のぞみ整体院
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日常 7

181028 『神田橋條治の精神科診察室』校了

 『神田橋條治の精神科診察室』が無事、校了しました!
 最初のインタビューから数えて7か月、私が企画を思いついたときから数えると10か月。我ながらご苦労さん、と思いますが、スタートからゴールまで、幸せな道中をみんな(=共著者、助言者、編集者)でひた走る愉しい作業でした。
 あとはもう一度、編集さんが最後の通読を月曜日にしてくださって、それでとうとう本当に校了、印刷屋さんに入稿です。

 出版は12月(上旬?)です。
 整体を扱う本ではないですが(一応これは整体屋のブログ…)、自分について知りたい、親子・夫婦・会社・学校その他での人間関係およびつきあい方への理解を深めたい、……などなど、精神・心理・教育・療育系の分野に興味・関心をお持ちのかたには大きなヒントを与えてくれる本だと思います。
 また、神田橋先生を既にご存知のかたには、先生ご自身が「ボクの基本書になる1冊だよね」とおっしゃっています。
 どうぞ、ご期待ください(o^―^o)。


181105 本作りのおもしろさ

 『神田橋條治の精神科診察室』が無事、校了……のはずでしたが、印刷屋さん入稿前の最後の最後のチェックを、出版社の社長さんのご厚意でさせてもらえることになりました。

 さんざんチェックした後だもの、さすがにもうなにも見つからないでしょ、くらいのゆるい気持ちで始めましたが、出てくる出てくる……。うっかり見落としの明らかなミス以外にも、あらためて見直すと、カッコの位置とか漢字表記の微妙な怪しさが気になって、止まりません……。

 学生時代のテスト時間に、珍しく見直しなんかして、「あれ?」と引っかかって書き直し、書き直したせいで間違えた、というのはよくある話です。
 どう見てもおかしい、明らかなミスなら直しやすいのです。うーん……これは……と迷うようなのが厄介で、も――ッ、なぜいまになって迷うのッ!と自分にイライラしながら漢字辞典と国語辞典をひっくり返して、うんうん言ってます。

 表紙裏の色紙も、急遽変更をお願いしました。
 先日の打ち合わせでは、編集さんとの話し合いで「濃い茶色にしましょうか」の線で決まっていました。が、「先生は本にサインをされるかも!」と気がついて、大慌てで電話しました。
 黒ペンでサインをするのに紙が濃い茶色では不都合です。サインをするなら、紙はやっぱり淡い色でないと。

 本に限らず、「物」を作るときには、想像力が勝負だと私は思っています。実用に対して、想像でどこまで先回りできるか、そこがハラハラおもしろい。
 でも、それでも、いざ本ができあがってみると、ミスや心残りが必ず見つかります。もうこれは、半分以上は仕方がないことのようで、私のお師匠さんのお友だちである某教授の名言は、「本作りには残尿感が付きものだ」。品はないけど当たってる……と、私も毎回、がっくり、思い知ります。


181122 15日頃に書店お目見えの予定です

 いきなりですが、自宅のパソコンが壊れました。より正確には、ほぼ、壊れました。
 パソコンに不具合が生じるといつも、「修理できそう? 修理できそう?」と往生際悪くばたばたする私ですが、今回は、ああ、もう、さすがにこれは壊れかけているのだな、と、すんなり理解できました。
 おかげさまで、原稿に関しての作業はすべて完了していました。まるで、それを見届けてから果てたかのようです……。

 さて、そんな、我が家のパソコン事情はともかく。
 本のできあがりは、12月上旬で確定いたしました。15日頃には書店店頭に並ぶんじゃないかなあ、とは印刷屋さんの予測です。問屋さんからも問い合わせがあったそうなので、「おお、期待されているんじゃないか」と、勝手にテンションを上げています。

 先日は、遠方にお住いのお客さんから、「近所の本屋さんで買っていいですか? こちら(=ウチの店)で買わせてもらったほうがいいですか?」と、見事なお気遣いをしていただきました(ありがとうございます(*^^*))
 ですが『神田橋條治の精神科診察室』はその題の通り、そもそもが精神科の本ですから、整体屋であるウチの店にはそれほど大量の在庫を置く予定はありません(販売用に数冊と見本用に1冊は置きます)。ですのでご興味をお持ちくださったかたは、どうぞ、お近くの本屋さんでお買い求めください<(_ _)>。


 これまでに何冊か本を作ってきましたが、もうこれっきり、私が本を作ることはないだろうな、と思っています。お師匠さんと公開用に話すことももうないでしょうし、私自身が整体関係の新発見――わざわざ本に書き残すほどの新発見をすることも、きっともうないでしょう。
 なので、最後に作った本が大満足の出来だったことは、ともかくひとつの、なによりの満足です。

 どなたが言った言葉なのか、「終わり良ければ総て良し」の含蓄の深さに最近ようやく気がついて、あらためて、強靭な・すごい言葉だったのだなあと、しみじみしています。しみじみしつつ、できあがりが待ち遠しくてそわそわしつつ。そして、こんな気持ちで発売の日を待てることが、本作り(ひいてはモノ作り全般)にかかわった者の至福なのだよなあ、とじんわりしています。


181202 出版は年内、になりそうです。

 出版社さんから連絡がありました。『神田橋條治の精神科診察室』は、印刷屋さんのスケジュール過密のため、15日店頭は厳しいかも、とのことです。
 おそらくは、ちょぼり、ちょぼりと追加で変更をお願いした私のせいで、作業段取りの計算が狂ったのでしょう。ああ、申し訳ない……。

 そのようなわけで、お待ちいただいているかたには二転三転いたしますが、年内店頭、くらいの心づもりで思ってくださるほうが確実のようです。
 申し訳ありません。いましばらく、お待ちください。


181207 見本刷りとテープ起こし

 よんどころない事情から、出版社さんを急かしに急かして『神田橋條治の精神科診察室』の見本刷りを数冊、先に仕上げていただきました。それを今日いただいたのですが――すこぶる気持ちのいい本になっていました! とってもうれしい。
 ぱらぱらっとめくって読み始めても、対話の流れがスムーズなので、どんどん読み進められます。気分でいうと、落語の台本を読んでいるときのような、つっかえのなさ。つるつる読めます。なのに内容は専門書! ああ、私はこれがしたかったんだよなあ、な出来栄えです。

 文章は、めちゃくちゃに手を加えています。まず私の発言がほとんど標準語仕様になっていますし、質問・合いの手もすっきりシンプルに書き換えています。
 実際の現場での私は、最初から最後まで大阪弁でぐだぐだしゃべり、質問ももたもたしています、いくらか意味不明だったりもします。それを、助言者のみなさんに手伝ってもらって整理して、まとめなおすことで、こんな塩梅に仕上がりました。あらためて、編集作業ってすごい。


 つい先日、知り合いのかたから「テープ起こしってどうするの?」と訊かれることがありました。なんでも、そのかたは、一般の人のお話を聞き取って原稿に仕立てたいのだそうです。
 ふんふんと説明を聞きながら私は、これまでの数少ない経験を思い出して、対談かインタビューかで起こし方が全然違ってくるし、読者をどんな人と想定するか、どんな人に読んでほしいと思うかで、起こし方がまた違ってきますよ、と言いました。

 「テープ起こしの作業にはどれくらい時間がかかるの?」。
 これは私も不安で仕方がなかったところで、対談の前には、周囲のかたに聞きまくっていました。その結果でいうと、テープ10分を起こすのに1時間、というのがだいたいの目安のようです。
 ただ、私の場合、自分が参加している録音テープだったこと(=現場の空気がわかる)、録音した翌日から起こし始めたこと(=まだ雰囲気を憶えている)、起こしながら同時に編集もしていったこと(=必ずしも逐語的に発言全部を起こす必要がない)、そしてなによりテープの内容がおもしろかったこと(=作業にはくたびれても、話は聞き飽きない)などがよかったかして、4〜5時間のテープを丸1日〜3日くらいで集中して起こしていました。
 私がそう言うと、それは速い、と褒めていただくことがありましたが、これが、自分の参加していない他人の会議の議事録を作るとかであればもっと時間はかかるでしょうし、そもそも集中力が続きません。結局のところ、愉しく起こせて・愉しく編集できる録音かどうか、が作業時間を左右するのだろうと思います。

 そんな話をしていると、知り合いのかたは、「10分1時間」にため息をつきつつ、「でもまずは起こさなきゃ、ですよね……」と覚悟を決めておられました。
 その迫力ある緊張感に、なんだかちょっと、懐かしい感じを覚える私。そうそう、結構、気合が必要なんですよね、と、すっかり先輩面。


181217 印刷できました!

 『神田橋條治の精神科診察室』をお待ちのみなさま、お待たせいたしました、印刷が出来上がりました!
 出版社さんが私の店に本を届けてくださるのは明日18日の火曜日。本屋さんに並ぶのは少し遅れてその週末くらい?になるでしょうか。

 インタビューの現場で実際にお話を伺って、テープ起こしの段階で何回も何回も聞きなおして、出版までには嫌になるほど原稿を読み返して。その原稿がそのまま本の形にまとまっただけなのに、手に取ってページを開くとまた読み直し始めてしまう……。それくらい、私には親しい、読んでいて流れの気持ちいい本になりました。

 外身も中身もバリッバリに神田橋先生のご本なのに、私にとっても大事な本にできあがった。それがなによりうれしい。
 どうぞ、みなさまにも、そんなような一冊になりますように!


 なお、書店のかたにご挨拶に伺うと、「内容は医学書でも神田橋先生のご本なら人文書の棚に置くことになるかもしれません」の声が多数でした。本屋さんでお探しの場合は、ぜひ心理学関係の棚もご確認ください。


181221 重刷御礼!

 おかげさまで、『神田橋條治の精神科診察室』は〈期待的〉にご好評をいただいているようで、出版完了と同時に重刷決定!の運びとなりました。まだ本屋さんに並んでもいないのに重刷決定とは!と、出版社さんと私はびっくり・大喜びでした。
 これもひとえに、ご期待くださったみなさまのおかげです。どうもありがとうございます。きっと、ご期待に背かない出来になっていると思いますので、どうぞ楽しんでお読みください。

 先日、ようやく神田橋先生のお手元にも完成本が届きました。出版社に大急ぎで作ってもらった見本刷りは私が大阪で独り占めしましたので(お礼用、その他のため)、先生は見本刷りを見ておられませんでした。
 なので、初めて実物をご覧になったわけですが、その出来は先生の予想を超えていたようで、大喜びのご様子でお電話くださいました。それを聞きながら私は、ヨシ、どーだッ、参ったかッ! 携帯電話を握ってふんぞり返っていました。

 書店に並ぶのは来週火曜日くらいでないかなあ、とは出版社さんの予測です。とすると25日、クリスマスです。
 どうぞ、お出かけの際にちょこっと書店にお立ち寄り、現物をご確認くださるとうれしいです。表紙は美しいオリーブ色です。

 とりあえず私は、先生にぎゃふんと言わせたことと、重刷決定で出版社さんへの申し訳が立ったこととで、一足早く、無事に年越しが迎えられたような大満足・大安心でした。
 ジャネ先生のおっしゃる通り、うまくいった企ては、費やした労力以上の喜びとなって返ってくる(!)のです。


190104 新年おめでとうございます

 新年あけましておめでとうございます。

 昨年末に無事出版は完了し、増刷の予定も前倒し気味で進行している様子で、まことにめでたい限りです。これもみな、手に取ってくださったみなさまのおかげです、心より御礼申し上げます。

 私のほうは、年が明けてみるときれいさっぱり出版作業のばたばたは後を引かず、心残りはなにもなく、もはや他人の本、といった感触が小気味よいです。料理にせよ裁縫にせよ本にせよ、できるまでは持続集中の試行錯誤、いったんできたら後は気分よく使うだけ、というのがやっぱりモノ作りの理想であり本筋です。

 唯一気がかりだったのがあるお師匠さんからのご批評ですが、大みそかの昼頃に恐る恐る電話すると、「本の感想」よりも「より上の」というか「より先の」ことを見越して批評というか助言をくださるご様子で、後日改めてお聞かせ願うことになりました。

 分野を問わず、私には、「圧倒的なお師匠さん」と呼べるかたが数人おります。どなたも、こちらが訊いた質問にそのまま答えてはくださいません。ちょっと先、あるいはずっと先を見越した上の「将来的な計画・対策へのヒント」が必ず答えに盛り込まれています。
 なぜ私がいずれそこで困る・悩むってわかったのッ?! 私のどの行動・どの発言を手掛かりにその予測を立てられたのッ?! 毎度訊きたいことですが、助言を伺っているときには「いまの話」をフンフン聞くのに手一杯で、助言の深さに気づいていませんし、たとえ気づけても、筋違いの質問をする余裕がありません。そしてアタマに暇ができたときにはすっかりタイミングを逃しています。

 今回のお師匠さんとの電話でも、「結局お師匠さん、本はおもしろかったのかなあ?」と首をかしげながら電話を切って、「あ! お師匠さんは「より先」のことを考えてくださっていたのだ!」と気づいたのは年明け直前でした。ピンとくるのが遅いのです。そのおかげで、しみじみありがたい気分で年越しは過ごせましたが。

 こんな整体屋です、本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。


190107 陳式再開しました

 太極拳教室を、年初から〈転校〉し、再開しました。以前の教室では「簡化」を、今度の教室では「陳式」を習います。

 そもそも私の習い事は、太極拳の「簡化(24式)」「総合(42式)」を習って「陳式(一路)」を習って「楊式」をかじったところで太極拳は中断、フラ(ダンス)を少し習って、また太極拳「簡化」に戻る、というルートをたどってきましたので、一巡した今度は、「簡化」を習って「総合」を飛ばして「陳式」まで来た状態です。

 「習い事はじっくり続ける」派あるいは「一度就いた師匠にはずっと義理を果たす」派の人からはときどきひんしゅくを買いますが、私は飽き性でダレ性です。おんなじことが続けられません。奇跡的に続いているのは整体ぐらいなもので、習い事はどれもだいたい2年が限度。師匠に義理を欠いているつもりはありませんが、ひととおり習って、それなりにできる気分になった瞬間、飽きが襲ってきます。
 のめりこんで、すぐ飽きる、そんなだから上達しないんだよ、とも言われますが、飽きたものは仕様がない。やる気がないまま続けたって、どうせ上達しません。なので、移ります。

 小学生の頃からこの調子ですので、中年にもなると開き直ったもので、新しい教室に入会した瞬間から「また2年かな」が頭をよぎります。でも「2年」と決めてかかると案外4年続けちゃうかもな、な気分も湧いてきて、結局、成り行き任せです。

 初回の練習では、6年ぶり(?)に通して動いた「陳式一路」が、ほぼきれいに忘れて、さっぱり動けなくなっていることが判明しました。ふふふ、そうでなくっちゃ。ここから猛烈にのめりこんで、2年かけて全力で思い出すのだ。と、こういうのが私は愉しいのです。


190115 手の動きと冷え

 先日の太極拳教室では、手の動きを直されました。陳式特有の手つきができていない、ということです。
 じつは私の手は、どの教室でも注意されます。太極拳の簡化の教室でもそうでしたし、フラの教室でもそうでした。いい加減に緩んで曲がってる、指先が開いてパーになりかかっている、手首から先に気が通っていない、等々。要は、〈指先まで注意の行き届かない手〉なのです。
 整体の仕事中とかモノ作りの最中はあんなに生き生き・活き活きはたらく手なのに、なんで非実用の場面になるとこんなにやる気がないのか……。自分の手ながらおもしろく見ていました。まあたぶん、どこかに施術が必要なのだろうなあ、と。

 施術の必要は感じつつもどこに必要かがわからないので、これまでは放っていました。先生に注意されても、「はあー、その動きは、ちょっと私の手にはできないなあ」とあっさり納得してあきらめる。練習もしない。具体的に〈どう〉できないかはわからなくても、〈到底〉できない感じはつかめますので、「がんばって練習すればできるようになる」とは思えません。またそこでがんばったら、身体に無理をかける、と私は考えます。なので、しない。
 それが先日は、先生の下さる注意が具体的で(これはいつものことです。ありがたい)、それを聞く私のイメージも具体的で、「ああ、私はそこができていないのだ」の実感も具体的でした。これは、もしかすると練習のしどき・施術のしどきかもしれません。俄然、やる気になりました。

 で、先生の注意に従いつつ、先輩方に相談しつつしながら、じっくり練習していると、「あ、わかったッ、できたッ」と思った瞬間、ぱっと手が冷えるのがわかりました。まるであの、中袋を叩いて破れば冷たくなる夏の便利グッズみたいな、一瞬の変化です。……おもしろい。神経の加減でしょうか、血管の加減でしょうか、よくわかりません。

 で、その翌日。施術が展開しはじめました。左手親指の付け根です。
 異様に盛り上がってたくましい左手親指の肉球部分を、均すようにちくちく施術していきます。それにつれて、手首から指先にかけての動きがなめらかになってきました。左手でピースをしたときの安定感がよくなっています。
 ひょっとすると、この施術がうまくいけば、物心ついたときからあった薬指のバネ指が改善するかもしれません。また、手首の配置がよくなることで、腕から背中の位置関係がよくなって、頑固な猫背にもいい影響があるかもしれません。もしかすると、しばらく前から気づいていた右肩の不安定感(そろそろ五十肩か?)も改善するかも、です。
 あれこれ前向きな予測を立てつつ、こちょこちょこちょこちょ施術をしています。あー愉しっ。


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