日常 3
170719 NHKの美の壺にギター職人さん登場
7月21日(金)午後7時30分〜8時放送の、BSプレミアム「美の壺」に、ちょっぴり知り合いのギター職人さんが登場されるそうです。
兄がギター製作職人だった
(いまも?)ときの兄弟子さんで、実質、“知り合い”と言ってもそれだけなのですが、じつは私たちは「自分の仕事が好きッ!」という大切な共通点を持つ“職人仲間”なのです(私の本の感想にそう書いてくださったので、嘘じゃないです)。
きっと見事なギターを作られるのだろうなあ……!と、テレビの前で楽しみに待ちたいと思います。
ご興味がおありの方は、どうぞご覧下さい。
田邊ギター工房の田邊雅啓さん、という方です。
170818 植木の手入れ
出版にまつわるごたごたが一段落して、ようやく、のんきな日常に戻りつつある今日この頃です。
で、さっそく植木の手入れをしてみました。5、6月頃に専門家の助言を得て植え替えた店の観葉植物ですが、芽とか若葉が出たっきり、ちっとものびのび育っていないのです……。
なにかしくじっているのだろうなあ、と気にしつつも放置していましたので、大急ぎで作業にかかりました。
まずは土の中に割り箸を刺しこんで具合をみると、案の定、スカスカです。やっぱり土不足かあ……とがっくり。
植え替えたときに土が少なすぎる失敗は、これで3度目です。初めての植替えではギュウギュウに詰めすぎて失敗。それに懲りて減らしたら、今度は減らしすぎて失敗。もう少し詰めよう、と詰めたけれどまだ足りなかったのが前回。
だから今回はもっとギュウギュウに詰めよう!と入れたつもりなのだけれどなあ、と反省しつつ土を足しながら、ひらめきました。
植替えして落ちついて、根が張りはじめると、根が土をぎゅっと引きしめる。だから私が万遍なくしつらえた「ほどほどギュウギュウ」状態は、根の引きしめ作用によって「よりギュウギュウ」地帯と「ボソボソ」地帯とに分かれてしまう。だから植替えをしてしばらくしたら、必ず土の量を点検しなければならない――、と、そんなように理解しよう、と思いつきました。
この考え方が正しいかどうかは知りません。が、今後はそう考えることにします。たぶん、その方が私的に失敗が少なそうなので。次回こそは、つつがなく植え替えたいものです。
170902 対談本の書評
児童精神科医の杉山登志郎先生が、次号の「そだちの科学」に対談本の書評を書いてくださるそうです。
なので、ちょっとフライングをして、先日その書評原稿を見せていただきました。
書評をしてくださる、というだけで十分すぎるほど嬉しいのに、なんというか、なんともおもしろい書評だったのがさらに嬉しかったです。ところどころギャハハハ笑いながら読んじゃいました。
ご興味の方は、10月に発売のようですので、どうぞご覧ください。私はもちろん、買いに行きます(^_^)v。
170907 太極拳再開
久しぶりに、太極拳を習うことにしました。初代お師匠さんにお願いした結果、初心者から入れるクラス「簡化24式」に、とりあえず1ヶ月だけ再入門させてもらえることになったのです
(フラはしばらくお休みしてます)。
太極拳は、いくつかの教室で10年近く練習してきて、やめて、5年くらい?のブランクの後での再開です。
べつの教室に移った後も、いつかもう一度、初代お師匠さんに習いたいものだなあ、混ぜてって言ったらおいでって言ってくださるかなあ、と、ちらちら思ってはいました。いましたが、思い切りがつかず、もじもじもじもじ先延ばしにしていました。
それが、対談本をお送りして、お礼のメールをちょうだいしたときに、いまこそチャンスだっ!と肚が極まりました
(というか、出版に便乗しました(^_^;))。
電話越しの先生は、あなたの仕事の休みと曜日が合えばいいけどなぁ、と気楽な感じで受け入れてくださって、幸い、曜日が合いましたので早速、先日、行ってきました。
久しぶりの練習は、メッッチャクチャおもしろかったです。先生が発せられる「ちが――うッ」のダメだしは10余年経っても衰えることなくご健在で、のっけからチガウチガウ言われているうちにあっという間に時間が過ぎました。
帰り際、あらためてお礼を言いにいくと、「アンタ、ホンマにエライ崩れてるなぁ」と、とどめのダメ出し。これがなんとも嬉し悔しい。――次回までに練習しとこっ。
170930 『身体のトラウマ』在庫僅少、ありがとうございます。
私がつくった1冊目の本『身体のトラウマ』が、おかげさまで残り少なくなりました。
お買い上げくださった皆様、どうもありがとうございました。
そもそもこの本は、「私は現時点でここまでのことを考えましたよ〜」的な公式記録を残すためだけにつくりました。ですから、いわゆる「売れる本」を目指すつもりはありませんでしたし、また実際たいして売れていませんでした。
出版社には場所ふさぎなことで申し訳なく思いながら、折をみて手元に引き取ろうかな、でもまだもうちょっと置いておいてくれるかな、とずるずる押しつけたままにしていたのでした。
それが、思いがけず神田橋先生と対談本をつくることになったおかげで、もうじき完売、のゴールが見えるようになりました。
個人的には、神田橋先生の読者の方が、私の本なんて読んでおもしろいのかなあ……と、そこは少々頼りなく思いますが、いくらかでも役に立つことがありましたら、なによりの幸いです。
ともあれ、そんな本ですので増刷はしませんし改訂版をつくるつもりもありません。完売即絶版です。
ですから、もし、買えなくなってから読みたくなることがおありでしたら
(もちろんまだ買えるうちからでもいいですが)、いくつかの公立図書館と、いくつかの大学図書館とが扱ってくださっていますので、そちらで借りてください。ご近所の図書館に相談していただければ、他府県の方でも借りられると思います。
私自身は、図書館のおかげで、運命的な出会いをたくさんしてきました。ですので、いつかどこかで、私の本とそんな出合い方をして、技術なり理論なりに興味を持ってくださる方が現われると嬉しいなあと思っています。
でも、と同時に一方で、諸事情により図書館の本は読めないという人も私は知っています。ですから、「私は買って読みたい」と思ってくださる方がおられましたら、どうぞ、いまのうちにお買い上げください。
――って、なんだか、宣伝なんだかお礼なんだか、方向のアヤシイ文章になってしまいました……(^_^;)。
言いたかったのは、お買い上げくださった方、手に取ってくださった方に、ありがとうございました、なのでした。
171009 「そだちの科学」29号 日本評論社
雑誌「そだちの科学」29号に杉山登志郎先生が書評を書いてくださるとお聞きして、その発売が10月10日だと確認した私は、早速、紀伊國屋書店北花田店に予約をお願いしました。
10月10日は火曜日。本の入荷は朝一番。入荷を確認してすぐに電話がもらえたら、朝のうちに北花田に買いに行ける! と、そこまで勝手に計算して、受け付けてくださった店員さんにも「できるだけ早く電話ください!」なんて無理なお願いまでしたのですが……、前日の今日、出版社である日本評論社さんが29号を送ってきてくださいました。
しまったな〜……。でもさすがに2冊は要らないしなあ……。おどおどしながら紀伊國屋書店北花田店に電話して、「今日の明日のことで申し訳ないのですけれど、キャンセルなんてお願いできますか……?」。訊くと、こころよく
(はないでしょうけど)ごくあっさりと受けてくださいました。
よかった、助かった。一安心しながら雑誌をめくると、当たり前ですが、杉山先生が先に読ませてくださっていたとおりの文章が書評欄に掲載されていました。
おお、なんかすごい、うれしい。ミーハーな興奮を味わって、満足したところで特集の内容を読みはじめました。で、この号に掲載していただけてよかったなあ、と、しみじみ思いました。
雑誌の場合、そのときどきの特集によって内容が大きく変わることがあります。その結果、前の号は自分の興味に合致していたけれど、この号は読んでもちんぷんかんぷん……ということが起こりえます。
「そだちの科学」の今号の特集は、「発達障害とトラウマ」。私の関心と重なる部分がありますので、読むことがそのまま大事な勉強になります。
もちろん、内容が内容ですので、ささっと読みすすめることはできません。ぐっと集中して読んでは、内容の重さに疲れてちょっと休憩して。ぼちぼち、じっくり消化しようと思います。
171029 怒りの晴らし方
腹が立って腹が立ってどうにも仕方のないことがあって、そのことを、以前から、ある先生に相談していました。
で、先日、「やっぱりあんまり腹が立つから関係者の一人に、そもそもの理由を問いただしますッ」。私がいきまいていると、先生は、ときどきあきれて笑いながらもひとしきり私の話を聞いてくださって、それで、私が「先生、どう思われますッ?」と訊いたときには、「その人たちのことを直接知っているわけじゃないからあくまで私の想像だけど」と断わられたうえで、「こういう事情じゃないかしら」と推測を述べてくださいました。
その推測は、怒りで視野が狭くなる前の私も思いつかなかったもので、しかも、実際いかにもそうであったような、すとんと腑に落ちるものでした。
「ああ、そうか、そうかも。そうだったのかもしれないなあ」と、瞬時に反省と、状況の再把握とが進んで、カンカンに固まっていた肩の力はしゅるしゅる抜けました。
そしてすっかりおとなしくなった私が、「じゃあ私は失敗の理由を問いただすのではなく、失敗を越えるための、次の話を提案すればいいのでしょうか?」と尋ねると、「そうね。いまの場合、理由を問いただしても先は開けない。でも提案をすると、先が開けるかもしれない」と先生。
「じゃあたとえばこんな企画はどうですか?」。と、これまでにもときどき思い描いていたけれど実現する熱のなかった企画を披露すると、先生は、「私もそれとおなじ企画を今日、あなたに提案しようと思ってました」。
その言葉を聞いて、これまではぼんやり想像するだけだった企画が、にわかに明確な形を取りはじめました。そしてそれとともに、怒りで真っ暗に曇っていた空から、ようやく光が差してきたように感じました。
初期仏典『ダンマパダ』
(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳 岩波文庫 1978)で、お釈迦さんは「怒り
(怨み)は怒ることでは晴らせない」と言っています。怒りは、捨てるしかない。
これを読んだときには、「でも、現に怒ってるときにその怒りを捨てるなんて無理じゃないかな〜」と思っていました。
が、今回の経験で納得しました。
怒りは、怒ることでは晴らせないし、あっさり捨てるのも難しい。でも、次につながる提案をひねり出して、その実現に向けて動きだせば、自然に晴れることもあるかもしれない。これは、私には実にありがたい発見でした。
171104 毛利子来さん亡くなる
休みの間に溜め込んでいた新聞をささっと読みながら整理していて、10月30日の訃報欄に目が止まりました。
小児科医の毛利子来
(たねき)さんが亡くなられたそうです。87歳。
数年前に来られていたお客さんが毛利さんに関わりのある方で、その方に著書を紹介されて、初めて毛利さんのお名前を知りました。
雑誌を何号か、著書を何冊か読んで、どうやらすごい人のようだなあ……と思って、それきりになっていました。実際にお会いしたことはもちろん、講演を聞いたり手紙を出したりもしていません。単なる一読者でした。
最近、子育て中のお客さんに「おすすめの育児書」を訊かれ、毛利さんの共著書『育育児典』と松田道夫さんの『育児の百科』を挙げました。私自身は使っていませんので、「あくまでも、よさそう、という印象ですが」と断わりながら、です。
お客さんはさっそく注文されたそうで、ぱらぱら読んでいる、とのことでした。
どんな分野であっても、自分の判断を超える疑問が湧いたときに、「とりあえずあの人がなんて言っているのか調べてみよう、教えてもらおう」と思える人がいることは貴重です。ありがたいことです。
育児関係・小児科関係の分野においてそう思えるのは、私にとっては、毛利さんでした。ですから、とても残念です。
名物ホームページ「たぬき先生のお部屋」は残されるのでしょうか。それも閉鎖されれば、あとは本当に、残された著書だけが頼りになります。
※確認したところ、「たぬき先生のお部屋」は閉鎖されていました。
171218 「教える」を教わる
今月中旬から、いよいよ本格的に、私の技術を人に教えるための準備を始めました。
以前から、「同じ技術を使う店は他にありますか?」「遠方に住む親戚にも同じ整体を受けさせたいのですが、どこか知りませんか?」と訊かれることはありました。ですが、私の使う技術は私が作ったものですので、同じ技術を使うという意味での「師匠」「同僚」「兄弟弟子」はいません。
なので、「知らないので紹介できないんです」と答えていました。
そうすると、「それなら「弟子」を作りなさい」と助言をちょうだいすることもありました。ですが、それは私が乗り気になれませんでした。
乗り気は努力してなるものじゃないし、まあ、ときが来て、こちらは「心から教えたい」・向こうは「習いたい」と思い合える人に出会えたら、いずれ乗り気になるだろう……。のんきに構えていたら、――出会えました。
というか以前から知っていて、友人であり恩人でありお客さんでもあるUさんと、友人と呼ぶには厚かましいけれど私の好きな人であり恩人でありお客さんでもあるVさんという2人の方が「いちど本気で習ってみたい」と動いてくださったのです。
Vさんは以前にも一度「プレ・プレ講習」ともいうべき講習を受けてくださったことがありますが、中断期間が長かったので、あらためて仕切りなおし。Uさんは、長年の私のよき理解者ですが、講習的な会い方は初めてです。よろしくどうぞ、と、ふだんになく緊張した気分で、先日、一回目の講習を行いました。
これが、とても愉しい経験でした。
これまでに、学生だったり習い事の生徒・弟子だったりと、教わる立場には立ちまくってきた私ですが、教える立場ってのも愉しいものだなあ、と興奮しました。
なにより、実技を説明した後で相手がする試行錯誤を見る、のが愉しい。「ただいまここを習得中」という独特に集中した雰囲気は、見ているだけでなんとも言えないわくわく感があります。
そんなわけで、「こう言えば動きをイメージしやすいだろうか」「このとき私はどうしているのだろう?」などと、ふだん自分のしていることをブツブツおさらいするようになりました。これも意外に愉しい。
180117 講習練習2回目
「整体講習のための練習会」第2回を先日おこないました。練習におつきあいくださったのは前回と同じくUさんとVさんです
(細かいですが仮名を変更しました)。
1ヶ月近く間隔があっての2時間ですから、最初の雰囲気は当然のごとく「えーと、なんでしたっけ?」状態。ノートを見ながら簡単に「前回はこんなことをしました」と確認して、とりあえず復習がてら練習してもらいます。で、作業手順が思い出される具合を見計らって、少し踏み込んだ作業を追加説明していきます。このへんの塩梅を図るのがじつに愉しい。
ぱぱっと勘所を飲みこんで作業を実施できるUさんと、じっくりじっくり段取りを頭に入れこんで、動き方を納得してから練習に取りくむVさんと。タイプがそれぞれ違いますから、練習にかかる時間も思いつく質問も違います。
新米先生としてはそのひとつひとつに「えーと、えーと」と頭をひねりながら答えていきます。この辺の段取りすべてが私には貴重な勉強で、終わるころにはこの2時間、何をしていたのかさっぱり覚えていないくらい集中しています。おそらく、意識的・無意識的にいろいろ吸収しているのでしょう。ありがたいことです。
いまのところ1回目2回目を通して学んだことは、だいたい1時間半が過ぎるころにノートを取る時間を設けると良いらしいことです。で、このときに私も講習内容をノートにまとめます。
今回、お2人からいただいた助言は、「施術の流れをまとめたプリントがあるとわかりやすい」。……まとめプリント。基本中の基本だったなあ! と、言われて初めて思い至りました。さっそく作ろう。
次回か、その次くらいには、いよいよ私の整体技術の核心部分に入るはずです。そしてそこからが、「教え方」のほんとに難しいところ。勘のいいお2人に引っぱっていただいて、どの程度正確に伝えられるようになれるか、そこが成長のしどころです。