわかりにくいのだな。納得して、ついでのことだからと急遽全文見直し作業に取り掛かることにしました。

 と、そうするうちに、先日入稿した原稿の初校(というかゼロ校)が出版社からできてきて、思いがけず、2本の原稿読みを抱えることになりました(って自分で入稿したんですから校正刷りができあがってくるのが当然なのですが)。
 最初の校正刷りが初校でなくゼロ校と呼ばれるのは、この校正刷りが神田橋先生には届けられない、白柳専用の校正刷りだからです。なぜそんな特殊な刷りが存在するのかというと、その理由はいたって簡単、私のほうがやたらめったら文句の多いことを、出版社のかたも先生もよくご存知だからです。うっかり、先生と私に、同時に初校を渡しでもしたら、その後の作業がごっちゃごちゃになって仕方ありません。なので散々私が文句を言い尽くした後で、ようやく神田橋先生に見ていただこうという至極適切な配慮なのです。
 案の定、私が読んだ後のゼロ校はほぼ全ページにわたって赤字が踊り、ああ、また迷惑なことを……と心苦しく思いつつ、つい先程、そのゼロ校を出版社のかたにお渡ししました。やあ、よかったよかった、これで私はひと仕事が済んだ。


 ちなみに『診察室』で「意味が通りにく」かったのは、114ページの後ろから5行目、「これは〈自分の過去の情報〉−〈私〉の関係が〈私自身の情報〉−〈社会〉の関係との間でフラクタルになっている。」の部分です。
 ここの〈私自身の情報〉を〈情報をもつ私〉に書き直しました。フラクタルになっているのは〈情報〉−〈私〉と〈私〉−〈社会〉の関係なので、先の書き方では関係の対応が一致しません。本になる前に読んでくれた友達が指摘してくれていたところだったのに、当時の私には指摘の意味が理解できていませんでした。訂正してお詫び申し上げます。
 なおこの書き直しは4刷から反映される予定で、4刷を刷るのはまだ先とのことですので、この記事をお読みのみなさまも書いた私自身も忘れた頃に、替わっていることになりそうです。ごめんなさい。

 それにしても久しぶりに『診察室』を読み返してみましたが、あらためて良い本だなー、と嬉しくなりました。自分一人で書いた2冊の本は、いつか読んでおかなきゃと思い続けてはいるものの、結局出してから一度も通読していません。自分の文章を読んでいるとうんざりしてくるんだよなあ、というのがその最大唯一の理由ですが、『診察室』は愉しく読めました。やっぱり語り上手の人の本は、読んでいて愉しい! ただ〈ためになる〉だけでなく。


191213 手足湯のススメ

 ずいぶん以前にも同じような記事を書いた気がしますが、自分でも内容を憶えていないくらい以前のことなので、改めて書きます。

 話というのは、足湯のことです。手軽に温もれて便利な足湯ですが、そのとき、手も一緒に浸けるのがお奨めです、という話です。
 試していただくとすぐわかることですが、〈足だけ浸ける〉のと〈手も一緒に浸ける〉のとでは、温もり方が全然!違います。

 私が初めて手足湯のことを知ったのは、10年以上前に〈ゲルマニウム温浴〉なる装置を導入したときです。この装置は、〈勉強机で居眠りをするときの姿勢〉で腰掛けると、手元と足元に小さな浴槽があって、肘先とすね下が浸けられるというものです。
 お師匠筋からの勧めで店に置くことになって、使い方・効能の説明を受けているときに聞きました。いわく、「身体を温めるには毛細血管を温めるのが効果的で、毛細血管は神経の傍に多いから、神経の多いところ=手足先を温めるのが良いのです」と、そんな内容でした。だからホントは顔も浸けるのが良いのだけれど、顔だけはずっと浸けとくわけにはいきませんからねぇ、などと。
 なるほど! それはそうかも! それで早速自分でも足湯、手湯、手足湯での違いを確認して、その数年後にはゲルマニウム温浴を置かなくなりましたが、それ以来、いまも私は〈足湯をするなら手足湯で!〉派です。

 現在の私の方法は、スーパーで手ごろな大きさの発泡スチロールの空き箱(蓋付きが理想的)をもらってきて、それに44℃くらいのお湯を張る。で、お風呂の椅子に腰かけて、足を入れて手を入れて冷めにくいように蓋を乗せて、浸かる。このとき予め魔法瓶に熱湯を用意しておいて、少し冷めたら火傷しないように注意しながら差し湯します。
 ふつうのお風呂でも私は〈ぬるめにゆっくり〉より〈熱めにささっと〉のほうが好みでして、手足湯でもそうです。ガンガン熱湯を差し湯して「熱ッ」とか言いながら入るのが至福です。そんなですから〈ぬるめにゆっくり〉派の人には、差し湯は熱湯でなくていいかもしれません。

 ご興味のかたは、ぜひ一度お試しください。


200107 あけましておめでとうございます

 新年あけましておめでとうございます。
 今年は例年より1日長い正月休みでしたが、なんだかんだしているうちに過ぎ去りました。で、5日が仕事初めです。

 新年早々お越しのお客様方からは、幸い、お正月は機嫌よく過ごせたとお聞きすることが多くて、大いにほっとしました。たとえ私が年末の施術で積極的に悪くさせたわけではなくっても、「正月中、難儀してましたわ」と言われると、やっぱり、連休を取った整体屋としてツライものがあります。その意味で、まずは、ほっと一安心。
 そしてさらに嬉しいことには、新年3人目のお客さんにして早くも、ちょっと新しい切り口の施術がひらめきました。おお、この方法はあのお客さんにも使えるかもしれないゾ、と別のお客さんのお顔も思い出したりなんかして、こういうのが私はとても愉しい。結局、年が改まっても私がしていること・嬉しく思うことはこれまでと同じで代わり映えしないわけで、私的には、これが仕合わせなんだと思います。


 昨夜遅くに自分の左足に施術していて、うまくいったと喜んで寝て、その翌日である今日は朝から自転車で少し遠出をしたところ、昼過ぎに右ふとももの内側が猛烈につりました。椅子の上であぐらをかいていたらバシッと走って、アッと椅子から飛び降りたけれど曲げても伸ばしてもひねっても、収まりません。うーん、困った、と心底痛みにへこたれながらも、これは昨日の左足の施術がうまくいったからに違いない、と、筋肉のバランス変化を確認している自分に、天職を感じました。
 こんな整体屋でございますが、今年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。


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