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本の感想 8

230213 『森林に何が起きているのか』 吉川賢

 しばらく前からぽつぽつ続けている林業関係のお勉強読書で、記録しておきたい本に出合いました。
 著者は1949年生まれの研究者です。本のサイズは新書で、しかも220ページほど。そう分厚い本ではないのですが、淡々と書かれた文章に膨大な量の情報が凝縮されているので読むのにかなり疲れます。ひと昔前・ふた昔前の学術書っぽい、歯ごたえのある新書を読む気分で、じっくり噛んで学びたい・学び直したい本だと思います。

 読んでいて一貫して感じたのは「視野の広いかただなあ……」でした。ぐっと近寄って表面張力とか毛管現象とかの、木の中を流れる水の話をしているときも、ばっと引いて地球レベルの水の循環の話をしているときも、いつも、〈ここだけを見ているわけじゃないよ。ここだけを見ているんじゃ十分じゃないよ〉と呼びかけられているような意識が私の中に湧く。なんかこう、〈陰の中に陽があり、陽の中にまた陰がある〉の陰陽理論じゃないですが、〈ミクロを見ながらマクロを思い、マクロを見ながらまたミクロを思う〉を、読んでいる間中ずっと意識している感じです(たぶん、だから疲れる)

 そしてそんな本だからこそ、読んでいると、どうすれば良いのか・どうすることが正解なのかが見えにくくなります。
 例えば山火事で森が燃えるのは一概に悪いことか?というとそうばかりではなく、気候条件・立地環境によっては定期的に自然発火することで森の状態をリセットし、そのリセットを込みにして安定している場合がある。そんな森は数年ごとに定期的に小規模な火事をしているから、もともとそんなに燃えるものがない。だから自然発火して→自然鎮火して→状態をリセットする、が恙なくできる。けれどこの森が国立公園などに指定されると、どんな小さな火事も起きないように監視されることになって、森の中に燃料が蓄積される。そして、いったん火事が起きるととんでもない大火事になって、状態のリセットどころでは済まなくなる。
 だから、自然のはたらきに織り込まれている自然発火による火事は、消火せずに放置するべきだという教訓を得て、アメリカ・カリフォルニア州のイエローストーン公園では1972年以降、小規模な自然発火は放置する方針に切り替えた。が、1988年には大火災が起こり、公園の半分以上が消失、さすがにこれはまずいと消火に乗り出したときには既に手に負えず、公園外の住宅までも焼けてしまった……。
 〈自然発火は放置しよう〉の提案は、理屈を聞くと「なるほど! そりゃそうだ」と思うし、対策としても進んでいるように思えるけれど、それでも想定外・想定以上の事態は起こりうる。自然を〈管理する〉〈付き合う〉ことの難しさが痛烈に表れていると思います……。

 全体の章立ては、かなり長めの(というか長さ以上に読み応えのある)序章「多発する森林火災」があって、第1章〜3章の「シベリアタイガの危機」「砂漠化と森林」「脆弱な熱帯林」で世界の森林を広く見て、第4章・5章の「変貌する日本の森林」「これからの森林管理」で日本の森林を考える、という構成です。ところどころに短いコラムが挟まれていて、これもププッあるいはへえ〜という感じでおもしろい。序章は、中高生くらいの読み物として教科書に載せてほしい内容です。少なくとも私は、学生のときに読んでいたら目からウロコがバシバシ落ちて、衝撃を受けたと思います。



『森林に何が起きているのか 気候変動が招く崩壊の連鎖』 吉川賢著
中公新書2732 2022年 


230419 大阪な小説3冊

 フィクションといえば推理小説!な私ですが、このところ珍しく純文学というか一般的な小説を読んでいます。そんな中で印象に残ったのが、奇遇にも、著者が大阪にゆかりがあり、舞台も大阪か関西周辺(のものも含まれる)、な3冊だったのでまとめてご紹介します。

 読んだ順に、
 ・津村記久子『八番筋カウンシル』朝日新聞出版 2009年
 ・富岡多恵子『当世凡人伝』 講談社文芸文庫 1993年(単行本は1977年) 
 ・増山実『甘夏とオリオン』 角川書店 2019年です。

 簡単な感想というか私が感じた印象を書きますが、結末に触れている上にあらすじ紹介はしていませんので、これから本を読むつもりのかたはご注意ください!



 津村記久子『八番筋カウンシル』

 カウンシルは評議会、という意味だそうです。〈八番筋カウンシル〉は、〈八番筋商店街の評議会〉。要は商店街組合とか商店街の自治組織みたいなのをおしゃれに言い替えた(?)集まりなわけですが、これがおしゃれかというと実に泥臭い。旧弊で陰湿な同調圧力団体の側面を色濃く持っている。
 そんな商店街に育ちいまは成人した若者世代が主人公。同級生数人とその親世代・祖父母世代や商店街の面々とのいろいろが、30歳になった現在と、15年前の中学2年当時との視点で交互に描かれます。

 ずいぶん以前の新聞書評か何かで津村さんの『エヴリシング・フロウズ』が紹介されていて、いつか読もう読もうと思いながら延び延びになっていて(推理小説ばっかり読んでるから)、ようやく読んで、一気にはまりました。
 うーん、すごい……。唸りながら、比較的初期の本からどんどん読みかけて、あ、この勢いで、出てる本全部読み終わったらもったいないと途中で気付いて、いまは我慢しながらときどき読むようにしています(これはこれで切ない)

 初期作品では、ささやかにさりげなく交わされる親切・配慮と、嫌らしく迫ってくる閉塞感・圧力とのはざまで淡々と日々をこなす、みたいな物語が多いように思いますが、私が読んだものでは、学校と家、職場と家とが空間的に分離している話が多かったと記憶します。学校・職場にはそこなりのキツさ、家には家なりのキツさがあるけど、それぞれの場所は切れているから、どこからも居場所がなくなる事態は起こりにくい。
 ところが本作の舞台は商店街です。学校・職場・家がどっぷりその地域に搦めとられていて、問題が起こったら逃げ場はない。当人に問題がなくても〈問題〉を起こそうと企む人はいて、目を付けられたら事態は動く。まさに地域ぐるみで起こるいじめの構図です。

 いままで読んだ津村作品の中では一番えげつない本だと思いました、いろんな意味で。芥川賞を始めとして受賞作品の多い著者ですが、この本は何ももらっていない。不思議です。
 「津村さんの本を読むのは初めてだけどおススメは?」と訊かれたら『サキの忘れ物』をいまなら挙げるかな、と思います。表題作は素敵だし、いろいろあっておもしろい。ゲームブックにも意表を突かれる。でも「一番印象に残った本は?」と訊かれたら、いまの私は『八番筋カウンシル』を挙げます。むちゃくちゃ嫌な味わいもあるけど、それでも大丈夫、時は進む、みたいな覚悟も湧く。



 富岡多恵子『当世凡人伝』

 12篇が収録された短篇集です。
 文庫本裏の内容紹介によると、「なんの変哲もないありふれた人生。独特の語り口であるがままに描き出し、したたかに生きる平凡な人々の日常に滲む哀しみを、鮮やかに浮彫りにする」。……内容紹介としては確かにそんな感じだと思うのですが、何かそれだけじゃない、変なモヤモヤ気分を引き起こす不思議な本でした。

 本文288ページに12篇なので、一つ一つは20数ページくらいの短い話です。そこに4〜5人くらいの登場人物があるので、人口密度はかなり高い。そして登場人物にどことなく気持ち悪い陰を持った人が多いので、短いけれど濃い。濃いけれど短いから、そんなに派手な展開は起こらない。そしてだからこそ一層、「この人たち、このまま淡々と続けていくんだろうな……」の気配が確かに感じられて、モヤモヤする。でもモヤモヤはするけど受け入れがたい嫌悪感にはならない。そこに、独特に地味な魅力を感じます。
 1、2話読んで「もう読まんでもいいかな」思いながらも手離さず、ぼつぼつ続きを読んで、読了。何なのこのモヤっとした吸引力! 気になるので、他の本もいくつか読んでみようと思い、早速図書館で『三千世界に梅の花』を借りてきました。これにハマれば更に数冊読んでみて、そしてまたその後で多分もう一度、『当世凡人伝』に帰ってくるような予感がします……。



 増山実『甘夏とオリオン』

 物語は、入門して3年ほどの若手女性落語家・桂甘夏の師匠である桂夏之助が失跡するところから始まります。兄弟子二人とオロオロしながら師匠の帰りを待ち、探し、苦肉の策を打ちながら待ち、そうしながら着実に力(芸の面でも根性の面でも)を付けていく姿が描かれます。
 中心人物として描かれるのは弟子の甘夏。でもたぶん、この本の本当の主役は話芸としての落語と方言、そして技と文化の伝承なのだろうと思いました。だからこそ、たった3年で甘夏の基礎を作り上げた名落語家にして名師匠・夏之助のその後は無視される一方で、一番弟子・小夏の化けっぷりは記録される。兄弟子・若夏の事情も丁寧に描かれる。そして甘夏の確実な成長と新たな入門志望者の登場で、一冊の物語としては幕を閉じる。

 読んでいて思うのは、ともかく落語への愛がすごい! 紹介が上手い!ということです。
 聞いたことのある話は聞き直したくなるし、聞いたことのない話は是非聞きたくなる。『代書』の完全版なんてもう、四代目桂米團治さんのが聞きたいのはもちろんのこと、作中人物・桂竹傳改め竹之丞さんのも聞いてみたい!と思う。

 私が熱心に落語を聞いていたのは20余年前ですが、本書で、上方落語を語るには上方訛りがきちんと話せないとダメ、みたいな記述があって、それを読んで初めて「あっ!」と思いました。言われてみれば当たり前なのでしょうが、ほとんど気にしたことが、というか気になったことがありませんでした。そして今更ながらに、私は、プロの話芸を聞かせてもらっていたのだな……と、しみじみ思いました。

 甘夏の完全なモデルではないけれど桂二葉さんに取材されたらしいと知って、久しぶりに寄席に行きたくなりました。前日は〈残席僅か〉だった繁昌亭のチケットは、翌朝にはもう完売になっていて買えず。もうたぶん、今後、二葉さんのチケットを大阪で取るのは不可能でしょうから、私は縁が無かったのだな……。もうちょっと早くに本書を読んで、動いておけば良かったです。残念。


230515 『偽書『本佐録』の生成』と『和本のすすめ』

 『本佐録』と書いて〈ほんさろく〉。江戸時代に読まれていた政道論書のタイトルで、〈本多佐渡守正信さんが記録したもの〉を縮めて、本・佐・録。
 近所の図書館の〈新しく入った本〉コーナーに面陳されていた本書と目が合って、〈偽書〉の2字にココロが揺らいで思わず手に取りました。なぜか偽書に弱い私。でも肝心の「本佐録」の読み方すらわからないので「まえがき」を見ると、フリガナが振られていました。そして、高校の日本史で、江戸時代の農民を統制するための心得として「百姓は財の余らぬやう不足なきやう」治めよという方針があったこと、その出典が『本佐録』だったことが紹介されているのを読んで、ああ、なんかあったなあ、生かさず殺さずみたいなミもフタもないヤツが……ぼんやり思い出しました。その『本佐録』が、偽書。……素敵じゃないか。
 ぱらっと見る限り、明らかに専門書寄りの本なので私に読めるかどうか自信はなかったですが、でもかなり親切にフリガナを振ってくれているようだし、ここはありがたくも図書館ですから、ダメなら諦めて返せば良いか……ということで、借りて帰ることにしました。
 するとこれが、めちゃくちゃおもしろい本なのでした。


 構成は3章立てになっていて、第1章が「『本佐録』の成立時期をめぐって」、第2章が「『本佐録』の思想的特質をめぐって」、第3章が「偽書『本佐録』の成立とその意義をめぐって」。
 まず最初の1章で同時代周辺の書物・資料と文章を比較して、書かれた時期を探ります。『本佐録』が、引用というか参考資料的に扱っている本がいつ頃の成立であるのなら、『本佐録』はそれ以降に書かれたことになるから、早くてもいつ以降の成立になるはずで……と、絞り込んでいきます。

 続く第2章では、どういう時代背景のもとにどんな主張をしている本か、の視点で『本佐録』を考えます。一般に言われ、また高校日本史でも取り上げられていた解釈を聞くと、「農民は生かさず殺さず」ギリギリを狙えよ的な、いかにうまく年貢・労働力を巻き上げるか、〈ブラック大名のための搾取指南書〉みたいな印象だけど、全体を通して読むと真反対の解釈をするほうが自然で、「農民をムチャクチャにこき使ったりするな。ちゃんと休ませてやらにゃイカン」、〈江戸時代版労働基準法のすすめ〉に近い。
 そしてもう一つ取り上げられるのが武士のありようで、戦国の世から太平の世への転換点と説明されます。能力のある大将が能力のある武将と個人的・情緒的に結びつく戦国的主従関係から、永続する大名家に永続する家臣の家が仕える、身分固定的・イエ的な主従関係へと切り替えたい。そんな思惑の下に〈イマドキ武士の作り方〉みたいな側面が紹介されます。いまのご時世、太く短くはもう時代遅れなんだぜ、みたいな。

 最後第3章では、1・2章を踏まえて、じゃあいったいどんな立場の人がどんな意図をもって『本佐録』を作ったのか、が検討されます。これがおもしろいのは、偽書に対する偽書返しだったのではないか、という著者・山本さんの推理です。ある本が、当時有名な学者だった熊沢蕃山さんの本として出版された。それに対して別の学者が猛烈な批判書を書く。びっくりしたのは熊沢さんで、自分が書いたわけでもない本の著者にされるわ・それがメチャクチャに非難されるわで、しかもその影響が拡大すると時期的・立場的に、非常にまずい。こりゃイカン、もちょっと昔の偉い人が書いたらしき本が見つかった態で非難をかわそう、と企んで作られたのが偽書『本佐録』ではないか……。


 本の全体が丁寧な検証の積み重ねで書かれているので読み口は地味で、しかも引用される江戸時代の文献は候文(そうろうぶん)だったり漢文混じりだったりで、私はたぶん、半分も理解できていないと思います。でも、それでもめちゃくちゃおもしろい。
 扱っている内容はコピペの追跡、働き方改革、ジェネレーションギャップにフェイクと炎上への対策、と、現在とひとつながりのあれこれです。そしてそれを読む私は、堅実に丁寧に思索を進める名探偵の推理の跡を、名探偵本人に親切に案内してもらう贅沢が十二分に味わえて実に愉しかった。国文系の本を読むのに不慣れなので、『大辞林』引いたり『岩波漢語辞典』引いたり、読了までにとっても時間がかかりましたが、返却日までにはまだ少し間があるので、いまからすぐにもう一度読み返そうと思います。



(2023年5月30日追記)
 『偽書『本佐録』の生成』からのつながりで『和本のすすめ』を読みました。主に〈江戸時代の本〉に関するあれこれが、広く・そこそこ深く、コンパクトに書かれた新書です。
 和本については知らないことばかりで勉強になった上に、著者の語りに誘われて、変体仮名が読める人になってみたい!と好奇心が湧きました。どこまで本気で続くかはともかくとして、まずはちょっとかじってみようと思います。

 ところでこの本には、読んでいると、知らない言葉がちょいちょい出てきました。著者の造語か古語なのかもしれませんが、手元の『大辞林』には載っていない言葉がちらほら。
 でその中に、「地縁や人縁」という言い回しが出てきて、しびれました(68ページ)。地縁は聞いたことがあるけれど、〈人縁〉ってのは良い言葉やな……。ちょっとギラギラした感の強い〈人脈〉より、〈人縁〉は、お陰さま感というか深みがあるように思えて素敵です。読み方として〈じんえん〉を採るか〈ひとえん〉を採るかは微妙なとこですが、お世話になった人を表すには、私は〈人縁〉と言いたいなあと思いました。



 『偽書『本佐録』の生成 江戸の政道論書』 山本眞功(しんこう)
 平凡社 2015年
 『和本のすすめ 江戸を読み解くために』 中野三敏
 岩波新書 新赤版1336 2011年


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