のぞみ整体院
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日常 11

200407 神田橋先生への質問募集

 9月頃開催予定の神田橋條治先生の小講義について、下記の要領で疑問・質問・相談を募集いたします。メールか郵送でよろしくお願いいたします。

メールの場合
宛先:sinnsatusituseminaa●yahoo.co.jp
※前半のアルファベットは(診察室せみなあ)をローマ字入力したものです。
※●は@に換えてください。
件名に「セミナー質問」と必ずご記入ください(迷惑メールと間違えて消しかねませんのでよろしくお願いします!)

郵送の場合
宛先:〒591−8023 大阪府堺市北区中百舌鳥町5丁723 2階 のぞみ整体院

記入事項
メール・郵送とも共通です。
1.お名前(+ふりがな)
2.年齢
3−1.現在の職種
3−2.現在の職種の実務年数
4.あなたの疑問・質問・相談を具体的に(『神田橋條治の精神科診察室』の内容に沿った、あるいは内容を踏まえた疑問・質問・相談をお願いします)
5.お住まいの都道府県
6.メールアドレス(お持ちのかたは)
7.電話番号

応募締め切り:5月末日(仮)


 応募締め切りが(仮)なのは、コロナの動向を見据えてのことと、どれほどご応募くださるかが私に想像できないからです。開催を延期することになれば延長するかもしれませんし、お送りいただくご質問が少なかった場合も延長するかもしれません。
 一方、ご応募がたくさんであっても、責任を持って全部拝読いたします。また、締め切りを前倒しすることはいたしません。これについてはご安心ください。

 勝手ながら、いただいたご質問の、どの質問を神田橋先生にお訊きするかは、私に一任ください。
 その際の選考基準は、〈『神田橋條治の精神科診察室』の不明点や、臨床現場での具体的・有用な活かし方に関連しそうと思える質問〉を、積極的に選んでいきたいと考えています。
 採用させていただいた質問をくださったかたには、講義当日、〈質問者〉としてご参加いただきたく思っています。ご都合が合わず、参加いただけなかった場合は、いただいた質問へのご回答を講義録/録音の形でお届けしたいと思います。

 なお、いただいたメールを神田橋先生に転送することはありません。申し訳ありませんが、私信はお控えください。

 集まりの性質というか方向については、技術研修会のような雰囲気にしたい、となりました。
 そのため、当初企画していたより小規模の集まりにしたいと思います。そこで現時点では、〈質問者〉でない〈参加者〉の公募は取りやめることにいたします。悪しからずご了承の上、疑問・質問・相談を、どうぞたくさんお寄せください。お待ちしております!


200416 本の装幀と小講義の会場

 今日ようやく、次回本の表紙装幀が決定いたしました。
 前回の『神田橋條治の精神科診察室』はわりとあっさり決まりましたが、今回は、迷いました。あっちでもこっちでも良いよね、という甲乙つけ難しな二者択一困難状況が何度も訪れて、もういっそ、3種類くらいの表紙を作ってよと思いました。
 それが、ようやくひとつに決定できました。これで装幀関係の作業は一段落です。

 後はしばらく、文字原稿(=本の本文部分)の最終稿を手元に預かって、ときどきぼんやり見返しては誤字・脱字の見落としを拾う作業に入ります。
 もちろんこれまでにももう十分探し尽くしたつもりではありますが、先日はなんと、出版社の関谷さんに2つも見つけられてしまいましたし、出版予定日までにはまだ日にちがありますから、私もさらに1つ2つは見つけてやるぜな気分でいます。



 神田橋先生にしていただく小講義については、昨日、会場を決めてきました。
 ひそかに予定していた会場は、やめました。急遽、別の会場に変更です。新会場は、広さ・値段・雰囲気・使い勝手とも私に不満はないのですが、ひとつだけネックなのが、椅子がパイプ椅子しかないことです。
 パイプ椅子で4時間……。私自身は自分で決めたのですから自業自得ですけれど、参加者の皆様に対しては心苦しく思います。せめて、座布団を持ってきてくださいね!の告知は一生懸命しようと思います。



 コロナ騒動はいよいよ大変なことになっていますが、久しぶりに癒しの記事に出合えました。
 過熱気味の報道・状況に対する専門家のかたの冷静なご意見。
 とくに、「いまさらPCR検査を拡大してはダメなんじゃないの? 以前のデータと質が変わって、データの連続性がなくなって、感染状況の推移がますます把握できなくなって、自粛解除の時期が判断できなくなるんじゃないの?」と、素人ながらにハラハラしていた私としては、上理事長のお言葉にほっといたしました。1ページ目の匿名医師のかたのコメントと合わせて考えると、マスク・手洗いは継続した上での、あらゆる自粛要請の解除へのシナリオも早々に描けそうで、そうすれば政府が出すお金だって少なくて済むんでしょうし、一刻も早く、流れがこちらに傾いてほしいなあと祈る思いです。


200420 神田橋先生の小講義・続報

 神田橋先生の小講義について、いくつか問い合わせがありましたので、まとめて回答しておきます。

 まず参加人数ですが、おおよそ100人を目安にしています。椅子の並べ方でいくらかの増減はできますので、レイアウトも含めて現在考え中です。100人前後と見てください。

 そして参加費用ですが、こちらは参加人数次第ですので、まだ決まっていません。ただし会場費が抑えられたこと、スタッフの人数が少ないこと、営利目的の企画ではないことを踏まえて、低く設定したいとは考えています。

 参加者については、原則、素敵な質問を出してくださったかたを最優先にお招きします。
 そこに、質問不要でご参加願う、若干名の〈白柳枠〉を加えます。ここには非心理職のかたも含みます。
 そうして残った席数に対して、質問を出してくださったかたが多数であればその中から許容人数を選出し、少数であれば追加募集の方法を考えます。

 今度の集まりは、先生が大阪まで来てくださる珍しい機会です。
 せっかくですから、ふだん、先生と接触する場面の少ないかたを優先してご参加願うつもりでいます。遠方であるいは多忙でなかなか鹿児島までは陪席に行けないとか、本で見知っているだけで実際お会いしたことはないとか、なるべくそういうかたに参加の機会を得てほしい、そう思っています。

 なお、いま現在アマゾンでは『神田橋條治の精神科診察室』が売り切れているようです。が、出版社在庫は充分あります。ご安心ください。ふつうに注文手続きを進めてくだされば、いくらか遅れて届くと思います。その遅れが待てない!というかたについては、直接出版社に注文する方法もありますが、おそらく、お待ちいただいても大差ないと思います。

 最後に、これは事務作業の都合によるお願いですが、質問は、メール1通につき1件とさせてください。
 関連性の濃い質問は1通にまとめていただいて構いませんが、関連のない質問については、質問ごとにメールを分けてください。
 その上で、メールは何通出してくださっても構いません。多数のご応募、お待ちしています!


200426 愉しいこと、愉しくないこと。

 数年前に数回来院くださった遠方のお医者さんにも、いただいていたお名刺をもとに、神田橋先生の小講義の案内を出してみました。すると当日すぐにお電話くださり、「ご招待、ありがとうございます!」とおっしゃられるので、とっさに「招待状じゃないです! 質問出してください、そして拡散してください、のお願い状です」きっぱり言うと、一瞬沈黙した後で大笑いされました。「なんだ、僕も質問、考えなきゃダメなのか!」。
 来院くださっている心理士さんにも「こんな会にしたいんですよね〜」と私の思いつきをあれこれ相談して、「それはおもしろそう!」、乗り気になっていただきながら、でも別れ際には「質問出してくださいね」「はいはい、考えます」。

 1回目の締め切りは5月末、と言いながら、いまから『神田橋條治の精神科診察室』を買って読む、読んで質問を考える、と言ってくださるかたもいるそうですので、6月以降も2回目か3回目かの締め切りは設けようと思っています。
 講義の日にちはまだまだ先、コロナの落ち着きもまだまだよくわからない状態なのに、段取りとか工夫を考えているだけでいろいろ愉しい。そしてどなたも質問を出してくださらなかったときのことを考えて、私も質問を考えよう、と準備するのが愉しい。
 やっぱり、忖度なし・〈お友達〉優遇なしの真剣勝負で、100人よりずっとずっと少なくなってもいいから、会場全体でガチャガチャワチャワチャ談論風発、話し合うほうが愉しいかなあ、とか、そんな妄想までしてみたり。この歳になって、ここまで嬉しく〈遠足の前〉気分でそわそわする機会が訪れるとは思いませんでした。



 本業では、職種的に営業自粛の要請外ではありますが、大っぴらな宣伝行動はしにくい今日この頃なので、地道にマスクでも作るか、と、気が向いたときに布マスクをちょこちょこ作ることにしました。
 数日前に、このご時世に〈白マスク以外禁止〉といっている小学校か中学校だかがあるらしいと新聞で見て、白マスクか、作ったことないなあ……。どんなものだか作ってみようと、買い置きしていた晒(さらし)を引っ張り出して2つほど作ってみました。
 が、これがなんともつまらない……。可愛かったりおバカだったり、カラフルなプリント生地で作ったときとは違って、出来上がってもちっとも嬉しくない。ハイ作業終了、みたいなパサパサした感じです。

 マスクは、ミシンがあって手順に慣れれば作るのは簡単なので、すぐに単純作業に成り下がります。だからこそ、出来上がったときに何かしらの「やった!感」がないと作業自体が続きません。一人当たり、洗い替えを考えると3枚は欲しい。でも白マスクでは、その3枚を作り続ける気力が私には湧きませんでした。
 せめて出来上がった白マスクに落書きするとか刺繍するとか、なんらかの遊びは許してほしいなあ、と、学生時代は校則をほとんど気にせず過ごせた、遊び心に乏しい私でさえ思います。「やった!感」なしに手作りしろなんて、ちょっとむごい要求ですわ……。


200430 基本に戻る

 長期にわたって施術が手こずっている場合にあることですが、整体の作業が込み入ってきて段取りの見通しがどうにも悪くなることがあります。症状と癒着の関係、私がすべき作業とその影響、そんないろいろがはっきりしなくなって途方に暮れる……。
 そんなとき、私が真っ先にすることは、初めて来られたときの主訴を見直す、です。前回の記録、前々回の記録といった近い範囲で状況を見直すより、そもそもこのかたは何が原因で整体を受けに来られたのだっけ?まで立ち返ることで見えることが出てきます。

 コロナ対策も、その時期が来ているように思えて仕方がないです。
 そもそも緊急事態宣言を出すかどうかの時期に焦点になっていたのは〈医療崩壊を防ぐこと〉だったはずで、その頃に言われていたのは〈感染は長期化する。だからみんなが一気に感染しないようにして、少しずつ感染者が増えつつ治っていくことを目指そう〉だったはずです。そしてその場合、医療者が感染しないように手を打つこと、具体的には医療的防護用具を充実させること、そのために国内製造を強力に促すことが必要な手立てだったはずです。というか、そのための時間稼ぎにこそ、外出自粛や緊急事態宣言は出されているのだろうと理解していました。

 それがいつの間にやら、自粛要請に従わない店を公表するとかしないとか、学校を9月からにするかどうか、って……。
 医療崩壊を防ぐ体制を整えて、手洗い・マスク・社会的距離の〈行動注意〉を徹底するよう呼びかけた上で(って呼びかけられなくても慎重な人はするでしょうし、しない人は呼びかけられたところでしないでしょう。そうであっても)自粛要請を解除すれば、休業補償の問題もこれ以上深刻化させずに済むでしょうし、学校だって再開できます。そしていまはまだ5月。子どもにも先生にもしんどいことでしょうが、いまならまだ、土日と夏休みのやりくりでなんとか取り返せるでしょう。9月かどうかは改めて検討するべきことに思います。

 そもそもの基本に戻って本筋をたどり直せば、事態はそれほど難しいことではないように思うのに、なんでそうしないのでしょう……?
 納得がいきません。


200508 質問の選考基準が少し変更になりました

 神田橋先生の小講義に向けて募集中の質問について、少し変更ができました。
 お知らせしていたよりも、もっと明確に、質問の内容を『神田橋條治の精神科診察室』の内容に即したもの、そして技術的・具体的なものに限りたい、と、先生が希望されましたので、そのように変更いたします。

 それはまたハードルが上がるなあ……と私なんかはひるみましたが、より具体的な技術論を話し合いたい、ということなのでしょう。
 たしかに、広いところから話を絞っていくのには手間ヒマが掛かりますが、きっちりした共通理解の下で、絞り込んだ話をする、あるいはそこから話題を広げていくのは簡単です。時間が限られた中で濃い対話をなるべくたくさんしたいとお考えなのだと思います。

 どうぞよろしくお願いいたします。


200517 今年もまた花粉症開始

 数日前から花粉症が始まりました。例年挑戦中の〈整体で花粉症をなくそう〉計画はまたもや失敗に終わりました。

 やっぱり免疫系は難しい! 年々軽くなっているようには思うのです、ここ数年はほとんど薬も飲まずに過ごせていますし。でもやっぱりクシャミは出るし目はかゆいし鼻水は出ます。花粉症からすっきり卒業、無症状とはなってくれません……。
 免疫系のはたらきのミソは「これは敵だ」と覚えておいて、再度侵入してきたときには早々に攻撃を仕掛ける、なわけですが、減感作療法的な治療法を組み合わせるとかして〈免疫の再教育〉=「花粉は敵じゃないからね」を覚え直してもらう、といったことをしなければ、一度生じた〈花粉=敵〉の反応は消せないのでしょうか。整体屋として、それだとつまらないんだけどなあ……。

 まあでもボヤいたところで失敗は失敗。また来年まで、あれこれ工夫してみます。そして本気で諦める気になったら、そのときは減感作療法を試します。


200527 夏用手作りマスクの作り方

 以前、手作りマスクの作り方を案内したことがありましたが、今回は夏用のアレンジバージョンを記録しておきます。

 前回同様、お手本にさせていただくのは〈ままのて〉のamikemiさんのページのプリーツマスクです。アレンジは実に簡単。本体寸法の15×32cmを10×32cmに、横布寸法の5×12cmを5×14cmに変更するだけです。こうすると、鼻から顎を覆う縦の長さは変えずに、頬を覆う横幅だけを減らせます。
 なお、10cmは〈私の口幅+いくらかの余分〉を目安にした数字ですので、みなさん、各自の口幅を計ってみて案配してください※。コツは、横幅が短い分、プリーツの広がりが悪くなりますので、ひだをあまり大きく取らないことです。そのために、横布は14cmと長めにします。

 昨年の秋頃から夏用マスクの試作は始めていましたが、なかなか良い具合に作れませんでした。それが昨日この変形を思いつき、早速作り、今日試しに使ってみましたら、顔面の前面だけを覆い、側面は開放しますので熱気がこもりません。でも口は確実に覆いますから、(目視はしていませんが)つばを散らしまくってはいないはずです。なかなか素敵な着け心地です。ぴっちり覆うサランラップを、ぽとんと乗せるだけの落し蓋に替えた気分です。
 今年の夏はこれで乗り切ろうと思います。


 さきほど、私が好きな文筆家パオロ・マッツァリーノさんのブログを開いたら、なんと! 同じ提案をされていました。今夏のブームは幅狭マスクかもしれません!よ。



※その後の使用者からのご意見によりマスク本体の横幅を10cm→13cmに改めました。女性用・子ども用はともかく、とくに男性用の場合は13cmが必要なようです。


200528 映像で表現することの責任について思うこと

 この1カ月ほどの間に、3本のドキュメンタリー映画(あるいはドキュメンタリー風映画)を観ました。
 脚本ナシ、演出ナシ、被写体・現場の傍にたたずんで撮影者は介入せずに記録しています、という体裁で作られているのがドキュメンタリー番組の一応の定義かと思いますが、実際は、題材選びから、被写体の居る空間のどこ・何を撮るか、タイトル付け、編集に至るまで撮影者の主張は入り込んでいます。
 そこを非常に意識して撮影に臨まれているのが、たとえばオウム真理教信者の内情に肉薄した『A』シリーズの監督・森達也さんで、撮影者の視点について悩みながら書かれたような著作も出されています。

 今回観た3作は、1作はPさん、あとの2作はQさんが監督をされています(本記事では全然ホメませんので、タイトル・監督とも伏せさせてください)。Qさんの撮られた2作品は、続編ではないけれど比較的近い世界を撮影した、ちょっと〈シリーズ〉的な映画です。
 Pさんの作品を観ての感想は、「つまらん映画やな〜」。おそらくはPさんの描きたいことへの想いが強すぎるせいで、視野の狭い、一本調子な作りになっていると私は感じました。一方、Qさんの2作品についてはただただ不快でした。なんとも無責任に作られている、と腹が立ってしようがなかったです。

 Qさんの製作スタイルは〈極力自分を主張しない〉方向を目指されているようで、被写体がカメラを意識しなくなるほどの長時間撮影を敢行し、出来上がった作品も〈あるがままを撮っています〉風を装っています。けれどその、被写体が緊張を維持できなくなるほど長時間にわたって撮影した膨大な量のフィルムから、Qさんは意図的に何かを捨て・何かを採用している。そこにはある種の、ものすごい権力が存在すると思うのです。

 たかが一瞬を写すだけの写真であっても、「はい撮るよ、こっち向いて」と言われると人は顔を作ります。見られていること・撮られていることを意識して、反射的に、〈公開用〉〈記録用〉の表情を準備する。
 しかし長時間カメラを向けていられると、その準備・緊張は続きません。結果、本人が許す〈公開用〉〈記録用〉ではない、〈素の存在〉が出てしまう。でもこの〈素の存在〉は、名前とか住所・電話番号に準じるような、重要な〈個人情報〉だと思うのです。〈この人にしか見せない表情〉や〈いま・この場だから出てしまった反応〉は、たとえ〈公開用〉〈記録用〉に撮影されたものであっても慎重に扱ってほしいし、その前の大前提として、そもそもこの撮影を通して何をどういう文脈で表現したいのかは出演者に対して示すべきだ、と、私なら思います。

 おそらく大抵の製作者は、映像をおもしろいものにしたいから、被写体には〈素の存在〉をうっかり出してほしいと望みます。
 映画『ゴスフォード・パーク』のDVD特典映像を見ていると、監督のロバート・アルトマンが、「俳優のミスを期待している」、「俳優の思いがけないミスが名シーンを生む」ということを言っていて、ただし「この作品の出演者は舞台の経験者が多くて、どの方向から撮られても大丈夫な訓練ができている」と適切にも断っていました。
 自分が演じている〈登場人物(が備えているはず)の素〉を、練達の役者が図らずも出してしまう、その状況をアルトマンは〈ミス〉として期待しているわけで、〈ふだんの役者本人の素〉が現れることを期待してはいないでしょう。その意味で、ドキュメンタリー作品において一般の人が本当にうっかり出してしまう〈自分自身の素〉とは次元が異なります。

 その辺りの慎重さ・配慮、あるいは製作者としての責任・覚悟というものが、私には、Qさんの作品からは感じられませんでした。
 Pさんの作品が(出来不出来の意味でつまらなかったにせよ)不快感はなく、Qさんの作品が(内容の出来不出来以前に)ただただ不快だったのはそこの違いのようです。Qさんの映画で私はなんでこんなにムカムカなるのだろう、と、私自身に湧いた不快感の意味をしばらく考えて、納得しました。
 もちろん、この映画に関しては、製作者と被写体の間で気持ち良く公平な合意ができているのかもしれません。その場合は、私の感じた不快感は筋違いの大きなお世話です。


 先日、ドキュメンタリー風番組「テラスハウス」の出演者木村花さんが亡くなられて、誹謗中傷したSNSに非難が集まったり、その非難から木村さんを守れなかったという趣旨で製作者がお詫びの言葉を述べたりしているようですが、本質的な問題として非難されるべきこと・反省するべき点を外しているように私には思えます。
 映像の中で、ある人をどんな人として描いたか、それがどの程度その人の〈素の姿〉であるかのように見せかけたか。そしてその描かれた〈姿〉は、作品全体における文脈も含めて、本人に正しく許容できるものであったか。そここそが非難され・猛省すべき点であるように思います。
 「百聞は一見に如かず」と言われるほどの、映像表現の持つ〈真実らしさ〉と、それを企画し・撮影し・編集する製作者側の権力・暴力性をしっかり自覚し、大事にするよう求めなければ、どんな完璧なSNS対策をしたところで、意味はないと思います。


200601 報告2つ(質問の締め切りと夏マスク)

 昨日で、神田橋先生の質問募集は第一回目の締め切りを終えました。
 ご応募くださったみなさま、どうもありがとうございました。
 二回目の締め切りは6月15日になります。『神田橋條治の精神科診察室』の理論・技法に則ってのご質問がおありのかたは奮ってメール/郵送ください。

 先生からのご回答および小講義への参加の可否については、7月末頃までの返信を予定しています。第一次、第二次の両締め切り分を合わせて選考しますので、今回ご応募くださったかたも、7月末までお待ちください。




 先日ご紹介した夏マスクは、見た目的にもそれなりに評判は良いようです。「少し濃いめの生地で作れば小顔効果も期待できるかも?」の声もある一方で、「〈生地が足りなかったの?〉と訊かれたことはありますか?」と、笑いながら尋ねてこられたお客さんもおられましたので、まあ、ぱっと見てわかる程度に規格外ではあるのだな、という感じです(自分では、一度着けてしまったら鏡を見ない限り見えませんから、見た目はほとんど気になりません)

 しばらく前から、店の前に広告用のマスクを〈ご自由にどうぞ〉形式で置いています。これまでは通常サイズのものを作って置いていましたが、これからの季節、ワタクシ考案の夏マスクを置くべきか、引続き一般常識に従って通常サイズを置くべきか、ひそかに迷っています。

 横幅が小さい夏マスクは、鼻と口の前側しか覆いませんから、喋ったときには両横から適度にマスク内の換気がおこなわれて蒸れにくい。けれど縦の長さは十分あって、鼻口前面はちゃんと覆っていますから、飛散防止はしています。……すこぶる機能的だと思うのですが、でも「なんじゃこりゃ、小さい」と引かれるでしょうか……。
 とりあえず、夏マスクを試しに、身近な人に配ってみました。その感想を待ってから判断しようと思います。


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