のぞみ整体院
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日常 14

210130 ブログの目次を作りました

 2020年までに書いたブログの目次というかタイトル一覧を作りました。タイトル下の「LINK」から、あるいはのぞみ整体院のホームページからご覧いただけます。

 店のホームページも今回の目次も、メモ帳でちまちま作っていますので、地味な手作業です。なので、手間を惜しんで、目次→記事へのリンクは貼らずに済ませました。
 ご興味のタイトルがございましたら、お手数ですが、目次で日付を確認してからタイトル下の「ARCHIVE」を開き、目当ての記事に直接飛んでくださると嬉しいです。詰めのところで横着しまして、どうもごめんなさい。


210207 第一回目の校正完了

 杉山登志郎先生へのインタビュー本の第一回目の校正が完了しました。
 企画したのは9月頃で、11月にインタビュー、それからテープ起こしして原稿を作って数人の方々の助言を仰いでまとめ直して注を付けて、出版社に入稿。ワードにベタ打ちだった文字原稿の体裁を出版社が整えてくれて紙に印刷してくれたのが校正刷りで、そこに著者が赤ペンで修正・訂正を書き込んでいくのが校正作業です。
 実質11月から始めた本作りが2月初旬の時点でここまでこぎつけられているのは、薄い本とはいえ、かなり速いペースなのじゃないかと思います。
 ご協力くださったみなさま、どうもありがとうございました。

 本の装幀は、私の大好きなフランス装になります。本本体の表紙がそのまま表紙になっていて、別紙のカバーは付きません。私が『身体のトラウマ』『身体の話』でした、あのタイプの作りです。今回の本は、厚みがなくてサイズも小さいですから、ごそごそ浮きがちなカバーをなくすほうが扱いやすいだろうと期待します。

 本の出来上がりは、早ければ春、遅くても夏にはできていると思います。
 私史上、いままでになく明るく・かわいらしい本になる予定です。早く出来てほしいです。


210226 3月中に出版できるかも?

 杉山登志郎先生のインタビュー本は、早ければ3月中に出版できるかも?の見通しが立ってきました。余裕を持っての3月中、ではなく、ギリギリなんとか3月中、くらいのタイミングにはなりそうですが。
 それでも、インタビューの実施が11月だったことを思うと、小さい本とは言え、想像以上の速さだったと思います。ありがたく嬉しいことです。

 タイトルは『教えて 発達障害・発達凸凹のこと』になりました。今度もまた、IAP出版さんが出してくださいます。神田橋先生との本を2冊、出版してくれたところです。
 定価は1,500円+税、となりました。これまでの本同様、出来上がったら大阪府下の図書館には置いてもらえるよう、私が直談判に押しかける予定ですので、いずれはそちらでも借りられるようになると思います。

 ではどうぞ、出来上がりまであとひと月、お楽しみに!(例によって、私が一番楽しみなのですが(o^―^o))


210303 「不要な対策はやめましょう」宣言を出してほしい

 先日テレビのクイズ番組を見ていたら、〈スーパーマーケットに事前に注文しておけば商品を駐車場まで運んできてくれるサービス〉のことを紹介していて、それを感染症対策と位置づけているのを聞いて、うんざりしました。それのどこが感染症対策なんだ……の、うんざりです。
 そもそも私は、対策には何の役にも立たない(としか私には思えない)行動が多すぎることに不満を持っています。マスク着用の映画館・劇場で席の間隔を開けるとか、マスク着用のスーパーで間隔を開けてレジに並ぶとか、人対人の場面でだけお金やカードのやり取りを受け皿越しにするとか。こんなのは全部無意味だと思っています。なのに、スーパーは新たにそんな〈感染症対策〉を増やし、テレビはそれを肯定する。不要な手間をせっせと増やしてどうしたいのか。

 私が描く新型コロナウイルスのモデルは胡麻(ゴマ)です。自分で動くことはできず(ウイルスには運動能力がないから)、単独で増えることはない(ウイルスは細胞に寄生しないと増えられない)。そして感染が成立するには胡麻(ウイルス)一粒食べたくらいではダメだそうで、私が学生時代に内科医の先生から聞いた話では、感染するには、何百とかいう数のウイルスが体内に入る必要がある、とのことでした(これは20年近く前に聞いたことなので、新型コロナはまだいませんでした、〈ウイルスによる感染症一般〉の話です)

 イメージでいうと、感染者の身体の中には胡麻が詰まっていて、マスクなしでクシャミをしたり喋ったりすると、そこら中に胡麻が散らばる。その対面に立っていると、飛び出た胡麻が目の中に直撃したり、落ちずに漂う胡麻を鼻・口から吸いこんだりする。そしてその数が多いと感染する。対面で喋っていても相手がマスクをしていると、胡麻が直撃することはありませんから、感染リスクはぐっと減る。ただし自分だけがマスクをしていても、防御にはあまり役立たない。マスクをするのは「あなたを攻撃しません、外に胡麻は出しません」の行動であって、「外の胡麻から私を防御します」ではない(目ががら空きだから)
 また、すでにそこらへんに散らばっている胡麻の上に手をついて、手のひらにべったり胡麻をつけてしまうこともありえます。その手で目・鼻・口の中をいじったり物を食べたりすると、胡麻を体内に送り込んでしまいますから、このときも、その数が多いと感染する。ただし胡麻が手にびっしり付いていても、胡麻自身ではそこから動けないし、皮膚からは侵入できないので、実際に体内に送り込む動きをしなければ感染はしない。だから目・鼻・口を触るとか物を食べる前には手を洗おう――それだけのことなのだと私は理解しています。

 以前テレビで聞いた話では、保健所の聞き取り調査では、クラスター対策を狙って「どこで感染したか」「どこで感染させていそうか」、感染時期前後の行動を細かく聞いていたそうですが、私はそれより「どの状況で感染したか」「どの状況は大丈夫だったか」のほうを訊いてほしいし教えてほしい。「誰と会っていたか?」「どこで会っていたか?」は答えにくい人でも、「マスクをしていない人と対話したか?」「したとすれば、どんな状況で・どれくらいの時間話したか?」。きっとこれには答えやすい。そしてこのほうが重要な情報です。
 そしてその上で、「この行動は絶対してね」「この行動は不要だからやめましょう」をちゃんと大声で言ってほしい。「しないよりはしておくほうが安心でしょう……?」で、うっかり始めた行動は、大々的に「要らない」と言ってもらわないとやめにくいだろうと思います。昨日までしていたことを今日いきなりやめたら「なんでやめたの?」とか言われそうですし。でも公式発表で「要りません」と宣言してくれたら、「がんばってたけど要らなかったんですって」で、サラリとやめられそうです。

 最小限の〈要る行動〉リストはときどき目にしますが、感染症対策に関しては、最小限以上の行動をしても、効果が低いか・まったくないか、あるいはモノによっては有害でしかないと思えます。だから、〈そう思う人がなんとなくそう思っているだけ〉という状況はそろそろやめにして、「こういう行動はほとんど意味がありません、お手数でしたがこれらの対策行動は今後やめましょう」みたいな宣言を出してほしいと思います。
 要ることを要る、要らないことを要らない・するな(!)とはっきり言われてこそ、するべき対策を続ける気力も湧くだろうもんだ、と、私なんかは思うのですが。


210307 理想的なお客さん

 子どものお客さん(Pさん)に施術していたら、まもなく、くう〜…くう〜…とても静かな寝息で眠りに落ちられて、施術が済んで起こしたら、「めっちゃ気持ちよかった……」としみじみ言われました。付き添いのご家族と私はぷぷぷっとなりながら「それは良かったね」と喜んで、お代をちょうだいしたり帰り支度を促したりしていましたが、Pさんは、一息つくごとに「めっちゃ気持ちよかった……」。
 ドアから出しなにもまたしみじみ言われて、ふだんはされないのにこのときばかりは「ありがとうございました」深々頭を下げて、帰られました。

 私がしている整体は〈身体の修理〉だと自分では思っていて、施術中の気持ちよさとか慰安効果みたいなのは重視しません。「店内で気持ち良い」より、「ふだんの生活が楽になった」が目指したいところなので、施術中の快(こころよ)さを追及している暇がないのです。ただ、でもだからといって敢えて気持ち悪くさせようとか痛くさせようと狙うつもりはありませんので、〈修理〉がうまくいった上で、ほどほどに気持ち良ければそれが一番かな、くらいの心づもりでいます。が、多くのお客さんはきっと、何をされたのだかよくわからない施術に、「結局何をされたんだろう……」不思議な気分で帰られるのじゃないか、と、想像しています。

 そんなわけで、施術後の対話が、「とりあえず今日はここをこんなふうにしました」「あ、そうですか。では、どうも」みたいなやり取りで落ち着くのが日常になっている私としては、Pさんのリアクションは実に新鮮で微笑ましかった(!)。なんだか、食レポの達人に思いがけず遭遇したような気分、とでもいいますか。
 実際施術はうまくいったし、私が嬉しくなるくらいPさんの緊張は弛みましたから、一部の食レポにあるみたく「まずいものを大袈裟にうまいと言われた」とは思わないし、素直に嬉しい。でも嬉しいけれど、子どものあけすけなしみじみ感にはやっぱりぷぷぷっと笑っちゃう。いやー、実に幸せな時間でした。


210312 杉山先生のご本は3月26日発売です

 児童精神科医・杉山登志郎先生へのインタビュー本『教えて 発達障害・発達凸凹のこと』の売り出し開始が3月26日で確定いたしました! 定価は1500円+税です。今朝見たらアマゾンでの告知も始まっていました。が、予約はまだ(?)できないようです。日にちの加減によるのか登録の仕方によるものか、ちょっと私にはわかりませんので、ひょっとするとこのまま予約はできないままかもしれません。であれば、売り出しが始まってから、どうぞよろしくお願い申し上げます<(_ _)>。

 本作りの作業としては、ちょっと厚い本(『神田橋條治の精神科診察室』)を作って、それからもうちょっと厚い本(『心と身体といのちのこと』)をこしらえた後の、ぐっと薄い本ですから、正直、手間的にはずいぶん楽でした。なんせ一回通して読み直すだけでも『診察室』なら2、3日かかったところを、『凸凹』だと半日で済んでしまいます。
 もともと、薄くてわかりやすい本を作ろうぜ!の意気込みで取り掛かった本ですから、薄いのは良いのです。そこは狙い通りです。が、わかりやすく作れたのかしら……は、あまり自信がありません。もちろん、わかりにくく作ったつもりはこれっぽっちもありませんが、工夫次第でもっとわかりやすく作れたような気もするし、これが精いっぱいだったような気もするし。

 人のこと、病のこと、医療のことは、そもそもが複雑な話ですから、とことん単純化してわかりやすくはなったけれど薄っぺらくもなった、などというのはつまりません。かといって、だって複雑なんだからしようがないでしょ、で居直るのでは新たに本を作っていただく意味がありません。
 杉山先生は現場の複雑さの中で日々、複雑な作業をしておられるわけですから、こちらの切り込み方次第で複雑にも簡単にもできたはずで、そこのところの匙加減が、うーん……うまくいったかどうか。どうだったのでしょう。読んでくださったかたのコメントを待ちたいところです(あ、でも、店にお手紙をくださっても返事は出しませんので、アマゾンや読書メーターにコメントを書いてくださると嬉しいです)

 今度の本も、IAP出版さんにお世話になりました。あーじゃ・こーじゃとうるさい私にハイハイと付き合ってくださって、おかげで気分よく作業させてもらえました。
 さあ、後は出来上がりを待つばかり。表紙の出来具合、めくり具合(『身体の話』より薄い紙で表紙を作ってもらいました)、持ち心地、……。この辺りは完成品でないとわかりません。一日も早く、持ちたい! 見たい! 楽しみです。


210321 五輪開閉会式の案

 お客さんとの雑談で出した東京五輪の開閉会式の案ですが、ただ静かに黙祷をするだけ、じゃダメなのでしょうかね……。選手入場→開会の辞→来賓あいさつ(?)→選手宣誓(?)→黙祷→選手退場、それだけ(閉会式も同様)
 黙祷は、東日本大震災前後および以降に起きた災害・事故・事件にかかわる犠牲者と、コロナで亡くなった多くの人に向けて。

 この時期におこなう五輪なのだから、無観客で派手な空騒ぎを演じるより、気持ちを込めて厳粛な式を営むほうがよほどふさわしいですよね、と、お客さんと私の間では意見が一致しました。
 オリンピックに興味の薄い私はいままで開閉会式を見たことがありませんが(だから来賓あいさつとか選手宣誓は学生時代の体育大会からの連想……五輪ではしないのでしたらごめんなさい。あ、どこかの時点で聖火は点けますね)、こんな開会式なら見てみたい、参加したいと思います。
 たぶん、似たようなことを考えている人は少なくないのじゃないかなあ、と想像するのですが……。


210326 『教えて 発達障害・発達凸凹のこと』できました!

 児童精神科医・杉山登志郎先生へのインタビュー本、『教えて 発達障害・発達凸凹のこと』ができました! 今日、私の手元にも届きました。うーん、嬉しい。
 見本で見たより赤みがかった表紙はほど良く橙色が濃くなり、薄めの紙で作られたフランス装式のカバーというか表紙というかはほど良く手に馴染んで、なんとも扱いやすい。この薄さでこのサイズの本の作りとしては私の理想形!と言えるかもしれません。

 内容は、本になってからはまだ読んでいませんが、出来上がってしまえば自分が読むより読んでくださったかたの感想が聞きたい! というわけで、早速、お師匠さんや協力くださったかた、といっても数人ですが、に郵送、配達。アマゾンと読書メーターも今後しばらくは重点的にチェックしよう。多くのかたに、わかりやすかった!と読んでいただけることを祈りつつ。


210408 補足資料を作る予定

 先日発売されたばかりの『教えて 発達障害・発達凸凹のこと』に早速レビューを投稿くださったかたがあって、おかげで、この本に対する正体不明のモヤモヤが一気に消えました! もちきのこころさんが書いてくださった「とっつきにくい」。そうです、そこに引っ掛かっていたのでした!
 本を作る前、というかインタビューをする前に一つ考えていたことが私にはあって、インタビュー→原稿作成の頃までは、しなきゃしなきゃと思っていたのに、その後のごちゃごちゃに取り紛れてすっかり忘れていたのでした。それを思い出させてもらいました!

 と、いうことで早速出版社と杉山先生に相談。無事話はまとまって、杉山先生が資料を作ってくださることになりました(また私は偉い人をこき使う……)
 どんな資料かは出来上がってのお楽しみですが、便利グッズとして必須だわ、と私は思っています。

 もちきのこころさん、ありがとうございます! そしてせきせきさんも、「そうでしょう! 私もそう思ったの!」と画面のこちらで大きく頷きました。どうもありがとうございます。
 はあ――ッすっきりしたっ!


210427 マスクせずに発話する人からは極力離れましょう、の呼びかけ。

 また緊急事態宣言が出されてしまいました……。やれやれ……。

 しばらく前に朝の情報番組で、大阪での電車内の光景が映されていました。マスクをせずに大声を出すおじさんが電車から降りてくれなくて、駅員さんが来て警察を呼んで、なんとか下りてもらって、運行再開できたのはやっと30分後でした、みたいな話です。
 このご時世に、迷惑と言えば明らかに迷惑行為なわけですが、私が驚いたのは、自分がいる車両に乗り込んでこられたお客さん(の一部?)が逃げ出さずにそのまま乗っておられたことです。何事も無いようにスマホに目を落としていたり、少し離れたところから騒動の一部始終を撮影していたり。
 私なら一目散に別の車両に移るけれど、この人たちは怖くないんだろうか……?

 不思議に思って、店に来られたお客さん数人に訊いてみると、みなさん即答で「私は逃げます」と言われ、お一人だけが「逃げなくても、うつらない気がします……」と答えられました。そのかたには、「いやいやいや、逃げてください!」とびっくりしつつお願いしましたが、マスク・手洗いの徹底を呼び掛けるのに合わせて、【マスクをせずに発話する人から極力逃げること、少なくとも対面には立たないこと】という呼びかけも必要なのかしら、と思いました。

 マスクをしていない人が自分の家族だったり友だちだったり会社の関係者だったりすると逃げにくいし注意・お願いもしにくい、かもしれない。そしてまたその場所が、会社の一室や学校の教室、飛行機みたいな広いけれど自由に移動しにくいところだった場合は明らかに逃げにくい……と、状況によってはものすごい難問になりますが、少なくとも、その相手が見知らぬ人で、電車や信号待ちの交差点、席に余裕のある飲食店なんかだったら、その場に留まる義理や義務はありません、とっとと逃げ出しましょう、距離を取りましょう、席を移りましょう、と言いたいです。
 せっかく面倒な感染対策を日々、続けていて、つまらない事故的状況で感染リスクを高めるのはもったいない。自分がうつされる可能性をともかく下げるためにこそ、おじさんの下車を待つのでなく、さっさと席を移ろうよ、と、テレビを見ながらヤキモキしてました。


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